第40話 姫からのお礼は極上の
高まる魔力に怯えたアゼリアを、両手で首に抱き付いたイヴリースが宥める。守るための結界に包み、大切そうに微笑んだ。
「安心しろ、メフィストに任せれば良い。そなたはどんな姿でも魅力的で困る」
人前で名を呼ばない気遣いに、アゼリアはぱたりと尻尾を垂らした。イヴリースに促され、砦の内側へ入る。騒ぎに駆けつけた兄が目を見開き、表情を強張らせた。
狐に獣化する妹など、もう愛してもらえない。出来るだけ小さく体を丸めて視線を逸らすアゼリアに、温かい手が触れた。首に両腕を回したイヴリース以外の誰かだ。恐る恐る顔を動かすと、目の前に兄ベルンハルトが立っていた。
見開いてじっと見上げてくる瞳に、嫌悪の色はない。ただ純粋な感動と、称賛が浮かんでいた。初めてダンスを上手に踊れた日を思い出す。凡庸と称されたベルンハルトの頬が笑みに歪み、見落としそうなエクボが出来る。間近で満面の笑みを見せてもらえる、アゼリアだけが知る特徴だ。
「アゼリアはどんな姿でも美しい。さすが俺の自慢の妹だ」
ぽろりと涙が溢れた。どうやって戻ればいいかも分からないけれど、彼らは受け入れてくれる。きっと父母も同じだろう。そう思ったら安堵から涙が止まらなくなった。
もう家族ではないと嫌われるかと思った。先祖返りだと想像はつくけれど、ルベウス王家にも滅多に出ない獣化――それも巨大化する事例は知らない。すぐに助けて抱き締めたイヴリースの腕も心地よく、体内の水分がすべて涙になったようだ。
大粒の涙を瞬きのたびに落とす大狐へ、イヴリースがじわりと魔力を流した。
「戻すゆえ、少し我慢せよ」
びりっと痺れるような痛みが走り、視界がくらりと揺れた。酔う気持ち悪さに目を閉じたアゼリアは、するすると小さくなっていく。人間と変わらぬ大きさに縮むと、次は全身の柔らかな毛が消えて美しい女性の姿に戻った。
ばさりと肩からマントを掛けられ、強く抱き締められる。素肌に触れるイヴリースの礼装の飾りに、自分の服が消えたことに気づいた。どうやら無理やり獣化した際に破いてしまったらしい。
慌ててマントを掻き合わせて体を隠すと、兄ベルンハルトも後ろから抱き締めた。前に婚約者、後ろに兄。動けないアゼリアに、ベルンハルトの声が届く。
「お帰り、アゼリア」
「た、ただいま戻りま、した……お兄様」
また溢れそうになる涙を堪えると、鼻の奥がつんとした。行儀は悪いが、鼻を啜ってしまう。だって、両手は塞がっているし、挟まれて動けないし、目の前で甘い笑みを浮かべる美形にキスされそうなんだもの。
ずずっと音をさせたアゼリアに、イヴリースが吹き出した。くつくつと喉を震わせ、肩も揺らしながら笑った後、指をパチンと鳴らして空間からドレスを取り出す。
「ひとまず着替える方がよかろう。余の理性が飛ぶ前に、な」
キザな口調だが、イヴリースは名残惜しそうに腕を解いた。寂しそうに眉を寄せるから、ちょっとだけお礼をしたくなる。きちんと戻れたお礼だからね。自分に言い訳しながら、アゼリアは爪先立ちになり顔を寄せた。
一瞬だけ重なった唇は柔らかく、伝わる熱はすぐに同化した。しかし堪能する間もなく離れ、冷えていく。
「アゼリ、ア?」
ぽかんとした顔の魔王の視界を、真っ赤な顔の美女が逃げていく。無人の部屋に飛び込み、渡されたドレスに顔を埋めた。
「……素晴らしい」
「父上には黙っておきます」
先ほどの礼ですから、とベルンハルトは見なかったフリを貫いた。イヴリースの形がよい指が、己の唇をゆっくりとなぞる。
もう2度と出来ないかも――恥ずかしくて死んでしまうわ。赤毛の美女が、髪色と同じ色に染めた頬を膨らませながら、そんな呟きを零したことを知らず、イヴリースは上機嫌だった。
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