第5話 冷たい指先

「結局、カラオケ来てんじゃねぇか」


 カヅキに連れられるまま来てみれば、着いたのは駅前のカラオケボックスだった。

 狭い部屋の中、L字のソファに座り、俺はじろりとカヅキを睨みつけた。部屋に備え付けてある電話で飲み物の注文を済ませたカヅキは、ケロっとした様子で俺に振り返り、


「ダメだった? ここなら二人きりになれるし、陸太もゆっくり休めるかなーて思ったんだけど」

「いや、まあ……確かに、有難いんだけどさ」


 あのまま人混みの中に入って、また別の女の子と遭遇してたら、俺の身が持たなかっただろう。残りわずかなHPで、モンスターがうじゃうじゃいるダンジョンに初期装備で入るようなもんだ。

 しかし、だ。


「どうすんだよ……」と、俺は頭を抱えて項垂れた。「さっきのオネーサンたちに出くわしたりしたら……気まずいなんてもんじゃねぇよ」


 思い出しただけで、弾力ある柔らかなが肘のあたりに蘇ってきて、激しい痒みが全身に襲いかかってくる。


「今ごろ、『なんだったの、あのメガネ。いきなり叫んで超キモいんだけど』とか言われてるよ、絶対……」

「そんなことは言われてないと思うけど。びっくりはしてるかもね」

「お前は何も分かっちゃいねぇよ、カヅキ!」


 バッと顔を上げ、俺は怒気をこめた声で言い放った。


「女ってのはな、キラキラしながら、腹の底じゃ何考えてるか分かんねぇんだ! ちょっと気を抜いて背を向けてみろ。どんな毒を吐いてくるか、分かったもんじゃねぇ!」

「うーん……まあ……そういう子もいる、のかなぁ」


 俺の力説にもカヅキはスッキリしない様子で曖昧に返事して、「とりあえず」と俺の隣に腰を下ろした。


「掻くのはもうやめようか」


 ふっと気遣うように微笑みながら、カヅキは俺の手首を掴んだ。――そのときになって、「あ」と気づいた。無意識に、オネーサンにがっちりホールドされた左腕を掻きむしっていた。しっかり袖もめくって……。


「赤くなっちゃってる」


 そっと俺の腕を取ると、カヅキは引っ掻いた跡を優しく撫でてきた。その指先はひんやり冷たくて滑らかで……こそばゆいようでいて、妙に気持ち良いような。段々と痒みがひいていくのを感じながら、つい、ぼうっとその動きを目で追っていた。

 ――て、いや……待て。何やってんの?


「カヅキ……何これ?」


 ずばり訊ねると、カヅキはハッとして弾かれたように顔を上げた。


「え? 何って……」

「なんで撫でてんの? 皮膚科か」


 すると、カヅキは二重の線が無くなるほどに目を見開き、かあっと頬を赤らめた。

 ばっと俺の腕から手を離すと、


「ち……違うからね!?」

「何が!?」


 あたふたとしながらそっぽを向くカヅキを横目に、俺は捲りあげていた袖を戻した。

 なんなんだ、カヅキのやつ。そんなにミミズ腫れが珍しかったのか――て、違うか。

 もしかして……と、ふいに思って、頬が引きつる。さすがに引いた……? ミミズ腫れができるほど掻き続けるって……やっぱ、異常、だもんな。しかも、無意識だし。いくら親友で事情を知っているとはいえ、ビビって当然か。


「そろそろ、なんとかしたほうがいいよな。さすがに……」


 ぽつりと言うと、「へ」と惚けた声が隣から聞こえた。


「治したい……の? 女性恐怖症それ……?」

「治せるなら、な」ははっと情けなく笑って、俺は頰をかいた。「今まではさ、なんとか女子を避けてやってきたけど……限界があるっつーか。これじゃ、生きていけないよな。明日から俺らも、もう高二だし。すぐに受験で大学生だ。治すなら……今かな、て」

「そ……っか。そうなんだ……」


 そう何度も噛みしめるように呟くカヅキの声は、やけに嬉しそうで……。

 ちらりと見やれば、その横顔にはふっと穏やかな笑みが浮かんでいた。うっとりと細めた微睡むような眼差しに、ふっと緩んだ細い唇。

 天使には性別がない、ていうけど。こんな感じなのかなーとぼんやり思ってしまった。どちらか分からない――いや、もはやどっちでもいい。そう思えてしまえるような魅力。中性的な……凛々しいと愛らしいの中間、みたいな。

 こうして見ると、髪も輪郭も、すべての線が細い。喉仏も全然目立たねぇし。

 ああ、なるほど。こりゃ、オネーサンたちがこぞって逆ナンしてくるわけだ、と論破された気分になった。

 そんなことを考えながら見つめていると、いきなり、ばっとカヅキがこちらに振り返った。いつもは涼しげなその表情を珍しく強張らせ、真剣な眼差しで俺を見つめ、


「俺……手伝うよ」


 どこか緊張気味な堅い声で、そう言ってきた。

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