第70話 弱点だと誰が決めたのですか

 部下の戦いを見ながら唸るイヴリースが、維持していた結界をひとつ破棄する。領地全体を覆う巨大な結界の強度は高く、数か所で同時に仕掛けられた攻撃を防ぎきった。


「陛下、小物の片づけはお任せください」


「東の川沿い、南の草原、門の影、森の中だ」


 攻め込んだ敵の場所を短く伝え、第三形態を解く。第二形態まで戻ったイヴリースは、そこで躊躇った。今人化してしまったら、すぐに動けない。消費した魔力を補うには、多少だが時間が必要だった。その間に攻撃されても、屋敷の結界は維持できるだろうか。


 迷ったのは一瞬だ。第二形態のまま、角と3対の種類が違う羽を広げた姿を保つ。見られて「化け物」と罵られても構わない。畏怖を与えて遠巻きにされるのは慣れた。最愛のアゼリアは本能的な恐怖を覚えたのに、それでも認めてくれる。


 他には誰もいらない。彼女の無事を守れるなら、人間に罵られ嫌われても構わないと開き直った。見上げる空は厚い雲に覆われている。その裏で太陽は傾き、夕暮れが近づいていた。結界を維持するのに注力し、空を見る余裕などなかったことに苦笑いする。


「あと少しで日が暮れる」


「はい。アゼリア様の元へ戻られてはいかがですか? あとは我々が処理いたします」


 処罰や処分ですらない。ゴミ処理と称した側近の物言いに「そうだな」と同意して立ち上がる。強い風が吹いて、肌の表面の汗が体温を奪った。寒いと、この時期に似つかわしくない言葉が浮かぶ。


「ヒュドラ以外にも仕掛けがあるだろう」


「すべて、お任せください」


 あなたは愛しい乙女の元へ戻られればいい。繰り返したメフィストの穏やかな口調に頷き、イヴリースは空を駆けた。後ろ姿を深々と頭を下げて見送り、振り返った男は忌々し気に舌打ちする。


「あなた方は鈍っているようですね。バール、そこの者達を鍛え直しなさい。場合によってはゴエティアの称号を剥奪しますよ」


 魔王イヴリースの前で、何たる醜態か。そう怒りを露わにする宰相に、女将軍は肩を竦めた。相性が悪かった、と言い訳する気にもなれない。確かに手間取りすぎた。その間結界を維持する魔王の負担を考えるなら、もっと手早く片付けなければならない。


 消耗した主君の姿に、申し訳なさそうにブエルやウァサゴも項垂れた。


「擬態する核は初めてだったわ」


 いつもならヒュドラは面倒だが、大して手ごわい相手ではない。ぎらぎらと好戦的な目をした頭が核であり、一目で区別がついた。狙う邪魔をする周囲を吹き飛ばせば、討伐はさして難しくない。しかし今回は他の頭に紛れ、区別がつかなかった。


「誰かがヒュドラに知恵をつけたのか」


 バルバドスが「心当たりがある」と呟く。彼が消えるとブエルが慌てて追いかけた。常にペアで行動する彼らは、隠された秘密を暴くことに長けている。本来は宝を探すことに使われる能力だが、最近はもっぱら秘密の暴露に特化して活躍していた。


「どうせ……公爵家のだれかよ」


「姫が弱点だと思われたか」


 吐き捨てたバールの忌々し気な声は、真実を言い当てた。誰もが同じ結論を持ちながら、尻尾を掴ませず証拠を残さない狡猾な敵を罵る。


「さっさと敵の尻尾を千切ってきなさい」


 ヒュドラとの戦いに目を向けさせ、その間に領地内に侵入しようとした輩は複数あった。間違いなく狙いはアゼリア・フォン・ヘーファーマイアー嬢だ。魔王イヴリースがようやく見つけた唯一の番、彼女を人質に取られたら手も足も出ない。


 怒りに任せて飛び出すゴエティアの精鋭を見送り、メフィストは口元を歪めた。


「彼女を弱点だと誰が決めたのですか。あれは逆鱗というのですよ」

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