第19話 勇者、庶民の知恵に相乗りする
ニッポンの夏は、暑い。
いや、熱い。
まさに灼熱地獄としか言いようのない炎天下の道をとぼとぼ歩きながら、アルフレッドは半袖シャツを脱いで絞ってみた。
「……冗談で絞ったのに、水滴がしたたり落ちるとは大したものだな」
最近知ったが、ニッポンには“季節”という物があるらしい。
一年を通してそんなに環境が変わらない我が世界と違い、ニッポンでは同じ場所でも一定の周期で寒暖が変わるらしい。
“冬”には北の高山の如く雪が降り積もり、“夏”には南方の密林のように蒸し風呂みたいな暑苦しさに閉じ込められるそうだ……まさに今のように。
道理でここのところ、ニッポンが南国のようになっているわけだ。
最近のニッポンがあまりに暑いので、アルフレッドは天変地異が起こっているのではないかと本気で心配していた。
なにしろ今やアルフレッドにとって、“ニッポンでの休日”が魔王討伐の主目的になっている。
だからニッポンに来れなくなったらすごい困る。
困難な使命も、週に一度のコレがあるから耐えられるのに。
そうしたら命がけの苦しい旅なんか、もう行く気が……!
「……………………………………神よ、もちろん冗談だぞ?」
ホントだよ?
「それにしても、ニッポンの住民はこんな暑さによく耐えられるな……」
ずっと住んでいるから慣れっこなのだろうか?
この気候、アルフレッドのように七日に一度しか来ない人間にはなかなかツラい。
「なんでこの暑さで木々が枯れていないんだ……とてもじゃないが、たまらんな」
顔も向けられないような熱量を降り注いでくれる太陽を恨めしげに見上げ、アルフレッドは呟いた。
「ニッポン人は、どうやってこの暑さを回避しているんだろう?」
日本人の夏の過ごし方。
“良く晴れた昼下がりには、むやみに外を出歩かない”
◆
ウラガン王国では気温が高い時など、水辺の日陰で涼んだりする。
川や湖を渡るあいだに冷やされ、岸辺にはさらりとした風が吹く。そういう所で木にもたれて昼寝したりするのも気持ちいいものだ。
「のを期待して、ここまで来たのに……」
アルフレッドの知っているウラガン王国式の生活の知恵は、ニッポンでは役に立たなかった。
公園の池のほとりでも、涼風なんか来ない。
ニッポンはあまりに空気が熱せられすぎている。吹いて来るのは熱風ばかり。
ふと気が付いて、アルフレッドは手にぶら下げていたシャツを広げてみた。
「……今度はシャツが乾いたぞ?」
実は今、ニッポンは丸ごとオーブンの中に入っているんじゃないだろうか。
今日は夜に行きたい店があるから、昼飲みのできる居酒屋に飛び込むわけにもいかない。
「やはり、どこか冷たい物を飲める店に入るか……」
予算が数百円削られるのは痛いが、日差しにやられて飲みに行けなくなっては本末転倒だ。
池のほとりに、
「さて」
机の上に立っている、古ぼけたメニューを見てみる。
そんなに種類も無いが、一応飲み物と食べ物が十種類くらいずつ載っていた。
「とりあえず、ビー……いかんいかん」
今飲んでどうする、俺。
メニューにあったのでうっかり注文しかけたが。
こんな天気に酔ってふらふら歩いていたら、行き倒れになりかねない。
“世界を救うはずの勇者、異世界で休暇中に不慮の事故(自己過失)で死亡”
それだけはダメだ。
アルフレッドは思いっきり未練を残しながらも、無理やり“ビール”の三文字から視線を引き剥がした。
「さて……じゃあ、どうしようか?」
日陰にいても、それなりに暑い。
何か涼しくなれる物を口にしたいところだけれど……。
「となると、やっぱりビー……」
……。
「だから! それダメ! 俺の心はどこまで弱いんだ!?」
勇者の思考回路は欲望一直線。
◆
意志薄弱な勇者が二重の意味で頭を悩ませていると。
「おう、今日も暑いねえ」
店主に声をかけながら、常連らしい爺さんが入ってきた。
遠慮なく
「いつもの頼むわ」
(おおっ!?)
思わずメニューから顔を上げ、老人に瞠目する勇者。
(カッコイイあのセリフに、こんなところで出会えるとは!)
実にイカした、痺れる言葉。
“いつもの”。
家督を継いでいないアルフレッドは、ウラガン王国ではまだ半人前。
社交界でも男爵領でも“大人”と扱われていないアルフレッドは、この言葉に憧れを持っている。
ニッポンでも自分の世界でもいいから、いつか自分で言ってみたい……。
そんな事を思いながらアルフレッドは、ついつい新しく入ってきた客を眺めてしまった。
たった一言で異世界人の尊敬を勝ち取ったとも知らず、近所の住民らしい爺さんは店主が運んできた物を嬉しそうに受け取った。
一方の店主はなぜか呆れ顔だ。
「ゲンさん、好きだねえ……最近毎日コレじゃねえか。こっちは帰りにぶっ倒れるんじゃねえかと心配なんだぞ?」
「ったりめえよ。暑い今だからこそ、美味いんじゃねえか。夏が落ち着いてからじゃ面白くもなんともねえや」
暑い今だからこそ?
不思議な言葉に、アルフレッドは届いた“いつもの”品をよく見てみた。
ガラスの深皿に盛られた
確かに蒸し暑い今、凄い美味しそうだ。
だが、老人の元にはもう一つ。
アルフレッドはあの瓶を知っている。
「あれは……ニッポンシュの小瓶!?」
ニッポンシュはなぜか、大瓶だと茶色いガラス瓶が多いのに小瓶だと緑色が多い。
まあそれは置いておくとして、アレは居酒屋やスーパーで見かける
(冷たく冷やしたニッポンシュは確かに美味そうだが……なぜ削った氷と?)
食べたことが無くても見れば分かる。あれは氷菓の一種だ。
甘い物と酒が合わなくもないことは知っているが、あれはツマミにならないだろう。
どうするのかとアルフレッドが注目していると……。
老人は届いた氷菓を口に運ばず、そのまま空のジョッキへスプーンでザクザク流し込んだ。
次に緑の小瓶を手に取る。新品の封を切るカシュッという小気味よい音が、アルフレッドのところにまで響いてきた。
そして口を開けたニッポンシュを、雪のような氷が詰まったジョッキへ……。
「……なんと!」
今見た光景に大きく衝撃を受け、アルフレッドは思わず呻きを口から漏らした。
キンキンに冷えたニッポンシュを、さらに“雪”と合わせる。
アルフレッドの世界では暑いところに氷自体が無い為、老人の発想は寝耳に水の驚きだった。
あれは確かに、この蒸し風呂のような暑さの中だからこそ……ウマい!
「氷レモンに冷酒ぶち込むなんて、うるさい酒飲みにゃとても見せられないよな」
店主が否定的な意見を述べるが、ジョッキをあおる爺さんは気にも留めない。
「へへっ、言いたいヤツには言わせとけ」
軽くジョッキを振って酒の染みた氷を溶かしながら、老爺は更に一口ゴクリ。
「か――――――っ、うんめぇっ!」
その痛快そうな雄叫びは、遠くから見ているアルフレッドも目を離せなくなるほど美味そうで……。
「俺の酒の飲み方は俺が決める。クソ暑い昼過ぎには、この“みぞれ酒”で涼むのが一番よ」
昼間から酔いどれる老人は、得意げに肩をそびやかした。
アルフレッドは先人の言葉に頷いた。
(……確かに)
レモンという柑橘類は知っている。唐揚げに付いて来る酸っぱいヤツだ。
酸っぱくて爽やかなレモン。
甘く味付けられた氷菓。
それに足して、良く冷えた酒。
この熱で死にそうな炎天下に、それを全部混ぜて飲む。
……絶対美味いヤツだ。
思わず喉を鳴らしたアルフレッドに、もう日中にアルコールを摂取する躊躇いは無かった。
◆
やっと居酒屋が開店する日暮れになり、アルフレッドは繁華街を歩いていた。
「なるほどなあ……“俺の飲み方は俺が決める”か」
さすが“いつもの”が似合う老人だ。言う事がカッコイイ。
店主が言っていたのはおそらく、セオリーに外れるから“正統派”のマナーにうるさい人間には嫌われる飲み方だ……という事なのだろう。
それは分かる。宮廷に出仕すると四角四面なヤツはいくらでもいる。
もちろんセオリーは意味がないことじゃない。
体面と教養を示すため、マナーは大事だ。
アルフレッドも末席とはいえ貴族。威儀を正す意味は知っている。
だけど。
『小うるさいことを言う連中はこの美味さを知らないんだぜ? バカみてえ』
そう言って笑っていた老人の言葉にもまた、まだ若いアルフレッドは頷いてしまうのだ。
「何をやるにも、そこに込められた意味を知らねばいかんという事だな」
ただ“ルールだから”と決まりを守っているだけでは新しい発見はない。
ルールが気に食わないと破るだけでも意味がない。
目的を考えた行動こそ、価値があるという事だ。
「うむ。自分が考える頭を持たないとな!」
そう考えると、あの暑い日中に飲酒したのも無駄ではなかった。
“池のほとりの賢者”からの貴重な教えを早速実践し、確かめてみたのだ。
予定外の飲酒にそう理由を付け、アルフレッドは飲酒を正当化した。
目指す店に着いて扉を開けると、アルフレッドの全身を冷気が包む。
「おほぉっ……!」
思わず声が漏れてしまう気持ち良さ!
ニッポンはこの時期凄い暑いけど、どういう魔法なのか屋内はだいたい涼しい。特に居酒屋は飲んで暑くなるのもあってか、時には寒いぐらいに冷えている。
この冷えた空気は、ずっと外を歩いてきたアルフレッドには何よりの歓迎だ。
「うーん、やっぱりアレだな」
自分の頭で考えるアルフレッドに、さっそく“気づき”があった。
「ニッポンの“夏”は、外に出ないに限るな」
これからはできるだけ日中、昼飲み屋で過ごそう。
席に案内されながらそう決心したアルフレッドだった。
合理性を大事にし、賢くなった勇者アルフレッド。
おかげでダメ人間度がワンランク、アップした。
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