176●『2024能登半島地震』と二つの映画『日本沈没』(1973)(2006)。③これは“ミニ日本沈没”。奥能登は死ぬのか?

176●『2024能登半島地震』と二つの映画『日本沈没』(1973)(2006)。③これは“ミニ日本沈没”。奥能登は死ぬのか?



ネットのニュース

●石川県・馳知事「集落ごと移って」 孤立集落に「丸ごと避難」求める

1/12(金) 13:16配信 朝日新聞デジタル

石川県の馳浩知事は記者会見で、道路の復旧のめどが立たず、孤立状態の長期化が判明した集落について、住民全員の一時避難を求める意向を表明した。

対象となる人数は11日時点で、輪島市や珠洲市などの22地区2300人程度とみられ、金沢市以南や県外のホテルや旅館を活用した2次避難所に移したいという。

馳知事は「2次避難所に集落ごと移ってください、とにかく出て下さいと説得している」と述べた。



 想い出します。

 映画『日本沈没』(1973)を。

 故郷を捨ててエクソダス。

 今、奥能登は“ミニ日本沈没”となろうとしています。

 震災の被害を回復する見込みがなく、事実上“沈没”する故郷。

 より安全な他市へ、あるいは他府県へ“集団移民”するしかない哀しさ。

 『日本沈没』(1973)の既視感デジャヴがよみがえります。


 やむを得ない手段でしょう。

 あの、あまりにも不備な避難所の風景からして、あのトイレの現状からして、他所への移住は仕方のないことと思われます。

 しかし……


 これ、政策的に最初から織り込み済みだったのでは?


 なぜなら、前章で書きましたように、群発地震があれほど繰り返していたのに、避難所のインフラは、一見して驚くほど備えが足りなかった。


 知事は最初から承知しておられたのでは?

 「次に大地震が来たら、奥能登を放棄して集団移民だ」と?

 『日本沈没』(1973)の“D2計画”に相当するミニD2計画が、事実上の“奥能登沈没”を想定して画策されていたのでは?

 「一時的な二次避難」は「いつまでも二次避難」に化けたりはしないのか?

 あ、あくまで私の個人的妄想ですよ。


 と言いますのは……


       *



ネットのニュース

●能登半島地震であえて問う、20年後に消滅する地域に多額の税金を投入すべきか

人口減少の日本で問われる、何がどこまで公費で救済されるべきかの線引き

2024.1.11(木)JBpress 山本 一郎

問題は掲題した「25年後には確実になくなっているであろう、珠洲市や輪島市などにある限界集落に復興予算をどこまでつぎ込むのか」です。

生産性を失った地域が、今回の大地震のような激甚災害を受けて損害を被ったとして、その復興で災害の前の生活を取り戻すような公費を投じることが、どこまでならば妥当なのか、冷静に議論しなければならないでしょう。

その復興がある程度、自力でできない限り、いつまでも公費で地域丸ごと被災者を助け続けることはできないということです。

もちろん、このような議論が行き過ぎれば人口減少の地方は姥捨て山なのかとか、今後激増が予想される未婚で貧困の高齢者に対する安易な安楽死議論のような極論もどんどん出てきてしまうことでしょう。

おそらくは、輪島市を中心に能登半島北部は自活できない自治体を集約して自治体再編をしましょうという議論も出ることでしょう。


       *


 なるほど……


 言葉はよくないですが、能登半島北部すなわち“奥能登”は、地震被害で孤立化が浮き彫りになった過疎化地域などを選別して、その一部は居住地としては“見捨てる”ことにならざるを得ない。

 それをおかみの政策として合理的に実行しよう……ということですね。


 上記の記事内容も含めて、奥能登からの住民エクソダスは、哀しいけれどやむを得ない面があることは事実だと思います。


 ただ、私が注目するのは、1月1日の地震発生からわずか10日で、上記の記事がリリースされたということです。

 つまり、ということ。

 かなり以前から、目立たないながら(いや、目立たないように?)政策議論の俎上に載せられ、検討されてきた事案であり、それが今回の地震で脚光を浴び始めたのではないかと。

 おそらく石川県の前知事の時代から……


 奥能登の一部(あるいは大部分)を見捨てる、住民エクソダス。

 それが、このたびの地震被災で具体的な政策として持ち上がり、そして今後も日本を襲う震災の後始末のモデルケースにされるとしたら?


 今、被災地を離れて、“二次避難先”へと脱出していく人々は、故郷へ戻ることができるのでしょうか?

 その点、どこか不気味な不安感が残ります。

 “二次避難”して、その先どうなるか。

 「必ず故郷へ帰れる」と約束されても、政治家のお言葉。実際、それが実現するのか?

 村落の家がことごとく潰れ、電気も水道も不通のまま、無人化して「なにもしない」まま数年が過ぎ去れば、生活の再建は事実上不可能になるのでは?


       *


 そうなることが、もう何年も前から“想定内”として政策の裏面に組み込まれていたとしたら、どうでしょう?

 奥能登からの住民脱出、それも「一方通行・片道切符」のエクソダスが、もしかして前知事の時代からひっそりと計画されていて、いよいよそれが実行に移される、とすれば……

 あ、あくまで私個人の創作的妄想ですよ。


 なるほど、奥能登の過疎地の避難所の備蓄やトイレ対策などのインフラが不足していたこと、うなずけますね。


 言葉は悪いかもしれませんが、奥能登は少なくとも17年前の「2007能登半島地震」以来、行政からある意味、見捨てられ、税金の投下が控えられ、居住地の一部放棄と再編成が仕組まれていたということになるのでは……


       *


 地震国ニッポン。

 二十世紀の被災対策は、あくまで“復興”にありました。

 人口層における若者比率が高く、若い世代が地元に復帰することは、さらなる発展を意味したからです。


 しかし二十一世紀の被災対策は、根本的に内容を異にしてきています。


 “復興”ではなく、“放棄”へと。


 もちろん誰も「放棄」とは言いませんが、実態は「復興という名の放棄」です。

 ただでさえ高齢者の多い地域が被災した場合、ライフラインのインフラを復興しても、家に戻るのは、さらなる高齢者ばかり。

 ただでさえ少なかった若者は、もう戻ってこない。

 巨額の税金を投じても、その被災地はしばらくすると滅び、無くなる。

 2011年の東日本大震災の“復興”の結果にみられる事案ですね。


 おそらく今、ニッポンの各自治体で、地震に被災した場合に「巨額を投じて」元に戻す「復興」に値するか、それとも「何もせず」に「放棄」すべきか、この二者択一で、それぞれの地域が選別されているのです。


 地震被災を契機として、過疎地の放棄に踏み切る。


 それが、21世紀のこの国の地震対策の根幹になろうとしているのでは……


 放棄された土地は、沈没したも同然。

 『日本沈没』(1973)のD2計画が、スケールを小さくして、各地の過疎地を対象に、静かにうごめきつつあるのでしょう。


       *


 これから奥能登は、どうなるのでしょうか?


 今後の、いわゆる“復興計画”がどうなるのか、注視しておいてよいかと思います。


 幹線道路は復興されるでしょう。しかし枝葉となる山道や林道は、多くが崩落したまま放置されるかもしれません。

 仮設住宅、そして新規の復興住宅はどの場所に、どの程度整備されるでしょうか?

 仮設住宅や復興住宅は、住民が自宅に復帰するための足掛かりとなる施設です。

 これが、同じ奥能登の中でも、という現象が見られたら、意図的に住民の恒久的移転を促すことになるかもしれませんね。

 あ、このことを非難するつもりはありませんよ。奥能登にとどまるか否かは、あくまで住民のみなさんの自主的な選択に委ねられるのですからね。


       *


 それにしても……


 地震を契機に過疎地が無人化する、いや、意図的に無人化される。

 そんな状況が進んだ果てに、何が待っているのでしょう。


 奥能登は死ぬのでしょうか?





     【次章へ続きます】



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