第165話 誰もいなかった
ぱちんと指を鳴らせば、一瞬で炎が消えた。勢いよく燃えた木造の塔は、煤で黒く汚れている。
「おじ様、いえ……国王陛下。ここに本当に王妃様がいらしたの?」
ヴィルヘルミーナが青ざめた顔で確認する。執事が支えきれずに崩れ落ちたノアールが頷いた。その姿は愛する妻を失った哀れな男に見える。
「なんという、お労しいことだ」
ベルンハルトも顔色を白くして唇を噛んだ。妻が炎の中にあったなど、生存を確かめるのも恐ろしいだろう。ここは誰か別の関係者に確認させた方が……そう思った矢先、イヴリースが首をかしげた。
「何を奇妙な相談をしておる。中に誰も居なかったぞ」
それゆえに遠慮なく、結界を張って中の空気を抜いて火を消した。方法を端的に説明した魔王は、膝をついたノアールを見下ろして眉を顰めた。
「妻の殺害でも企んだのか」
状況が二転三転するため、アゼリアは口を開きかけては閉じるの繰り返しだった。あの塔には王妃がいて、火事になったけど……イヴリースがいうには誰もいない。魔王である彼が断言するなら、確かに生きた人はいなかったのだろう。それともすでに死んでいたとか?
混乱して顔を見合わせるヴィルヘルミーナとベルンハルトも、アゼリア同様口を開けなかった。
「いくら魔王陛下でもお言葉が過ぎますぞ。あの塔には王妃様がおられました……すでにお亡くなりになられ、そのご遺体を安置していたのです」
「なるほど、それで木造でしたか」
納得したとベルンハルトが頷く。塔などの細長い建物に遺体を安置し、その後火葬にする文化がある。獣国では珍しいが、魔族の一部に残る慣習だった。火葬の申請を許可した経験があるイヴリースは肩をすくめる。
「いつ亡くなられたのよ」
呆然とした様子のヴィルヘルミーナの桜色の唇が震える。絞り出した疑問は、この国の貴族さえも王妃の現状を知らなかったと示していた。親戚関係であるアンヌンツィアータ公爵家にすら秘密にされた王妃の死――。
「3日前です」
衝撃から立ち直れないノアールの背を撫でながら、執事が代わりに話し始めた。
王妃が亡くなったのは3日前、タチの悪い病だったらしい。寝込んでわずか7日で急激に悪化し、肺を病んで苦しみながら命を落とした。国中をあげて送り出した義勇兵が戻るタイミングで、訃報を流して国葬を行うことは出来ない。
急遽、
その説明を聞いて、ヴィルヘルミーナが涙を零した。直接知る親しい人物の死がようやく実感できたのだ。美しく気高い王妃であり、政治にも強い賢い人であった。失われた人を惜しむ彼女を、ベルンハルトが抱き寄せる。
ハンカチで涙を押さえる彼女の泣き顔を、自らの胸で隠しながらクリスタ国王は黙祷を捧げた。同盟国の王妃であるだけでなく、義理の叔母に当たる女性だ。一度お会いしたかった。そんな気持ちを黙祷に込めた。
そんな中、イヴリースが奇妙な発言をする。
「何を嘆いておる。余は申したはずだ、誰もいなかったと」
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