第22話 成就
「よし!」
俺は最後のコーヒーカップとソーサーを洗い終え、しずくを拭きとって棚へとしまう。
「こっちも終わったよ!」
「ありがとう桜さん」
フロアの掃除をしてくれていた桜さんからも終了宣言が出た。
「じゃあこれで今日の営業は終了。お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
「あはは」
「えへへ」
俺達はお互いにお辞儀をし、顔を上げて微笑み合った。
さて、それじゃ。
帰り支度をするために、俺達が控室に入ると。
「……二人とも何やってるの」
「うおっ!?」
「はわっ!?」
先輩に迫られ、壁に背中をピッタリくっつけてたじろいでいる大輔兄の姿を見て、思わず溜息がもれた。
「……まあ、先輩も元気なったみたいだしいいんだけど……とにかく、俺も着替えたいから、そろそろ控室から出てほしいんだけど」
「そ、そうだな! よし!」
「……むう」
大輔兄はそそくさと控室を後にし、先輩からは恨みがましい目で見られてしまった。何で?
「あはは、中原先輩、結構強引だなあ……」
「うーん……その、桜さんも、とりあえず出てくれる……?」
「ふあ!? ボボボボクは通用口のところで待ってるから!」
桜さんは自分のカバンを取ると、顔を真っ赤にして慌てて出て行った。
うん、カワイイ。
俺は急いで着替えると、桜さんの待つ通用口へと向かった。
「ごめん、お待たせ」
「あ、ううん」
通用口では、三人が俺を待ってくれていた。
「さて、それじゃみんな、お疲れしたー」
「お疲れ様です!」
俺と桜さんが二人に挨拶すると、二人はお互いを見つめ合った後、こちらへと視線を戻した。
「ああ……今日は済まなかったな。本当に、二人には感謝だ」
うん。
中原先輩、こんな綺麗な笑顔ができるんだな。
そりゃ学校で評判にもなるわ。
「むーっ!」
イヤイヤ桜さん、膨れないでほしい。
大体、桜さんが世界一だし。
「それじゃ」
「失礼します!」
「おう。気をつけて帰れよ」
「また明日、学校でな」
俺と桜さんは二人と別れた。
「あ、そ、それじゃ、その、昨日言った通り、その……」
「う、うん……」
駄目だ、照れる。
俺達は無言で、だけど離れないようにしっかりと手をつないで移動した。
◇
「ここ……?」
「うん……」
俺達が来た場所は近所の公園。
俺が子どもの頃からいつも遊んでた場所。
そして、俺が遼に皐月の浮気を告げた場所だ。
「そそ、そうだ! すぐそこに自販機あるから何か飲む?」
俺は緊張に耐えかね、そんなことを提案した。うん、俺はチキンだ。
「あああ、う、うん。じ、じゃあボクも一緒に行くよ」
「そそそう?」
「そそ、そう」
結局二人で自販機へと向かうと、ポケットから財布を取り出す。
「な、何飲む?」
「ええと、それじゃこれで……」
桜さんは俯きながらオレンジジュースを指さした。
そういえば桜さん、俺の家に来た時もオレンジジュースだったな。
あの時のことを思い出し、つい口元を緩めてしまう。
小銭を入れ、オレンジジュースのボタンを押す。
その時。
「アンタ達……」
後ろから聞こえた呟きに反応して振り返ると、そこには皐月が立っていた。
「何か用?」
これまでの雰囲気とはうって変わり、桜さんは皐月に鋭い視線を向ける。
「アンタに用はないのよ。……凛太郎」
桜さんを一瞥してから吐き捨てるように言うと、俺の名前を呼び、恨みがましく睨んできた。
「……なんだよ?」
俺は桜さんの前に立ち、警戒しながら返事する。
「……アンタ、私に言うことあるんじゃない?」
「は? お前と話すことなんかねーよ」
皐月が含みのある言葉を投げ掛けるが、俺はとぼけてそう答えた。
ひょっとして……。
「遼の家に行ったら、ゆず姉が出てきて言われた。『裏切者』って」
「……へえ?」
「それでも、遼が出てくるまでずっと家の前で待ってた。何度も何度も何度もインターホンを押しながら」
何だよそれ。ホラーかよ。
「ゆず姉には無理矢理追い返されそうになったけど、門にしがみついて耐えた。そしたら、やっと遼が出てきてくれたの。でね? 私は言ったの。『私は遼だけが好き、愛してる』って」
「…………………………」
ヤベエ、声も出ねえ。
桜さんも皐月の異様さに、思わず俺の服をキュ、と握っていた。
「そしたらね、遼が言うの。『浮気がバレて、しかも浮気相手にも袖にされたから慌てて来たんだろうけど、僕はもう皐月に何の感情もない。二度と顔を見せるな』って」
そう言うと、皐月はその長い髪の毛をガシガシと掻きむしった。
髪が乱れ、さながら夏の怪談に出てきそうな様相になった皐月は、俺に向けて指を突きつけた。
「アンタが……アンタが言ったんだろっ! そうじゃなきゃ……そうじゃなきゃ遼が知ってるはずがないんだ! ただのモブのくせに、余計なことを……!」
ああ、とうとう二人の仲も壊れたんだ。
なんだろう……俺が遼の代わりに仕返しするって決めて、せっかくその通りになったのに……虚しいな。
俺、本当にこんなこと、したかったのかな……。
「大体、アンタなんかたまたま昔からの腐れ縁ってだけじゃない! パッとしないモブのくせに、でしゃばらないでよ! アンタのせいで……アンタのせいで!」
すると突然、桜さんが俺の腕を強く引き、俺の前へと飛び出した。
「ふざけるな!」
そして皐月を睨みながら恫喝した。
「は? 何アンタ?」
「これ以上、凛くんに関わるな!」
威嚇する桜さんに対し、皐月は小馬鹿にするような視線を向けた。
「ププ……しかしホント、アンタって男の趣味悪いよね。こんな顔もパッとしない、成績も中の中、運動神経だって普通なコイツのどこがいいんだか。しかも知ってる? コイツ、私に気があって、中学の時とか私のほうをチラチラチラチラ見てたんだよ? キモ」
そう言うと、皐月はあざけるように笑った。
「凛くんの……凛くんの悪口を言うな! 凛くんは誰よりもかっこよくて、誰よりも素敵で、誰よりも優しいんだ! アンタの彼氏や浮気相手みたいな、顔面偏差値しか取り柄がない中身のカラッポな男達と一緒にするな!」
ああ……こんな俺でも、桜さんはそんなことを言ってくれる。
俺、本当に桜さんを好きになってよかった。
「ハアッ!? ふざけんな!」
激高した皐月が桜さんに向かって手を上げる。
だが。
「っ!? 痛っ!?」
「……桜さんに何しようとした?」
俺は皐月の腕をつかみ、思い切り握った。
「は、はな……」
「何しようとしたって言ってんだ!」
この……クソ女!
俺の……俺の桜さんに手を出そうとしたな!
「俺のことはいいよ。皐月の言う通り、俺はパッとしないただのモブだからな……だけどな! 桜さんは俺なんかと違って、誰よりも奇麗で可愛くて、誰よりも優しい素敵な女の子なんだ! お前みたいな奴が触れていい人じゃないんだよ!」
そう言い放ち、俺は投げ捨てるように皐月の腕を離した。
「……消えろ」
「っ!?」
「今すぐここからどっか行けよ! もう俺達に関わるな! 遼とだろうがあのクズとだろうが、好きによろしくやってろよ!」
「な、なによ……」
モブの俺がこんな怒るなんて思ってもみなかったんだろう。
皐月は狼狽えながらこの場から去って行った。
「桜さん……」
皐月の後ろ姿を見届けると、俺は桜さんへと向き直る。
そして。
「……桜さん、聞いてほしい」
「………………………………」
桜さんは無言で、俺の次の言葉を待つ。
「俺……俺、桜さんのことが好きだ。大好きだ。こんな俺だけど、桜さんにずっと傍にいてほしい!」
俺は桜さんに思いの丈をぶつけた。
こんな気持ち、初めてだ。
皐月を好きだった時だって、こんな気持ちになったことなかった。
俺は桜さんの返事を待つ。
すると。
「っ!?」
桜さんが不意に俺の胸に飛び込んできた。
「……叶った……叶ったよお……」
そう呟き、桜さんが胸に顔をうずめる。
「ずっと……ずっと好きだった……凛くんのことがずっと好きだった!」
桜さんはそう言うと、肩を震わせた。
「桜さん……!」
俺はそんな桜さんを抱きしめる。
強く、絶対に離れないように強く。
そして今日、俺はこれまでの十年分がまとめて報われた。
——世界一大好きな、北条桜さんによって。
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