第196話 天幻流剣術

ご主人様は遊郭ゆうかくには行かないと約束して下さったけれど、あのムソウ様の術中じゅっちゅうにハマってしまったならば、それは有り得る事だと思う。

ご主人様は信用している相手にはそれなりの信頼を置いて接するから…

多分、色々と言いながらも、修行の為だと言われたら付いていくはず。


ランカ様の言葉で、悪い事があったわけではないと分かって安心したけれど、次は別の心配が…


あのような場所には奴隷時代、何度か行ったことがあるけれど、女性達の妖艶ようえんさと話術には舌を巻いた覚えがある。

相手に有無を言わさない、甘いささやきは、男性の理性をゆっくりと溶かしていく。

遊郭は、大陸のものとは違うらしいけれど、女性が本気で男性を誘惑する時、大陸か島かなどというくくりは、関係ない。


ご主人様は大丈夫だと信じているけれど…


ソワソワしながら待つこと数時間。


夜が明けた頃、やっとご主人様が帰ってこられた。


ご主人様は困った顔で、何もしていない事を伝えてくれた。


私は奴隷で、こんな事を言うのは間違っているとは分かっているけれど…


「私の身も心もご主人様に捧げたのですから、私をお使いになればよろしいではないですか。」


そんな言葉をご主人様にぶつけそうになり、私はこんなにも傲慢な女だったのだ、と認識した。


幸い、その言葉はご主人様に届く事は無かったけれど、危うくご主人様に対して奴隷が言ってはならない事を言うところだった。


もちろん…ご主人様がそうしたいと仰るならば、私はいつでもこの身を捧げる準備は出来ている。

ううん…本当はそうして欲しいと願っている。


未だにご主人様の横で寝ているのには、腕に触れて眠ると、奴隷として生きていた時の事を忘れて眠れる…という理由があるのだけれど、もう一つの理由は………


ダメダメ。こんな事考えていたら、ご主人様に嫌われてしまう。


今はとにかく強くなって、ご主人様のお役に立てるようにならなくては!


頭の中でそんなことをクルクルと思い巡らせながらおにぎりを作ってご主人様に渡す。


まだまだ世界はご主人様を必要としている。

私は黒翼族の魔族で、ご主人様はそんな私達の事も助けて下さろうとしている。

余計な事を考えている時間なんて無い。


ご主人様に酷い事をしていた人の一人も聖騎士としてこちらの世界に来ていたし、強かった。

私の微力がどれだけ役に立つかは分からないけれど、もっともっと強くなれば、少しくらい役に立てるはず。


「ご主人様。今日もお願いします。」


「今からか?」


「はい。大丈夫です。」


「……分かった。」


ご主人様がインベントリから取り出して下さったのは、真紅の鏡というアイテム。


私の魔眼を制御するために必要なアイテムで、毎日しっかり練習している。


「ふぅ……いきます!」


自分の中にある魔力を、両目に向けて走らせる。


ぼうっと左目の瞳が赤くなり、大陸で使われるフロイルストーレ様の紋章が浮かび上がる。


未だ魔眼が発動するのは左目だけ。

右目には何の変化も無い。


しかし…


「いきます!」


ゴウッ!


自分の周囲に黒い霧が発生し、目に力を込めると、それが移動する。

ご主人様が用意してくださっていた短い丸太に当たった黒い霧は、丸太の一部を完全に穿うがち、消滅させる。


「ふぁ…」


そこで私の魔力が尽きて、目から赤い光が消え、体から力が抜けていく、


「随分上手く操作出来るようになってきたな。」


「ですが、やはり…魔力の消費が…激しいです…」


力が抜けて少し喋りにくい…

でも、黒い霧の操作には少しだけれど慣れてきた。

これが一体どんな力で、何と言う魔眼なのか、それは未だ分からないけれど、ご主人様いわく、とても強力だけれど、それ故にとても危険な力らしい。


少し制御出来るようになって、その破壊力を目にした時、ご主人様の言っていた事がよく分かった。

目の前にある丸太の切れ端もそうだけれど、黒い霧が触れた部分と、そうでない部分の境界面は磨いたように綺麗。

多分、これが鉄だろうと鎧だろうと、同じように、有無を言わさず、物体を消し去ってしまうと思う。


この力を完全に支配して、魔力も何とか出来れば、私の奥の手として使えると思う。でも、これは本当に凄い力。しかも、普通の魔法とは違い、それが例え何であろうと、全てを消し去ってしまう。

使い所を見極めて使わないと、それが例え大切な何かでも、関係無しに奪ってしまう。そんな力。


それが分かっていたから、ご主人様は、この力を私に使わせる事を、どこか躊躇ためらっていたのだと思う。


「少しずつ魔力量も増えているみたいだし、続けていけば、それも変わってくるさ。

朝の修練までは、まだ時間がある。少し眠ると良い。」


「…はい……」


ポンポンと頭を撫でてくれたご主人様が微かに笑い、それを見た後に目を瞑る。


ゆっくりと意識が深く落ちていき、目が覚めると、日が昇っていた。


「まだ少し時間があるから寝ていても良いぞ?」


目が覚めた事に気が付いたご主人様が優しい声でそう言って下さる。


「いえ。もう大丈夫です。ありがとうございます。」


「そうか。おにぎりのお返しだ。」


そう言って、ご主人様は朝食を出してくれた。


ご主人様の作る朝食は、何故か分からないけれど、とても優しい味がする。


私も全く同じ材料で、全く同じ味付けをしているはずなのに、未だご主人様と同じ味になった事は一度もない。

一度だけご主人様にその事を聞いた事がある。その時、ご主人様は、母が教えてくれた味だから…と、理由にならない理由を教えて下さった。


私には両親の記憶がほとんど無いから分からないけれど、ご主人様の言う、『お袋の味』というやつなのだろうか。


最高の朝食を頂き、私は今日も修練に向かう。


毎日のようにユラと木刀を合わせ、ランカ様から指導を受け…それなりに技術を習得した時には、ここへ来てから一ヶ月半の月日が流れていた。


免許皆伝めんきょかいでんとまではいきませんが、今後はご自身で技術を昇華させていっても問題ありません。」


ランカ様が私にそう言って下さり、私の修練は終わりを迎えた。


本格的な盾と小太刀の使い方というのを初めて習ったけれど、想像していたよりもずっと奥が深かった。

これは多分…大陸で用いられる短剣や盾の使い方とは、また違う技術ばかりだったと思う。

この島に存在する武器を扱う技術は、世界的に見てもかなり卓越したもの。練りに練られた技術ばかりで、細かな動き一つ一つに、大きな意味がある。

どれも窮屈きゅうくつな動きに感じるけれど、それが何よりも大切な事だと知った。


ご主人様も、遊郭に行ったあの日から、更に神力の扱いに磨きをかけられて、今では魔法よりも使い勝手が良いという事みたい。

神力の形状はイメージによって色々と変えられるみたいだけれど、物理的な攻撃として扱われるもので、魔法とは違うから、それぞれの使い道がある…との事だったけれど…少しでも追い付けたと思えば、ずっとずっと先まで行ってしまうご主人様。

私のような非才ひさいの身が、その背中を見続ける為には、走り続けなければならない。

走り続けたとしても、追い付けない人なのだから。


こうして、私とご主人様は自分達の力をより確実なものとした。


セナはというと、あれからひたすら試行錯誤しこうさくごして、ユラ含めた三人の武器が、私達の修練が終わるタイミングとほぼ同時に終わった。


「よーし!完成!」


私は修練が終わった為、何か得られるものがないかと、セナの工房へ足を運んでいた。


セナの、刀を打つ姿は初めて見たけれど、工房内に居る時の彼女の集中力は尋常ではない。

繰り返し繰り返し、熱しては打ち、冷やし、そんな単純にも思える作業をひたすら繰り返していく。

大粒の汗がひたいから流れ落ちていても、気にせず、一心に赤くなった刀を見詰めている姿は、見ている者に息を飲ませる程。


打つ度に火花が散り、最初は金属の塊だったものが少しずつ少しずつ、武器の形へと形成されていく様は、芸術と言われても納得出来る。

そして、形を作った後もまた、とても時間が掛かる事を知った。

磨きから本仕上げまで、長い時間を掛けて、鋭利さやバランス等、とにかくわたしには分からないような細かい作業を完璧にこなさなければならないらしい。

ここでもし、間違ってしまうと、全て一からやり直し…私なら恐ろしくて出来ないかもしれない。


こうして出来上がった刀は、凄いとか、強そうとか、そういう次元ではない。ただただ溜息が出る程に美しい。

鈍く光る刃と、そこに現れる波紋の織り成す一つの芸術は、人の手によって作られたとは思えないような表情を見せる。


大陸の武器は、造形の美しさと、武器の性能は必ずしも比例しない。それは装飾という美しさを求めてしまっているからだと、私は思う。

この島の全ての武器を見たわけではないし、言い切ることは出来ないけれど、少なくとも、セナの打つ武器において、その美しさと性能は比例しているように見える。

セナの打つ武器の美しさは、装飾ではなく、研ぎ澄まされた武器の本性…とでも言えば良いのか、無骨で装飾などほぼ無いのに、き付けられる。そんな美しさ。


私とご主人様の武器を打ってくれる約束をしているけれど、本当に楽しみ。


セナが完成させた武器を持って、ランカ様と、武器を渡す三人の元へと向かう。


「出来上がったのですか?」


「はい。」


私から見れば、これ以上は無い完璧な仕上がりに見えるけれど、ランカ様はこの島でずっと武器を見続けてきた。

出来栄えの善し悪しについて、私より厳しい目を持っているに違いない。


セナも緊張しているのか、顔がちょっと強ばっている。


「拝見致しますね。」


「はい。」


セナが打ったのは、薙刀一本と、刀二本。

どれもそれぞれ違った形で、持ち手の癖まで考え抜かれた形をしている。


「こちらは、細かく速く動く事を想定して、少し軽くしてあります。力の伝達が潤滑じゅんかつに行われるようにと、柄部分も若干の湾曲があります。」


「…………」


ランカ様は、セナの説明を聞きながら、僅かに頷き、刀を隅々まで見ていく。


「こちらの刀は逆に、大きい動きをしっかりと伝えるため、真っ直ぐ、太く、そして硬くなっております。

最後に、薙刀は全体も、刃部分も少し長めにして打ちました。」


「長めにした理由をお聞きしてもよろしいですか?」


「ユラの薙刀による演舞えんぶを見させて頂きましたが、円の動き…でしたか。普通の薙刀は突く動作が基本となるところ、柔剣術では、突く動作よりも、払う動作の方が多いと感じました。

そこで、遠心力をより強く生じ、払う動作で攻撃範囲が広く取れるようにと考え、この形にしました。

ユラもこの事は了承済みです。」


「……そうですか。三人の意見を聞かせてもらっても良いでしょうか?」


「私は一切、不満がありません。」


「私も、同じくですね。」


刀を受け取った二人は実に満足そうな顔をしている。


「アタシがこんな凄い武器を使っても良いのかと思う程の出来だと思います。

はっきり言って、北地区でこれ以上、私に合った武器を作れる刀匠は居ないと思います。」


「ふふふ。だそうですよ。私も同意見です。噂は当てになならないとは言いますが、今回もその通りでした。

噂など当てにならぬほどの腕前。感服致しました。」


「あ、ありがとうございます!!」


「良かったですね!セナ!」


「うん!良かったぁ…あー!緊張したよー!」


セナは緊張から解放されて、背中を丸めて息を大きく吐く。


「ふふふ。これだけの腕を持っているとなると、天国にいらっしゃるトウジ様も、きっと満足しておられるでしょう。」


「いえ。まだまだだ。と言われると思います。父は褒める事は無い人でしたから。

ですが、それが良かったのだと思います。

この仕事に完璧という言葉はきっとありませんから…」


「ここまでの武器を打って、まだ上を目指すのですか。これが名匠たる所以ゆえんなのでしょうね。」


「名匠だなんて勿体ない!」


謙遜けんそんも過ぎれば嫌味になりますよ。」


「うっ…」


「ふふふ。また武器が必要になったら、セナ様にお願いしたいと思います。」


「えっ?!良いのですか?!」


「ここまでの仕事を見せられて、他の人に頼むなんて出来そうもありませんからね。そんな事をしたら、私が門下生達に嫌われてしまいますよ。」


「あ、ありがとうございます!これからもよろしくお願い致します!」


「こちらこそよろしくお願い致します。」


こうして、セナは、島一番の刀匠という目標へと向けて、新たな一歩を踏み出したのだった。


ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー



「ラト。お前少し太ったんじゃないのか?」


『うーん…そうかも。』


神力の修練が一通り終わり、ムソウから合格を貰った日、久しぶりにラトの毛繕いをしてやっていて、そんな事を思った。


『ここの所、皆に色々と食べさせてもらったから…』


「ははは…そういえば随分と人気者になってたな。」


修練も終わったし、ここからは、また四鬼華の収集へと戻るため、ラトの脂肪も燃焼されるだろう。


「シンヤはもう良いの?」


「いや。あと一つムソウに確認したい事があってな。

天幻流剣術についてだ。

ずっと神力の事で忙しかったから、まだ見せてもらっていなかったんだよ。それを後で見せてもらう約束をしたから、それを見たら終わりだな。

今夜か…遅くても明日の朝には、また西へ向かうつもりだ。

またラトに頼ることになるが、よろしく頼むよ。」


『もちろん!僕に任せて!』


久しぶりに伸び伸びと走れる事が嬉しいのか、毛繕い中だと言うのに、目の前でクルクル回り出すラト。


「落ち着け。毛繕い出来ないだろう。」


『はーい!』


「しかし…ラト。お前の毛。少しずつ黄色の部分が増えてきたな?」


『そうかな?』


「ああ。最初見た時より随分と黄色の毛が増えたぞ。」


まだ虎柄というには黒い毛の方が多いが、少しずつラトの体も聖魂へと近付いているという事だろうか。


毛繕いが終わる頃…


「ご主人様!」


ニルとセナが、二人して満面の笑みでこちらへ歩いてくる。


武器が完成したと聞いていたし、ランカとユラ達三人が、セナの打った武器を気に入ってくれたのだろう。


「その顔は成功だったみたいだな。」


「ご主人様!セナは凄いですよ!これからも武器を作る際にはセナにお願いするという確約まで頂いてしまいました!」


「身に余る光栄だけど、指名されたのなら、最善を尽くすわ。絶対にこのチャンスは逃したりしない。」


「セナなら大丈夫さ。応援しているぞ。」


「私もです!」


『僕も僕もー!』


「皆、ありがとう。うち…頑張る!」


こうして、俺達全員の準備が整った。


そして、ムソウが言う天幻流剣術とやらを拝見するために、全員で古い道場へ向かう。


「クソジジイ。天幻流剣術を見に来たぞ。」


「見せてもらう立場でありながら、その態度はどうかと思うのじゃが…」


「日頃の行いを改めるなら考えてやらんでもないぞ。」


「あ。それなら良い。」


すん。という効果音が似合う顔をしてそんな事を言うムソウ。


「分かってはいたが、超腹立つな…」


マジ全力で殴りたい。


「さーて。やるかのう。」


「天幻流剣術ってのはどんな剣術なんだ?」


「どんな…と言われてものう…一朝一夕いっちょういっせきでは身につかん剣術とでも言えば良いかのう。」


「逆に一朝一夕で身につく剣術を、俺は知らないがな。」


「他の剣術と比較して、という事じゃ。

良いから黙って見ておれ。」


ここは大人しくムソウの言う事に従っておこう。


俺達は道場の隅に寄って座り、ムソウの剣術に注目する。


「めんこい女子二人に凝視されると…来るものがあるのう。」


「早くしろ。クソエロジジイ。」


「遂にクソとエロが合体を果たしおった…」


「良いから早くしろ。」


「せっかちな奴じゃのう。仕方の無い奴じゃ。」


そう言うと、ムソウは木刀を大上段に構え、集中力を高めていく。


「せいぁ!!」


ザンッ!!


離れていても風切り音が聞こえる程の鋭く重い一撃。恐ろしく洗練された剣術だ。だが…


「これが天幻流剣術の全ての基礎となる技。」


霹靂へきれき…?」


「なんじゃ?知っておったのか?」


「知っているも何も…俺が使っている剣術…だ……」


「何っ?!どういう事じゃ?!」


「俺だって分からないっての!」


俺の剣術は父が代々受け継いできた剣術で、他には無い剣術だった。それは間違いない。

と言うのに、何故ムソウが…?いや、そもそも何故この世界に父の剣術が…?


「お、俺は父から剣術を教わったんだが…」


「父…?いや、待て…そんなはずは……もしや、シンヤの父というのは…シンタロウという名ではなかったか?!」


「た、確かに真太郎だったが…いや、そんなまさか。」


「言ったであろう…この剣術を知っておるのは、わしゃと、オボロ。そしてもう一人。」


「ムソウの、たった一人の弟子…」


「そうじゃ!わしゃの剣術が、こんな近くで、脈々と受け継がれていたとは!ぬひひひひひひひひ!めでたいのう!めでたい!」


「め、めでたいのは良いけど……」


どういうことだ…?


父の仕事は、確か、ゲームプログラマだったかエンジニアだったか…確かにゲームを作る会社に居た。だが…ファンデルジュに携わっていたとは聞いていないし…そもそも発売よりずっと前に亡くなっている。

いや、ゲームを一本作るとなると、小さな会社だったし、かなりの時間が掛かる。携わっていたとしても不思議は無いが…


父がファンデルジュの制作に携わり、このゲームの中に自分の剣術を入れ込んだ…と考えるしか説明のしようがない。


しかし…何故またこんなエロジジイの弟子という立ち位置……いや、テンションは確かに似ているが…


親父の遺産…というやつだろうか?

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