第10話 真実①
「く……クソ野郎って……」
「子供んときのホッケークラブで一緒だった奴らしいんだけどさ、『女性恐怖症』だとかなんとか言って、カヅに近づいてきたんだよ」
体を起こし、今度はキッチンに行って財布を探しながら、樹さんは世間話でもするように続けた。
「何があったのかは知らないけど、あいつ、ホッケークラブでは男のフリしてたらしいんだよな。で、クラブを辞める前にそいつの話聞いて、『私がついててあげなきゃ』とか思っちゃったみたいで。辞めてからも、男のフリ続けて、そいつの面倒見てやってたんだ。――その話を最初に聞いたときから、怪しいな、とは思ったんだよな」
「怪しい……?」
「怪しいだろ」探す手を止め、樹さんはくるりとこちらに振り返った。「そのころ、もう中学生だったんだ。小学生ならまだしも……カヅだって男っぽいとこはあるけど、どこからどう見ても女だし、気づかないわけがない。そもそも、そいつの『女性恐怖症』ってのも怪しい。女が苦手だ、て奴には会ったことあるけど……カヅから話を聞く限り、どうもそいつの反応は大げさで、演技じみてる。
要は……カヅが女だってことに気づいて好きになって、クラブを辞める前に『女性恐怖症だ』なんて嘘吐いて気を引こうとした――てとこだと思うんだよな。まどろっこしい手だとは思うけど、実際、カヅはそいつのこと放っとけなくなったわけだし……俺も、同情を引いて近づこうとしてきた女に会ったことはある。あり得なくはない」
「そんな……」
久しぶりの感覚だった。
心臓が焼けるように熱くなって、喉が締まっていくようで。息が出来なくなっていく。
そんなんじゃない――と、たった一言、反論することもできなかった。
愕然として固まる俺に、樹さんは「驚くよな」と嘲笑のようなものを浮かべ、体ごとこちらに向けた。
「ま、俺も半信半疑だったから。怪しいな、とは思っても、そんときは、カヅもそいつも中一だったし……様子見ようと思って、一応、協力してたんだわ。
でも、部屋にまで呼ぶっつーから、さすがに心配になってな。俺の部屋貸してやったんだよ。一時間千百円で。俺の部屋、うちの兄貴達も引くほどの……汚部屋、てやつで。そいつも引くかと思ったんだけど……それからも、引くどころかしょっちゅう来やがって。カヅもカヅだ。どんだけ金かかっても呼ぶのやめなくて。律儀に『いつもありがとう、お兄ちゃん』とか言ってせっせと金払って来るから、こっちも退けなくなってさ」
シンクにもたれかかり、樹さんは物憂げに重い溜息を吐き、そして、ふいに「ん?」と怪訝そうに俺を見てきた。
「どうした? 顔色悪いぞ」
ハッとして、ごくりと生唾を飲み込んだ。吐き気を無理やり喉の奥へと押し込めるように。
何も言えない。声が……言葉が出てこない。何と言えばいいのか、全く分からなかった。
ショックだった。――ショックだというのは分かった。でも、それがなぜなのかが分からなかった。悲しいのか、悔しいのか、腹立たしいのか……その全部なのか。それとも、ただ、虚しいのか。自分の感情が分からなくて、思いっきり、頭に岩か何かを叩き落とされたような……そんなショックだけがあった。
まさか、樹さんにそんなふうに思われていたなんて……思ってもいなかったから。そういう考えがあって、部屋を貸してくれていたなんて考えてもみなかったから。その事実をどう受け止めればいいのか、分からなかった。
「あ……つーか、つい、熱くなってベラベラ喋っちゃったけど。お前、カヅの知り合いなんだよな」思い出したように言って、樹さんは苦笑した。「カヅには言うなよ? 別れたほうがいい、とは言ってんだけど……ずっと疑ってたことまでは言ってないんだ。カヅはそいつのこと信じきってるからさ、下手に刺激して、余計に盛り上がったりしたら面倒だろ」
言われなくても……と拳をぐっと握り締めていた。
――香月に言えるわけがない。香月だって、きっとショックだろう。男装していることを、香月は家族でも樹さんにだけ相談していたんだ。服を貸してもらったり、部屋を貸してもらったり……そうやって純粋に協力してもらっていると思っていたはずだから。そんな樹さんに俺も会いかった。会って、お礼を言いたくて――。
ずんと重石がのしかかってくるようで、自然と俯いていた。
そうしてずっと黙り込んでいたからだろう、「なんか……様子が変だな」と樹さんは急に声を落として、警戒もあらわに呟いた。
「そういえば、カヅに何の用で来た? てか……今日、うちの親、どっちも現場だよな。お前――どうやって、家ん中入った?」
今、それを訊くのか……と悔しささえ覚えながらも、俺は覚悟を決めた。決めるしかなかった。
このままだと、本気で空き巣だと思われて通報されかねない。それに、名乗らない――なんて選択肢は端から無いんだ。
俺は喉を無理やりこじ開けるようにして息を吸い、顔を上げた。
「俺が、その――」
そう言いかけたとき、「樹さん」とのんびりとした声が背後からした。
「お探しの財布はこれですか? トランクに落ちてましたよ。どうやったら財布だけトランクに落とせるんですか? マジックの練習でもしてたんですか? それとも、ただのバカですか?」
貶しながらも、全く毒気を感じさせないその穏やかな声に、俺はぎくりとして振り返り、
「あら」と黒革の財布を手に扉の前に佇む、おっとりとした女性と目が合った。「カヅちゃんのカレシくん」
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