第67話 邪法の賢者→執愛の愚者②
「──────ヒマだ」
ぼそりと呟く。
テーブルに頬を乗せて、窓の外をぼんやりと眺めていた。
「──────ヒマです」
もう一度呟く。
呟いたところで現状は何も変わらないが、この宿の部屋から一歩も外に出てはいけないと厳命されているから、どうしたって暇は覆せない。
「──────ヒマなのです」
それこそ暇を潰そうと試みてまたも一人呟くが、虚しいだけだったのでこれで終わりにしておこう。
レリアさんと初めて出逢って、エイミィの事情を聞いてからもうそろそろ2週間が経とうとしている。
ヨゥとミィ曰く、『未知の敵に相対するのならば、それ相応の時間をかけてきっちりと情報を集め、しかるべき策を練らなければならない』そうで、その意見にはなんの異論もないし全くもってその通りだとは思うのだけれど、今もあのお城の地下であの可哀想なエイミィが一人寂しく震えている事を想像すると、オレはやはり居ても立っても居られない。
そうやって焦れて行くオレにイドが何度も何度も正論をもって諭してくれるんだけれど、焦燥感は日に日に膨れ上がるばかり。
だけどオレみたいなちっこい子供に何ができるかと言えば、やはり『一人では何もできない』しか答え導きだせず、毎朝・毎晩自分の無力さに歯痒い思いをして打ちのめされていくだけだった。
この2週間でヨゥによる情報収集とミィと2号による情報解析は着実に結果を出していて、一秒一秒ごとにエイミィを助け出せる体制を整えられている事は理解している。
頭ではわかっていても、それでも心ではなにも納得できないのは──────オレが身体だけじゃなくて精神までもがお子ちゃまだからだろうか。
時間的には正午過ぎ。
一番日当たりの良いこの時間は、やっぱりオレにとっては暑く感じてしまう。
一番涼しい格好を求めたら、薄いワンピースタイプのキャミソールと下着だけというはしたない格好になってしまった。
なんか最近、肌を晒すのに慣れてきてしまっている気がする。
宿屋のテーブルの上に置かれたコップには、そんなオレを気遣ってか5号が特別に作ってくれたサイダーみたいな炭酸系のジュースが注がれている。
少しだけ緑色のその液体と炭酸の泡を見ていると、前世でもたまに飲んでいたメロンソーダを思い出す。
故郷とも言うべきあの世界に想いを馳せても、『懐かしい』以外の感情が一切出てこないのが我ながら恐ろしい。
もしかしてオレって、自分が思っているよりも薄情な人間なのだろうか。
日本の中学二年生である
親や親戚、転校前の学校の友人達や先生の顔は鮮明に思い出せるのに、帰りたいとかもう一度逢いたいとか、そういった感傷的なモノは微塵も浮かび上がらず、ただ『そんなこともあったね』とか『あんなこともしたっけ』程度にしか感じないのだ。
なんか、凹む。
ダメだ。ダメだダメだ。
今から可哀想な女の子を助け出すと言う大仕事が控えているのに、こんな負のメンタルを育てている場合じゃない。
テーブルに顔を乗せて、頬をぺたりと付けながら窓を見ていた体制から上半身を起き上がらせる。
オレにとっては高すぎる椅子にぶらんぶらんと揺らせていた脚を引き上げて、その上で三角座りをした。
暇、なのだ。
今日はミィもヨゥも居ない。早朝から部屋の結界をいつもより厚くして、対人感知系の魔法トラップを仕掛けたら二人とも忙しそうに出かけて行った。
オレ一人である。
イドも月一で行っているシステム・イドの定期メンテナンスに集中し始めてるから、話相手も居ない。
ものの2時間弱で終わるからそれまでの我慢だと言うのに、オレはやれる事もできる事も見つからず、こうしてただ無為な時間を呆けて過ごす。
テーブルの上には炭酸ジュースの入ったコップ以外にも、5号のお弁当の空箱が雑に広げられたままだ。
当たり前の様にとても美味しかったお魚のソテーをぺろりと平らげて、一人だろうとちゃんと手を合わせてごちそうさまを言って、本格的にやる事が無くなっての今である。
宿の二階、角部屋に位置するこの部屋の真下には、周辺の住民が共同で利用している井戸がある。
どこもかしこも閑散としていて誰の姿も見ないこの王都アングリスカだけれど、それでもやっぱり人が生活していると実感できるのは、たまにこの井戸に水を汲みにくる人が居るからだ。
それでも1日に数回だけで、しかもみんな疲れ果てて青ざめた顔をしているから、『邪法陣』による
この王都に存在する井戸は、住民の生活の要だ。
井戸が王都に到着した初日に、オレたちに『この地の水と食料に手を付けるな』と言ったのは、その生活の要が汚染されているから。
つまり、『井戸の水を飲む』と言う当たり前の行為が──────邪法陣と人とを結び付けている。
それがヨゥが見つけた情報で、ミィが解析し確定したモノ。
初めてソレを聞いた時、オレは怒りでどうにかなりそうだった。
生活に欠かせない水に、罠を仕掛けるなんて──────外道のする事だ。
水源に魔術────この場合は邪法だろうか────を仕掛けて、飲んだ人間の身体の内側に極小の刻印を幾つも無数に打ち付ける。
その術は効果としては極めて弱いもので、時間経過と共に勝手に消えていくけれど、どうしたってお水は毎日飲む物だから、新しい刻印が定期的に刻まれる事になる。
内臓の内側や血流に刻まれた刻印は、打ち付けられた人を王都の下に存在する邪法陣への
それはとてもゆっくりと、でも確実に。
緩やかに人を衰弱させていき、やがてその人は歩くこともままならなくなって、ベッドから起き上がれず、何も口にできなくなって……衰弱し、死んでいく。
体力の弱い子供やお年寄りから先に、そして女の人や男の人と、まるで順番が決められている様にして家族を失う人たち。
……未練しか残らないだろう。
日に日に弱って行く家族に手を差し伸べようにもその自分ですら弱り、虫の息。
やがて全てに絶望する気力さえ奪われ、死んだ後に怨念と化すのも──────理解できてしまう。
水が原因だと思い当たらないのは、即効性が無いからだとミィは言っていた。
亡くなるまでに数ヶ月、数年の時間を経ているから、流行り病だとした認識できない。
革命の折に医術を嗜む人や回復師の人手を『都合良く』失っているから、住民が頼れるのは城と軍が用意した診療所だけだ。
この
あえて症状を緩和させる治療を少しだけ施す事で民の信頼を得て、『水』から意識を逸らせる事に成功したら、あとはもう思惑通り。
本当に、反吐が出る。
『母ちゃん、重いだろう? 俺が持つから休んでな』
『大丈夫だよ。アンタだってそんな重たい物を持ってんだ。水桶のひとつぐらい、アタシにだって持てるさ』
今もまた、何も知らない人たちが井戸から水を汲み上げて、苦しい思いを耐え忍んで家路についている。
胸が苦しい。
ダメだよって、飲んじゃいけないって伝えたい。
だけどソレをする事で、オレたちの存在が奴らに感づかれたら──────全てが終わるかも知れない。
そんな理屈でミィに咎められた時は、オレは叫びたくなるほど怒り、そして声を殺して泣いた。
今も本当は泣いてしまうほど苦しいけれど、グッと堪える。
心が折れちゃダメだ。
ヤケになっちゃダメだ。
ミィもヨゥも居ない今、オレはここで静かにじっとしている事が唯一のできる事なのだから。
大丈夫。
この状況を打破するために、ミィたちは動いている。
きっと間に合う。みんな助けられる。
王都以外の周辺貴族に、現王家の悪事を告発するために動き回っている。
来るべきエイミィ奪還に向けて、兵力と住民を保護するための人員を必死に掻き集めている。
2号が用意した、レリアさんや他の家臣団の人たちの魂を入れる入れ物。
通称、『
生前のレリアさんたちの姿を模す作業が一番大変だったって言ってたけど、つい先日漸く人数分出来上がった。
前王家の近衛騎士団に在籍していたレリアさんを筆頭に、亡くなった家臣団の人たちは他の貴族さんたちに顔が広く知れ渡っている。
死者を冒涜するような行為だとミィは少し複雑な顔をしていたけれど、信用を得るためには必要不可欠な事。
レリアさんたちだって理解してくれた。
『姫は本当は、この国の人たちもちゃんと助けてあげたいって思ってるんでしょ?』
ミィは優しい笑みを浮かべて、オレにそう言った。
『エイミィさんだけじゃなくて、ここで苦しんでいる人の事も、放っておけないんでしょ? なら、私達はその方向に動くわ。姫が望んでいる事だもの。あの時ちゃんとそう言ったはずよ?』
オレが口に出していない、オレの本心を理解してくれた。
だからみんな、忙しく動き回っている。
ミィは転移の魔法を用いて各貴族とレリアさんの顔繋ぎに奔走している。
ヨゥは誰にも気づかれない様に、静かにゆっくりと王都の住民を『外』に非難させながら、その人たちが治療を受けられる体制をミィと連携して整えてくれている。
各貴族たちの協力も得られて、日に日に人員も増えていき、効率も1日に助け出せる人の数も日に日に増えて行っている。
だから大丈夫。
きっと、きっと大丈夫。
邪法師に対する対策だって、猫たちは抜け目ない。
魔法の理論や解析に関してはミィよりも長けている2号が、不眠不休で対応している。
だからもう直ぐ。
具体的に言えば、明日の夜。
この国の、この十年に対する──────精算の時が訪れる。
【姫】
──────イド?
あれ、まだメンテナンスが終わる時間じゃないよ?
【もう殆ど完了し、あとは再度のチェックのみでしたので省略致しました。緊急で姫に伝えたい事があったので】
き、緊急?
【ああ、そう身構えないでください。悪いニュースではありません。
えっと、
【はい、月から──────2号が来ます】
また一つ、希望がこの地に舞い降りた。
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