第4話 『親友』
「セーンパイ!」
昇降口からぐるっと校舎の中を回るようにしてたどり着いたのは、日当たりも悪く、人気のない西校舎の一階だった。そこだけ朝の訪れに気づいていないかのような、どんよりと重たく湿った空気が漂う中、晴れやかな声が辺りに響き渡った。
階段の前で無邪気に飛び跳ね、手を振るその姿は、確かに『妖精』のようで……彼女の周りだけ、まるでどこからか御光が差し込んでいるかのようにキラキラと輝いて見える。さすがだな、と、つい、苦笑がこぼれた。
オーラ、てこういうものを言うのだろう、と彼女に会うたびに、見せつけられるようだった。
「よ、絢瀬」
圧倒されつつも、軽く手を振って歩み寄ると、
「おはようございます、笠原先輩!」はきはきと歯切れよく挨拶を返しながら、絢瀬は駆け寄ってきた。「突然、呼び出してすみません。実は実は、今朝、すっごく可愛いミリヤンのパジャマ姿が見れて……」
硝子玉のような瞳を爛々と輝かせ、興奮気味に語り始めた絢瀬だったが、ふいに、「ん?」と長い髪をさらりとなびかせ、小首を傾げた。その視線は、俺の背後に向けられて――、
「あ」と絢瀬は思い出したような声を上げた。「――ホセ先輩!」
「遊佐でございます!」
選挙か、と言いたくなるほどの腹立たしいほどに溌剌とした声が背後でして、「久しぶりだね、セナちゃん」と遊佐がひょいっと前に出てきた。
「来ちゃった」
てへ、とでも言いそうな白々しい笑みを浮かべる遊佐を、今日ほど殴りたいと思ったことはない。
「来ちゃった、じゃねぇよ! マジで、なんで来たんだよ!?」
「羨ましいからだよ!」
ズバリと言うこいつの潔さは、『カヅキ』とは全く違った爽やかさがあるわ。
うっかり、『ダブルデートに行く』とかこいつの前で言ってしまったのが間違いだった。そりゃ、ついてくるに決まってる。
絢瀬との関係を――『ラブリデイ』という繋がりを――遊佐に知られてしまったのは先週のことだ。連絡先も交換せずに
「お前はほんっと……清々しいほど下心しかないな!? もう絢瀬とも会ったんだし、さっさと教室に――」
「いいじゃないですか、笠原先輩。お友達は大事にしましょう」と、絢瀬は俺を宥めるように言って、ぱあっと晴れやかに微笑んだ。「
「ざもあ……?」
なんの呪文? 英語……?
うっかり、遊佐と声が重なってしまったことがものすごく恥ずかしい。お互い責めるように遊佐と顔を見合わせてしまった。
「多ければ多いほうが楽しい、てことです。カレシ仲間、大歓迎っす!」
実に嬉しそうに、にこっと笑ってみせる絢瀬。
ああ、分かってねぇな、と申し訳ない気持ちになった。どれほど、遊佐が普段、俺のモナちゃんを貶しまくっているのか、絢瀬は知らないもんな。こうしてついてきたのは、『ラブリデイ』に興味があるからじゃなくて、絢瀬に興味があるからだと言うことにも気づいていないのだろう。
絢瀬を目の前にして、鼻の下伸ばしている遊佐に、わなわなと怒りがこみ上げてくる。俺だけでなく、絢瀬のミリヤ先輩への純粋な想いまで、踏みにじられてたまるか――と使命感のようなものが込み上げてきて、
「違うからな、絢瀬!」びしっと遊佐を指差し、俺は即行で摘発した。「こいつ、カレシになろうなんてこれっぽっちも思ってねぇから。『ラブリデイ』のこと、散々バカにしてきたんだ。モナちゃんだって、どれほど貶されてきたことか」
「あ、笠原……!」
「そうなんですか!?」
絢瀬は目を見開き、ムッとして遊佐を睨みつけた。
見るからにたじろぐ遊佐に「遊佐先輩!」とぐっと歩み寄り、
「知ろうともしないで貶すなんて、最低です。やってもいないのに、何が分かるんですか?」
「え、いや……」
「変なのは十分、分かってます。私なんて、男のフリしてまでプレイしてるし……」
そこまで言うと口ごもり、絢瀬は切なげな笑みを浮かべた。
「ミリヤンが架空の存在だって……実在しないのも、ちゃんと分かってます。でも、つらいとき、私を支えてくれたのはミリヤンで、それは本当だから……私にとっては大切な存在なんです。だから……やっぱり、貶されるのは悲しいです」
「ご……ごめんなさい」
遊佐が……謝った!?
ぎょっとして見やれば、遊佐はまるで宿題忘れて叱られる小学生のごとく、「やばい、やばい」という焦りが滲んだ強張った表情で固まっていた。
もしかして……こいつ、女子には打たれ弱いのか?
「あ、いえ……謝らなくてもいいんですけど。ごめんなさい、私のほうこそ、熱くなっちゃって……」絢瀬はあたふたとして両手を横に振って、遠慮がちに微苦笑した。「でも……もしよかったら、紹介してもいいですか? 私の『親友』」
遊佐は口を貝のように閉じながらも、うんうん、と必死に頷いた。頰を赤らめ、どことなく嬉しそうなのは……上目遣いで健気に『お願い事』をされたからだろう。
単純な奴め。これはこれでラッキー……とか、思ってそうだな。
「ありがとうございます! ではでは、さっそく――」
ぱあっとたちまち表情を輝かせ、絢瀬はいそいそと自分のスマホを取り出し――『ラブリデイ』のアプリを起動しているのだろう――画面をいじり始めた。
そして、
「私のカノジョの、ミリヤンです! バレー部主将の三年生なんですよ」
ばっとスマホをひっくり返して、絢瀬はミリヤ先輩の映った画面を遊佐に突きつけた。まるで子供みたいにワクワクと期待に満ちた瞳で見つめる先で――、
『初めまして。セナのお友達かな?』
「は……ハジマッテマシテ。セナちゃんのオタマダチです」
思いっきり引きつった顔で、噛みまくる遊佐。
思わず、噴き出しそうになった。
まるで壊れたロボットのごとき滑舌でミリヤ先輩と会話を続ける遊佐を横目に、無理してんなぁ……と苦笑しつつ――それでも、絢瀬と仲良くなりたい一心なのだろう、必死にミリヤ先輩と話す遊佐を見ていて、段々と胸の奥で古傷が痛むように何かが疼くのを感じた。
香月は――と考えずにはいられなかった。
香月も、俺のために『ラブリデイ』にも付き合ってくれてたわけだけど。もっと楽しそうにモナちゃんとも話してくれてたよな。本当に友達みたいに。だから、俺も楽しくて……。
『久しぶりだね、モナちゃん。元気? ――あ。三つ編みにしてる。可愛いね』
『俺が浮気するんじゃないか、て心配してんだよ』
『やだなあ。俺、ただの友達だし……男じゃん。陸太はモナちゃんにしか興味ない、もんな?』
『その通り!』
全身が痒くなってくるような、ぎこちない遊佐とミリヤ先輩の会話に耳を傾けながらも、頭の中に流れていたのは『カヅキ』とのそんな会話だった。
最後に、『親友』として出かけた日。
あのときは、気軽に肩を掴めた。モナちゃんに視えるように顔を寄せ合っても平気だった。何も気にならなかった。
あの時間が恋しくなる。
今とは違う、その差を、一昨日、身に沁みるほどに味わってしまったから……。あの息苦しいほどに気まずい空気も、遠ざけたあの肩の頼りない感触も、まだ肌に残っているような感じがして、落ち着かなくなってくる。
だからこそ、余計に……早く戻りたい、と焦る。
隣にいても二人の間の距離を気にすることもなくて、一緒に居るだけでその空気が心地良くて……肌が触れることになんの躊躇いもなかった。――そんな関係に早く戻りたい。
大丈夫だよな? このままやり直していけば……いいんだよな? それでいつか、俺が女性恐怖症を完全に克服さえすれば、戻れる――んだよな? また、親友に……。
「どうでした!?」
弾けんばかりの絢瀬の声がして、俺はハッと我に返った。
「とても……楽しかったです」
俺がぼうっとしている間に、遊佐とミリヤ先輩との面談がひと段落ついたらしい。
まるで小学生の日記のような感想を述べる遊佐は、生気のない顔を浮かべていた。心がこもっていないどころか、魂まで抜けてしまっているかのような。何か……大切なものを失ってしまったような、そんな表情だ。
しかし、絢瀬は満足げに「それは良かった」と微笑み、スマホを抱いていた。
「他にも攻略可能キャラクターは三人いるんですよ。笠原先輩のカノジョのモナちゃんに、ツンデレのカリンちゃん、あと、ボクっ娘のツバサちゃん。一人ずつ、紹介していきま――」
「それはまた今度でいいんで」急に生き返ったかのように遊佐は声を張り上げると、ギラリと禍々しいほどの眼光を放った。「次は、セナちゃんのリア友、紹介してほしいな〜……なんて!」
「リア友?」
げ。しまった!
「遊佐! いい加減にしろよな!? どんだけ、彼女欲しいんだよ。この前、合コンやったばっかだろ!?」
「合コン!?」
突然、驚愕したような声が、遊佐ではなく……絢瀬のほうから飛んできた。
え――と見やれば、
「笠原先輩、合コンとか行くんですか?」
軽蔑とは程遠い、感心でもしたような……驚きと感動が混じったような表情で、絢瀬は俺をまじまじと見上げていた。
何だ、その反応……?
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