39●『崖の上のポニョ』の謎(5)…“内なる海”は、“海なる母”の一部である。
39●『崖の上のポニョ』の謎(5)…“内なる海”は、“海なる母”の一部である。
人体の成分は六割以上が水で、その血液を含む体液には、人類の遠い祖先が海から陸に揚がって生活を始めたときの海水の塩分濃度が、今も保持されているといいます。
それが本当かどうか、私(筆者)に科学的な証明能力はありませんが……
人は体内に、今も太古の海をたたえている……という考えには、とても共感します。
としますと……
太古の海で、あるとき必要に迫られて、一部の魚が陸に上がって生活を始めました。
3憶6千万年ほど昔のことといいます。
思えばとんでもない年月ですが、それだけの時を経て、私たち人類の今があることも確かです。
3憶6千万年の歴史が、細胞の中に秘められている。
私たち人類の祖先が、火を使い始めたのは、わずか50万年ほど昔といわれていますから、ざっくりと纏めれば、とにかく三億数千万年かけて、“魚が人になれた”ということですね。
そんな、私たちの体内に、まだ、太古の記憶を宿した海が波打っているというのです。
さて人間は、母親の胎内から、“十月十日”の出産期間で生まれてくると申します。
お母さんのお腹の中にも、羊水というものに満たされた“太古の海”があるのですから、いわば、三億数千万年前の記憶をたたえた“母の中の海”で、細胞が育つことになります。
そのさい、ひとつの細胞から赤ちゃんの姿に成長する間、その肉体は、太古の海の魚から人類に至るまでの、三億数千万年の進化を、ひととおりなぞるように、変身しているのだ……とも言います。
まるで、録画した映像の早送りのように。
三億数千万年の進化を十月十日に圧縮して、私たちは生まれてくる。
体内に、太古の海をたたえたまま……
『ポニョ』の物語の中で、古風な舟に乗った夫婦が現れ、赤ちゃんを抱えた母親が、母乳を与えようとする場面があります。(FC4巻45-59)
前後の説明がなく、唐突で違和感のある場面に見えますが……
※※※この夫婦、パンフ等では“大正時代の夫婦”とされています。なぜ、この場面に登場するのか、一切の説明がないので、宮崎駿監督のお戯れで脈絡もなく出現したかのように見えますが、そんなはずがありません。この夫婦の舟と出逢って離れるまでのわずか二、三分の制作に費やされた時間と労力は、この場面が明確な意図をもってここに置かれたことを物語っています。この夫婦にはしかるべき存在理由があり、物語の最大の謎をはらんだ伏線をなしているのです。詳しくは次章以降で。
古風な母親から、古風な赤ちゃんにお乳をあげるために、ポニョから“おいしいスープ”をいただく母親。その行為の意味は……
周囲に広がる太古の海、その中で、太古の海を体内にたたえた母が、やはり太古の海を体内に宿らせた赤ちゃんにお乳を上げる……と考えれば、すんなりと理解できます。
赤ん坊が母親のお乳を飲む行為は、免疫機能だけでなく、太古の海を母から子へ引き継ぐ意味もあるんですね。
そしてこのお母さんを、そのまたお母さんのお母さんへ……と、はるかにさかのぼれば……
行き着くのは、海なる母、グランマンマーレ。
人はそもそも海の一部であり、同時にグランマンマーレの一部でもあるということが、これで納得できますね。
魚のポニョが“人間になりたい”という願いも……
人が、“内なる海”を自覚して、“外なる海”と真摯に語るならば、答えはおのずと出てきますよ……と作品は語っています。
悩むような問題じゃないよ。人間も魚も、もとは同じなんだからさ……と、ポニョことブリュンヒルデは教えてくれるのです。
さて、ポニョは結局、魚のままでいるか、人間になるのか……
アンデルセンの原作童話ですと、魚と人間の狭間に引き裂かれて苦しみますが、ポニョはそうではありません。
『崖の上のポニョ』の結末に、自然界と人類文明の相克はなく、神様と人間の対立もないからです。
ポニョ自身の心にも、人間になるか魚のままでいるべきか、それが問題だ……式の苦悩はみられません。
人類と魚類、この異種間結婚は重大なタブーであり、その禁忌を破るためには罪深い魔法を使い、それゆえの罰が課せられる…という、西欧型人魚姫と、『崖の上のポニョ』は根本的に世界観が異なると思います。
『崖の上のポニョ』の世界は、あらゆる葛藤から脱却した世界。
何者にも邪魔されることなく、前に進める世界。
だから、ためらうことなく……
ポニョは一瞬で、人間になります。
三億数千万年の歴史を、一瞬に圧縮し、一足で飛び越えて……
人間の子供として、この世に誕生します。
見事なほど無邪気で明瞭な解決が、ここに提示されています。
素直に考えよう。悩むことはないじゃないか。
三億数千万年を背負って、一瞬で誕生した新しい命、この誕生を祝福しよう。
作品のラストシーンから伝わるメッセージは、ものすごくシンプルでハッピーです。
“誕生を寿ぐ我らは、幸いなるかな”
これは、神の声に近い……と思います。
1968年の『太陽の王子ホルスの大冒険』以来、日本のアニメの歴史の一脈を形作ってきた“人類と大自然と、神様の対立関係”の課題に対して、“無邪気な自然神”であるグランマンマーレがもたらした、かなり決定的な答えが、これなのだと思います。
自分自身の中にも、太古の自然が宿っていることを知り、その“内なる自然の声”を聴く耳を持ちさえすれば、最も良い生き方が見えてくるはずだ……と。
それが正しい道であるか否かを計るバロメータは、とてもシンプル。
“新しい命の誕生を、心から祝えるかどうか”……なのです。
以上が、“海と、月と、誕生”をかぎりない美しさで描き上げた『崖の上のポニョ』が、ラストシーンで私たち観客に残したメッセージであると思うのですが、いかがでしょうか?
人類と大自然が対立する方程式に“神様”の項を導入することで、『崖の上のポニョ』は見事な解を見出したのです。
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