32●『無責任艦長タイラー』(2)…ユリコとタイラー! 二人の破局の謎。

32●『無責任艦長タイラー』(2)…ユリコとタイラー! 二人の破局の謎。





 『無責任艦長タイラー』、最終話のAパート。

 自分が信じるままに、「好きなことを、好きなようにやる」と全編を貫いた無責任艦長タイラーですが、同時に「ユリコさんだって、自由は大変だったでしょ」と問いかけています。

 つまりタイラー本人にとっても、自由は“楽ではなかった”のです。

 なぜか。

 ひとり孤独を楽しみ、気ままに自由を貫くタイラーが、物語が進むごとに、“独りではなくなった”ことです。

 駆逐艦そよかぜのクルーたち。

 ユリコ以下、クルーの全員が仲間となって、大学生のコンパか学園祭のノリで、そよかぜの自由を謳歌していた……とも見えるのですが、実はそうではなかったことに、タイラーは気付いています。


 クルーたちはそれぞれの自由を貫いていたのではなく、実体は、みんなが大好きな無責任アイドル・タイラーを頭目に祭り上げて、“タイラーの自由”に束縛されることを望んでいたのですね。

 これ、慢性的な“タイラー依存症”です。


 自分が掲げた“自由”(平等)の旗印が、みんなを自由にしているように見えながら、実は、それぞれの自由を奪っていたのではないか?

 それがジャスティ・ウエキ・タイラー二十歳の苦悩であり、それゆえ彼は、フッと軍を退役して仲間たちを突き放し、それぞれの自由を求めるように仕向けたと考えられます。

 

 この最終話、破茶滅茶ハチャメチャなようで、少し考えると、すっぱりと理屈が通っていることに驚かされます。古今東西のアニメの最終話でも論理的にピカイチの部類に入るでしょう。


 私たちのリアルの組織論で、実際に起こりえる現象なのです。

 組織の非常時に大活躍するオッドマンがいたとしましょう。

 彼はその活躍をきっかけに、カリスマ指導者として部下たちに崇められます。

 彼はオッドマンですから異端者です。それゆえ周囲からは自由な風来坊に見られてしまいます。彼のように自由を好む部下たちが集まり。彼を支持します。

 そこに、部下たちにとって、とてつもなく居心地のいい小組織が生まれます。

 風通しがよく、全員のパワーがのびのびと発揮される、理想的な組織となります。

 しかしそれは、オッドマンである彼一人の人気と指導力に依存する、いわばカリスマ教団に類する性格を育んでいくのです。

 メンバーたちはみな、自分の自由意志でオッドマンの彼のために嬉々として働きます。しかし、その状態が続くと……

 だれもがオッドマン氏の顔色をうかがって働くようになってしまうのです。

 それは実は、本当の自由でなく、オッドマンのカリスマ指導者の“自由”を狂信的に信仰して奉仕する、ミニ全体主義国家となってしまう……


 そんな可能性も伏在しているわけです。オッドマンである彼一人の意思に全員が依存して、彼に対する批判を許さず、“自由という幻想”にガチガチに縛られた、独裁者のグループに変貌してしまうのです。


 タイラーが“神艦長”と化してしまうことは、第21話末尾の、次回予告で暗示されています。

「ゴルゴタの丘を登るタイラーの運命は?」のナレーションですね。

 第22話で理不尽な冤罪を着せられたタイラーが、アザリンを解放した責任を背負って、いったんは処刑台に上ります。そこで急転直下、惑星連合宇宙軍の唯一の救い主として、艦隊指揮官に抜擢されます。

 このプロセス、ゴルゴタの丘で十字架にかかりながら、神の御手によって後に復活を果たす、あの救世主様を連想させますね。

 処刑の運命から脱却したことで、タイラーの“神格化”が決定的に進んだわけです。


 そして第23話のラアルゴン艦隊との無血決戦に成功した、タイラーの“神対応”。

 そよかぜクルーたちのタイラーへの評価は“神艦長”レベルになりました。

 だれもが喜んで、タイラーの命令に従います。

 そんなつもりじゃなかったのに、みんなに望まれて、独裁者にされてしまった。

 これがタイラーに、決定的な苦悩をもたらしたのでしょう。

 誰からも祝福され、軍からは英雄と讃えられ、そこでタイラーはプッツンします。

 第24話の祝賀会での奇行ですね。

 “こんなはずじゃない。これは僕ではない!”という、ささやかな自我崩壊です。

 “僕は偉くない!”というアピール、ただしヘタクソなアピールでしたが。

 それからすぐにタイラー自身、英雄(じつは独裁者)に祭り上げられることで、最も大切な自由を失っていくことを自覚したはずです。そして同時に、タイラーに心酔して付き従うクルーたちの“本当の自由”を自分が奪いつつあることも。

 しかもこのことは間接的ながら、彼らを新型巡洋艦あその配属へと抜擢したミフネとフジの策謀が一因となっているのです。

 最終話でフジ中将が「豚もおだてりゃ木に登る」とうそぶいたように、持ち上げてホメ殺したあげく、責任ある地位へ祭り上げて自由を奪うやり口です。

 第24話から最終話までのエピソードは、そよかぜクルーが誰一人気付かぬまま、タイラーの“本当の自由”が崩壊していくプロセスが描かれています。


 そして最終話Aパートで、タイラーはユリコの前で諧謔かいぎゃくたっぷりに独白します。


 「誰がための自由と責任……?」と。

  

 うーん、かなり哲学的。

 無責任、とは究極の自由、ですよね。

 しかしタイラーは、途中で“くたばれ無責任!”へと転舵しました。

 駆逐艦そよかぜ、という組織を束ねる“責任”をしょい込んだわけです。

 この“責任”と、自分が心より求める“自由”とのせめぎ合い。

 そして、“自分自身の自由の破綻”。


 タイラー自身、ひしひしと自覚していたはずです。

 そよかぜのクルーはみな、自分の自由意思で、タイラーを信じ、崇め、従い、むしろタイラーに“束縛”されたいと願っている。

 このままでは、無責任独裁者にされてしまう。

 いつの間にか自分は、タイラーでなくヒトラーになってしまうだろう。


 このままずっと行けば、いずれみんなを不幸にするかも知れない。いやきっと、不幸にするはずだ……

 “無責任”を捨てて責任を背負いながらも“自由と平等”を貫こうとするタイラーの生き方は、ここで行き詰まり、にっちもさっちもいかなくなります。


 自分が独裁者になることを防ぐには?

 自分がいなくなること、しかありません。


 タイラーは姿を消します。



※この最終話Aパートの脚本、もう最高です! “誰がための自由と責任”というセリフひとつで、“自分の自由を破壊するのは自分自身かもしれない”というタイラー青年の悟りが見えるわけです。洋画のTVドラマ『プリズナー№6』(1968)の最終話で№6が突き止めた№1の正体は?……ということですね。



 第25話で、独り夜の街をさまようタイラー。

 その足もとにころがるカップ麺の容器。

 カップには“LEVELER”とあります。

 “平等主義者”という意味ですね。

 クレージー映画では植木等氏が平等たいらひとしという役名で出ておられました。

 ジャスティ・ウエキ・タイラーの裏意味でもあるでしょう。

「この味も悪くなかったな」と彼はつぶやきます。

 これ、第1話の冒頭の、タイラーの姿のリフレインです。

 こまやかな演出。

 『無責任艦長タイラー』は再び、フリダシに戻ったのです。それも自分の意志で。

 本人、そのことに不満はなさそうです。

 つまりタイラー自身は、“独りでも、いい”と考えているのです。

 ひとりぼっちの自由と平等、それもよし、と。


 SFの登場人物として、ため息が出るほど、いい感じです。

 どことなく、ハインラインの作品にありそうな場面ですね。


 しかし、そよかぜのクルーたちは違います。

 クルーたちはみな、タイラーによって自由を束縛されることを“自分たちの自由意思で”望んでいます。タイラーに“支配されたい”のです。それが幸せなのです。

 だから、いなくなった支配者を、かれらは必死で探し始めます。第25話で雲隠れしたタイラーを探し回るクルーたちの行動が、それを物語っています。


 しかしタイラーは他人の自由を束縛したり、ましてや支配したいとは毛ほども思っていません。それは彼自身にとって心の重荷でしかないのですから。

 だからそんなクルーたちにタイラーは常々、「きみの好き(自由)にしたら?」と指導してきたのですが、いつのまにかそれはタイラーが意図しない逆効果を生むようになりました。

 タイラーが語る“自由”に陶酔して、クルーたちはますますタイラーに心酔し、タイラーに自分たちの“自由”を自発的に捧げてしまうようになったのです。


 しかしそれは、タイラーにいくら悪気がないからといって、結局はみんなを“だましてきた”のと同じではないの? この私を筆頭に!


 ……と、最終話Aパートで、ユリコ・スターが激しく、かつ哀しくタイラーを詰問した理由にもうなずけるというものです。


 ピアノ演奏のスラブ舞曲に包まれた、あのしっぽりムードの場面で、ユリコは心底からタイラーに“束縛されたい”と願っています。彼を愛しているからですね。

 愛する者に自分の“自由”を捧げる、これこそ愛ですから。

 その愛ゆえに軌道上まで昇り、駆逐艦そよかぜの廃墟に、彼を探し当てたのです。

 

 おそらく、ユリコがタイラーに別れを告げる寸前にタイラーが駆け寄ってユリコを抱き締めれば、すなわち力ずくでもユリコの自由を束縛すれば、二人の愛は成就していたことでしょう。


 しかしタイラーは「お酒、残ってるよ」と、ユリコの自由意志を促します。

 “自由”を与えられたがゆえに、そのときユリコはタイラーのもとへ引き返せなくなります。

 ユリコにとって、愛は互いの自由を奪い、束縛するもの……だったのですが、タイラーはその期待に応えることをしなかった。


 二人は破綻します。

 

 『無責任艦長タイラー』はこの最終話Aパートで、“青春の喪失”を描き込んでくれました。情緒的にも、素晴らしい演出です。

 この切なさは、かなり本物だと思います。



 ここまで精緻に演出された、二人の破局です。

 そう簡単にポイとひっくり返って、ユリコさん回収作戦! ……となるはずがありません。あのお祭り騒ぎの状態はハッピーエンドに見えながら、Aパートのタイラーとユリコの破局の意味を考えれば、“タイラーという無責任独裁者の誕生”の場面でもあるのですから。


 だから、“進水式”のドタバタで巡洋艦あそを蹴っ飛ばして発進レーンに収まる駆逐艦そよかぜは、もはや“現実”の駆逐艦そよかぜではなく、みんなの共同幻想の産物であると解釈したいのです。

 

 もういちど、あの駆逐艦そよかぜでタイラーの旗のもと、旅をしたい!

 クルーたちはもちろん、観客のあなたや私も、そう願い、その願望をそのまま絵にしたのが、あのエンディングなのです。





     *


 さてしかし、タイラーと破局したユリコに小さな希望の灯をともす人物が、チラリと現れます。

 あの、夜の海辺を駆ける謎の少女です。

 詳しくは次章で。




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