第64話 誘われてはいけない媚態

 城への侵入者の処分はゴエティアに任せたし、メフィストが張り切っていたので問題ないだろう。彼女が入城する前に、目につくゴミは掃除しないと――目の前で微笑む美女を抱き寄せながら、イヴリースは微笑み返した。


 白薔薇の棘を風で落とし、指先で確認してから赤毛に差し込む。対照的な色はよく映える。少し日焼けしたアゼリアの頬に口づけ、用意させたシートの上に座った。


 王太子妃候補として王宮で窮屈な思いをさせられた婚約者に、これ以上礼儀作法を求める気はない。魔族はそういった礼儀に煩くないから、アゼリアも肩の力を抜いて過ごせるだろう。そのための掃除は、部下達が楽しんでいるはずだ。


 草丈のある芝の上に敷いたシートは、薄い絨毯のような手触りだった。撫でながら、アゼリアは首を傾げる。


「この素材は何ですか?」


「ん? ああ、前に……仕留めた獲物の皮をなめしたものだ」


 途中を少し濁した。以前魔王に即位した若造を倒そうと、グリフォンが襲ってきたことがある。メフィストに聞けば詳細が分かるが、たしか侯爵だったか? とにかく彼を返り討ちにした証として皮を剥いだ。


 剥ぎ方が特殊だったので、アゼリアに嫌われたくないイヴリースは口にできない。残虐すぎると罵られたら、彼女を閉じ込めてしまいそうだ。自分の独占欲の強さや愛情の歪さを知るから、イヴリースは慎重に答えを選んだ。


「手触りがいいだろう?」


「ええ、とても柔らかくてしっとりしてるわ」


 座り心地が良いならよかった。ほっとしながら彼女を引き寄せると、なぜか手を突っ張って遠ざけられる。さらに間に1人分の隙間を開けられた。


 もしや、察しのよく聡い彼女に濁した部分を気づかれたか? 焦るイヴリースだが、長い黒髪の先を引っ張られて倒れ込む。優しく受け止めたアゼリアが、上から覗き込んでいた。頭の後ろに柔らかな膝の感触があり、驚きに目を見開く。


「一度試してみたかったの。膝枕というのでしょう?」


 嫌われていなかったと安堵するイヴリースは、見上げる先の木漏れ日に光る赤い髪に手を伸ばした。指先が燃えるように色を映す。それが擽ったく、頬を笑み崩した。


「なるほど。初めてだがこれは心地よい」


「イヴリースも初めて? 嬉しいわ、私が最初の女性ね」


 最初に膝枕した女性という意味だと分かっていても、省略の仕方が誘っているように響いた。このまま毛先をいじる手で彼女を引き寄せたら、唇を重ねられる。そのまま横に転がったら押し倒せる。欲が湧くが、ぐっと堪えた。


 義母になるカサンドラに念を押された言葉が蘇る。――ルベウス王家の愛娘を、くれぐれも愛人になさいませぬようお願いしますわ。


 獣人や人間の正妻は、婚前交渉をしない。奔放な魔族とは違う。念を押したが、カサンドラはそれ以上拘束する言葉や道具は使わなかった。つまり信頼されているのだろう。


 ならばここは堪えねばならぬ。少なくとも他人の目がない場所で口付ければ、感情の抑えが効かなくなる。襲ってからでは謝罪も届かないのだ。拳を握るイヴリースの決意も知らず、アゼリアは嬉しそうにイヴリースの頬へ手を這わせた。

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