3.3

 旧緑里町編纂の古い郷土誌に収められた、静櫛の神楽面の伝承である。A4版のコピー紙に印刷されたそれに目を落とし、美郷は思案しながら口を開いた。

「――この話だけだと、神楽面が『祟った』相手は泥棒しかいないんですよね。これだけ読むとクシナダ姫の面は本当に姫神が宿ったものとして、丁寧に祀られたように見えます。でも実際の面は祀られていたというより、封じられていた。……これは神道系の呪術者が行う、本格的な祟り封じです。多分本当は、泥棒の後にまだ何か被害を出してるんじゃないかな……」

 そう顎に指の背を当てる美郷の前には、もぬけの殻になった木箱が置かれている。場所はくだんの面が所蔵されていた稲田神社の宝物殿だ。宝物殿といってそう大きなものでもなく、ほんの物置サイズの土蔵の中に棚が設えらえている。時刻は昼間だが窓はないため、天井から吊り下げられた白熱灯の明かりが頼りだ。

 美郷の背後から木箱を覗き込んでいるのは四人、広瀬、怜路、由紀子、守山である。広瀬と怜路から遅れること四日、週明けから美郷も安芸鷹田に入った。報告書用の写真を何枚か撮影するため、デジカメを構えた美郷の背に怜路が返答する。

「ソイツは俺らも疑って、何とか話を集めようとしたんだが……まあコレが残ってねーんだわ。どうするよ、宮澤主事しゅじ

 空箱の蓋を閉め更に数枚写真を撮った美郷は、空箱を風呂敷で包み直して振り返る。その先では見慣れたチンピラ大家がお手上げだ、とばかりに腕を組んでいた。四人の視線がジッと美郷に集まり、美郷は少々たじろぐ。普段であれば美郷はまだ先輩職員の指示を仰ぐ立場なのだが、この面子の中だと呪術知識がもっとも豊富なのは美郷になるらしい。守山はあくまでも、多少その世界のことが分かる地元民だと謙遜していた。

「神社には何の云われも残っていないのですか?」

 その守山に向かって美郷は確認する。残念ながら、と守山は首を横に振った。

「わかっておるのは高宮さんが見つけてくだすったその伝承と、あとは神楽の成立年代ですな。今舞われておる櫛名田姫はだいぶん゛新舞”の影響を受けて脚色されとるようですが、元々の起源はかなり古いようで、江戸の初期らしいと」

 そう言って守山は由紀子に目配せする。由紀子はどこか緊張した様子で頷いた。

 戦後に作られた新舞と呼ばれる演目は歌舞伎のような演劇性を持つ、この地方特有のエンターテイメント芸能である。一方で明治に作られた旧舞、それよりも以前に伝えられた神楽と時代を遡るにつれて神事、あるいは呪術や占術としての色合いを濃くしてゆく。櫛名田姫も古くはそういった呪術的な色合いの強い神楽だったのだろう。

「かなり古いですね……ずっと同じ面が使われてるのかな。だとしたらなかなか大物そうだな……」

 何百年も「鬼」として神楽に使われてきた面だ。かつては「櫛名田姫」を舞手に降ろしていたのかもしれない。普段は厳重に封印されながらも、毎年一度は封を開けて神楽に使っていたというのも凄い。よほど特別な面なのだ。

「今回の場合、泥棒に祟っただけなら、その後消える必要はないわけですよね。それに具体的な記述はなにもなくても、地域の人たちには『封じを解けば災いが起きる』という認識があった……」

 事件が発覚した時、地元静櫛の住人達は口々に「鬼女面が祟った」と言って疑わなかった。それだけ畏怖されていたと言えば聞こえは良いが、由紀子や広瀬の聞き込みによれば彼らの間では代々、神楽の団員を核にして「櫛名田姫の鬼女面は祟る。祭の神楽奉納以外に出してはいけない」と伝えられてきたようだ。

 普通、派手な祟りを起こして封じられたものには、その恐ろしさを伝える逸話が残されているものだ。全くないのは嫌な違和感があるな、と美郷は頭の隅でちらりと思う。

「あとは、この封じを行った術者を割り出して記録を探してみるとかですかね……」

 施されている術は神道系で、今でも名を残す流派の特徴を持っている。おそらく、こんな片田舎に来た中では高名な術者だっただろう。近隣の領主が記録を残している可能性はあった。

「それでしたら私どもの方で記録を探してみましょう」

 そう守山が頷き、それ以上確認することもないので皆で宝物殿を後にする。外に出ればまだ日は高く、気持ちの良い秋の行楽日和だ。山が紅葉に染まるにはまだ時間がかかりそうだが、境内にある御神木の大銀杏の葉は黄色くなり始めていた。緑里は県内でも中国山地の奥まった場所であり、秋の訪れも美郷らが住んでいる場所よりも早い。

 と、美郷の背後で派手な悲鳴が上がった。

「ッぎゃあァっ!! うわっ、シッ!!」

 驚いて振り向くと、広瀬が宝物殿から飛びのいて顔を腕で庇っている。

「ああ、大丈夫ですよ広瀬さん。この子青大将です、咬んだりしません」

 そう穏やかに広瀬を宥めたのは由紀子だ。どうやら宝物殿の軒先から蛇が落ちて来たらしい。

「――あ、ああ、はい、スミマセンお見苦しい……俺、蛇マジ駄目なんスよ。咬むとかじゃなくて、なんつーかあの見た目が。ゾワワワワーって」

 鳥肌の立った二の腕をさするように、己を抱いて広瀬が体を縮める。美郷も初耳の広瀬の弱点だった。それを聞きつけた怜路がケッ、と突っかかる。

「ンだあ広瀬! 軟弱者がテメェそれでも田舎っ子か!!」

「るさい! 田舎っ子だからこそだよ!! ウチの天井から夜に青大将落ちて来たことあんだよ! 俺の飼ってたハムスター丸呑みにされたんだトラウマで当たり前だろうが!!」

 怜路の倍の勢いで言い返す広瀬は、心底蛇が苦手な様子だ。チラリ、と一瞬怜路が美郷を見遣る。美郷はそれに、無言で軽く首を傾げた。――誰にでも苦手はあるものだ。

「由紀子さんは蛇は平気そうですなあ」

 守山が感心したように言う。ぎゃんぎゃん騒ぐ男どもの後ろで、青大将を山の方へ追っていた由紀子が微笑んだ。

「ええ、まあ。山育ちですし、一人っ子なんで実質長男みたいなもので――」

「ホラ見ろ! 普通ああだろ山育ち!! 由紀子ちゃんを見習え!」

 更に絡む怜路を、煩そうに広瀬が追い払う。少し見ない間に随分と仲良くなった――と言うと本人たちに怒られそうだが、言い合いの呼吸が合っているなあと美郷は感心する。

「でも私も意外です。広瀬さんって、そういう苦手ってあったんですね」

 くすくすと笑って、様子を見ていた由紀子が言った。まるで広瀬のことを昔から良く知っているかのような口調に、広瀬が目を瞬かせる。

「――? 高宮さん、俺のこと……」

「後輩です。広瀬さんと宮澤さんの。私も清荘しんじょう高校卒なので」

 高宮が口にしたのは、美郷と広瀬の通った高校の名だった。二人揃って「ええっ」と声を上げる。

「そうなのか――だからってでも何で……」

「なんでってお前、生徒会役員だったじゃないか体育委員長。球技大会のたびに挨拶とか表彰とか」

 いまいちピンと来ていない様子の広瀬に美郷は突っ込む。体育委員長、それも本人もスポーツ万能系なので、大抵ああいう競技会や体育祭では目立つ男だった。当人には大して意識もなかったらしく、「ああ、そうか……」などと首を傾げている。

「二つ下ですか? 偶然ですね」

「私もびっくりしました! なかなか言い出せなくて……でも宮澤さんも一緒で、凄いなぁって」

 おや、と美郷も目を瞬いた。広瀬と違い、実家の家庭事情が面倒で家業の説明もしづらい美郷は高校時代、できるだけ気配を殺していた。部活動もしていなかったのに、他学年のしかも異性に存在を認識されていたとは、と驚く。

「選択授業、書道にされてましたよね? 私も書道取ったんですけど、先生が先輩方の作品見せてくださった中にあって。凄い綺麗な字だなって思って、お名前も女の人かと思ったら男性だったので印象に残ってて……」

 しまったそこは盲点だった、と思ったが、少し照れたように褒められればまんざらでもない。広瀬と二人揃って照れ合っていると、ゴフォン! とわざとらしい咳払いが隣で響いた。

「あー、まあそういう旧交温め合うのは撤収してからな! ったくお前等だけでやれ」

 語気荒くそう言い置いて、どかどか歩き出す怜路を「ゴメンゴメン」と追いかける。怜路には学校生活の記憶がないという。拗ねてしまった大家に並んでご機嫌を取りながら、美郷は今後に思いを巡らせた。

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