第2話 怒れる『王子様』

「は……?」


 喧嘩……? 俺と香月が……?


「いや、してねぇよ」とはっきりと俺は言い切った。「香月、異常なほど静かだったし。全然、怒ってる気配なんて――」

「待て」いたって冷静に、遊佐は俺の言葉を遮るように右手をすっと挙げた。「お前ってさ、香月ちゃんと喧嘩したことあんの?」

「そりゃ……」


 とっさに反論しようとして、言葉がぷつりと途切れた。

 香月と喧嘩。そういえば……全くピンと来ない。

 言われてみれば――香月とは(紆余曲折あれど)十年の付き合いだが、喧嘩という喧嘩はしたことがない。ホッケーのとき、パス出しのタイミングとかで揉めたことはあったけど……別に、激しい言い合いをしたわけでもない。

 ホッケー辞めてからは、対戦ゲームで文句を言ったり、じゃれ合い程度に冗談で貶し合う程度で、意見がぶつかることさえなかった。『カヅキ』はどんなにくだらない話も嫌な顔一つせずに聞いてくれて、俺が何を言おうと笑って受け入れてくれてたから……。

 黙り込んでいると、何かを察したように遊佐は「やっぱな」と呆れ顔を浮かべた。


「じゃあ、お前、香月ちゃんが怒るとこも見たことないんだろ」

「香月が怒るとこ……?」


 いや――とすぐに頭の中で声がした気がした。

 確かに。記憶の中の『カヅキ』はいつも涼しげな笑みで悠然と構えて、常に爽やか『王子様』だった。取り乱したり、声を荒立てるような姿は想像もつかない。

 でも……一度だけ――。


「小六んときのホッケーの試合で……見たことある」と追憶の中に落ちていくように、ぼんやりと俺は語り始めていた。「俺、相手チームの奴に反則やられてさ。スティックで転ばされたことがあるんだよ」


 リンクの上を縦横無尽に疾走し、激しくぶつかり合うアイスホッケー。氷上の格闘技とまで言われる、かなり荒々しい競技だが……だからこそ、反則は厳しく決められている。殴り合いはもちろんご法度だし、暴言を吐くのも反則。その他もろもろ、怪我を招くような行為は細かく禁じられている――のだが。それでも、レフェリーから隠れて、嫌がらせのように姑息な反則技を使ってくる奴はいる。

 は、特にひどい奴がいて……。やたらとスティックで足を引っ掛けてきたり、壁際でスティックで腹を突いてきたり。レフェリーの目を盗んでやりたい放題。それも、執拗に俺だけ狙ってきた。きっと、そうやって心理的に俺を追い詰めて、ミスや反則を誘う狙いだったんだろう。――それが分かっていたからこそ、なんとか冷静にやり過ごして、凌いでいたんだが……結局、疲れが出てきた後半に、スティックをかわせずに思いっきり転倒した。レフェリーはやっぱり見てなくて反則は取られず。リンクに身体打ち付けて痛いし、惨めやら悔しいやら……最悪な気分で起き上がろうとしたとき、


「そんとき――『カヅキ』がそいつにタックルかましてぶっ倒してくれたんだよな」


 きっと、俺がずっと妨害を受けていたことも気付いていて……とうとう転ばされたのを見て我慢ならなくなったんだろう、とすぐに俺は悟った。

 しかし……理由はどうあれ、パックを持ってもいない相手にタックルするなんて、あからさまな反則行為だ。レフェリーもしっかり見ていて、『カヅキ』はペナルティで退場になった。

 まんまと挑発に乗って反則を犯すなんて愚の骨頂だ。褒められるようなことじゃ無い。でも、正直、、俺はスッとしてしまって……タックルしたあと、リンクに倒れるそいつを見下ろす『カヅキ』の背中が、すごいかっこよく見えたんだ。まさに、『王子様』だな、て思った。俺が女だったら、惚れてんだろうな、て……。

 当然、試合の後、『カヅキ』は監督にも護にもこっぴどく叱られることになって……責任感じた俺は『カヅキ』に謝りに行ったんだが――そのときも、『カヅキ』は平然と『陸太が謝ることじゃ無いよ。俺が勝手にやっただけだから』てさらりと言ってのけたんだ。そういうところ、ほんと、あの頃からずっと変わらないよな……。


「後にも先にも、キレた『カヅキ』を見たのはそれだけだわ」


 懐かしむようにほくそ笑んでそう言うと、遊佐は「うん」と興味なさそうに仏頂面で返して、


「ホッケーのことは知らんけど。とりあえず、今の香月ちゃんはキレてもタックルかまさないからな。女の子が黙り込んで『なんでもない』しか言わないのは、タックル以上にキレてるぞ」

「え……?」

「え? じゃねぇよ。分かれよ、それくらい。――香月ちゃん、怒ってんだよ」


 香月が……怒ってる?


「だ……誰に?」

「お前以外に誰がいるんだよ!?」

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