第34話 防波堤

 その後、片付けを終えた三澄は、財布とスマホだけ持って美月と教室を出た。

 律の指定した空き教室、中央棟一階の端にある部屋は、同じく中央棟三階にある二年八組の教室からは地味に遠い。今は昼休みだから余裕があるが、十分放課でだらだらしていると、戻ってくる際、簡単に遅刻するだろう。


「ねぇ、三澄ぃ。そういえばさぁ、私が何で呼ばれたかって聞いた?」


 階段の踊り場に差し掛かったあたりで、美月がそんなことを言い出した。


「あぁ? そりゃ、昼メシ一緒に食べるためだろ?」

「そうだけど、そうじゃなくて。うーん、その反応だと聞いてない感じか……」

「何、別に理由があんの?」

「そうなんだけど、ま、りっちゃんが来てからってことで」

「そんなもったいぶるような話なの?」

「ううん、単に私がめんどいだけ」

「……何だったの、今の会話。出だしからもう要らなかっただろ」


 呆れながら、三澄が到着した教室のドアを開ける。

 中に入り、適当な席に腰を下ろすと、美月が前の席の椅子を引いた。そのまま、スカートを庇うようにして横座りになると、だらりと三澄側の机にしな垂れてくる。


「ぬぁー、りっちゃんまだかなー」

「授業が長引いてるのかもな」

「うぇー、もう限界ぃ。朝もちゃんと食べれてないのにぃ」

「それは寝坊したお前が悪いだろ」


 そうやってぐだぐだしていると、扉が開く音がした。律だ。右手に提げた紙袋が、そこそこ大きいのに膨らんでいる。


「わり、教室まで迎えに行った方が良かったな」


 三澄はそう言いながら、律に近づいた。


「ううん、大丈夫。他クラスの人がいると、変に注目されちゃうし。ありがと」


 紙袋を受け取って、律と共に席に戻る。


「美月もお待たせ」

「りっちゃぁん、遅いよぅ」

「美月、また遅刻したの?」


 そんなやり取りをしている隣で、三澄が紙袋の中からバスケットを取り出して、机の上に置いた。


「おっきいねー。小学校ん時の運動会みたい」

「流石に弁当箱三つも用意するのは手間だから」


 そう言いながら、律がバスケットの蓋を開ける。中には、色とりどりのサンドウィッチやおにぎり、唐揚げなど盛りだくさんだ。


「うわ、美味しそ! いっただっきまーす!」


 飛びつかんばかりに美月がバスケットへ手を伸ばした。


「ちょっと美月、慌てないの」


 そんな律の声も、今の美月には届いていない。サンドウィッチを一つ手に取り、早くも頬張り始めていた。


「んじゃ、俺も。いただきます」


 それからしばらく、三澄たちは律の作ってくれた弁当に舌鼓を打った。




 食事が進み、各人が程よい満腹感に包まれながら、残りをつついていた頃。


「結局、ここに三人で集まったのは何で?」


 そんな三澄の問いを皮切りに、若菜の人となりや現況についての話になった。直接顔を合わせる前に、準備をしておきたいということらしい。

 入念なのは結構なことだが、生憎、三澄が出せる情報は少ない。吸血種に関連する事柄はこんな場所で話すべきではないし、何より、三澄自身、若菜のことを全く知らないのだ。


 あなたのことが分からない。そう叫んだ彼女に近づくべく、まずは三澄自身のことを分かってもらう必要があるのに、それがまだできていない。

 美味しいものを食べたはずなのに、大量の汚泥を飲んだような気分だった。彼女らを騙す罪悪感と不甲斐ない自分への怒りが、腹の中で嵩を増していく。

 三澄はそれらを表に出さないよう、表情と言葉を繕いながら会話に臨む。


「へー、その子、そんなに料理上手いんだ。これはりっちゃん、対抗心メラメラだね」

「うるさいわね。そうよ、メラメラよ。絶対に負けないんだから」


 開き直ったような態度だ。律はこれから、そういうスタンスでいくのだろうか。困った。


「いや、勝ちも負けもないだろ。若菜とは別にそういうんじゃないんだし……」

「関係ないわ。やるからには一番を目指すのよ」

「待って待って。何? その世界狙うみたいな言い方」

「世界なんていらないわ。けど、そのくらいの覚悟はあるかも」

「……」


 律の熱意に腰が引ける。ただの男子高校生を世界と同列に並べないでほしい。たまらず視線を彷徨わせると、美月と目が合った。


「ちょ、三澄。そんな目で見られても……」


 美月が困り顔になっている。おそらく今頃、三澄自身も似たような顔をしているのだろう。

 視線を戻すと、律の顔が不安に曇っていた。……まずい。


「あー、りっちゃん? 木曜日のアレで分かったでしょ? 焚きつけちゃった私が言うのもなんだけど、三澄は結局追いかけてくるんだから、もうちょっと抑えてもいいと思うよ?」

「でも……」

「そんな心配しなくても大丈夫だって。ね、三澄?」

「……」

「や、そこは頷くところでしょ」

「無茶言うなよ。前科あんのは美月も知ってんだろ」


 助け船を出してくれたことには感謝したいが、これは別。中身が空っぽな言葉を使って更に信頼を損ないたくはない。


「分かってないなぁ。今度こそ君を離さない! くらい言えないの?」

「そんなこと言えたら、それはもう俺じゃない誰かなんだよ」

「ヘタレ」

「うるせえわ」


 美月につっけんどんに返しながら、再び律に目を向ける。


「でも三澄、あの日の朝はすっごく情熱的だった……」

「……?」


 律の様子がどこかおかしい。あの日の朝は三澄も少々バグっていたので、律にはあまり思い出してほしくないのだがそれはさておき、今の律は、虚空に視線を漂わせたまま妙にニヤけている。


「うえ、やば」

「美月?」

「先週言ったでしょ? りっちゃん、たまにトリップするって」


 なるほど、これが。半開きになった口からは今にも涎が零れそうで、普段の律からは考えられない程の馬鹿面を晒している。……怖い。


「元に戻す方法は?」

「分かんない。ほっとけば戻ると思うんだけど……」


 美月がそう言いながら、教室前方の壁にある時計に視線を送った。


「いつになるかは分かんないって?」

「うん。下手すれば昼休みが終わっちゃうかも」

「マジか……。おい律! りーつ!」


 律の肩を揺らす。だが、頭がガクガクなるまでやっても、律は帰ってこない。


「三澄がキスでもすればいいんじゃない? ほら、白雪姫みたいに」

「馬鹿なこと言ってるとはったおすぞ」


 結局、律が正気に戻ったのは昼休み終了十分前になってからだった。トリップしていた間のことは何も覚えていないようで、けろりとしていたのが逆に怖かった。

 律と別れ、二年八組の教室に戻ってくると、美月が珍しく真面目そうな顔をしている。


「てゆーかさ、二人は付き合うの?」

「……」

「え、何その反応」

「付き合うって、よく分かんないんだよな。二人で出掛けるとかもよくやってたし」

「んん? ちょっと待って、それは付き合ってからできる話でしょ? 今はまだ、りっちゃんに一方的に告られてそれっきり、て状態なんじゃないの?」

「……」

「いちいち黙るな、目も逸らすな!」


 煙に巻こうとしたのだが、失敗。あまりにも突っ込まれたくない話題だったせいで、ボロを隠すことさえできなかった。


「はぁ、ほんと。りっちゃんの話を聞く限りじゃ、お、三澄やるじゃーん、て感じだったけど、やっぱり三澄は三澄だね」


 馬鹿にし腐ったような笑みだ。腹立たしいが、何一つ反論は思い浮かばない。

 と、ここで本鈴が鳴った。廊下の方に意識をやると、足音が近づいてくるのが分かる。


「何がつっかえになってるのかは知らないけど、りっちゃんを待たせすぎると、取り返しが付かなくなるからね?」


 まくし立てるように言って、美月は自分の席に戻っていった。少し突き放すようだったのは、ただ時間がなかったためか。分からないが、今の三澄には僥倖だった。

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