第287話、不老不死にならないという選択


 ソウヤは、一口程度の量しかない秘薬エリクサーを見つめる。


「これは本物なのか、爺さん?」

「ああ、材料がとても貴重でね。作り方はわかっても、同じものを作るのはとても難しい」

「不可能ではない?」

「その貴重な材料が手に入るなら……。何がとは言わないぞ。君には絶対に手に入れることができないものを探して人生を無駄にすることもあるまい」

「オレには絶対に手に入れることができない……?」

「それ以上はノーコメント。ヒントは与えられない」


 ジンは静かに腕を組んだ。


「まあ、普通に量産は材料がないから無理と言っておく」

「これがあれば……その、レーラの魔力欠乏も回復する?」

「ああ、あらゆる病、状態から回復する。ついでに永遠の若さを得て、不死にもなる」


 どこか突き放すような調子のジン。あまり使わせたくない、という雰囲気を口にせずとも感じてしまう。


「……気が進まないようだな」

「ああ、私が『不老不死』に対してどういう考え方をしているかは、さっき語ったな?」

「『呪い』って言っていたな」


 ソウヤは苦笑する。老いず、死なずで、自分は生き続けても、周りの大切な人たちは現世より旅立ってしまう。二度と会うことのできない世界へ。


「レーラ嬢にエリクサーを使えば、確かに回復する」


 ジンは淡々と言った。


「だが同時に、彼女は不老不死になる。正直、私はお勧めはしない。百歩譲って、今すぐ使わなければ助からない、多くの命がかかっている……そういう状況だったとしても、使用を躊躇う。不老不死の副作用、死ねないという呪いはそれだけ大きい」


 レーラが不老不死になる。聖女が永遠の存在になったら、それは人々のためになること。彼女もまた多くの人を救うことができると喜ぶかもしれない――


「だが、そんなものは最初だけだ」


 ジンは冷静だった。


「自己犠牲を厭わない彼女は、不老不死を受け入れるだろう。人のために役立てることに喜びを見いだす彼女は前向きに考える……」


 しかし――老魔術師の声に重々しいものが混ざった。


「そんな彼女を人々は利用し続ける。あるいは不死であることをいいことに、過酷な状況に押し込め、独占しようとするかもしれない。彼女という存在を巡って争いとなり、余計に血が流れることになるやもしれん」


 そして何より、人の傷を癒やせても、寿命を迎えた人間を救うことはできない。彼女は多くの友人を失い、その痛みに感覚が麻痺するか、あるいは耐えきれずに心を壊してしまうかもしれない。


「彼女は、そこまで弱くはない」


 ソウヤは言ったが、ジンは「そうだろうか」と眉をひそめた。


「人を助けようとするのは、失うことを恐れているからだ。人の命が重いことを知っているからだ。だが聖女の力でも、人の寿命はどうにもならない。救えない、見送ることしかできない、それが積もり積もった結果……虚しさに潰される」


 ジンは瞑目した。


「もちろん、君の言うとおりかもしれない。レーラ嬢は人の死を、不老不死の呪いを乗り越えるかもしれない。……だが、他に方法があるうちから、エリクサーを使うのは、私は賛成できない」

「他の、方法……?」

「魔力欠乏を治す薬は作れる、私は以前そう言っただろう?」


 だから、その素材を求めて、大精霊の泉を探していたのではなかったのか。


「目先に解決策のひとつがあったからと言って、それにしなければならないという理由はない。時間はかかっても、デメリットを背負いこまない方法があるなら、私はそちらを選ぶね」

「……」


 ソウヤは深呼吸した。まだ頭の中が熱を帯びている。冷静になれと思っても、まだエリクサーを目にした動揺は鎮まっていないということだ。


「どうしても、これでないと駄目だってなったら……その時はいいのか?」

「他に手段がなければ、検討はする。だがこれは最終手段であると思ってもらいたい」

「わかった」


 ソウヤは頷いた。正直、未練がないと言ったら嘘になる。


「治癒薬が作れるなら、エリクサーは見なかったことにする」

「そうか」


 ジンは静かに頷いた。ソウヤは首を横に振った。


「ひとつ、聞いてもいいかい、爺さん。このエリクサーは作ったのか?」


 それとも、どこかで手に入れたのか。先ほどの口ぶりからすると、作ったように聞こえた。


「作った。ちょうど材料が集まってしまってしまったのでね」

「集まってしまった……?」


 妙な言い方をする。だがそれとなく、口にするのもあまり好ましくない素材ではないか、とソウヤは思い出した。だから口を濁しているのでないか。


「何故、作ったんだ? あんたも不老不死なんだろ?」


 ソウヤは問うた。


「あ、ひょっとしてこれ作ったのは、爺さんが不老不死になる前……?」

「いや、私が永遠の命を得たのは、これを作る前だ」

「じゃあ、何故だ? 改めて作る必要はないはずだ……」


 誰かに頼まれたのだろうか? 


「本当は作るべきではなかっただろうし、こうして保存しておかないほうがよかっただろう」


 ジンは遠くを見る目になった。


「ただ、家族や思い人が不老不死を得た時、その大切な人と永遠に一緒にいたいと思った人が使うために作った」


 大切な伴侶と永遠に生きるためのエリクサー。それを聞いて、ソウヤは口を閉じた。


『私の愛した者たちは、私を置いて旅立ってしまう』と彼は言った。だがその愛した人と共に生き続けることができたなら……。


「もっとも、永遠の愛など存在しないだろうがね」


 ジンは朗らかに笑った。


「人が好きになるように、嫌いになることもある。ずっと同じであり続けることはできない。長い付き合いで飽きがくることもあるだろう」

「……」

「まあ、別れてもよりを戻すこともある」


 人それぞれだ、とジンは言った。彼はエリクサーを再び保存庫にしまった。ガチャガチャと音を立て、厳重なロックがかけられ、その瓶の姿は見えなくなる。


「さて、エリクサーを使わないと決めた以上、レーラ嬢を救うために、治療薬を作らねばならない」


 ジンが歩き出した。


「素材集めの再開だ。大精霊の泉の水――その場所を包む嵐を消すために、クラウドドラゴンがどこにいるか突き止めないといけない」

「どこにいるかわかればいいんだがな……」


 ソウヤは腕を組む。ウィルペル島までクラウドドラゴンを探しにやってきたのに、その島にはすでにいないときた。


「島にいたのなら、クラウドドラゴンがどうなったかは、記録されているはずだ」


 老魔術師は、とある部屋に到着した。中には無数の機械――コンピューターのようなモニターと端末があった。


「ウィスペル島と名付けられた島にいた人形らは防衛行動をとっていた。クラウドドラゴンと一戦交えたなら、どこへ逃げたかの記録があるだろう」


 ジンは、さっそく端末にかかると、作業を開始した。

 

 ――コンピューター爺さん……。


 老魔術師が器用にコンピューターを操っているのを見て、ふと、ソウヤは思うのだった。

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