第333話 親主

ピルテが案内したのは、神殿の最も大きなホール、その奥に飾られているフロイルストーレの石像、その裏側だった。


重苦しい鉄製の錆びた扉が、石像の裏に有って、その扉に手を掛けるピルテ。


ギギギギ………


金属同士が擦れ合う嫌な音が響き、鉄製の扉が開く。


「この先です。」


「………………」


まさか神殿の外ではなくて、中に母親とやらが居るとは思わなかった。密会をする為に選んだ場所ではなく、何か有った時に、母親と二人で俺とニルをどうにかする為、この場所を選んだという事だろうか。


何かが起きる可能性を、常に頭の中でグルグルと想像しながら、一歩ずつ、開いた扉の奥へと足を進めていく。

通路は真っ直ぐ先へと繋がっていて、かなり暗く、狭い。


「ここは、神殿にとって特別な物を静置しておく場所だったらしいのですが、今は何も無く、ただの暗い部屋になっています。」


「確かに暗いな。」


「あ、申し訳ございません。明かりが無いと見えませんよね。どうぞランタンでも魔法でも、お使い下さい。」


「………………」


ランタンに火を灯し、通路の暗闇の先へと向かう。


暗闇の中、ランタンの光に照らされるピルテの背中は、迷うこと無く奥へ奥へと進んでいく。


暗闇を進んで行くと、少し広い場所が見えてくる。


見た目は霊廟れいびょうと言われた方が納得出来そうな造りだ。


「ピルテ?眩しいのだけれど。」


広い場所に出ようという時、奥の暗闇から女性の声が聞こえてくる。


「お母様、人を連れてきました。」


「人を…?」


「私達が行った事について調査している人達です。」


「そう…あれだけ噂になっているし、いつか来るとは思っていたけれど、その時が来たのね。」


「お前がピルテの親主とかいう奴か?」


少し広くなっている空間に足を踏み入れると、薔薇の濃い香りが鼻を刺激する。

ランタンの光で照らされた室内には、大量の青黒い薔薇が置いてあり、その奥に一人の女性が見える。


「……そうだよ。」


女性の薄い唇が開き、長い犬歯の、その奥から艶めかしい声が放たれる。


切れ長の目には、赤い瞳。黒く長いストレートの髪、白く美しい肌。吸血鬼は、容姿端麗だと言っていたピルテの言葉を理解する。

ピルテの親主だと言っていたし、年齢はかなり上のはず。それなのに、見た目は二十代の美しい…美し過ぎて、逆に怖くさえ見える女性だ。

黒と紫を基調としたスレンダーな服を着て、何かを置くために作られたであろう石台に腰掛けている。


「私の名前はハイネリンデ-ヴォル-グエスカ。ピルテの親さ。」


「凄い量のマジックローズだな。」


「吸血衝動を抑える為の必需品だからね。」


「でも、最近血を取り入れたんだろう?」


「若い獣人族の娘だね。覚えているよ。向こうは私のことを覚えてはいないだろうけれどね。」


「…………………」


「そう怖い顔をしないでおくれ。自分のした事が酷い事だという自覚はあるよ。」


「ならば、何故その酷い事をしたんだ。」


「これも魔界の為。魔王様と魔王妃様の為。私は殺されても文句は言わない。ただ、ピルテには手を出さないでおくれ。この子は何もしていないからね。マジックローズを都合してくれているだけさ。」


「お母様?!」


ピルテは驚いたようにハイネリンデの顔を見る。


「悪いね。」


「最初からそのつもりで何もさせてくれなかったのですか?!」


「魔王様と魔王妃様を救う為の手は潰えてはならないからね。元々、私の予備として連れてきたんだ。その役目を果たしてもらう時が来たんだよ。」


「そんな!」


「待て待て。盛り上がっているところ悪いんだが、捕まえるならば、共犯者としてピルテも捕まえるぞ。それに、殺すつもりは無い。被害者達に全て話させるまではな。」


「本当にピルテは何もしていないし、捕まえる必要は無いだろう。」


「ピルテにも言ったが、それは加害者側の勝手な言い分だろう。それを確かめる為にも、ピルテは同時に連れて行く。」


「加害者は私だけよ。」


ハイネリンデは、少しイラッとしたような態度で、俺の目を見てくる。


「俺を睨んで、何か好転するのか?状況が悪化していくだけだぞ。」


「っ……」


「お母様。何故私達がこの街に来たのかを、彼等に全てお話し下さい。」


「それは出来ないね。」


ハッキリと断るハイネリンデ。


「これは魔界、魔王様、魔王妃様、そして友との約束だからね。」


魔界に関する事、それも魔王と魔王妃に関する件と言われると、ランパルドとの事だろうという予想は出来る。

しかし、それがランパルド側からの意見なのか、ランパルドに対する側の意見なのかは、詳しい話を聞いてみない事には判断出来ない。


「詳しい話が出来ないというのならば、二人を突き出して話は終わりだ。」


「……そうはさせないよ。」


ハイネリンデの眼が、ギラリと光る。


「お母様!!」


ヒュッ!


ギィィンッ!


ハイネリンデの指先に、黒い爪のような形をした影がついており、その爪が伸びて、俺の喉元を串刺しにしようとする。

しかし、その爪が俺に届くよりずっと速く、ニルが俺の前に立ち、盾でそれを弾く。


「速いね…」


「吸血鬼を捕まえようと言うのだから、それなりの腕は持ち合わせているさ。」


「ご主人様へ、簡単に刃が届くとは思わない事ですね。」


「そうかい…それならば!」


「お止め下さい!お母様!」


俺達とハイネリンデの間に、ピルテが飛び出して来て、両手を広げる。


ブシュッ!!


ピルテの右肩を貫いたハイネリンデの黒い爪。

血が数滴、マジックローズに飛び散り、花弁を揺らす。


「ピルテ?!」


「お母様!彼等は話を聞いてくれると言いました!話すべきです!」


目の前に立つピルテの肩口から、服にじわりと血が滲んでいく。

直ぐに我に返ったハイネリンデが、ピルテに刺さる爪を抜き取り、解除する。どうやら闇魔法だったらしい。


「お願いします!全てお話し下さい!」


それでも尚、ハイネリンデに話をしろと迫るピルテ。演技だとしたら、迫真過ぎる。


「まずは手当をしなければ!」


「私はもう吸血鬼です!このくらいの傷大したものではありません!話をして下さい!」


「分かったわ!話す!全て話すから手当を!」


どうやらピルテの要請が受け入れられたようだ。


話をする約束をしたハイネリンデは、一先ずピルテの手当をする。


「…ピルテがここまでするなんて…」


「彼等は、私達がしてきた事を聞いた上で、話を聞くと言ってくれました。

話すべきです。それでもやはり、私達がした事は酷い事ですけれど、何故こうなっているのかは伝えることが出来ます。」


「…伝えてしまえば、どうなるか分からないのよ?」


「それでも、ここで全てを諦めるよりはずっと良いはずです。」


「…………約束したのだから、全て話すわ。フロイルストーレ様の御許みもとで、嘘を吐く事はしないわ。」


「はい。」


やはり、魔族はフロイルストーレを信仰しているらしい。しかも、かなり真摯に。


「出来れば、これを聞いても、他の人には話さないで欲しいわ。」


「内容を聞いてから決めさせてもらう。」


「徹底しているのね…」


「それだけの事をした自覚は有るのだろう?」


「……そうね。分かったわ。」


ふうと一息吐いて、石台に腰を再度掛けたハイネリンデが、ゆっくりと言葉を紡いでいく。


「まず…私達が魔界を出て、ここに来たのは、ランパルドという魔界の中で、私達と敵対している者達を打ち倒す為なの。」


やはり、ランパルドの名が出てきたか。

聞いた事のある話だが、俺達から情報を与えることの無いように、なるべく自然な反応を心掛ける。


「ランパルド?」


「簡単に言ってしまうと、魔族全てを統括する、魔王というお方と敵対している者達よ。」


「族王の敵対者達って事か。」


「ええ。そういう事ね。」


「それで?そのランパルドが、どう今回の事件に関わってくるのか聞かせてもらおうか。」


「そのつもりよ。少し長くなるから、狭いけど座って聞いても良いわよ?」


「そのつもりはない。」


敵前で、よっこいしょと座る馬鹿はいない。


「警戒しなくても、もう攻撃したりしないわ。」


「それを決めるのは俺だ。好きにさせてもらう。」


「そうしたいのなら、別に構わないけれど…まあ良いわ。

この話をするには、まず、魔族や魔王様、そして私達吸血鬼が、どういう関係なのかについて説明する必要が有るわ。」


「その必要が有ると言うのならば、その話からしてもらおう。」


「分かったわ。まずは魔族についてね。」


ハイネリンデが魔族について説明してくれたが、これについては知っている内容ばかりで、新事実というものは無かった。

色々な種族の集合体、その総称が魔族と呼ばれている事や、神聖騎士団とは昔から敵対関係にある事等だ。

魔族のことを知らない風を装い、とにかく情報を引き出していく。


「魔族については分かったかしら?」


「ああ。理解した。」


「その魔族全てを統括するのが、先程話した魔王様であり、その奥方になられたのが、今の魔王妃様。

魔族は、最近まで、このお二人の力によってしっかりと統治されていたのだけれど、ランパルドの連中が、その平和を破壊したの。

魔王様と魔王妃様を精神支配したのよ。」


「精神支配?」


「あくまでも、私の意見だけれどね。そうでもされない限り、あの優しい魔王様が、こんな事をするはずないわ…」


何かを思い出すように言うハイネリンデ。酷い事というのが何かは分からないが、豹変したという事だろう。


「族王たる者を相手に、そんな事が簡単に出来るのか?」


「当然、簡単な事ではないわ。普通の者達には、近付くことさえ出来ないお方よ。」


「それなら、ランパルドとかいう連中も、簡単には近付けないだろう?」


「どうやったのか、何が起こったのか…それは私達にもよく分かっていないわ。」


「分かっていないとは……魔王の周りは無能ばかりなのか?」


「言いたいように言うわね…でも、そう言われても仕方ないわ。

でも、私達魔族は、ずっと神聖騎士団との小競り合いを続けて、抑えてきたのよ。外の問題に目が行くのは避けられない事よ。」


アマゾネス達にも聞いたが、魔族が神聖騎士団を抑えてきた事は間違いない。

外との戦いが起きている時、内側の問題には目が向き難い。その隙を突かれたという事だろうが…そうだとしても、この世界の三大勢力の一つとして数えられる魔族の王が、簡単に反対勢力の手に落ちたのだ。その上、誰が何をしたのかすら分からないとなれば、普通に考えて、周囲の者達は無能だろう。


「無能かどうかはどうでも良い。それより、続きを話してくれ。」


「そうね……何故、魔王様と魔王妃様が豹変したと分かったのか。それを説明するには、私達吸血鬼族の事を話さなければならないわ。」


「……………」


話を促すように、沈黙を返す。


「まず、私達吸血鬼の真祖様。吸血鬼の始まりと言われている方で、名前は、アリシアル-ヴァン-アスタシア様。」


全く聞いた事がない名前だ。覚え難い名前だ。


「皆はアリス様と呼んでいるわ。」


超覚えやすくなった。


「アリス様が、どのようにして吸血鬼となったのかは分からないけれど、アリス様が吸血鬼の真祖である事は間違いないわ。

その真祖たるアリス様から血を継ぎ、純血種、薄血種、混血種の吸血鬼が生まれ、次第に数を増やしていったの。けれど、吸血鬼は、その呼び名の通り、アリス様以外は、他種族の血を取り込まなければならず、酷く嫌われていた種族なの。いえ、過去形にするのは間違っているわね。今も嫌われているわ。」


アリスとやらが、他種族の血を必要としないのは、体がそもそも自分の血に耐えられる体だからだろう。ピルテの話が本当ならば、アリスの血が毒になっているのだし。


「血をすすられて、嬉しい奴は居ないだろうな。」


「そうね…残念ながら、嫌われているせいで、私達吸血鬼は、他のどの種族にも受け入れられず、何度か絶滅の危機に陥ったと聞いているわ。」


「他種族に滅ぼされそうになったということか?」


「ええ。そういう事よ。血を吸うモンスターとして討伐されていたらしいわ。」


なるほど。そういう背景が有るから、ゲーム時、吸血鬼はモンスターとして表示されていたのか。


「でも、血を吸い尽くして殺す事もないし、血を吸ったから吸血鬼が移る事も、普通に生きていく上では無いわ。」


「普通に生きていく上で、ということは、そうではないこともあったのか?」


「残念ながら、そうしてモンスター扱いされた事に憤った同胞が、やり返してしまったらしいの。

吸血と共に殺したのよ。そんな事をしてしまえば、後はどうなるのか、分かるでしょう?」


「まあ…やられたらやり返す…だわな。」


「後は凄惨せいさんな戦いの連鎖よ。私は吸血鬼として生まれてきたけれど、少なくとも、その時には、まだまだ嫌な戦いが毎日のように繰り返されていたわ。

死者の数も、吸血鬼と他種族合わせると、とてつもない数になっていると思うわ。」


「それだけ派手に暴れ回っていたならば、覚えている人達も居そうだな。」


「エルフみたいな長寿の種族の中には、覚えている人達も居るかもしれないけれど、数百年前の話だから、少ないはずよ。」


つまり、ハイネリンデは、少なくとも数百歳という事だ。


「そんなこんなで、死屍累々ししるいるいとなっていた頃、あまりにも死者が増え過ぎた為、当時の魔王様が、吸血鬼との戦闘を一時禁止したの。」


「互いにメリットの無い戦いだから当然と言えば当然だろうな。」


「魔族には血の気の多い種族もいるから、そういう発想が無かったのかもしれないわね。

そして、戦闘が一時落ち着いてから暫く後の事よ。今の魔王様が、私達吸血鬼を魔族として魔界に受け入れるという提案をしてきたの。」


「敵である者達を受け入れる…か。」


「凄いわよね。本当にそんな事が出来てしまったのだから。

現魔王様は、私達吸血鬼の真祖、アリス様と話し合いをして、魔族に迎え入れるという話を通したのよ。いくつかの条件を作ってね。」


「条件?」


「簡単な話よ。吸血鬼の事は、魔族が守り、保証する。他のどの種族からも、という意味よ。その代わり、魔族が危機に陥った時は、兵として戦争に参加する事。」


「吸血鬼からは武力を提供し、魔族からは居場所を提供する…という事か。」


割とどこにでも有るウィン・ウィンの関係だ。

吸血鬼族は数も少ないし、魔族以外からの攻撃も無くなるならばそれに越したことはない。

逆に、魔族は、魔族以外からの攻撃に対して、吸血鬼という矛を手に入れるわけだ。何度も全滅しそうになりながらも、数多の屍を作り上げる程の力を持った種族であり、魔王が持つ矛の中でも、上等な矛の一つになる。


「ええ。そしてもう一つ。魔族側からはマジックローズを提供する代わりに、魔界での吸血行為は禁止という条件よ。」


「マジックローズの提供?提供されなくても、自分達で育てているのだろう?」


「いいえ。その時はまだ、マジックローズは世に出ていなかったのよ。

実は、マジックローズは、昔、ある人…ある魔女が作った代物なの。」


「人工の薔薇なのか?」


「ええ。リュージュ-アラボル。それがマジックローズを作った人の名前よ。」


リュージュ-アラボル……アラボルと言ったよな…?

その名前は……


「魔力を少量だけれど、溜め込む習性を付与した薔薇で、このように青黒い花弁を持っているわ。」


周囲に置いてある薔薇を指し示すハイネリンデ。


「私達の吸血衝動を抑える為の薬みたいな物よ。

それを、現魔王様が、わざわざリュージュ-アラボルに頼んで作ってもらったの。」


現魔王としては、マジックローズがあったからこそ、その交渉に乗り出したのだろう。

マジックローズさえあれば、血を吸う隣人ではなく、薔薇をむ隣人になる。

異様な感と、危険な感じは残るが、前者とは比較にならない程付き合い易くなるだろう。


「そして、それから私達吸血鬼は、アリス様を筆頭に、魔界で過ごす魔族になったのよ。」


元々、モンスターとして扱われており、そのせいで多くの者達が死んだ。その過去が有るから、吸血鬼はモンスターと呼ばれる事を酷く嫌うのだろう。


「つまり、吸血鬼としては、魔王にそれなりの恩を受けているわけか。」


「それだけならば、互いに利益のある交渉だし、そこまでの恩義は感じなかったかもしれないわ。でも、魔王様は、その後、私達吸血鬼族に対して、魔王妃様と共に、本当に良くしてくれたのよ。

元々の魔族と同じくらいに…いいえ。寧ろ、それ以上に。」


「枷としての役割だったとは思わないのか?」


「そんな事は決して無いわ。私達が今、この場所に居ることがその証明よ。

魔王様は、もし、自分に何か有って、動けなくなった時は、信頼している者達に、自分の行く末を託すと仰られたの。」


「それが吸血鬼族だったと?」


「ええ。魔王様が豹変された後に、密書が届いたのよ。アリス様にね。何が起きているか未来の自分は知らないだろうが、手を貸して欲しいと。」


「魔王は自分が何かされるのではないかと気付いていたのか。」


「そういう事ね。」


魔族の統括者たる魔王まで無能ということは無さそうだ。


「それくらい魔王に信頼されている吸血鬼が、魔王の豹変の原因を取り除く為に、外に出てきたと。」


「ええ。その通りよ。」


「そこが分からない。ランパルドを打倒する為なのに、何故魔界の外に出る必要が有るんだ?ランパルドは魔界の中だろう。それならば、魔界の中で戦うのが普通だろう。」

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