何度となく絶望に叩き落とされたが、何度でも立ち上がりたい。――4

 紫色の光は、いくつもの線となり、地面を縦横無尽に走る。


 やがて紫色の光は、式典会場をすっぽり収めるほどの、巨大な紋様もんようを作り上げた。


 あたしは愕然とする。


「これは……魔法陣!?」


魔法陣まほうじん』とは、通常の魔法とはけた違いの効果を生む、『儀式魔法ぎしきまほう』を発動する際に必要となる紋様だ。


 けれど、あたしの知っているどんな儀式魔法にも、こんなに巨大な魔法陣を使うものはない。


 なにが起きているの!?


「くく……っ」


 困惑するあたしの耳に、くぐもった笑い声が聞こえた。


 壇上にいる、ミハエルさんのものだ。


「ようやく満ちましたなあ……『のオーラ』が」

「ミハエル、さん?」


 ミハエルさんは、左右非対称に歪んだ、気味の悪い笑みを浮かべていた。


 悪魔と見紛みまごうような。


 ミハエルさんが、ミリーさんをチラリと見やる。


「先にますぞ、ミリー」

「ええ。でお会いしましょう」


 ミリーさんが静かにうなずいた。


 ミハエルさんが両腕を掲げ、狂ったように哄笑こうしょうする。


!!」


 魔法陣の輝きが膨れ上がり、視界が紫に染まった。


「う……っ」


 同時に巻きおこった暴風に、あたしは目を瞑る。


 やがて風が静まり、あたしはそっとまぶたを上げた。


 ミハエルさんの姿は消えていた。代わりに、ミハエルさんがいた場所には、ひとりの――いや、一体の影があった。


 灰色の体毛。


 爛々らんらんと光る赤い双眸そうぼう


 ところどころ傷んだ、黒いズボン。


 両腕には、ナイフの如き鋭い爪。


 二メートルは超えるであろう巨大な人狼が、壇上に立っていた。


 人狼の放つ尋常ではない圧力プレッシャーに、全身が粟立あわだつ。


 魔人すらも凌駕りょうがする、本能に訴える恐怖感。


 あたしは確信した。


 この人狼は、魔公だ。


「クズどもがわらわらと群がってやがる。面白い場面にじゃねぇか」


 人狼が、ズラリと牙が並んだ大口を、ニタァと歪める。


 村人たちが「ひぃっ!!」と悲鳴を上げ、散り散りに逃げ出した。


 しかし、


「ま、魔獣が……!?」

「囲まれてる! 逃げられない!!」


 いつの間にか、式典会場を包囲するように、おびただしい数の魔獣が集まっている。


 村人たちは顔を青ざめさせ、どこかに逃げ道はないかと走り回っていた。


 阿鼻叫喚あびきょうかんとは、この光景を指すのだろう。


「ど、どうして、魔公が……」

「あ? ああ、オメェが勇者か」


 人狼の双眸があたしをとらえる。


 鼓動が一気に倍速になった。


 人狼が壇を降り、一歩一歩、あたしに近づいてくる。


 あたしは蛇ににらまれた蛙のように、その場に縛り付けられた。


 戦う気力なんて、微塵も湧かない。


「礼を言っとくぜ。オメェのおかげで、この俺――『ヴリコラカス』様は生まれることができたんだからよ」

「生まれる? あたしのおかげ?」


 ヴリコラカスが、なにを言っているのかわからない。


「『魔公誕生まこうたんじょう儀式ぎしき』です」


 混乱におちいったあたしに、壇上のミリーさんが語りかけてきた。


 いつものような無表情。感情の見えない顔が、いまは空恐そらおそろしい。


「この場に満ちた『負のオーラ』と、ミハエル・グレゴールという『人柱ひとばしら』を用いて、わたくしたちはヴリコラカスさまを生み出したのです」


 ミリーさんの説明はしかし、あたしの混乱をちっとも治めてくれなかった。


 むしろ、混乱はますます加速する。


 魔公を生み出す!? そんな儀式魔法が存在するの!?


 いや、それより、


 どうしてミリーさんとミハエルさんが!? ふたりはディアーネ教の司祭! 世界の平和を願っているんじゃなかったの!?


「エリスさま? なぜモンスターが人々を襲うのか、ご存じですか?」


 あまりに多すぎる疑問におぼれそうになっているあたしに、ミリーさんが問いかけた。


「それは仲間を生み出すためです。モンスターは、人族・亜人族の『負の感情』により発生する『負のオーラ』によって生まれる。絶望や恐怖はさいたる『負の感情』であり、発生する『負のオーラ』も多量。ですからモンスターは、人々を襲うのですよ」


 そして、


「エリスさまを勇者として祭り上げたのは、『負のオーラ』を得るためなのです」


 明かされた真実に、あたしは我が耳を疑う。


「エリスさま? ひとが最も絶望するときは、どのようなときでしょうか?」


 あたしは答えられない。


 ショックのあまり、頭が働いてくれないからだ。


「それは、『希望』が失われたときです。叶う直前で夢が破れたとき。結ばれるはずだった思い人が亡くなったとき。ひとは絶望の底に叩き落とされるのですよ」


 ですから、


「わたくしたちは、ハウトの村人たちに『希望』を与えました。『勇者エリス』という『希望』を」

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