第33話 婚約者(1)


大きな包みを抱えてタクシーを探そうと店を出ると、店の向かいの電柱のところに止まっていた車から一人の男が降りてきた。薫子のことを見つけると、その男は薫子に近寄り薫子に呼び掛けた。


「薫子さん」


声を掛けられて、薫子は男の存在に気付いた。驚いた。今日、今の時間にこんなところに居るとは思わない人だった。


「望月さん……」


「どうして約束を破ったんですか。僕との約束より、大事な用事ですか」


詰め寄るように男――望月――は薫子に近寄った。薫子は毅然とした態度で、約束はお断りしたはずです、と望月に応えた。


「兄からお伝えしてあった筈です。そもそもお約束も、最初に聞いたときにちゃんとお断りしてる筈です。私が今日何処で何をしようと、私の勝手です」


はっきりと言う薫子に、望月は苛立ちを露わにした。


「婚約者の誕生日パーティーに出席しないのは、どうかと思います」


「婚約のお話も、既にお断りしている筈です」


「僕は認めていない」


大きな荷物を持っていた薫子の反対の手――左手――を望月が掴んだ。


「まだパーティーに間に合う。今から戻りましょう」


ぐっと望月の手に力がこもる。力任せに腕を引かれて、薫子が態勢を崩すかと思った、その時。



「薫子さん!」


佳亮は店の外に薫子を見つけて驚いた。背の高い薫子より更に頭一つ分背の高い男に薫子が絡まれている。咄嗟に駆けだした佳亮の前で、薫子は景品の箱をアスファルトに落とすと、握られていた手首を反対の手で掴んで身体を反転させ、柔道の大外刈りの要領で大きな男をアスファルトに倒していた。男は上手く受け身を取っていたが、男女の喧嘩を見つめていた周囲の人たちはぽかんとその様子を見つめ、アスファルトに倒された男は顔を立ち上がるともう一度薫子に手を伸ばした。


「け、喧嘩は止めてください! 薫子さん、大丈夫ですか!?」


二度目は佳亮が間に合った。しかし男とは体格差がありすぎて、喧嘩の仲裁としては役に立たなさそうだ。それでも、男と薫子の間に立ち塞がると、男は佳亮の胸倉をぐっと掴んだ。シャツが引っ張られて首が苦しい。


「なんだ、お前は」


横柄に言う男に威圧感を感じ、どう説明しようかと思った。言葉に詰まった佳亮を引っ張る手首を薫子がやはり捩じって引きはがすと、佳亮を引き戻して庇い、男に凛とこう言った。


「私の大切な人です。乱暴にしないで」


薫子の言葉に男が目を見開いて驚愕した。


「正気ですか!? 薫子さん! どこの会社の男ですか!」


「会社は関係ありません。私個人の、大切な人です」


佳亮は薫子に庇われて、男と薫子のやり取りを聞いていた。


男は薫子と知り合いで、多分薫子の恋人か何かだ。そこへ佳亮がのうのうと現れて、男が激高している。しかし、喧嘩の原因かもしれない自分が言うのもおかしいが、こんなところで諍いごとをするべきではない。


「薫子さん、そして貴方も。こんなところで喧嘩は駄目です。話し合いで……」


仲裁しようとした時、店から出てきた面々が佳亮の方へ寄って来た。


「杉山、どうしたんだ」


「やけにギャラリーが多いぞ。なにしたんだ」


中田原と長谷川が駆けつけてくれる。織畑と佐倉も駆け寄ってくれた。


「何が起こったんだい、杉山くん」


「大瀧さん、大丈夫?」


人数的に不利だと感じたのか、男は佳亮たちの前で押し黙り、次に口を開いたのは薫子に向けてだった。


「薫子さん。今日は諦めますが、婚約の件、僕は諦めませんからね。会長とお父さまにもお話しておきます」


怒りの籠った声で薫子にぶつけるように言うと、男は路肩に止まっていた車に乗り込んだ。直ぐに車は発車して、テールランプは街の明かりの中に消えた。佳亮は薫子に向かって放たれた言葉に驚いていた。


(……婚約……)


あんなお屋敷に住んでいるお嬢さまなんだから、婚約者くらい決められていてもおかしくない。そういえば二人の間でお互いの家族のことを話したことはなかった。


今まで知らなかった薫子の家族とその周りに広がる人間関係。薫子の隣を歩いていくのなら、見ない振りをするわけにはいかないと思った……。


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