第654話 混沌の坩堝 (4)

「ど、どうなっているんだ?」


俺達は、モンスターを討伐し続け、何とか北へと進み続け、太陽が真上に来る頃…エフでさえ驚くような、異様な状況の中に居た。


「居ないわね…」


「本当に何も居ませんね…」


俺達が北へ北へと進み続け、そろそろ湖の近くだろうかという所まで来たのだが、突然、周囲からモンスターの気配が消えてしまったのだ。


「さっきまでの状況が嘘だったみたいに静かね…」


「一体どうなっているのでしょうか…?」


プツリと糸が切れたかのように、モンスターからの襲撃が途絶え、モンスターの気配さえ感じなくなってしまった。どう考えてもおかしな状況だ。


「湖の近くは、危険なモンスターが多いから、他のモンスターは寄って来ないって事かな?バジリスクやレッドライオンが出て来た時、他のモンスターが近付いて来なかったし、そういうモンスターが所々に居て、縄張りを守っているとか…?」


「そうね…私達が出会ったのは、縄張り争いに負けて押し出されて来た個体って事も十分に考えられるわ…それにしても、静か過ぎる気がするけれど…」


「それぞれのモンスターが縄張りを広く取っているのでしょうか?」


「ここに縄張りを持っているモンスターは、悠々自適な生活を送っているって事か。」


湖に近い場所に縄張りを持っているモンスターは、言ってしまえばこの森の頂点に君臨するモンスター達だ。その少数のモンスターが、縄張りを広く取り、他のモンスターを押し出した事で、ここまでの道程には大量のモンスターが押し込められていたと考えられる。


「どうする?このまま進むか?」


「…いや。一度ここで休憩しよう。他のモンスターが襲って来ないのならば、一旦休憩を挟んでも問題は無いはずだ。勿論、これまで以上に警戒は必要だがな。」


この混沌の坩堝の生存競争を制したモンスター達の縄張りなのだから、襲われてしまえば、ここまでより激しい戦闘が起きる可能性は高い。そうならないように警戒は必要だが、モンスターとひたすら戦い続けてここまで来ている為、疲労の回復が出来る状況ならば、するべきだろう。


という事で、なるべく目立たないように気を付けつつ、昼の休息。


「もうすぐ湖が見えて来ると思うけど、この様子なら、湖を渡るのもそこまで難しい話じゃないかもね。」


「楽観的過ぎる。そう簡単な話ではない。私達が討伐した個体に勝った個体が居るのだ。気を抜くな。」


スラたんの言葉に、エフがビシッと言い返す。


「さっき油断した犬が、吠えるわね?」


ハイネは、そんなエフの言葉に対して、挑発的な言葉を放つ。


「くっ…確かに、先程は助けられたが、二度も後れを取るつもりはない。」


エフとハイネは、言い争いこそしているが、結局のところ、互いの実力は認め合っているように見える。

言い争いをしながらでも、上手く連携は取れているのだし、悪くはない関係…なのかもしれない。


「それより、問題は湖ですよね。」


「そうだな…歩いて渡れると言われている以上、泳がなければならないような深さではないと思いたいが…結構昔の情報みたいだし、この区域が、今どうなっているかは、見てみるしかないだろうな。」


「私達が先に見に行っても良いわよ?」


「いや。エフが言ったように、この辺りに居るモンスターは、特別強い個体だから、離れ離れになるのは危険だ。全員でまとまって北に進もう。」


「なるべく戦闘が起きず、スーッと通れる事を祈っておこうかな…」


スラたんの祈りが、俺達に苦行を強いるこの世界の神だか管理者だかに聞き届けられるかは分からないが、戦闘が少ないに越したことはない。

その祈りが届く事を願いつつ、休息を終えて北へと進む。


スラたんの祈りが届くとは、正直思っていなかったのだが、俺達が北へと進み始めて数十分間、何と一度もモンスターとの戦闘が起きなかった。

それどころか……モンスターの気配一つでさえ、感じ取る事が出来なかった。


「……どう考えても、これはおかしい…よね?」


「だな…」


モンスターとの戦闘が少ないに越したことはない。それは間違いない事ではあるが…湖がそろそろ見えるだろうという段階においても、モンスターの一体にさえ出会わないというのは、異常事態と言える。

本来であれば、既に二、三体との戦闘が起き、その倍程度の気配を感じ取っているはずの距離を進んだのに、全く気配を感じない。


「こういう状況…今までにも何度か見たな……」


「…はい。」


俺とニルには、どことなく心当たりが有る。


「何か思い当たる事が有るの?」


「絶対とは言えないが……こうしてモンスターが途切れたように居なくなる時は、大体、モンスター達の恐れているものが、その先に居る。」


「……ロック鳥の巣の周辺と同じような状況…だね。」


「そう言えば、スラたんはロック鳥の巣を観察していたんだったな。」


「うん。本当に観察していただけだったけど、巣の周辺では、ここと同じように他のモンスターが近寄ったりしていなかったよ。」


「ロック鳥というのは…SSランクと言われている、あの天災級の飛行型モンスター…か?」


「そうだ。盗賊連中からは聞いていなかったのか?」


「何の話だ?」


ロック鳥の卵を狙った一件は、完全に盗賊連中の独断だったようで、エフはあの一件の事を知らないらしい。


「前に色々と有ってな。まあ、それは問題じゃない。今問題なのは、ロック鳥のような存在が、この先に居るかもしれないという可能性だ。」


「つまり…SSランクのモンスターが居るって事…?」


「確実とは言えないが、少なくとも、バジリスクやレッドライオンが恐れて近付かないような存在がこの先に居るかもしれない。」


SSランクのモンスターかどうかは分からないが、少なくとも、それに近い存在が居る…と思う。


「だ、だが、ここにそんな強力なモンスターが居るという話は聞いていない。もし居るならば、流石にここを通り抜けた者達が気が付いているはずだ。」


「……これは俺の予想だが……そのモンスターは、最近になってここに来たのかもしれない。」


「最近…?」


「ここまでの道程は、ニルが言っていたように、モンスターの密度が異様に高くて、普通のSランク冒険者パーティが通り抜けるには辛い場所だった。

その原因は、もしかしたら、その強力なモンスターが、この湖に現れたからかもしれない…という事だ。」


「もっとモンスターの密度が低い場所だったのに、その強力なモンスターが、混沌の坩堝の中心である湖に現れた事で、他のモンスターが押し出されてしまい、外側に居るモンスターの密度が増した…という事でしょうか?」


「ああ。その強力なモンスターが、最近ここに来たのならば、押し出されたモンスター達の縄張り争いが終わっていなくて、密になっていると考えても不思議ではないと思う。」


「混沌の坩堝内でモンスターの数が増えてしまったと考えるより、そっちの方が自然な気がするわね…」


「その予想が当たっているとしたら、ロック鳥のような天災級のモンスターと戦わなければならない…という事か?」


「いや。わざわざそんな危険な橋を渡る必要は無い。このまま湖を迂回して通れば…」


「何日か余分に掛かる事になるが、そのモンスターを相手にする必要は無い…か。」


SSランクのモンスターで言えば、天狐とロック鳥は実際に戦ったが、どちらも命懸けの戦闘だった。死ななかったのはラッキーだったとしか言えない程の強敵だ。

天狐は討伐したが、あれは同格のモンスターとして知られる雪女であるリッカが味方として参戦してくれたからだ。リッカが居なければ討伐なんて夢のまた夢だった。

ロック鳥については、一方的にやられて、何とか卵を返して許してもらったという結果だ。


このパーティメンバーだとしても、討伐するのは難しいモンスターは居る。それがこの先に居る可能性を考えるならば、さっさと脅威範囲から抜けて迂回するべきだろう。


「そうと決まれば、さっさとここを…っ?!!」


湖に居るかもしれない強力なモンスター。それに出会ってしまう前に、進行方向を変えて、北へ抜けようと思った時……自分達が、既に逃げられない位置まで踏み込んでしまっていると気が付いた。


先程まで、俺達の周りに見えている森は、これまでと何も変わっていない森だったのだが、気が付くと、俺達の足元がやけに湿っていた。


足を踏み出すと、ジュクジュクと音を立てて、腐葉土の隙間からジワジワと漏れ出てくる水。先程までは無かったはずの大量の水が、俺達の足元に広がっている事を悟る。


「これは…逃げられないって事よね…?」


緊張したハイネの声。


「だろうな…完全に私達を補足している。」


その声に応えたのはエフ。


ピルテも合わせた三人は、北側の木々の間へ目を向けている。そちら側から気配でも感じているのだろう。


バシャッ…バシャッ…


直ぐに、俺達の耳にも、浅い水の上を何かが歩く音が聞こえて来る。


圧倒的な力を持ったモンスターの気配。


当たって欲しくない予想が、どうやら当たってしまったようだ。


バキバキッ!


バシャァァン!


まだ姿は見えないが、何かとてつもなくデカいものが、俺達の方に向かって進んで来ているのを感じる。

生えている樹木が、元々根を張っていないかのように簡単に倒され、その時に上がった水飛沫が木々の間に見える。


バシャッ…バシャッ…


徐々に近付いて来る音の方へ目を凝らす。


「あれは……っ!!」


木々が邪魔でよく見えないが、動く影を凝視していると、黒いモヤのような物が見え、その中から筋肉質で巨大な足がチラリと見えた。


「ケルピーだ!!」


ケルピーを一言で言うならば、デカい馬だ。

ただ、普通の馬とは違い、全身に黒いモヤを纏い、何より体長が九メートルも有る。体高に至っては十メートルを超え、とにかくデカい。

混沌の坩堝に自生している樹木は、高さが五メートル以上は有って、かなり大きいのだが、それを超えるデカさである。

ゲーム時代に、プレイヤー達によるレイドで倒した事が有るから足を見ただけでケルピーだと分かったが、その経験が無ければ、何が相手か分からなかっただろう。


ケルピーは、闇魔法と水魔法を得意とするモンスターで、ランクはSS。強敵中の強敵だ。

ただ、SSランクの中では最弱に近いモンスターで、プレイヤー達のレイドによって討伐が可能なモンスターだ。


気性は荒く、凶暴。獲物を見付けたら、間違いなく襲って来る。


「シンヤ君!このままだと危険だよ!」


「ああ!全員、一旦木に登れ!水から出るんだ!」


俺の言葉を聞いて、それぞれが近くの木に登る。


バシャッ…バシャッ……………


木の上に乗って少しすると、ケルピーの足が止まる。


「と、止まった…?」


「ケルピーは、自分の周りに張った水から伝わって来る振動を感知して、離れた獲物の位置を探るんだ。だから、こうして水から離れると、その相手を見付けられない。」


「ケルピーという存在は知っていたが…そんな能力を持っていたのか…」


「昔、何度か会った事が有ってな…」


プレイヤーの中では、ケルピーと言えば、狩れるSSランクモンスターとして有名であったが、それはプレイヤーの中だけの事だ。

そこまでキャラクターを強化した上位プレイヤー達は、既に冒険者ギルドのクエストとかではなく、個人的に強敵への挑戦を楽しんでいる廃プレイヤーばかり。故に、ケルピーの特性とか習性については、わざわざ冒険者ギルドに報告もしていなかった。

そもそも、SSランクのモンスターを討伐するなんてバカな考えは、プレイヤーにのみ発生するもの。この世界のNPCは見掛けたら即座に逃げなければならないモンスターだ。特性云々の話ではない。


「このまま木を伝って逃げるのか?」


「…いや。無理だ。

ケルピーは、リクコウクラゲのように感覚が鈍いわけじゃない。突然反応が消えて戸惑っているだけで、俺達の位置はバレている。

このまま逃げようとしても、あの巨体で森の中を走られたら、即座に追い付かれる。」


「そ、それならば…どうするつもりだ?」


「…………戦うしかない…だろうな。」


「「「っ?!?!!」」」


エフ、ハイネ、ピルテが驚愕する。


それはそうだろう。相手はSSランクのモンスターだ。天災と同格に扱われるモンスターの一種と戦うなんて、正気を疑う提案だろう。エフだけでなく、ロック鳥の時の事を思えば、ハイネとピルテが驚愕するのも仕方の無い事だ。


「戦うって……と戦うのか?!」


「…ああ。」


スラたんは、ゲーム時代、色々なプレイヤー達がケルピーを討伐したという話をしていたし、自身でも討伐に参加していたみたいだからか、俺の判断に驚いてはいない。

ニルは……何となく、俺の考えている事を予想していたのだろう。


「ただデカいだけのモンスターとは違うのだぞ?!あれは化け物だ!」


「分かっている。だが……このメンバーならば、倒せると思う。」


「なっ?!」


俺だって、自暴自棄になって倒そうと言っているのではない。本当に勝ち目が無ければ、どうやって逃げるかを考えていた。

だが、プレイヤー達のレイドで倒せる相手だという事。戦闘のパターンや、ケルピーの使う攻撃、そしてケルピーの弱点等を知っているという事。それらの事を考えると、このメンバーでならば、やり方次第で倒せると思っていた。


ただ、楽な戦闘ではない。

プレイヤーがケルピーを討伐する際だって、倍以上の人数を用意していたし、色々と準備もしていた。

それを、たった六人で、事前の準備も無しに成し遂げなければならないとなると、当然簡単ではない。


「勿論、簡単な事じゃない。かなりキツい戦いになるだろうと思う。」


「キツいというレベルの話ではないだろう…?」


「いや。エフも加わって、連携も取れている。今の俺達ならば、何とか倒せるはずだ。」


「倒せるって…」


訝しげというのか、半信半疑というのか…信用し切れないという顔で俺の事を見てくるエフ。


「シンヤさんがそう言うって事は、倒せる可能性は十分に有るって事よね?」


「そうですね。でしたら、やってみるべきだと思います。」


半信半疑のエフとは逆に、俺の言葉を聞いて、ハイネとピルテは直ぐに討伐する方向に頭を切り替えてくれる。


「ほ、本気なのか?!だぞ?!」


「あんたは知らないけれど、シンヤさんは出来ない事を出来るとは言わない人よ。シンヤさんが出来ると言ってくれたって事は、私達にその力が有ると信じてくれているのよ。

そして、そういう時は、必ずどうにか出来るの。それならば、やるしかないでしょ?」


ハイネは、真剣な表情でエフに向けて言い放つ。


「……クソッ!分かった!やれば良いんだろう!」


「助かるよ。」


俺が何とか出来ると考えたのは、ここに居る六人全員が揃った時の話だ。誰か一人でも欠けた場合、可能から不可能に変わる。エフが同意してくれて良かった。


「そろそろケルピーが動き出す頃だ。指示は動きながら出す。まずは、ケルピーに近付かないように距離を取って、そのまま北に向かうぞ。」


「北に?」


「木々が有ると俺達の視界も塞がれる。ケルピーに見られる事よりも、ケルピーの動きが見えない方が怖い。まずは木々の少ない場所を目指す。」


俺の言葉を聞いて、全員が頷く。


ケルピーの行動パターンや、弱点等を事細かに話している暇はない。動きはその都度指示する方が上手く動けるはずだ。


スラたんは、ケルピーの討伐にも参加した事が有ったはずだし、動きは分かっているはず。指示は、主に他の四人へ出す事になるだろう。


「行くぞ!」


タンッ!


俺が木の枝を蹴って、地面に着地し、即座に走り出す。


バシャッ!


すると、先程まで止まっていたケルピーの足が、俺の方へ向かって動き出した音が聞こえて来る。


バシャッ!バシャッ!


自分の踏み出す足が、腐葉土の下に隠れている水を踏み付けて、水飛沫を上げているのが分かる。


「左右に分かれるぞ!スラたん!左を頼む!」


「オッケー!任せて!」


ケルピーを中心にして、俺とスラたんを先頭に、左右に分かれる。


俺の方にはニルとハイネ。


スラたんの方にはエフとピルテが追従する。


「水のせいで走り辛いわね!」


足元の水は、足を取られるという程の量ではないものの、走る度に水飛沫が上がり、その水を服が吸って重くなり、走り辛さを感じる。


「ケルピーはスラタン様の方を追ったみたいです!」


全長九メートルの馬ともなると、一歩進むだけでとてつもない距離を移動する事になる。スラたん達が追い付かれるのも時間の問題だ。


「分かった!タイミングを見て援護に入る!

気を付けなければならないのは黒いモヤだ!あれ自体に傷付けられる事は無いが、物理、魔法どちらの攻撃も威力を減衰させられる!下手に手を出さずに動き回って意識を散らすんだ!」


「はい!」

「了解!」


現状で伝えなければならない事は伝えた。まずは攻撃する事よりも、ケルピーの動きに慣れる方が重要だ。


「っ!森を抜けるぞ!」


北へと走っていると、木々の向こう側に大きく開けた場所が見える。太陽の光を反射する水面が見えているし、湖に辿り着いたのだろう。


バシャバシャと水を飛ばしながら森を抜ける。


高い位置に見えている太陽と、その光を反射している円形の湖。大きさは…よく分からない。直径は数キロという長さでは全く足りないだろう。とにかくとてつもなくデカい湖だという事だけは分かる。

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