第35話 試合開始直後、ジャブからきつい
放課後、三澄は律と美月を連れて自宅に向かっていた。
若干の緊張を孕みながら、それでも彼女らに不安の色は見えない。紹介を受ける側として、立場が同じ仲間がいるからか、遠足気分に近しいものを感じる。
こんな状態で若菜に会って、真実を知って、彼女らがどうなるか。不安は一分一秒、一歩二歩と進むごとに増していく。
こんなことなら、絶対に部外者に聞かれていないと高を括るべきだったか。
結局は同じだと分かっているのに、そう後悔せずにはいられない。
「三澄? どうしたの?」
「ん、何が?」
「何がって……」
反射的にすっとぼけてはみたものの、律は明らかに納得していない様子。しかしながらそれ以上の追及はなく。せめて話題があれば気も紛れるのだが、生憎、良さげなものは見つからない。
そうやって微妙に空気を悪くしながら、三澄たちは目的地に到着した。
玄関をくぐれば、隠していないので、若菜の黒いパンプスが当たり前のようにそこにある。
「うわ……。三澄がそういう趣味に目覚めたとかじゃないよね?」
「……だとしたらお前らをこの家には入れてねぇ」
美月のあまりの能天気さに力が抜けそうになる。もはや狙ってやっているのでは?
「とりあえず、一旦ここで待っててもらっていいか? 準備ができたら呼ぶから」
「え? うん、いいけど……」
律が美月と顔を見合わせながら答えてくれる。三澄はそれに短く謝意を示して、奥へと進んでいく。
リビングの中では、若菜が立って待っていた。今はもう見慣れたスウェット姿ではなく、真島に連れられてこの家に来た日と同じ、外行きの恰好だ。三澄の入室に気付くや否や振り向いて、不安げに見つめてくる。
「……? 三澄さん一人、ですか?」
「二人は玄関のところで待ってもらってる。話をする準備はできてるか?」
若菜は一呼吸置いた後、躊躇いがちに、
「……できてないって言ったらどうするんですか?」
「ん? まあ、今日は帰ってもらうしかないだろうな」
少々意表を突かれたが、迷わずそう答えた。若菜に逃げ道を作ろうという意図だ。が、すぐにあまり良い返しではない可能性に思い至り、続く彼女の言葉にも想像がつく。
「分かりました。変な質問してすいません。もう大丈夫です」
やはり。いっそ強引に二人を帰してしまおうか。そんな考えが過るも、若菜は間髪入れず、
「玄関にいらっしゃるんですよね? ちゃんとお出迎えしないと」
そう言って、一人リビングを出ていこうとする。
「は? ちょ……!」
止めようと伸ばした三澄の手が空を切った。若菜は既にリビングの外、つまりは玄関へ伸びる一本の廊下で、律たちに対しその存在を晒している。
賽は投げられた。もう後戻りは許されない。
たっぷり時間を使って、三澄は覚悟を決める。もういない若菜の後を追うと、玄関の方でちょっとしたやり取りが始まっていた。
「悪い、待たせた。リビングの方で話そう」
「あ、なら私、何か飲み物を用意しますね」
「あ、ああ、頼む」
その長い黒髪をいつもより多めになびかせる若菜を見送って、靴を脱ぎ始めた律たちを待つ。と言っても、二人ともローファーだから、大して時間はかからない。
「いひゃー、めっちゃ可愛いぃ……。これは三澄が守りたくなるもの分かるわぁ」
框に足を掛けた美月が、若菜が去った方を見てうっとりしている。
「いや、見た目にほだされたわけじゃねーから」
なので律さん、そんなに睨まないで。
そう言外に込めた思いも、本人には届かず。律は口を尖らせたままそっぽを向いている。
「三澄ってああいう感じの、従順で物静かそうな子がタイプ?」
「おいやめろ、更に燃やそうとすんな!」
軽い気持ちで今の律にそういう煽り方をするのは絶対にマズい。火薬庫に火のついたマッチを投げ入れる並みにマズい。
「り、律? 分かってるよな? 美月のアホの言うことなんか、話半分にすら聞く意味ないんだからな?」
「それは流石に酷くない?」
美月の抗議の声は無視だ。最重要は律の機嫌。ピリついた空気の中での若菜との会合なんて、まとまるものもまとまらないだろう。
だが相も変わらず不機嫌そうな律は、溜息混じりに、
「大丈夫よ。三澄の好みのタイプなら、もう嫌ってほど知ってるから」
「あー、ならいい――くない! え、なんで? なんで知ってんの、何を知ってんの具体的に詳しく!」
律含め誰にもそんな己の恥部みたいなのをカミングアウトした覚えはない。一体全体どうやって、そこまで苦い顔をするほど何を知ったというのか。
「長い付き合いなんだから、それくらい分かるわよ。答え合わせをするつもりはないけど」
「ええー……、そこが一番重要なとこ……」
長い付き合いだからって分かられたくないところだが、何より一番肝心な部分を聞けないのが、精神衛生上大変よろしくない。
「りっちゃん、私には後でこっそり」
「いいわよ。三澄だけには絶対に言わないでよね」
「分かってるって」
「お前らは悪魔か?」
早々に抵抗が無駄であることを悟った三澄は、そう悪態だけついて、二人を置いて先に行くことにする。
リビングでは、四人分のお茶と軽く摘まめそうなチョコ菓子をテーブルに用意し終えた若菜が、所在なげに椅子に座っていた。
「悪い、任せきりで」
若菜の隣に腰を下ろす。
「いえ。律さんとはちゃんと仲直りできたんですね」
「いや……、ちゃんとできたかどうかは、ちょーっと議論の余地があるというか」
「……? そうなんですか?」
「ま、今はその話はいいよ。今日のこととは関係ないだろうし」
今日の主役はあくまで若菜だ。三澄と律の問題は、ちゃんと会話ができるくらいにまでなった今ならば、焦らずともいずれ解決に至れるだろう。
そうして、遅れてやってきた律と美月も、鞄をソファの上に置いて席に着いた。若菜の対面に美月、その横に律という配置だ。
「りっちゃん、そんな顔してたら、若菜ちゃん怖がっちゃうよ?」
「……うるさいわね。私は元からこんな顔よ」
どこか拗ねたような律に、流石の美月も手を焼いている。当初の予定では、これに三澄が対処する必要があったわけだが……。美月がいてくれて助かった。
と、若菜が三澄の左腕をぽんぽんと軽く触れてきて、顔を近づけてくる。何か耳打ちしたいことがあるのだと瞬時に察した三澄は、少し上体を縮めて、若菜の背丈に合わせる。
「私のこと、何か話しましたか?」
「ああ……うん。でもちょっとだけだぞ? 肝心の部分は何も話してない」
「……そうですか」
そう言って離れていく若菜は、少し気落ちしているようにも見えた。が、すぐに表情を引き締め直して前を向く。瞬間、若菜の肩がピクリと震えた。
「今、何話してたの?」
律が鋭い眼差しでこちらを睨んでいる。ここにきて、更に機嫌が悪くなるとは。
「大したことじゃないって。昼、若菜のことを話したろ? でも若菜自身はそれを知らないからさ。情報共有」
「ふーん……」
少しも嘘は言っていない。それなのに、律の視線は冷ややかだ。
「りっちゃん……、ヤキモチもほどほどにしとかないと、三澄に引かれちゃうよ?」
「ばっ、ヤキモチなんかじゃ……! …………そうよ、ヤキモチよ、ごめんなさい!」
律はキレ気味にそう叫んで、何かに堪えるように俯く。その隣では美月が「可愛いなぁ」と微笑んでいた。
そんな光景を余所に、三澄は隣の若菜の様子を窺う。
今はまだ。
若菜が吸血種であることを打ち明けるのが、今日の何よりの課題。切り出すのは三澄の役目だと、若菜には事前に頷かせてある。
いつ、切り出すか。いつ切り出せば、若菜の負担が少なく、かつ律と美月に受け入れてもらいやすいか。
最適を見極め、三澄以外との繋がりを若菜にもたらす。きっとこれが、若菜の幸せのための第一歩になるはずだ。
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