第257話 変化

女性は、周りに不安を与えないように、小さな声で、他の人には聞こえないように言ってくれた。こういう体の弱い人は、人の感情の動きや、空気を読む力が優れるものなのだろうか?

今はそんな事はどうでも良いか…


「拙者はここまで敵兵の中を進んで来たでござるが、主戦場以外にも、まだまだ敵兵は居るでござる。

そんな中、この人数を連れて下まで行くのは流石に難しいでござる。

ここから出て行けば、直ぐに捕まり、またあの場所に連れ戻されてしまうでござるよ。」


「そう…ですか……」


女性は、今も尚、安全ではないという事を認識したらしく、暗い顔をする。


心配は要らない…と言ってあげたいところだが、そうもいかない。

シンヤ殿とニル殿が立てた作戦としては、拙者が魔眼保有者の皆を誘導し、戦場から出来る限り離れる事を前提に、派手に立ち回ってくれるという事だった。

しかし、実際には、目と鼻の先…とまでは言わないけれど、戦場からそれ程離れていない場所に隠れている。


理由は、魔眼保有者の皆が予想以上に体力を消耗しているから。


街中で逃げ回り、捕まった後、ずっと歩き続けてきたらしい。日頃から鍛えている者ならばどうということはないのだが、魔眼保有者の者達は、悪用されないように、それぞれの家で大人しくしているのが普通。体力の無い者ばかりなのだ。

多少の休憩はあったらしいが、恐らく、ガラクが遠くまで逃げられないように、魔眼保有者の体力を管理していたのだろう。


ここで一時間…いや、三十分程休み、もう少し離れて休憩…また少し離れて休憩を何度か繰り返すのが一番早い。

呑気のんきな事を…と思うかもしれないが、魔眼保有者達は、数人を除いて、一切戦えない。

拙者とは違い、見付かった瞬間、詰んでしまう。

闘える数人も、ある程度闘えるというだけで、この戦場で生き残れる程の力は持っていない。


拙者がおとりになって、忍の者達と共に逃げてもらおうかとも考えたけれど、それは見付かった時の、最後の手段。それまでは非効率に見えても、少しずつ戦場から離れるしかない。


「申し訳ござらん。拙者にもっと力が有れば…」


いつもそうだ。


拙者がサクラ殿に出会う前も、サクラ殿の目の前で、シュンライ様とアザミ様が殺された時も、この戦場に来てからも………いつも自分の力が足りず、誰かが死んでしまう。


自分なりに考えて、下民と呼ばれる者達の仕事場を作ったり、サクラ殿が笑ってくれるように喋り方を変えてみたり、強くなる為に剣をひたすら振ってみたり……色々としてきた。


それでも、いつも足りない。

僅かに届かない。

いや、僅かではないのかもしれない。拙者がそう思い込んでいるだけで、全く足りていないのかもしれない。


またこうして、サクラ殿を泣かせてしまったのが、その証拠。


「ゴンゾー様。」


悔しがって震える拙者の手に、サクラ殿がそっと、桜の花弁を撫でるように触れる。

微かな桜の香りがする。


「ゴンゾー様のせいではありません。

戦う敵を見誤らないで下さい。この全ての暴力の元は、きっと、一つです。」


サクラ殿は、詳しい情報を何も知らない。

恐らく、連れ回されている時に得られた情報も、あまり多くはないはずだ。

それなのに、サクラ殿がそう言うと、何故か拙者の気持ちがスッと軽くなるのを感じる。


今は自分を責めている場合ではない。

ガラク、そしてそれに連なる者達を打ち倒す。

それに集中するべきだ。


「いつも、サクラ殿には助けられてばかりでござるな。」


「いえ。助けられているのは私達の方ですよ。

今だって、ゴンゾー様がいらして下さらなければ、既にガラクの手に落ちていたかもしれないのですから。」


「そう……ですよね。まだ私達は捕まっていませんもの。」


サクラ殿の言葉に、周囲の者達が少しだけ、表情を明るくする。


「そうだな…まだ、俺達は家族に会える。諦めなければ!」


「流石は…サクラ殿でござるな。」


「え…?」


サクラ殿としては、無意識に、思っていた事を口にしただけのようで、キョトンとしている。

しかし、そこがサクラ殿の凄いところなのだと、拙者はいつも思う。

サクラ殿には、やって、という感覚が微塵も無い。サクラ殿以外の者が自分もそうだと言ったら、拙者は絶対に信じないだろう。

全ての者が違うとまではいかないが、サクラ殿のように、自分がやりたいからやっているだけ、という感覚を持っている者はとてつもなく稀だ。

拙者の人生で、サクラ殿の家族以外には、見た事が無い。

それは、セナや拙者も同じ。


人は、善意で、誰かに何かをした時、無意識に、この人に悪い事はされないだろう…と思ってしまう。

それは、恩を与えたのだから、仇で返される事は無いはずだ…という感情が働いているからだと思う。

意識的に、打算的に善意を振りいている、とは思っていなくても、その相手が仇を返してきた時…あの時、ああしてやったのに!と思ってしまうものだ。

しかし、サクラ殿には、それが無い。

もし仇で返されたとしても、その行い自体に悲しむ事はあれど、怒る事は無いのだ。

そして、誰かに与える善意にも、一切の打算が無い。故に、自分がどれ程相手の救いになっているのか、気付いていないのだ。

拙者としては、高尚こうしょう過ぎて理解の及ばない領域に感じてしまう。

サクラ殿が怒る事が、この世にあるのだろうか…?サクラ殿が怒る事となると、本当に余程の事だと思う。


と、思考が要らぬ所まで飛んでしまったけれど、つまりは、無意識に、サクラ殿は人々の助けになっているという事だ。


「やはり、拙者はサクラ殿が笑っていられるよう、最善を尽くし続けるべきでござるな。」


サクラ殿に聞こえぬように呟いたら、横にいた、サクラ殿が気にしていた女性が微笑んでいた。

聞かれていたらしい……


恥ずかしい…


「ゴンゾー殿。」


生ぬるい空気の中に、忍の一人が、緊張した声を掛けてくる。


「レンヤ殿。外の様子はどうでござったか?」


「人は居ないように見えますが……どうにも怪しい感じです。」


「怪しい…でござるか。」


忍、しかも四鬼、テジム様の右腕たるレンヤ殿の直感。それだけで十分気を付けるに値する根拠だと思う。


「今出るのは厳しいでござるか……しかし、ここにずっと隠れていては、直ぐに見付かってしまうでござる。」


「……はい。そこで…なのですが。」


「何か策が有る様子でござるな。」


レンヤ殿は、拙者を皆から離して、小さな声で言葉を続ける。


「このまま全員で動けば、捕まる時も全員となってしまいます。

こちらも忍の者達が居ますので、何班かに分けて、別々の道へ逃げるのがよろしいかと。」


「……………」


レンヤ殿の言っている事は、間違っていないし、正しい選択だ。


それは分かっている。


状況を冷静に、俯瞰的ふかんてきに見れば、それが最も助かる人数が多くなる。


しかし…もし、戦力を分散させた状態で、敵兵に出会ってしまった場合、本来戦えるはずの相手なのに、数の差で負ける可能性が生まれてしまう。


魔眼保有者の方々の数は、忍と拙者を含めた数より多い。

となると、一つの班につく、戦える者は、一人が二人。

相手が単独か、それに近い人数ならば戦える可能性もあるが、そんなヘマはしないはず。


つまり、戦闘を捨てて、逃げに徹し、なるべく多くの者達を逃がすか……もしくは、一蓮托生いちれんたくしょう、全員で戦いながら逃げるか、全員で捕まるかの賭けに出るか。

この二択という事になる。


「……この判断をゴンゾー殿に任せるのは酷かもしれませんが…恐らく、この中で一番強いのは、ゴンゾー殿………どうしますか?」


この集団の中で最も強いのは、拙者であろう。

その言葉の裏には…もし、拙者が襲い来る連中を全て薙ぎ倒し、下まで皆を守り切る自信があるのならば、それが一番良い選択となる。

しかし、その自信が無いのであれば、全員で捕まるより、多くを逃がした方が良いのではないか…という意味合いが含まれている。


「………………」


出来ることならば、それくらいやってみせる!と言いたいところだが、今回は、拙者の命だけではなく、ここに居る皆の命が代償となる可能性が有る。

拙者の傲慢ごうまんでそれを失うわけにはいかない。


冷静に判断する必要がある。


自分の残った体力と魔力。

シンヤ殿に貰ったアイテムの残り。

残存している敵の数。

追手の足の速さ。

援護に入ってくれるかもしれない者達の数。


それらを全て冷静に判断し、結論を出し………その結論に責任を持たなければならない。


重い。


まるで心を鎖で繋がれ、地面へと引っ張られているような感覚だ。


ダンジョン内では、自分の命だけを考えていれば良かった。

最悪、死んだとしても、誰かを犠牲にする事は無かった。

シンヤ殿、ニル殿、ラト殿は、拙者より強い。故に拙者が責任を感じる事もそれ程無かった。


しかし、今、まさに目の前で息をしている者達は、拙者の判断一つで、たった一つしかない命を失ってしまう。

その中には、サクラ殿も居る。


四鬼というのは、毎日、このような重圧の中で生きているのか……


師匠に近付き、近付いたが故に、その偉大さが分かる。


だが、拙者が目指しているのは、なのだ。


怖気付いていては、いつまで経っても拙者は弱いまま。


「班を分けて逃げるでござる。」


拙者は、自分なりに考えて、決断した。


「……分かりました。」


レンヤ殿は、忍の者達に指示を始める。


「……ゴンゾー様?」


心配そうな顔を向けてくるサクラ殿に視線を向けると、拙者の雰囲気を読み取ったのか、サクラ殿は口を固く結び、真剣な表情に変わる。


「…皆。聞いて欲しいでござる。」


疲れた顔を俯かせていた皆が、拙者の方へと顔を向ける。


「これより、皆を小規模な班に分け、その後、一人か二人、忍の者がつくでござる。

そして、その班毎で、別々の方向へと向かい。それぞれで戦場からの離脱を目指してもらうでござる。」


「そんな…」

「無理だ…」


皆、口々に、不安や心配の声を漏らす。


「ゴンゾー様。その意図をお聞かせ願えませんでしょうか?」


そんな中、たった一人、りんとした声で拙者の目を真っ直ぐに見詰めてくる女性。


サクラ殿だ。


「このまま全員で進めば、追手に捕まるのも時間の問題にござる。

拙者も戦うでござるが、相手の数が多く、全員を守りながら進む事は出来ぬでござる。

故に、班を分け、機動力を確保。加えて、相手に狙いをしぼらせない、という意図で決定したでござる。」


「「「「………………」」」」


その決定がもたらすであろう結果に、それぞれが考え至り、暗い顔をする。


「ここで楽観的な事を言うつもりは無いでござる。

何班かの者達は、敵の手に落ちる可能性が高いでござる。」


「「「「っ!!」」」」


言わずとも分かっていたけれど、言われると辛いのが現実というもの。皆の顔が青くなっていくのが見える。


「しかし、約束するでござる。

拙者も、今尚戦って下さっている四鬼様方も、そして、鬼人族ですらないシンヤ殿方も、最後まで皆の命を諦めたりはしないでござる。

捕まったとしても、必ず助けに向かうでござる。」


「「「「……………」」」」


拙者の……下民の言葉は、やはり響かないでござるか……


そう思っていた時。


「分かりました。」


凛とした声が再度響く。


しかし、今度の声は、サクラ殿ではなかった。


その隣で、サクラ殿に支えられている女性だった。


「既に助けて頂いた命です。その恩人様が仰るのであれば、私は従いたく思います。

覚悟などいつでも出来ていると自負しておりましたが…ここまで、何とも恥ずかしい姿をお見せしてしまいました。

私も鬼士の娘。今一度、ここで覚悟を決めます。

私は、私達の為に命を懸けて救って下さったゴンゾー様を信じます。

そして、これ程までの決断をなさったゴンゾー様を、私は尊敬致します。」


予想だにしなかった言葉。


尊敬……?


一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。


「尊敬……?」


思わず口から出てしまう程に。


「はい。

ゴンゾー様は『門前一年もんぜんいちねん』の言葉で有名な……下民の出身と記憶しております。

ですが、今この場にこれだけの鬼士が居て、ゴンゾー様程、高潔こうけつな者が居りましょうか?

皆、助かりたいだけの気持ちで、それなのに他人に決定を求め、責任を負うことを避ける……それを低俗と呼ばずして何と呼びましょう。

何が鬼士か。何が下民か。

私には、門前で一年も頭を下げる事など辛くて出来ませぬ。

見ず知らずの、自分をさげすんできた者達の為に命を賭ける事も出来ませぬ。

そして、その者達の命の責任を背負い込む事も出来ませぬ。

この姿こそ、私達が目指すべきの姿ではありませんか。

間違っても、私が連れ去られる時に、我が身と我が財産惜しさに逃げ隠れしていた鬼士を尊敬する事など有り得ませぬ。

私は、私の目で見たゴンゾー様の勇敢な姿と、高潔な心をこそ尊敬致します。

そして、最期の最後まで、ゴンゾー様に背負って頂いてしまえば、私は悪鬼にも劣る存在へと落ちると思います。

故に、私…このハツは、自身の意思で、ゴンゾー様の指示に従います。

ですので、もし、私が捕まって、その後死んだとしても、ゴンゾー様にその責は一切無いと、ここで申し上げさせていただきます。」


先程まで、弱々しかった女性が、誰が見ても鬼士だと分かる程の凛とした姿で言葉を伝えてくれる。


思わず泣き出してしまいそうになった。


ここまで、どれだけの時間、この瞬間を望んだ事だろう。


悪鬼と呼ばれ、悪鬼の親玉と呼ばれ、門前一年の件では土下座地蔵どげざじぞうと呼ばれた事もあった。


それでも、サクラ殿が居て、セナが居て、いつも拙者を応援して下さる方々が居たから、ここまでやってこられた。


その全てが、無駄では無かった。そう認められた気がした。


たった一人だとしても、拙者の事をちゃんと、下民という膜を通さず、見てくれていた人が居た。


こんなに嬉しい事が他に有るだろうか。


サクラ殿など、その光景に、口を両手で抑えてポロポロと涙を流してくれている。

しかも……


「…そうだよな。その通りだ。俺なんて、寧ろ鬼士隊の連中に差し出されたようなものだった。

あんな連中に比べたら、たった今、こうして命を張ってくれているゴンゾーがどれだけ凄いことをしているか分かるってものだ。」


「ああ。違いない。薄っぺらな言葉などより、たった一つの真摯しんしな行動の方が信頼出来るのは当たり前だ。

しかも、一度や二度じゃあない。見てみろよ。ゴンゾーの着物。ズタボロじゃあないか。

どれだけの厳しい戦闘を乗り越えて駆け付けて下さったんだ?

少なくとも、俺の知り合いには、ここまで自分を犠牲にしてまで、助けに来てくれるような奴は居ないぞ。」


「そうね。私達も見習うべきよね。

最後までゴンゾーにおんぶにだっこじゃあ、これまで格好付けてきたのが恥ずかしいってものよね。

自分の命くらい、自分で賭けるべきだわ。」


「皆……」


次々と波及はきゅうしていく感情。


涙腺るいせんを締めるのに必死にならなければ、大号泣してしまいそうだ。


その時、初めて気が付いた。


拙者が剣の道に進むまで、拙者は、周りの皆が何故分かってくれないのか、何故見てくれないのかと思っていた。


拙者達も同じ人であり、何も違うところなど無いではないかと。


生まれつきの身分という膜を恨まない日は無かった。


でも、違った。


それは他人に押し付けて、投げ付けているだけのものだった。


例えば、トウジ様や、師匠のように、ひたすら真摯に、行動で示し続ける事でしか、人の心は動かせないのだ。


剣の道へ入った時から、サクラ殿を手本にして所作を変え、ただひたすらに剣の道を進んできた。

その時には、周りの目など気にしていなかった。


それこそが、人の心を動かしたのだ。


人に変わって欲しいと願うならば、まずは自分が変わらねばならない。


よく聞く言葉ではあるけれど、言葉の意味は理解していても、本質は理解出来ていなかった。

それが今、理解出来た。


ここが戦場でなければ、朝まで飲み明かしていたところだ。


「班に分かれるなら、体力の有る男が、背負える人を背負った方が速いんじゃあないか?」


「それより、この荷車を使った方が速いだろう。」


やると決めた皆の動きは早かった。


誰一人として見捨てる気など最初から無く、どうすれば速く動けて、体の弱い者達まで無事に逃げ切れるかの相談が始まった。


荷車を使ったり、体力の有る者と無い者を同じ班にしたりと、全ての段取りが決まるまでの時間は、僅か十分程。

その辺は流石鬼士というところだ。


こうして、いくつかの班に別れた後、拙者はサクラ殿と、サクラ殿が支えていた…ハツ殿を連れて外へ向かうことになった。


理由は、ハツ殿が最も体力が無く、限界も近い為だ。


「あれだけ息巻いておいて、情けなくて申し訳ございません…」


「そんな事はありません!私達は皆同じです!」


ハツ殿に随分と感動したのか、両手を掴んで、言い聞かせるように言うサクラ殿。


「それに、私とハツ様には、ゴンゾー様がついて下さっておりますからね!」


「拙者の頑張り次第という事でござるな!必ず助け出してみせるでござる!」


二人を不安にさせないように、極めて明るく振舞ってみるけれど、やはり不安は不安だ。


拙者一人で出来ることには、限界がある。

ここまではレンヤ殿達が周囲を警戒しながら、気配を探りながら進んでこられたが、ここから先は拙者がそれもやらなければならない。


「大丈夫ですよ。ゴンゾー様。きっと上手くいきますから。」


サクラ殿はいつだって前向きで、拙者に勇気を授けてくれる。

二人を絶対に救い出してみせる。

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