第10話 勇者、ボーナスアワーに無双する
ぶらぶら歩く異世界の勇者アルフレッドは時間を持て余していた。
「うーん、時間が中途半端になっちゃったな」
今は午後三時過ぎ。陽はまだ高い。
自分の世界に帰還するリミットまでには、全然余裕がある。
だが、面白そうなものを今から探していてはすぐに日暮れだ。
「ニッポンでも昼と夜とでは営業している業種が違うしなぁ……。昼の店を今から楽しめる時間などないだろうな」
今回アルフレッドが楽しみにしていたイベントは、もうすでに大体こなしてしまった。
昨日はいつも通り酒場に繰り出し、今日は朝から優雅に「ビジホ」の豪華朝食バイキング(無料)を時間いっぱいまで楽しんだ。
その後は平日(アルフレッドの世界の安息日を、ニッポンではヘイジツ……平和な日と表現するようだ)の昼間は特別料金千円の映画館を見つけたので冒険活劇を一本鑑賞、なかなか興味深かった。
そして映画館から出てきたところで昼過ぎのコンビニは意外と客が少ないのに気が付き、深夜でないと見るのが恥ずかしい絵画をさりげなく二時間ほど嗜んだ。
もちろんそのまま退店するような愚は犯さない。
ちゃんと買い物客に見えるようにアイスコーヒー(百円)を買ってイートインで飲み、スタイリッシュに店を出てきたので怪しいヤツとは思われなかっただろう。
完璧な休日を過ごした。思い残すことは無いと言えば、無い。
「そうは言っても、何も急いで自分の世界に帰ることは無いよなあ……」
早く帰っても、ビジホとは比べ物にならないボロい宿屋の個室で朝まで寝ているだけだ。変に外出してお姫様とかに見つかったらうるさいことになる。
だけど、ならば何をして時間を潰す?
「夜の店が早く開いてくれればなあ……」
昨晩に続き、二日続けてニッポンの酒場を楽しめるのに。
ニッポン世界で一番楽しみにしているのは、何と言っても酒。
ビールもいいし、チューハイもサワーもいい。
ニッポンの美酒をを二日続けて飲めるのならば、宿のグレードを落としても良い。
なんなら初めから路上で野宿を覚悟してでも、神様からもらう軍資金を切り詰めて酒代を捻出するのだが。
ところが残念な事に、ニッポンの酒場は夕暮れぐらいから始まるのだ。
楽しく飲み始めても、酔いが回る前に帰還の時刻になってしまう。
「今回は多少は余裕があるし、今から店を開けてくれれば有り金全部使って行くのになぁ」
残念だ。
非常に残念だ。
「いっそ、スーパーでチューハイとソウザイを買って公園で一人……」
……とは思ってみたものの。
そういうおっちゃんたちを実際に見かけたことはあるのだが、どうもニッポンでは昼から公衆の面前で飲んでいる人間に視線が厳しい。
異世界とはいえ、勇者が民衆に後ろ指を指されるのはあまりに恥ずかしい。
スーパーに未練を残しつつ、とある店の前をアルフレッドは通りかかり……。
「……赤ちょうちんに火が入っている?」
◆
「イィラッシェー!」
半信半疑で縄のれんをくぐったアルフレッドを待っていたのは、ガラガラだけど明らかに営業中の店内だった。
「こ、この店はもう開いているのか?」
いそいそと迎えに出てきた若い店員にアルフレッドが恐る恐る尋ねると。
「はいっ、うちは昼から通し営業ですんで! 午前十一時から翌日午前一時まで、バッチリ営業中です!」
「お、おぉ……! そいつはバッチリだな!」
「はいっ、バッチリで!」
何がバッチリなのか二人とも分からないけど、とにかくバッチリだ。
開店前の店に押し入るつもりはないが、既に開店しているのなら遠慮はない。
早速カウンターに案内され、熱いおしぼりで顔を拭うアルフレッドに店員が一枚紙のメニューを見せた。
「ただいまの時間、午後六時まではボーナスアワーでこのメニューに載っている酒は一杯百円です!」
「一杯百円!?」
通常は三百から五百円するのに!?
「そ、それでやって行けるのか!?」
「はいっ! ツマミもモリモリ行っていただければバッチリです!」
「おお、バッチリ! よし、とりあえず生!」
「はぁいっ、生一丁!」
アルフレッドはまずは考えずなくても頭に浮かぶビールを頼む。
そして店員が引っ込むと同時に、急いでメニューを精査する。
「おお、サワーもチューハイもある……ハイボール? ロック? ニッポンシュ? よく分からないが、まあ一杯百円ならこいつらも試してみる価値はあるな!」
なぜかビールが載っていないが、頼んだ時に店員がダメと言わなかったからビールも出てくるようだ。ならば注文しても構わないだろう。
アルフレッドはビールと発泡酒の区別がつかない。
メニューに載っている酒は実に四十種にもなる。
当然知らない酒もあるし、頼んだことが無い酒もある。
「こ、これがどれでも、一杯百円……」
この店の主は酔狂な趣味人なのだろうか?
「まあ、他人の背景など探っている場合ではないな……俺はただ、自分がやるべき事を為すだけだ」
つまり。
「あるだけの種類を飲み干さねばならん……これが今日、俺に与えられた真の使命だったのだな!」
アルフレッドはバッチリ天啓を理解した。
さすがに四十種全てを一日では相手にできない。
時間も金も、そこまでは余裕は無い。
だが、ツマミの品数を抑えてとにかく酒に集中すれば……十、いや二十は!
「ふ、ふふ……二十杯か」
めまいがするほどの強敵に、アルフレッドは固唾をのんで喉を鳴らした。
ガッツリ飲んだ時でも、さすがにジョッキで十杯ぐらい。
それを……倍!
「これはとてつもなく困難だ……だが、勇者たる俺が敵に背中は見せられぬ!」
アルフレッドは群がり来る大軍を前に、むしろ奮起する自分を感じていた。
……そうだ。
これは、己の限界への挑戦なのだ!
「やってやるぞ……酒に勝てぬ程度の男が、魔王に勝てる筈がない!」
魔王と自分で口にして一瞬、死ぬほどこき使ってくれる某国の姫君の顔が脳裏に浮かんだが……。
「いかん。酒と対話中に、なんであんな飲み口をマズくしてくれるような顔を思い浮かべねばならんのだ」
さっさと酔わないと。
アルフレッドはビールを持ってきた店員に第二陣の枝豆と巨峰サワー、レモンチューハイを注文すると、黄金の弾ける液体が入ったジョッキを一息にあおった。
◆
ウラガン王国の白薔薇とも称されるミリア姫は、目覚めた姿勢のまま寝台の上でずっと固まっていた。
その気品のある美貌は無表情のまま、さっきから瞬き一つしていない。
起きてから、かれこれ三十分。
彼女は人形のように全く動いていなかった。
もちろん彫像のような外面と反対に、彼女の中では様々な感情が荒れ狂っている。
正直今の彼女の心情は、魔王の侵攻を聞いた時より、勇者に討伐報酬として下賜されると決まった時より、激しい嵐に見舞われていると言ってもいい。
今は魔王討伐の旅の上。
七日に一度の安息日を終えて寝台に入り、そろそろ夜明けかという時刻に違和感で目が覚めた。
目が覚めたら……なぜか当然別の部屋で寝ているはずの勇者が同じ寝台に入り、自分の胸に顔をうずめて寝ていた。
何が起きたか分からない。
いや、臭いで勇者が泥酔して部屋を間違えたのは理解できた。
そして狼藉者が服を着ているのは感触で分かったので、寝ているあいだに最悪の事態が起きなかったのは確信している。
……それがなぜ、感触で分かったかと言うと。
ミリアは王宮での生活の通り、一糸まとわぬ姿で寝台に入ったからだ。
このバカは安息日に泥酔など、何をやっているのか……!
本音を言えば。
出せるだけの大声で怒鳴りつけて、今すぐ聖女の錫杖で撲殺したい。
だがそれをすれば、忠義の騎士その他のやじ馬が駆け付けるまでに服を着られない。
というか、それ以前に。
怒鳴って起こせば、ミリアを不敬にも抱きしめて剥き出しの胸にほおずりしている慮外者に肌を見られてしまう。
バーバラが身支度の手伝いに来るまで、あと少し。
それまでに最善手を考えなければならない。
ただ、とりあえずミリアが思うのは。
(殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す)
たった一つの想い。
(殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す)
ただ、それだけ。
(殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す)
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