二十二.発端

22.1

 ――八雲やくも立ち 出雲いずも八重垣やえがき くもめ 雨ぞ降らまし ただ怨む身に



 男は「櫛名田姫」の神能が嫌いであった。

 厩を世話する老いた下男の話によると、その舞は男が生まれるより少し以前――三十年ほど前に今の姿になったという。男はかつての舞に特別な興味もないし、それが今の舞に変えられた崇高な理由を述べられたとて、それにも興味は持てない。ただ、村祭りには世話役の家として参加させられ、舞の奉納にも同席せざるを得ない立場ゆえ、気に入らぬ内容の舞を見ては毎度胸の内で悪態を吐いていた。

 男は土台に「女」という低俗な生き物が嫌いであった。もっと言えば、女子供や老人、身分の賎しい者、貧乏人や病弱者、障碍者といった「弱き者」を心底、悪しき存在として憎んでいた。

 なぜならば、連中は得てして浅はかだ。そして、浅はかなくせに狡猾に立ち回ろうとして姑息な真似を繰り返す。己が「弱い」ことを盾にして群れて騒ぎ立てたり、表立つことを嫌って物陰に隠れながら、言いたい放題の陰口を叩く。己が負うべき責すら「弱さ」を理由に言い逃れ、そのくせ立場ある者のことは簡単に責める。

 全く、愚かで醜く、救い難い。男にとって弱さとは「悪」だった。

 ――時は江戸時代末期。幕府は来航した黒船に開国を迫られ、広島藩は数年前に頻発した飢饉によって窮乏した財政を立て直せずにいた。現在の広島県北部に当たる地域は寒冷で土地も痩せており、当時は人口の減少や流出でかなり荒廃した地域もあったという。

 そんな頃、「男」は――いずれ怨鬼となるその者は、静櫛村を治める庄屋の嫡男として父親の仕事を手伝わされながら、苛立ちと鬱屈を心に溜め続けていた。

 男は周囲に「けだもの」と陰口を叩かれていた。その粗野な振る舞いはまるで野猿で、感情が昂ると手が付けられない。常時腫れ物を触るように接せざるを得ず、言葉で道理を言い聞かせて落ち着かせることは無理だともっぱら諦められていた。

 男は、櫛名田姫の舞い始めに謡われる、八重垣の本歌取りをした神歌が怖気の走るほど嫌いであった。

 己では何も為さず、ただ救われた女。救ってくれた男の用意した新居を前に、ただ「己の望みではない」と怨みながらも、なおも己で抵抗を試みるでなく、雨よ降れと天を呪う。

 まさに「女」の歌だ。

 何もせず不満ばかりその口から吐き出す、愚劣な生き物のありようそのもの歌だった。

 ――なぜそんなにまで、彼が「女という生き物」を憎み蔑んでいたのか。その源泉は、母親にあった。

 男には両親と、歳の離れた腹違いの妹、そして祖母があったが、祖母と母の仲は険悪であった。父親である現当主は気弱な性質で、男にとって非常に影の薄い存在だった。祖母は気弱な父に代わって我が物顔で家と村を取り仕切り、事あるごとに男の母親をいびっていた。

 そして、静櫛村内の別の家から嫁いできた――戦乱の世より以前から土豪として静櫛を治めてきた男の家とは異なり、元は一介の百姓ながら煙草や茶の栽培で財を成した、新興豪農の娘であった母親は、彼が幼い頃から我が息子にベッタリと依存して、男を雁字搦めに支配していたのだ。彼女が家の中で縋れるものは息子しか――しか無かったのである。

 男は、卑屈で僻み深く愚痴がましい母親を蔑み、己の従属物として扱っていた。しかし、幼少期より彼女によって刷り込まれたというアイデンティティは、彼の全てでもあった。男が物心付いた頃よりどんな我儘も聞き入れられ、どんな理不尽な癇癪にも周囲が、母が、叱ることをせずただ宥めすかしてきたのは、彼が「庄屋の嫡男」だったからだ。

 男は縦のものを横にもせずに育った。謝るという行為を覚える機会がなかった。母親は常に先回りして男の望みを叶え、彼の意に添わぬ者を決して許さなかった。母親は男に猫撫で声を使い、時に憐れみを求めて泣き付き、夫や姑の愚痴を吐いては「お前だけが私の全てだ」と繰り返した。この世の全ては男の思い通りになったが、男のに自由や選択肢などは存在しなかったのである。「庄屋の嫡男」として態度で、能力を身につけ、道を歩むより他になかった。

 男は、己は人身御供であると感じていた。

 もとより土豪や地侍と呼ばれてきた者は、古い時代より村の中で特権階級であると同時に、有事の際に武力で問題解決に当たる存在でもあった。それは取りも直さず、再び戦乱が訪れた時には矢面に立たされるということであり、庄屋という職分は村の百姓へお上の命令を伝える憎まれ役――そして上下の圧力に耐えねばならない、板挟みの立場でもあった。

 男の生きた時代、年貢は重かった一方で、度重なる自然災害や飢饉で荒廃した農村は生産力を落としており、年貢を払えぬ百姓も多かった。そういった者たちへは庄屋が金を貸し付けることで、年貢未納や百姓が土地を売って村を出て行くのを阻止していたが、それは「借金によって土地に縛り付けられた貧農」と「高利貸し」という力関係をも、百姓と庄屋の間に生じさせていた。

 借り主側に完済のあてなどないまま、年貢未納を防ぐため年々借金は膨らむ。貸している側もせいぜい利子分を徴収しながら、毎年のように彼らの年貢を実質代わりに支払ってやる。借金と共に膨れ上がる互いへの負の感情も、男が弱者を憎み蔑む要因のひとつだった。

 劣った者たちに憎まれ、疎んじられ、なおも有事あらばその盾とならねばならない。事あるごとに借金について泣き付いてくる貧しい百姓も、男を腫れ物のように扱い顔色を窺いながら、陰では散々に悪口を言う奉公人も、口を開けばそれぞれ愚痴しか吐かぬ家の女たちも。

、重たい荷を背負わねばならないのか』

 その怒りを、言葉として表すことができたなら――その奥底に苦しみや悲しみがあると、正しく汲み取ることができたなら、あるいは、男は怨鬼にまで堕ちることはなかったかもしれない。だが男は言葉を知らなかった。発話が不自由だったわけではない。ただ、ただ、幼い頃から「己の要求を言語化して他者と交渉する」という行為を、全く行って来なかった――不機嫌に怒鳴り散らす以外の方法を覚えられなかった男は、という心の働きを習得できず成人した。彼を、として正面から対話を試みる者は、彼の周りに存在しなかったのである。

 ゆえに彼の心は、辛さや苦しさでも、自由への渇望でも悲しみでもなく、ただひたすらに「思い通りにならぬモノへの憎しみと怒り」だけに支配されていた。



 よって、を父親から知らされた時も、彼の中に渦巻いたのは目も眩むような強烈な怒りと憎悪だけであった。

 ――喜寿(数え七十七歳)を目前に祖母が死没し、母が男を抱きしめて快哉を叫んだ翌日。彼が葬儀の場で知らされたのは、腹違いの妹が隣村の村役人筋から婿を取り、その婿養子が家を継ぐこと。

 そして、男は勘当されるという決定だった。

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