緊張・二人の大魔法使い(前編)

 ああ、やってしまった。


 どれほど、生の人間を見なかっただろうか。最後に見たのは……。



 怖かった。目の前に生の人間がいることが、限りなく怖かった。私を追い詰め、あのような仕打ちをしてきた者たちが、急に蘇ってきた。


 体が勝手に動いた。勝手に魔術を発動した。私を私にした、あの魔術を……。



 薄暗い洞穴の中で、一人の青年が倒れている。苦痛にまみれた顔をしながら、胸を激しく抑えている。


「……ぐ、……ざ、残念……、……で、す……」


 死にかけの虫がもがく羽音のような声が、叡持から絞り出される。彼の目は、仲良く出来なかった悲しみと、明確な敵対の意図を示していた。


「……大賢人。わ、私は——」


 シュルルルルルッ!


 洞穴の奥から、一筋の閃光、いや違う、一本の細い糸が飛んできた。その糸は素早く叡持を捉えた。そして、一瞬にして、叡持を引っ張り、魔導士が見えないほどの奥、外に続く方向へ連れ去った。






 あの魔法使いがいなくなり、この洞穴は静寂を取り戻した。


 そこにあるのは、不気味な薬品の数々。使い古された魔導書。漂う異形の者たちに、名状しがたい仮面を被った魔導士。


 それらのものはろうそくに照らされ、洞穴のごつごつとした壁に不浄な影を落としている。



 そんな中、たった一人で現れた魔法使い。


 大賢人と称した、蒼い魔法使い。


 あの力、あの雰囲気、そして、あのオーラ。自分と似ているようで非なる者。強い力を持ち、初めて私に接触してきた者。


 暗闇の中で輝く彼は美しかった。青白色のオーラは、陰湿な洞穴の中に冷たく鋭い光をもたらした。蒼い装束に身を包み、あのオーラを纏う魔法使いの姿。不浄な空気を退け、こちらに歩み寄ってくる姿。それはまるで、私の……。




 ……何を、期待していた?


 魔導士は自分に質問した。一体、あの魔法使いを何だと考えていたのだ。あの魔法使い、大賢人は、ただの侵入者だ。自分が恐怖した存在だ。排除するのは当然だ。


「……これで良かったんだ」


 一言呟いた声が、暗い洞穴に染み渡った。



  〇     〇

 〇 〇   〇 〇

〇 〇 〇 〇 〇 〇

 〇 〇   〇 〇

  〇     〇



「叡持殿! 叡持殿!」


 魔道具の力で叡持を回収したハヤテは、彼を背中に乗せながら城へと帰還する最中だった。何度も声をかけたが、返事はない。それでもハヤテは声をかけ続ける。愚直に、一心に。


『ハヤテ、叡持はかなりの重症を負っている。だが“重体”じゃない。城に戻れば回復する。心配なら急いで帰ってこい』


「で、でも……」


 シオリは速やかな帰還を勧めたが、ハヤテはその気になれない。彼は、心配と恐怖でいっぱいだった。あの最強で最凶の魔法使いが、ここまでボロボロになるなんて。それも一瞬で……。



「…………。……まさか……、副作用が……。こんなところで、役に立つとは……」


 ハヤテの背中から、小さな空気の振動が伝わった。その振動に、ハヤテは思わず涙した。


「あ、ああ、良かっ——」

『叡持いいいいっ! 気が付いたのか! てめぇよくもやりやがったな! 無茶しやがって! 帰ったら説教だ!』


 通信用魔術から発せられる、シオリの大音量の音声が耳を刺激した。


「……はは、お騒がせしました。ですが、非常に貴重なデータを得ることが出来ました」


『何言ってんだ! 死んだらどうすんだ!』


「まあ、このまま人間として死ねる方が幸せかも——」


『縁起でもねぇこと言うな! 何のために、今まで……』


 シオリの声が、震え始めた。ハヤテはその声の震え方に若干引いた。叡持は特に何も態度を変えずに口を開いた。


「まあ、せっかくいいデータが取れたのですから、そこらへんをまとめてお話します。シオリさんは処理を、ハヤテさんは急ぎ足での帰還をお願いします」




「りょ……、了解……、ですっ!」


 涙声で返事をしながら、ハヤテは思いっきり翼に力を込めて、精一杯羽ばたき始めた。



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「……ふう。割と短時間で回復が出来るようですね。もう日常生活なら何も支障ありません」


 叡持は、部屋の中を動き回りながら、自分が健康であることをアピールしていた。


「じゃあ、まだ魔術は控えたほうがいいんだろ? どうするんだ? こんな時に魔導士が行動を起こしたら」


「そこは心配ありません。恐らく、あと一日もすれば完全に回復するでしょう。今日は早めに就寝し、体力の回復に努めたいと思います」


 命を失う状況だったというのに、叡持はひょうひょうと、淡々と言葉を続ける。ハヤテはその様子に安心しながら、ずっと頭に引っかかっているものを考えていた。



 ——“副作用”、“このまま人間として死ねる”。



 どうもこの言葉が気になっていた。なんとなく答えは想像出来たが、それを本人に聞く勇気はなかった。それにしても、あの魔導士の術に、あの魔法使いが簡単にやられるとは。一体何を考えていたのか。


 様々なものを抱えながら、ハヤテは叡持の話を聞いていた。

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