第505話 ゼノラス (3)

そして、奴隷と自分達は違うという意識が、更にその足を重くしてしまった。

彼等が死ぬ原因は、そこに有る。


タンッ!


私は地面を蹴って、まずは槍使いへの元へと向かう。

攻めては来なくても、やはり長物は残しておくと面倒。最初に仕留めてしまいたい。


タンッ…タタンッ!


「くっ!このっ!」

ビュッ!


私は体をフラフラと揺らし、右に左にと動きながら槍使いに近付いて行く。


まるで舞踊のような動きで、相手を翻弄し、斬り伏せる。


柔剣術。転々乱波てんてんらんぱ


流れるような動きの中に、柔剣術を取り込み、円の動きを繋げる事で完成する剣技で、まるで踊っているように見える剣技である。


ランカ様に教えて頂いた剣技の中でも難易度の高い剣技で、今までの私には使えなかった剣技。でも、今の私ならば、間違いなく使えるという自信が有った。

今、相手がどのように動いているのか、ここから、どのように動いていくのか。それが、ハッキリと、手に取るように分かる。今ならば、多分目を瞑っていても、相手の攻撃を避けられるとさえ思う。


ランカ様は、女性であり、しかも盲目でありながら四鬼となり、目の見える者達よりも強い。それは、オウカ島での一件で誰もが認めた事だと思う。

そんなランカ様は、視覚以外の感覚のみで、目の見える私達よりも正確に、そしてより広範囲の状況を把握していた。

何故そんな事が出来るのか、そう聞いた時、ランカ様が仰られた言葉が、『視覚なんて情報の一つでしかない』というものだった。


ランカ様の仰りたい事は理解出来る。

確かに視覚は情報の一つでしかないし、言葉の上では、五感のうちの一つという事にはなる。でも、ご主人様から聞いた話では、人間にとって、五感というのは、平等に、同じ割合を知覚ちかくしているわけではない。その中で、特に視覚というのは、人の知覚能力の中で占める割合が大きく、八割を超えると教えて頂いた。

人は暗闇を怖がる。それはいつも八割の知覚を任せている『視覚』が閉ざされてしまうから。でも、ランカ様は常にその視覚を閉ざされてしまっている状態で、その八割を、残った四つの感覚で補っている。そして、それが可能である事は、ランカ様自身が証明しており、ランカ様に出来るならば、誰にだって出来る可能性が有るという事。というのがランカ様の自論だった。けれど、正直そんな事出来るとは思えなかった。目を瞑って相手の攻撃を避けるなんて、怖過ぎる。でも、今、それが出来るという自信が自分の中に有る。


ただ、恐らくこれは今だけだと思う。

実際、今の私の状態がどういったものなのか、自分でもよく分からないし、戦闘の度に、毎回この感覚になれるかも分からない。分からないというより…恐らく無理だと思う。今の自分の状態は、一種の覚醒状態みたいなものだと思う。火事場の馬鹿力とかそういう類のものに近いはず。

特殊な状況における特殊な状態であるからこそ発揮される力で、意識して簡単にこの感覚に入れるわけがない。

それ故に、今の自分だからこそ出来る剣技を使って、その感覚を今のうちに体へ叩き込む。この感覚が無くても、同じ事が出来るまで努力すれば良いだけの事。その足掛かりを作れれば良い。


私のフラフラとした動きに合わせられない槍使いは、焦って槍を突き出すけれど、大雑把に突き出された槍が、私を捉えるなんて事は有り得ない。


タンッタンッ!


本来であれば、真っ直ぐに踏み込むであろうタイミングでも、敢えて横や斜めに足を運ぶ事で、槍使いの予測が尽く外れ、槍先がフラフラと踊り出す。

私の動きに翻弄されてしまっているのは、槍使いだけではない。横にいる曲剣使いも、直剣使い二人も、更には、彼等の後ろから私を狙っている弓使いと魔法使いすら、私の動きに惑わされ、狙いが定まらずにいる。


カンッ!

「っ?!」


私の動きに対応出来ず、フラフラしていた槍先を、小太刀で跳ね上げる。

私の動きに合わせようと、槍先を動かしていたから、槍の動きを見て、跳ね上げる力に対抗出来ないタイミングを狙った。その為、殆ど力も入れていないのに、槍は大きく上へと持ち上がる。


タタンッ!

「ぐっ!」


そのタイミングで、槍を持った手元まで一気に迫る。


この距離はまずいと思った槍使いは、後ろに下がろうとする。


ズガガッ!ドンッ!

「なっ?!」


槍使いが、後ろへと下がろうとしたまさにその時、これ以上無い程のタイミングで中級土魔法、ウォールロックによる石壁が槍使いの後ろへと現れる。

後ろへと下がろうとしていた槍使いは、その壁に背をぶつけ動きを止める事になる。


この魔法はハイネさんの援護。相手が後ろへ下がるだろうと予想して、タイミングを見計らって魔法を発動させてくれたらしい。こういう絶妙なタイミングで、的確な魔法を使うセンスは、ハイネさんとピルテが飛び抜けていると思う。背後でスラタン様が翻弄して下さっているアンナもそれなりに優れた魔法使いかもしれないけれど、魔力量に頼っている部分も多い。

魔力量というのも、魔法使いの強さを表す一つのファクターではあるし、火力負けしてしまえば、正面から叩き潰すという最も簡単で強い作戦が成り立たなくなってしまうから、多いに越したことはない。

でも、それに頼るというのはあまり良くない。魔法もアイテムも工夫するだけで威力が段違いに上がる。これは既に分かっている事だし、私の得意とするところでもある。それに加えて、魔法というのは、タイミングと的確な先読みによって効果を二倍にも三倍にもする事が出来るという利点がある。

本来であれば、ハイネさんが使ったウォールロックという魔法は、石壁を瞬時に作り出せるだけのもので、それ自体に特別強い殺傷力が有るわけではない。でも、後ろに下がろうとした槍使いの背中側に発動させた事で、壁という効果に加えて、退路を塞ぐという意味を持たせたのだ。それ自体は割と使われる手では有るけれど、ここまで完璧なタイミングで発動させるのはかなり難しい。

壁が現れるのが早過ぎれば、槍使いは横へと回避し、遅過ぎれば私と槍使いの間に壁が現れるか、槍使いが吹き飛ばされて、致命的な怪我を負わせる機会を失ってしまう。槍使いが気付いても反応出来ないギリギリのタイミングで、尚且つ、周囲の者達が援護に入ろうとするのを阻害する位置。それを見極めて発動させなければならないのである。しかも、そのタイミングは一秒かそれ未満のシビアなタイミング。

私の感覚では、時間が引き伸ばされたように感じていても、他の人達には普通の一秒でしかない。それを的確に見極めて、最高のタイミングで援護が入る。こんなにも頼もしい後衛なんて、Sランク以上の冒険者パーティにしか居ないと思う。


ザクッ…

「ぐぁぁっ!」


私の持った戦華の切っ先が、槍使いの男が身に付けていた軽鎧の隙間から入り込む。脇の下辺りから入った刃は、すんなりと彼の心臓へと向かい、それを貫く。


「ゴフッ!」


口から大量の吐血。彼の命はそこで尽きる事になった。


「「「おおおおぉぉぉぉっ!!」」」


そんな私に向けて、曲剣使い、直剣使い二人が、同時に迫って来る。槍使いを壁に押し付けるような形で攻撃したから、三人は私の左右と背後に別れ、逃げ道を塞ぎ、私を仕留めるつもりなのだと思う。


タタンッ!


私はそれすらも感じ取っていたから、三人が私に攻撃を仕掛けるより先に、行動を起こす。


壁に背を預けて、血を吐き出した槍使いから戦華を素早く抜いて、槍使いの膝、肩、そしてハイネさんが出現させたウォールロックへと足を移動させ、最後に石壁を蹴り、後方へ向かって飛び上がる。簡単に言ってしまえば、壁を使った後方宙返りである。


槍使いと私を取り囲むように、前衛の三人は寄って来ていたから、私の突然の跳躍に反応出来ず、頭上を通り過ぎる私を目で追う事しか出来ていない。

それにしても、私が槍使いを狙ったと分かった瞬間に、三人は私の背後を取るように即座に反応して動き出した。あたふたしている間に、もう一人くらい攻撃出来るかもしれないと思っていたけれど、流石にそこまで甘い相手ではないみたい。と言っても…この状況で一人を、しかも長物使いを失ったのはかなり大きいはず。最初から四人で素早く行動していれば、少なくとも、槍使いは守れたかもしれないのに。


ビュッ!ボウッ!


そんな事を考えつつ、空中を移動していると、横から矢と魔法が飛んで来る。


矢は私の足を狙って飛んで来ていて、魔法は中級火魔法、フレイムスピア。私の胴体を狙っている…というよりは、どこでも良いから当てようとして放った魔法みたい。

私の隙を探し続けていた後衛が、空中で回避行動の取れない私を見逃すはずがない。


バァァン!!


しかし、魔法も矢も、私には届かない。

ハイネさんが使ったのは、爆発瓶。炎に巻かれて着火された爆発瓶が爆発し、炎の槍と矢を吹き飛ばしたのである。しかも、しっかりと初級の風魔法を使っていて、瓶が確実に魔法と当たるように制御、その上で爆発した後の飛翔物が私の方に来ないようにしてくれている。中級土魔法を放った後、直ぐにここまでの対処が出来てしまうなんて…見習わなければならない事ばかりである。


「そんな攻撃を通そうなんて甘いわよ!」


向こうにも後衛が居るように、こちらにだって後衛が居る。しかも最高の後衛。

ハイネさんをどうにかする前に、私に矢や魔法を当てようなんて不可能であるという事が、やっと相手側の後衛にも伝わった事だと思う。逆に、ハイネさんを狙う事は私が許さないから、実質私に遠距離攻撃を当てるのは不可能という事である。

相手が放った最初の矢と魔法の一撃は、私がハイネさんの援護を入れ難い位置取りをしていたからこそ通っただけ。体力の尽きかけているハイネさんでは移動が間に合わなかったみたいだけれど、その後、直ぐにハイネさんは位置取りを変更し、既に死角は無くなったから、彼等が私に攻撃を当てる事は絶対に出来ない。


ドゴゴゴゴゴッ!!


空中で、私達に驚愕している敵の顔を見てから、地面に着地する。それと同時に、近くから激しい音が聞こえて来る。


どうやら、ピルテも、周囲の石壁を破壊し始めてくれたらしい。ドーム型の石壁の一つが崩れ、土煙が上がっている。続けて二つ、三つとドーム型の石壁が破壊されていく。

壁の厚さがかなりのものだったから、少し時間が掛かっているみたいだけれど、一つ破壊してくれるだけで、私の行動出来る範囲が一気に広がるから有難い。


「あの女を止めろ!」


ゼノラスが焦ってオーガのようは戦闘奴隷に指示を出してビルテの方へと走らせるけれど、多分、あの戦闘奴隷がピルテを止める事は出来ないと思う。


理由は、ピルテを相手にした時、戦闘奴隷が戦闘で負けるからではない。そもそも、ピルテにはもうそこまでの体力は残っていないだろうから、二人がぶつかってしまうと、ピルテがかなり不利になってしまう。


では、何故ピルテを止める事は出来ないのか。

答えは簡単。オーガのような戦闘奴隷には、ピルテを見付けられないから。

まず、ハイネさんの近くに居たはずのピルテが、いつの間にか私達の元を離れて石壁を壊しに行っていた。その事に気付いていない時点で、何が起きているのか理解出来ると思う。

今は夜、暗闇の中で視界を確保する為の頼りは、それぞれが持った明かりと、空から降り注ぐ青白い月明かりだけ。


いくら月明かりが有るからといって、隠密系統の魔法を得意としているピルテを、暗闇の中で探すなんて無謀である。その影すら見る事は叶わないはず。隠れるのが得意な者を見付けるのが何よりも難しい事は、黒犬に追われ続け、未だこちらから発見出来ていない私達がよく知るところ。散々探し回った挙句、何も見付けられないという結果に終わるのは目に見えている。ピルテの事は心配要らないはず。


「ハイネさん。」


「ええ。」


落ち着いた声でハイネさんの名を呼ぶと、ハイネさんは、分かっていると頷いて微かに笑う。


相手の四人が戦闘から離脱。内三人は死亡。一人は足に大怪我。これだけの状況になってしまった彼等は、そろそろ無理をしなければならない。このまま状況が進めば、私達に一人、二人と殺されて、状況は悪くなる一方。それを食い止める為には、状況に何かしらの変化を与えなければならない。そして、その変化を起こそうとする行為は、普通に圧倒しているならば必要の無い事で、圧倒出来ない…負けているから行う事であり、かなりの無理をしなければならない。

そして、その無理の中に、大きな隙が生まれる。

もし、ご主人様が隠れて私達を見ていらっしゃるならば、間違いなく、そのタイミングで介入して下さるはず。その考えをハイネさんと共有し、ご主人様の登場に上手く合わせられるように心の準備をする。


「ゼ…ゼノラス様!このままでは!」


「分かっている!」


やはり動いた。


ゼノラスを守るように、残った連中が集まって行く。


私と剣を交えるのはここまでらしい。


ザザッ…

「はあ…はあ…」


そのタイミングで、スラタン様が後方から私とハイネさんの間に戻って来る。


「うっ…」


苦しそうにしていたスラタン様が、その場で膝を折って地面に落とす。


「スラタン!」


「だ…大丈夫…疲れただけ…だから…」


もう何も出てこない。全て使い切ったという様子のスラタン様。

仰られた通り、どこかに傷を受けた様子は無いし、単純に力を使い果たしたのだと思う。

何度も何度も頼ってしまって、不甲斐ない気持ちになるけれど、スラタン様は、肩で息をしながらも、どうだ!と言わんばかりに微笑を浮かべている。


「後は…任せるよ…?」


「はい。助かりました。後は私達で何とかしてみせます。」


私の言葉に、スラタン様は頷いて、その場でフラつきながらも立ち上がろうとする。


「スラタン!」


ハイネさんが直ぐに駆け寄って、その体を支える。


「無理し過ぎよ…」


「それで…皆が助かるなら…」


「まったく……」


ハイネさんは、スラタン様に困ったような顔をしているけれど、どこか嬉しげな…ううん。誇らしげな顔をしている。


「……ニルちゃん。絶対にあの男を捕まえるわよ。」


「はい。」


ハイネさんは、スラタン様にはこれ以上無い程の優しい表情を見せていたのに、その顔が前を向くと、強い殺意を感じる冷たい表情へと変わる。

スラタン様が、ここまで疲弊するような状況になったのは、大半がゼノラスという男の策によるもの。そんな男が目の前に居るのだから、ハイネさんとしては是が非でも捕まえたいところだと思う。

当然、自分や、可愛い娘のピルテだって沢山怪我をしているし、体力も限界で辛いし、その借りもきっちり返しておかなければ気が済まないと思う。

まあ、そんな事がなくても、無念にも死んでしまった奴隷達の顔を思い出すと、せめて共にこの男を送ってやらなければと思うから、逃がすなんて事は絶対に有り得ないけれど。


相手側が、この状況で何か変化を与えようと思うならば、いくつかの方法が思い浮かぶ。

例えば、スラタン様から解放された、後ろのアンナ達と連携して魔法で押し切るか、この辺りに有るドーム型の石壁を爆破するか。でも、それらの策はクズであるゼノラスの策としては生温い。

私達が自分の目を疑うような、嫌な策で攻めてくるのがゼノラスの戦法。であれば、奴の頭の中に有るのは、自分の命が助かる事と、ここに居るゼノラス以外の者達が道具だという事だけに違いない。

そう考えてみると、答えは絞られる。


「例の作戦を実行する!それまでの時間を稼げ!行け!」


「「「「はい!」」」」


私達には、例の作戦なるものが何なのか分からないけれど、一つだけ分かる事が有る。それは、ゼノラスがたった一人で逃亡しようとしている事だ。

まだ、一人だけ走り出したわけではないし、そんな事は分からないだろうと思うかもしれないけれど、こういう奴の考えている事は、目を見れば分かる。

自分の事しか考えておらず、仲間にさえ気付かれないように立ち去ろうとしている、人を見下した目。私は奴隷だから、その目を何度も見てきたし、そういう人間の考える事や、やる事はよく知っている。


「馬鹿な男ね。」


この場で、私達が殺さずに生け捕りにしたいと考えているのは、ゼノラスとアンナのただ二人。そのどちらかだけでも生け捕りにしたいと考えていて、それが有るから無理矢理突っ込めないという状況でもあったのに、護衛達から離れてしまえば、自分では戦えない男は雑魚でしかない。

ご主人様が死んだと思っている彼等が、それに警戒出来ないのは無理もないのかもしれないけれど……それにしても、この状況で自分だけ逃げるというその選択肢はあまりにも愚か。

それが分かっているから、ハイネさんも呆れたとでも言いたそうに呟いたのである。


ただ、ここまで複雑な作戦を立てた男が、私達を警戒させる為だけに、とやらの話をしたとは思えない。何かしらの奥の手が隠されていると考えた方が良いと思う。だから、ゼノラスが逃げ出さない限りは、私達も大きく動いたりはしない。


「ハイネさん。後ろをどうにか出来ますか?」


「ええ。任せて。相手は五人だから、私にも何とか出来るわ。」


ここまでの事を考えたら、五人なんて少数だと思えるかもしれないけれど、五人は五人。一人で相手にするには多い数で、渡人であるアンナも居る。

ハイネさんも、それが辛い状況だということは分かっていて、敢えて、という言葉を強調した。きっと、絶対に何とかするから、安心して良いという意味を込めてだと思う。

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