45●『崖の上のポニョ』の謎(11)…トキさんの心をむしばむ、老いと死の影。

45●『崖の上のポニョ』の謎(11)…トキさんの心をむしばむ、老いと死の影。



     *


 さて、リサはトキさんの孫である耕一の妻です。

 ということは、ちょっと皮肉なことに、“ひまわりの家”で過ごすトキさんは、義理の孫であるリサに介護されているわけですね。

 しかし、リサとの人間関係は希薄です。もともと他人同士です。結婚前のリサに会ったことも無いでしょう。性格的に合わなければ、リサの家を訪れたことも無く、ろくに喋ったことも無いでしょう。


 ですから、哀しいことに……

 かわいい孫の耕一に妻ができていることは知っていても、顔を忘れています。それが誰であるか、実際に出会っても、多分、わからなくなっているのです。

 思えば、寂しい関係です。

 その代わり、憎しみというほど否定的な感情が無いのは救いです。

 リサとは、“ひまわりの家”の利用者と介護士さんという関係で、それ以上の付き合いは無いと思われます。

 でも、リサにとって、トキさんは義理の祖母。

 だから、リサは“ひまわりの家”で働くようになったのかもしれませんね。身内のトキさんを世話してあげたいという孝行心で。

 しかしリサはトキさんが義理の祖母だからといって、“おばあちゃん”と呼ぶことはありません。

 “ひまわりの家”には何人ものおばあちゃんがいますから、紛らわしくて、その呼び名は使えないのです。

 だから「トキさん」と呼ぶのでしょう。


 また、リサも“ひまわりの家”の中ではもっぱら“リサさん”と呼ばれ、苗字で呼ばれることがありません。

 理由は明らかで、苗字がトキさんと同じだからです。

 介護士さんの誰かがリサを苗字で、たとえば「小金井さん(仮称)!」と呼ぶと、トキさんが、“何、あたしのことかい?”と反応してしまうからです。


 つまり、リサの一家が苗字で呼ばれる場面が無いことに、ひとつの理由付けが用意されていたのです。

 じつによくできたお話だと思われませんか?


     *


 さて、宗介君はトキさんにとって、可愛い可愛い、実のひ孫であるはずです。

 そのことはたぶん、まだトキさんの記憶の中にはあるのでしようが、それすらも、最近は老衰による認知症で、しばしば忘れがちになっているのではないでしょうか。

隣の“ひまわり園”からやって来る、可愛い男の子だ……という程度に。

 おそらくそれほどに、今の90歳(推定)のトキさんは老いにむしばまれ、孤独な死の訪れを予感して過ごしていると思われます。


 だから嵐の夜を迎える夕刻、宗介君はトキさんにだけ特別に、“船の折り紙”をプレゼントしたのだと思います。耕一の船、小金井丸をかたどったものですね。

 父・耕一のことを、これで少しでも思い出してほしい……と。

 しかし、トキさんは「わかった、バッタだ」と断定します。(FC2巻125)

 何故、バッタなのでしょう?


 トノサマバッタなら、頭部がずんぐりしていて、船の形からは連想できません。

 舟の形に似たバッタといえば、ショウリョウバッタ(ショウジョウバッタ)があります。川船の舳先のように頭部が尖っていて、メスは体長8センチほどもあるので、船の形の折り紙から連想しても不思議はありません。

 折り紙の、船体上部構造を模したらしい白い紙の部分は、ショウリョウバッタの羽根に見えたのかもしれませんね。

 このショウリョウバッタは、八月の旧盆(13日~16日)の時期に現れるとのことで、死者の魂を祀って送る“精霊流し”の“精霊船”に形が似ているから、この名前がついたと言われます。

 老いにむしばまれ、希望をなくしているトキさんの心情が、宗介君からもらった“耕一の船”から“精霊船”に似たバッタを連想させたのかもしれません。


 否応なくトキさんに近づく死の影を、ふと感じさせるシーンです。


 この「バッタだ」の場面のあとでポニョが巻き起こした津波に続いてデボン紀の海が広がり、“大正時代の夫婦”…トキさんの両親で、おそらく今は幽霊となっている…が登場しますので、物語の時期は、まさに八月の旧盆だったのかもしれません。





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