第506話 改造

ハイネさんがそこまで言って下さるならば、私は前を見るだけ。


「お願いします。」


私は、もう一度、転々乱波で敵に斬り込む準備を始める。


頭の中で、戦える者達が攻撃を仕掛けてくる時の動きを思い浮かべる。そして、その者達の攻撃を避けつつ、敵の壁を抜け、一気にゼノラスの元まで駆け抜ける自分の姿を、明確にイメージしていく。


「行きます!」


私が叫び、走り出すと、ハイネさんは後ろを振り返る。

前の事は私に任せて、後ろしか見ない。そういう意気込みの証である。それはつまり、矢も魔法も人も、私の後ろには一切通してはならないという事。


ビュッ!


最初は矢の攻撃。


遠距離攻撃から始めるのは常套じょうとう手段。それ自体は驚くようなことではない。ただ、その矢には風魔法が伴っており、矢の動きが不規則に揺れている。


それでも、残念ながら、今の私の目は誤魔化せない。


飛んで来る矢の動きから、相手の使った風魔法の威力を推定すると、恐らく初級の風魔法。

依存性だった奴隷達が大爆発した時、ザレインの濃縮液が入った瓶を、風魔法で飛ばして来たのは、恐らくこの弓使いと魔法使いの二人だと思う。

二人とも枷を身に着けている事から、奴隷である事が分かる。


あのクズ男が、奴隷を殺すように奴隷に命令して二人にやらせたのか、自らの意思でやったのかは分からない。でも、あれだけの数の命を奪ったのだから、彼等も殺される覚悟くらいは出来ているはず。盗賊や、渡人の中には、死ぬ覚悟を持たずにここに来ている者達が居るみたいだけれど、奴隷は常に死と隣り合わせの場所に立っているから、いつでも死ぬ覚悟を持っている。

それが自分の主人からの命令だったとしても、誰かの命を奪ってしまったのならば、尚更覚悟は出来ているだろうと思う。


カキィン!


私の目の前にまで迫って来た矢を、しっかりと見て弾く。

今の私にとって、多少不規則に矢が動いたところで、あまり関係の無い事。


風魔法は初級のものだし、ダメージは無い。ここまでの短時間で中級魔法は用意出来なかったらしい。

でも、弓使いと魔法使いの狙いは、私の首ではなく、注意を引く事。


約二秒後、私に向かって走り込んで来ている前衛の三人が私に武器を振り下ろして来る。


一……二


ブンッ!


私は走る為に動かしていた足を急停止させ、前進を止める。


目の前を通り過ぎて行く切っ先がよく見える。


「「「っ?!」」」


全ての斬撃が私の目の前を通り過ぎて行き、三人に隙が生じる。これでまずは一人を確実に仕留める。


ズガァァァン!!


真後ろからは、アンナ達とハイネさんによる魔法の撃ち合う音が聞こえて来る。でも、私は振り向いたりしない。こちらにまで攻撃が及ぶ事など無いと信じているから。

予想通り、ハイネさんを越えて、私にまで魔法が届く事は無く、こちらには何も飛んで来ない。


それを感じながら、私が戦華を突き出そうとした瞬間だった。


パリィィン!


突然、ガラスの割れる音がする。


何やらゼノラスがゴソゴソしているとは思っていたけれど、懐から何かを取り出し、足元に投げ付けたらしい。

先程のザレインの濃縮液…?

ゼノラスとは少し離れているから、それが何の液体なのかは分からないけれど、ドロドロとした赤紫色の粘液が地面の上に飛び散っているのが見える。


「グオオオォォォォォォ!!」


それを確認した時、ゼノラスの更に奥から、モンスターの雄叫びのような、野太く、重く、低い声が聞こえて来る。


ドドドドドドドッ!


その直ぐ後に、地面を微振動させるような地響き。何かがこちらに走って来ているような揺れである。


「「「っ!!」」」


何が起きたのかを把握しようとしていると、目の前に居た三人が、私から離れるように後ろへと飛び退く。


ズガァァァン!!


ゼノラスの後方に見えているドーム型の石壁の一つが崩れ去るのが見える。

何か、とてつもなく嫌なものがこちらへ向かって走って来ているのを感じる。


ビュッ!


カキィン!


それがこちらに来る前に、ゼノラスに手傷だけでも負わせようと思い、投げ短刀をゼノラスに向けて投げたけれど、横に立っていた護衛の男が、それを阻止する。

流石に私から目を離すなんて事はしなかったらしく、投げ短刀は地面の上を転がって行く。


「グオオオォォォォォォ!!」


ズガガガガァァァァァァン………


雄叫びと轟音が目の前にまで近付いて来ると、ゼノラスの横に在ったドーム型の石壁が崩れ去り、土煙が上がる。その中に、巨大な影が微かに見える。


人ではない。四足歩行の生き物で、大きさは高さ二メートル程。全長は三メートル程の生き物だ。大体ラトと同じくらいの大きさ。


ブワッ…


土煙の中から現れたのは、ライオンによく似たモンスター、シミラーライオン。海底トンネルダンジョンで戦ったAランク指定のモンスターである。

キマイラとは全く別の種で、たてがみと尻尾の先の毛は金属線のように固く、当たるだけで肉が引き裂かれる程。牙は大きく長く鋭いものが上顎から二本、下に向かって生えている。体毛は琥珀色、目は鋭く瞳も琥珀色をしている。

火魔法を使い、スピードよりパワータイプのモンスターで、防御力が高く、そこそこ厄介なモンスターである。

というのが……本来のシミラーライオンの形状であるのだけれど……


「どこまで命をもてあそべば気が済むのですか…」


本来の形状だと敢えて言ったのは、目の前に居るシミラーライオンが、その本来の形状からはかけ離れた形状をしているからである。


具体的に言うと……


シミラーライオンの全身は、切って繋げたかのように継ぎ接ぎになっていて、その体表には、本来シミラーライオンが持っていないはずの皮膚組織がいくつか見えている。

例えば、分かり易いところで、シェルバッファローの甲殻だったり、レッドスネークの体表組織だったり…色々なモンスターの皮膚を貼り付けて縫い合わせてある。何よりも異様なのが、シミラーライオンの腹部に取り付けられている物である。

それは、恐らくだけれど……人の頭。

何故そんな事をしたのか、私には一切理解出来ないけれど、まるで卵でも腹に抱えているかのように、人間の首が埋め込まれている。どれだけの数の頭が埋め込まれているのかは定かではないけれど、見える限りでは、二十人や三十人といった数だろうと思う。


「…クズが……」


ハイネさんの背後で庇われるようにしていたスラタン様が、シミラーライオンのような何かを見て、ボソリと呟く。

スラタン様には、この男が何をしようとして、こんな形状のシミラーライオンを作り出したのか理解出来ているらしい。

スラタン様は、あまりマイナスの感情をハッキリと表現しないお方だけれど、その時の顔には、侮蔑の感情が誰にでも分かる程ハッキリと出ていた。


何がどうなってあんな姿形になったのかは気になるけれど、今はそんな話を聞いている状況ではない。


このシミラーライオン。本来ならばAランク相当のモンスターだけれど、恐らく、ゼノラスの手によって改造させられた事で、かなり厄介な相手になっていると思う。

先に戦ったオーガのような戦闘奴隷もそうだったけれど、本来ならば持っていないはずの力を、無理矢理付与されていて、シミラーライオンが持っている本来の力以上の力を感じる。


「グォォ…」


「…………………」


シミラーライオンは、私達の事を警戒しながら、地面に落ちたドロドロの液体を舐めて体内に取り込んでいる。

その液体のせいで、シミラーライオンが操られているような状態なのではないだろうか。


本来であれば、モンスターというのは特殊な状況でもない限り、操るという事は出来ない。

精神干渉系魔法を使った時、相手の者を完全に操るわけではなく、道筋を作るだけしか出来ず、精神力の強い者には効果が薄いのと同じで、モンスターの精神にもそこまでの影響を与える事は出来ない。特に、Aランク以上のモンスターともなれば、体内に魔石を持っている為、体内に宿る魔力が多く、精神干渉系魔法は全く受け付けないというモンスターも多い。

そんなモンスターが、ゼノラスに対して従順になっているように見える。従順…という言葉が正しいのかは分からないけれど、少なくとも、ゼノラスやその付近にいる者達を襲おうとはしていない。

ザレインに似た何かで、シミラーライオンを従わせているのか…もっと別の何かなのか…よく分からないけれど、ゼノラス達を襲う事は無さそう。


「ニルさん…気を付けて…」


説明している暇は無いけれど、危険な存在だから十分に気を付けろというスラタン様の忠告。


「はい。」


スラタン様に言われなくても、先程から嫌な感じがシミラーライオンから伝わって来ている。

モンスターでも人でもない、何か…嫌な存在感を放って、その殺気はねっとりと絡み付いてくるような感じがする。

SSランクのモンスター程ではないにしても、Sランク級の強さは確実に持っているはず。

私の体調が万全で、このモンスターと一対一、どれだけ時間を掛けても良いのならば、恐らく倒せると思うけれど……今の私では、命を賭して戦ったとしても、一人では勝てるかどうか…かなり怪しい。


「グォォ……」


ドロドロした液体を取り込み終えたシミラーライオンが、私の方を正面に捉えてじっと見てくる。


「はははは!どうだ!これこそが僕の最高傑作だ!恐ろしいか?!恐ろしいだろうな!あははははは!」


ゼノラスの言っている事は間違っていない。確かに恐ろしい存在だし、強い存在だと分かる。

他の奴等も片付けられていないのに、シミラーライオンと同時に仕掛けられたら………


今の私の状態ならば、直ぐに殺られてしまう事は無いけれど、スラタン様やハイネさんは間違いなく逃げ切れない。そうなると……正面から私が止めるしかない。


「あーあ。あれが出て来たとなると、もう終わりね。」


アンナは微笑を浮かべて私達に言ってくる。それくらい、シミラーライオンは強いという事。


一体何回死線を乗り越えれば、この勝負に勝てるのか分からなくなってきた。


私の体力もそろそろ限界が近いし、今の状態もそう長くは続かないはず、こんな状態で、何合まで耐えられるか……


ブワッ…


私の手元に、風が巻き起こる。

ハイネさんが、上級風魔法、風刃の剣を付与して下さった。武器に風を纏わせる魔法で、簡易的だけれど、ご主人様の飛ぶ斬撃に似た効果を発揮出来る。

シミラーライオンは大きくて、小太刀では、攻撃する為にかなり近付かなければならない。遠くからでも攻撃が出来るようにという配慮である。


やるしかない。やらなければならない。


風刃の剣と、私の持てる力、それら全てを使って、乗り切ってみせる!


「殺れえぇぇぇぇぇぇ!!!」


「グオオオォォォォォォ!!」


ゼノラスが私に向かって人差し指を向ける。

それを聞いて、シミラーライオンが走り出す。


速さはそれ程無いけれど、質量が違い過ぎる。このままぶつかれば、私が吹き飛ぶのは火を見るより明らか。

でも、私の後ろには、スラタン様とハイネさんが居る。ここで逃げるわけにはいかない。


私はグッと腰を落として盾を構える。


何とかするしか無い。


覚悟を決め、戦華を握り締めた時だった。


引き伸ばされた時間感覚の中。


上空から光の線が走って来る。


月明かりを反射する銀色の光は、まるで夜の空に架かる銀色の虹のように、美しい弧を描いてシミラーライオンの元に向かって行く。


ゾクリとして、全身の毛が逆立つのを感じる。


恐怖からではない。

その曲線のあまりの美しさに、体が、心が感動しているのである。


ズバァァァァン!!!


ズザザザザッ!


銀色の虹の端が、シミラーライオンへと到達すると、走っていたシミラーライオンの胴が、一瞬にして二分割され、そのまま地面の上に転がり臓物を散乱させながら滑って来る。


一瞬の出来事だった。先程まで恐ろしいと感じていたはずのシミラーライオンが、完全に沈黙している。


光の余韻が消え去り、そこに立っていたのは……言うまでもない。ご主人様その人である。


引き伸ばされた時間の中で、ご主人様の一刀を見て、その凄さがより鮮明に分かった。


まるで淀みの無い斬撃は、最初からそこを通る事が決められていたかのように見え、そして、最初から全てを切り裂く事が定められていたかのように切り裂く。

美しいという言葉でさえ、その斬撃の凄さを表現し切れない。それは最早、芸術の域を超え、神業とも呼べる領域に有る。

私自身がご主人様に忠誠を誓っていて、贔屓目に見ているからという事を除いたとしても、私は見惚れてしまったと思う。時間が引き伸ばされた感覚の中であったからこそ、その凄さに改めて気が付けた。


ここまでの戦いで、相手の者達が見せてきた斬撃も、決して生温いものではなかった。強かった。

でも、そんな事はその一刀を見れば全て頭の中から吹き飛んでしまう。


ご主人様の振った一撃。その曲線が、目に焼き付いて離れない。


私も、ご主人様から剣術を教わって暫く時が経ったし、天幻流剣術の事については、色々と聞いたりして知っているつもりだった。でも、私の知っているというのは、ただ知識として知っているという意味に過ぎず、その本質を理解しているわけではなかった。

刀を振った回数が、数千?数万?そんなものご主人様が刀を振った回数から比べれば、端数でしかない。

今まで、ご主人様の剣技を何度も見てきたし、目を瞑れば、そのお姿を明瞭にイメージ出来る。そして、そこから何か変わった事は特に無い。つまり、ご主人様の剣技が変わったわけではない。ただ単に、私が、ご主人様の剣技の凄さを理解出来ていなかっただけ。それを今、初めて知った。

ご主人様の剣技は凄い。ご主人様の剣技は綺麗。そんな事しか思っていなかった。いえ。その本当の意味を本能で感じ取った今でも、同じように思うけれど、私が感じていたのは表面上のものでしかなかった。

毎日毎日、同じように刀を振り続け、その一回一回が、全て集約された形が、今のご主人様の剣技であり、研鑽でしか得る事の出来ない重みと鋭利さが見える。

人は、美し過ぎるものを見ると、美し過ぎるが故に恐ろしく感じる時が有る。ご主人様の剣技は、まさにそれ程の領域に有る。


自分が、今の感覚に陥った事で、ご主人様に少しだけ近付けたと思い上がっていたけれど、本当に思い上がりも甚だしい。

この感覚に陥った事で、寧ろ離れてしまったように感じているのだから。ううん。違う。

私とご主人様の距離は変わっていない。あまりにも遠過ぎて、その距離を知らなかっただけ。私は今、初めてその距離を正確に知る事が出来た。近付けたわけじゃない。やっと、ご主人様の背中を追う為のスタートラインに立てただけ。

あまりにも遠いご主人様の背中。でも、だからこそ。私は一生を費やしてでも、ご主人様の背中を追い続ける。

隣に居て欲しいと言われ、ご主人様の過去を知って、その胸の内を聞かせて下さった。私がご主人様のお側に仕える事を許されたその時から、私には強くならなければならないという願い…というのか、目標が出来た。

ご主人様の横に並び立つには、強くならなければならないからというのもあるけれど……ご主人様だって一人の人間。神ではないのだから、折れそうになる事も、間違える事も、辛い時も…そして、たまには悪夢を見る時だってある。私がご主人様を助けるなんて大それたことは言えない。ただ……私の全てを賭して、ご主人様を支えたい。

私は、ご主人様の一番近くに居る事を許された…つまり、過去に人の嫌な部分に触れて、人が嫌いになってもおかしくないご主人様が、私を信頼して下さったということ。それが例え、この首に取り付けられている枷のお陰だったとしても、私はその信頼を信頼で返したい。

ご主人様の事を貶めて来た人達が何人居ようと、私が居るのだと伝えたい。

でも、その為には、守られているだけの弱い私では駄目だった。ご主人様を支えられる存在になるには、少なくとも、ご主人様が、ある程度ならば私に任せても大丈夫だと思える存在にならなければならない。常に守る対象ではなく、時には背中を合わせ、共に戦える存在になる必要が有った。

だから、ずっとご主人様の背中を追い続け、最近、やっと私はそれくらいの存在にはなれたと思う。任せられる事も多くなり、ご主人様が戦闘中に振り向く事は殆ど無くなったから。私はご主人様に買って頂いた時よりずっと強くなった。そこに間違いはないし、自信が有る。でも、それがご主人様の横に並び立てる程かと言われたら、まだまだ足りない。今はまだ、ご主人様の後ろで、支える事しか出来ない。

信頼され、一番近くに居る事を許されたというのに、隣に並び立つ為には、それだけの実力が必要になる。だから、私は名実共に、ご主人様の横へ並び立てるように、これからもひたすら努力しなければならない。これは、私の人生の目標みたいなもの。

あまりにも遠い道程だけれど、ご主人様だって、ずっとその道を一歩一歩進んでここまで来ただけで、最初からそこに居だわけじゃない。私にも出来るはず。ううん。必ずやり遂げて……誰が何と言っても、私が居ます!と自信を持ってご主人様に言って差し上げたい。


「ニル!」


そんなご主人様の声が、私の耳に届く。

一時は不安だったのに、私の名を呼んで下さるご主人様の声を聞いた瞬間、不安も、疲れも、何もかもが吹き飛んでしまう。


「後ろの女に借りが有るんだったよな?!返して来い!」


「っ?!はい!!」


ご主人様は、私の方を見ずにそれだけ言うと、ゼノラスの方へと走り出す。

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