第65話 囚われの姫と→忠義の騎士と④
砦の奥深くは、行けば行くほど埃と鉄錆の様な匂いが充満していき、オレは吐き気を我慢するだけで精一杯だ。
「この奥?」
場所は最奥部。大きめの通路が行き止まった先にあった、倉庫の様な部屋の一番奥に、ソレは隠される様にして存在していた。
「えぐっ、うっ、うん」
ヨゥに抱かれたまま、オレは地下へと続く階段へと右手の人差し指を指し示す。
「そう……私にはまだ『声』なんて聞こえないけれど、今も聞こえ続けてるの?」
「ずっ、ずっとよんでるっ。まだきっ、きこえるよ」
しゃくりをあげながらミィに返事を返す。
恐怖と憐憫と同情と、そして悲哀とが入り混じった感情の混沌にオレの精神は掻き乱され続けている。
今こうしてなんとか会話が出来ているのは、イドがその能力と機能をフル回転させてくれているから。
そうでなきゃオレの意識なんて、惨たらしい苦悶の表情を浮かべる死体の山を見た段階で途切れていたかも知れない。
ありがとうイド。
返事を返す余裕も無いほど頑張ってくれているイドに、感謝の念を送る。
オレの精神の中のイドが、声も無く頷いた。
「とりあえず、降りてみるか。ミィ、一応瘴気除けの結界を貼っておいて」
「ええ、この砦全体に死体から発生する瘴気を減少させる術式が施されているみたいだけど、ああ言う『重たい精神』は地下に溜まりやすいものね」
「こんだけ大量の死体があるんだ。怨念で淀んで瘴気と化した
オレを抱えている腕とは逆の、『倉庫』から取り出した真っ白い球体を右手で掲げながら、ヨゥはミィにそう返事をした。
その真っ白い球体を握るヨゥの人差し指が、トントンと球体の表面を軽く叩く。
それを合図に優しい暖色の光を放ち始めた球体は、フワフワとヨゥの手を離れて頭上へと浮かび上がった。
球体の底面から地面だけを照らす光が、地下へと続く階段の闇を払う。
これは確か、2号から貰った『魔導具目録』に書かれてた奴だ。
確か名前は『
構造と製法自体は(あくまでも2号にとっては)稚拙で簡単な物らしいこの魔導具は、『倉庫』の中に30個ぐらい在庫を抱えている物だ。
起動に用いる
「じゃあ姫、辛いだろうけど案内をお願いね? 大丈夫、安心して? 例え何が待ってようと姫は私たちが護り通すから」
「うっ、ひっく、うんっ」
ヨゥに続いてミィも
瘴気除けの結界はいつの間にか展開されていて、薄緑色の透明な壁が、オレたちの周囲に四角く設置されていた。
発動直後の魔力光はやがてゆっくりと消えていき、数秒で結界の境界が分からなくなる。
なんの動作も、そして詠唱も無かった。
魔法が使える様になって分かる、ミィがやってのけた妙技。
本来ならその鮮やかなお手並を称賛したいのだけれど、今のオレは涙と吐き気を押しとどめるのに精一杯で、そんな余裕が全く無い。
「行きましょうか」
ミィの言葉を合図にして、オレたちは階段をゆっくりと降りていく。
湿気で苔むした石造りの階段は、積りに積もった埃のせいもあってとても滑りやすそうで、ヨゥは左腕にオレを乗せ、右手で壁を支えながら慎重に段差を踏み締める。
ミィも同じ様に続き、段数にして15段ほどでオレたちは階段を降り終えた。
そこは何も無い狭い部屋だった。
天井は低く、ヨゥが上に手を伸ばせばまっすぐ伸ばせないほど。
幅は大人が並んで5人ぐらいでギチギチになる程度で、奥行きも同じぐらいの真四角の部屋。
その奥に、『彼女』は居た。
オレたちの頭上に浮遊する三つの『
窪んだ眼窩にはなんの光も宿っていないし、眼球も最早その形を失い消滅していたけれど、『彼女』がオレたちを見ている事は直感で理解した。
その遺骸に纏う薄汚れた布着と、髪の毛もまばらにしか残らない頭蓋に積もった埃が、『彼女』がここにどれだけ放置されていたのかを物語っている。
また、感情が涙となって押し寄せてくる。
イドにすら抑圧できないその熱く悲しい波が、オレの喉を急速に枯らしていく。
「あっ、うぅっ、あっ、あなたがっ、オレをよんだのっ?」
なんとか声を絞り出して、『彼女』に向かって語りかける。
空気を震わせないその声はとてもか細くて、オレのこの小さな耳には満足に届かない。
「ヨッ、ヨゥ。あのっ、あのひとのっ、ちかくにっ」
ぐしぐしと涙を右手の甲で拭って、ヨゥにお願いする。
そんなオレの顔を心配そうに見つめるヨゥは静かに頷いた。
「……平気かい?」
「うっ、うん。おねがいっ」
オレの返事を聞いたヨゥは、警戒しながらもゆっくりと『彼女』へと歩を進めた。
やがて壁にもたれ掛かる様にしてその身を支える『彼女』の前に辿り着くと、ヨゥはオレを優しく床に降ろす。
両足を床に付けたオレはマントの端っこで顔を拭い、涙を払い除けて彼女を真っ直ぐ見る。
ペタリと床にお尻をつけて、いわゆる女の子座りの体勢で『彼女』と目線を合わせ、そしてゆっくりと右手を差し出して、俯く『彼女』の頬に触れた。
『──────ますか? 聞こえていますか?』
「──────っ!」
「こっ、これは!?」
突如部屋に響いた声に、ヨゥはすぐさま愛剣を手にかけて構え、ミィは前のめりになって注視する。
「う、うん。ずびっ、きっ、きこえるよ?」
鼻を鳴らしながら、オレは『彼女』に返事をする。
『ああ、申し訳ございません。美しき銀の月よ。精霊たちから聞いていたとは言え、貴女がこんなにも幼いとは想像もしておりませんでした。後ろに居られるのは従者の方々とお見受けします。貴女方の愛らしい主人を、この様な場所にお招きしてしまったことを深くお詫び申し上げます』
声に精一杯の謝罪の念を込めて、『彼女』は告げた。
依然として目の前の骸は動かない。
ただ声だけが部屋にじんわりと広がり、『彼女』の存在感を如実に表している。
『貴女方がエイミィ様をお探しになるのならば、どの様な経緯でもここに辿り着くと確信しておりました。ですが既に死人となった私の声が届いていたなんて、嬉しい誤算です。まるで奇跡の様な巡り合わせ。この感謝の気持ちをどう伝えれば良いのか』
「ずっ、王都に来た時から、すんっ、ずっとオレを見て呼びかけていたのは、あなた?」
イドが頑張ってくれたからようやく感情の波が穏やかになってきて、オレは鼻を啜りながら聞き返す。
『はい、申し遅れました。私はレリア・シャク・ザムハール。アングリスカ近衛騎士団に所属する、騎士を拝命しております。いえ、元……が付きますか』
レリアさんと言う声の主は、自虐気味に笑った。
「し、信じられない。貴女……怨念となった後も自我を保持し続けているの?」
オレの両肩に手を置いたミィが、レリアさんの遺骸に質問を投げかけた。
『ええ、私の力だけではございませんが、なんとか今日まで私は私のままで居ることが出来ました。全ては死の直前に聞いた精霊たちの声のおかげ。あの言葉が無ければ、私も絶望と怨嗟の念により正気を失い、他の死者と同様に唯の怨霊となっていたでしょう』
「精霊たちの声って、アンタ何を聞いたんだい? 姫の事を『銀の月』と呼ぶのも、精霊たちが?」
スカルクラッシュに手を添えたまま、ヨゥもオレの隣に並んでレリアさんに質問する。
『はい。もう何年前になるでしょうか。この部屋に縛られていると時間の感覚も曖昧となってしまいますので定かではありませんが、私は貴女様──────えっと、お名前をお聞きしてもよろしいですか?』
「あっ、ごめんなさい。オレはラァラ。ラァラ・テトラ・テスタリアだよ」
自己紹介はエイミィに続いて2回目であんまり慣れていない。
自分の名前なのにあんまり馴染んでいないのは、多分周りが普段『姫』って愛称で呼ぶからだと思う。聞き慣れても言い慣れても無いんだよね。
「私はミィ・シルフェー。ラァラ姫の従者よ」
「アタシはヨゥ・リヴァイア。同じく従者さ」
ヨゥとミィもオレに続いて自分の名前をレリアさんに告げる。
「ラァラ様に、ミィ様とヨゥ様。姫君にあらせましては可愛らしく気品に溢れるお名前ですね。月に姫君がおわすなど、生前は寡聞にして存じ上げて居りませんでした。私の無知をお許しください」
「い、良いよそんなのっ! 本当にお姫様ってわけじゃ無いんだしっ!」
謝られても困るってば! ただの愛称なんだし!
「えっと、レリア? それより話の続きを」
『あぁっ、これは申し訳ございませんっ』
ミィに促されて、レリアさんの声が本当に申し訳なさそうに返事を返した。
これで身体が存在していたのなら、ペコペコと何度も頭を下げてそうなイメージだ。
『私がここに幽閉され、拷問の果てに事切れる寸前のことです。霞み行く意識に語りかけてきた、とても幼い無数の声が教えてくれたのが、『銀の月』と言う存在でした。それはいつかこの国とエイミィ様をお救いくださると。その声が精霊たちの声だと理解できたのは、肉の身体を失ってからのことですが、彼らは『時間』の概念を持たぬ存在ゆえに、姫君の来訪を予知していたのでしょう』
「オレが……エイミィとこの国を救う?」
え、えっと。エイミィに関しては絶対に助けるって決意したけれど、この国なんて大きな物をオレがどうこうできるとは思えないんだけど。
そりゃあ、オレに何かができるなら……救えるなら救ってあげたいけれど。
『ラァラ姫様は、エイミィ様をご存知なのですよね?』
「う、うん。実際に顔を合わせたわけじゃ無いけれど……」
『ええ、エイミィ様は生後間も無くして城の地下に囚われている身。ご自身のお力では外に出ることなど到底不可能でしょう』
城の地下!
やっぱり! エイミィはあの二つの城のどっちかに居るんだ!
『4つになるまでは私や他の家臣も共に幽閉されて居りましたが、今では12名居た家臣も全員……姫の近衛を王陛下より賜った身として、不甲斐ないばかりです』
「エイミィも……えっと、エイミィはこの国のお姫様だったの?」
国の名前と王都の名前を冠した、家臣に守られていた少女。普通に考えて、何か特別な地位に居る子だよね。
『はい。この国の正統なる統治者、グランダルム・ブライト・アングリスカ陛下の第一子にして、第一姫殿下でございます。それを……あの不埒な弟王が、汚らわしい名も知らぬ邪法師に唆されたばかりにっ!』
周囲の空気が一気に淀んでいく。
それはレリアさんの感情に呼応するかの様だった。
「レリア、落ち着きなさい。どうやらこの砦の一帯で一番強い思念を持っているのは貴女の様ね。一体何が起きているかまではまだ分からないけれど、あの夥しい死体達の抱える怨念は全部貴女の影響下にあるみたい。そんな貴女が憎しみに精神を飲まれれば怨念は一気にこの地を蝕み、ここはアンデッドの巣食う汚れた土地になってしまうわ」
『はっ! もっ、申し訳ございません! 自覚していた筈なのですが彼奴等に対する憎しみが余りにも深い為に、我を忘れてしまいました! お見苦しい所をお見せしてしまい! 平に、平にご容赦を!」
ミィが冷静な声でレリアさんをなだめると、淀み始めた空気が波が引く様に一気に消えていった。
「自覚?」
『はい。我々最後までエイミィ様と共にあった家臣12名は、死したあと精霊たちの導きによって邪法の構造を理解し、王都に描かれた邪法陣によって死した者たちと一人一人対話をしながら怨念を抑制しているのです。微々たる抵抗ですが、それによって邪法陣の完成を今日まで遅らせる事が出来ました』
「邪法陣……『固定』の魔法陣のことかしら」
『あの陣にとって『固定』の効果は副次的な物でしかありません。本来は陣の中で死した魂の怨嗟を用いて完成する、国土と環境を『強制変換』する邪法の技術。私を辱めた邪法師の弟子は、『試作なれど高い完成度』などと自慢しておりました。殺す相手には情報の秘匿など考えていなかったのでしょうね。そのおかげで対策が取れたのですが』
えっと、つまり──────どう言う事?
【レリア様と他11名の家臣たちは、死してなおその邪法に抗っていると言う事ですよ。姫】
あ、イド。
【申し訳ございません。ようやく姫のメンタルバイオリズムを正常化する事が出来ました】
ううん、オレこそごめんね?
ありがとう。
【いえ、手間取ってしまいました。イドの失態です】
そんな事無いよ。本当に感謝してるもん。
「つまり──────あんたらはそのエイミィ様って子の為に、死んだ後も強い遺志で戦ってるって事か。忠義者だな。立派だよ」
イドと同じ解釈をヨゥは告げて、ため息を吐きながらスカルクラッシュに添えていた手を離した。
どうやらレリアさんへの警戒を解いたみたいだ。
「──────『国土と周辺環境の強制変換』、『精神エネルギーを用いた魔法陣運用』、『死人の再利用』……ふむ」
ミィはと言えば、レリアさんが言ってた情報に腕を組んで考えを纏めているらしい。
『ラァラ姫様、失礼を承知でお願い申し上げます』
「な、なに?」
改まった声でオレを呼ぶレリアさんに、思わず背筋を伸ばして返事をする。
『どうか、どうかこの国と──────エイミィ様をお救いください。我々最後の家臣団はあの方が不憫なあまりに、4つの頃までにたくさんの事をご指導してしまいました。それが邪法師の策の内だとも気づかず、その手の上で無様にも踊らされてしまい、エイミィ様は物心つく前より幽閉されているにも関わらずとても聡明になってしまった』
「え?」
それって、何がいけないの?
知らないままじゃダメな事を、教えてあげただけだよね?
エイミィが賢くなったら、何が困るの?
『この邪法陣の最も唾棄すべき汚らわしさは、『触媒』であるエイミィ様の────『絶望』と『罪悪感』によって効果を増すところなのです』
痛々しいほど悲痛な声で、レリアさんはそう告げた。
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