第186話 夢
「母さん…」
「真也…」
母さんの目は逆さ吊りになり続けていて、
加えて、失血が酷く、意識は
「母さん!直ぐに助けるから!絶対に助けるから!」
必死だった。
ただ、母と父を車から出さないと…と、それしか考えていなかった。
ガンッ!ガンッ!
近くにあった石や木を使って、ドアをこじ開けようとする。
爪が割れ、血が
それでも、どうにか助けたかった。
ガンガンッ!
「なんでだよ!開けよ!開いてくれよ!!」
ガンガンガンッ!
「真…也………」
もう既に、母さんの顔は血が上って赤黒く変色してきている。
「やだよ…母さん…」
バチッ!
ボウッ!
何かの電気系統がショートしたのか、突然近くから火花が散り、雪の中に広がっていた燃料に引火する。燃え広がる事は無さそうだが…このままでは父と母は…
「……………て……」
もう、ほとんど聞こえないくらいの小さな声。
「今助けるから!絶対!絶対に!」
語尾しか聞き取れず、助けて、と言われたと思い、泣きながら、必死に…ビクともしない扉を叩いた。
トンッ…
そんな俺を、母は弱々しく、けれど、しっかりと…押し退けた。
「………真………也……………生きて………」
母は、助けてなんて言っていなかったし、逃げて、ですらなかった。
『生きて』という言葉を、母が使ったのは、きっと俺の事を誰よりも深く理解していたからだと思う。
もし、その時、母が生きて、ではなく、逃げてだったなら……俺は恐らく、その後自殺していた…と思う。
母に力無く押し退けられた俺は、その場に情けなく尻餅をつく。
「真也……生きて……」
母の最後の言葉と、笑顔を、俺は一生忘れる事が出来ないだろう。
「嫌だぁぁ!母さん!!父さん!!」
真っ白な雪の中、真っ赤な炎が両親を包み込んでいく。
俺は自分が燃えても構わないと、立ち上がり、車に駆け寄ろうとした。
「ダメだ!」
そんな俺を、後ろから抱き止める誰か。
知らない男性。
「離してくれ!父さんが…母さんが!」
「ダメだ!もう……」
「そんな…嫌だ……嫌だああああああぁぁぁぁぁぁ!うあああああああああ!!」
助けたかった。なのに、どうする事も出来なかった。
「あ゛あ゛ああああああああぁぁぁぁぁ!!」
喉が潰れる程、俺は叫び続けた。
もっと俺に力があれば…もっと何か知識があれば…
炎に包まれていく車を目の前に、涙を流し叫ぶ事しか出来ない自分を…心底呪った。
俺を引き止めたのは、ぶつかった車の相手だった。
俺達を乗せた車は、接触後、吹き飛ばされて、崖の下へと落ちたらしい。
それを見た運転手の男性が、大変だと崖を迂回して降りてきてくれたのだ。
既に警察に連絡はしてくれていたらしく、暫くしてから、赤色灯が崖の上に見えた。
結果から言ってしまえば、不運が重なってしまった…という事だった。
野生の動物が飛び出してきた不運。
轍に悪い状態でハマってしまった不運。
対向車が来てしまった不運。
崖を転がり落ちてしまった不運。
車の前面が木にぶつかり潰れてしまった不運。
燃料タンクに穴が空いた不運。
電気系統から火花が散り、漏れ出た燃料に火が付いた不運。
どれを取っても、俺がどうにか出来る事ではなかった。それは頭では分かっている。でも、簡単に割り切れるものではない。
その後、色々と警察の人から話を聞かれ、聞かされた。
事故の原因や、その時の状況を聞かれたが…ろくに喋れなかったと思う。
ただ、唯一そんな中、救いが有ったとすれば…
木にぶつかる瞬間、父は母を
母も、火に巻かれる前には死んでいた事だった。
火に焼かれる父と母の悲鳴を聞かずに済んだのは…多分、幸運だったのだろう。
その後、俺は病院に入院したり、また警察の人と話をしたりしたが、ずっと頭の中をグルグルと回っていた考えがあった。
『俺への罰に、父と母を巻き込んでしまった。』
あの日から、その考えが、俺を襲い続けた。
対向車の人を恨んだ事は無い。
相手からしてみれば、急に横向きになった車がぶつかって来ただけだし、彼は直ぐに崖下まで来てくれた。
今となっては、本当に感謝している。
彼のお陰で、俺は母の
ただ、その当時は、絶望の中に居た。
我ながら当たり前だと思う。
父も母も、目の前で亡くしたのだし、死ぬ間際まで、母と会話し、助ける事が出来なかったのだから。
父も母もいない状況で、学校へ通い続ける選択肢など、俺の中には無く、まず一番最初に考えたのは………自殺だった。
世の中には、失われても良い命など、一つも無い、
誰だか忘れたけれど、そんな事を言われた時があった。
確か…カウンセラーだったか何かだったような…
その考え自体が、主観的なものではあるが……人の感情を考えた時、失われても良い命は確実に存在すると思う。
それが誰にとってなのかはその都度変わる。しかし、確実に存在する。
例えば、そんな事を言っている人の大切な人が、誰かに慈悲もなく無惨に殺されたとしたら…その人は二度と同じ言葉を吐けなくなるはずだ。
その人にとって、その殺した者は失われても良い命へと変わるのだから。
それは俺も同じだと思う。俺が殺した相手にも親しい者達は居たはずだ。その人達からしたら、俺は失われても良い命であるはず。殺した事に罪悪感を覚えていない事を知れば、余計にそれは強いものになるだろう。
それでも生きていたのは、父と母が俺を必要としてくれていたからだ。
あなたが必要だ、とか、死んで欲しくない、とか…そんな綺麗な言葉を並べる人間は多い。
だが、その言葉の本質は、自分の関わった人間が自殺する、という事実が嫌なだけで、その人の命を本気で必要としているわけではない…と、俺は思っている。
心底必要としているならば、多分、そんな言葉を吐くより、俺の父と母のように、激怒するか、号泣するか…とにかく、本人が理解せざるを得ない反応を示すはずだから。
でも、そんな反応を示す人は、もう俺の世界には居なかった。
誰に何を言われても、微動だにしない心。
毎日のように夢に現れる父と母。
元々壊れていた心が、更に壊れていく音が聞こえていた。
でも……………
俺が死のうとすると、必ず聞こえてくる言葉があった。
「生きて……」
母の最後の声。
その時の俺にとっては、一種の呪いだと感じる程の、強い言葉だった。
これ程までに絶望した世界で、どうして生きなければならないのか…何に希望を持って生きれば良いのか…そもそも、俺に希望を持つ権利など有るのだろうか?
人を殺し、それに罪悪感を抱けない壊れた人間。その罰に巻き込んでしまった父と母。
もう俺の頭の中も心の中も、ぐちゃぐちゃだった。
ギリギリ生きている。そんな状態だったと思う。
母の言葉を守り、生き続ける為には、そんな状態でも、やらねばならない事があった。
それは、金銭を稼ぐこと。
人は悲しいかな、息をするだけでも金銭が必要である。
それが、世の中に絶望している男だとしても…だ。
俺は死ねなかった。死ねないならば…働くしかなかった。
しかし、高校を卒業しておらず、両親も居ない。その上、暗い過去まである。
未成年の正当防衛となれば、俺の個人情報は守られているはず…というのは表向きだけ。同級生の連中にさえ知られてしまうような情報の制限など、有って無いようなもの。
そんな俺に手を差し伸べてくれる会社など、そうは無かった。
「えーっと…今回は縁が無かったという事で…」
「いやー…さすがに…ねぇ?」
多くの会社は、そんな感じで遠回しに断ってきた。
当然だろう。
俺が社長なら、そんな爆弾みたいな男を雇いたいとはとても思えない。
どれだけの会社に足を運んだか、数えた事は無い。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり。
そんな俺に唯一手を差し伸べてくれた会社があった。
その後、俺があの世界を離れるまで世話になった会社。
「先に言っておくけど、うちの業務は辛いよ。人手は少ないし、一人の担当する業務量が馬鹿みたいに多いからね。
ハッキリ言うと、今流行りのブラック企業ってやつだ。」
ブラック企業は、自身をブラック企業とは言わない。そんな通例をぶっ壊すような社長の一言。
俺が選り好み出来ない立場だったから、という理由も有るかもしれないが、そもそもの性格がそんな人だった。
「君の過去は知っている。うちに入っても、風当たりは強いかもしれない。それでも良いなら…うちで働いてみるか?」
俺はその会社に入った。
小さな会社で、言っていたように人は少ないし、連日激務。
その上、俺の過去を知った社員の人達からは避けられるか…自分の業務を押し付けられるか…
でも、嫌だとは言えなかったし、ある意味救われてもいた。
父や母の事について考える暇も無かったし、自殺しようと考える暇も無かった。
あれ程に
住めば
変わらず辛く当たって来る人も居たが、仕事の付き合いだからと割り切ってくれる人も居たし、何より、俺に構っていられる程の時間が有る人はその会社には居なかった。
働いて、泥のように眠り、また働く。そんな繰り返しの毎日。
それでも、仕事というのは慣れるもので、数年もすると、余裕が少し生まれ、俺の中にあった暗い感情は少しずつ頭を出してきた。
眠りに入る前に、ふと思い出す母の声。
業務の合間に、ふと思い出す父の声。
そして、また、夢を見るようになった。
「真也……生きて……」
夢を見る度に、胸が締め付けられ、呼吸を忘れてしまう。
こうして疲れが取れない毎日を送っていた時、出会ったのがファンデルジュだった、
夢を見るのが怖くて、なかなか眠れず、そんな時に期待されていたネトゲを見つけた。
超リアルRPG。
それが
別にファンデルジュでなくても良かったが、何か
シンヤというキャラを作り、プレイしていると、まるで別の世界に自分が入り込んで生きているかのような感覚に陥った。
街の段差から落ちて死んだり、最弱モンスターに突撃されて死んだり。
解体作業の映像は鮮明でグロテスク。
ステータスを上昇させるのは一苦労。
普通ならクソゲーだと言われるネトゲだと、直ぐに分かった。
でも、それが俺には心地良かった。
ゲームの中では、俺は俺であり、俺ではなかった。
誰も俺が海堂 真也である事は知らないし、ソロプレイを貫こうとすれば、可能なゲーム性。
基本的に全てのことが上手くいかない、だからこそ、上手くいった時の達成感は、言葉に出来ない程。
ファンデルジュの世界では、好きなように生きて、好きなように世界を見られる。
どハマりした。
激務に次ぐ激務で、毎日ヘトヘトになって帰ってくるのに、家に帰れた時は必ずファンデルジュをプレイした。
ただただ薬草を採取し続ける日もあれば、新しく魔法を覚えた日。
新しい武器を手に入れたり、強いモンスターを倒せたり…
そんな色々な事が、俺にとっては
そんなファンデルジュの世界で、俺を虐めていた三人と会った。
俺がある日から学校へ来なくなったから、ネタばらし感覚だったのか…俺が何かに夢中になっている事が許せなかったのか…理由までは分からない。
俺の中では特別になっていたファンデルジュの世界を、黒く塗り潰された気がした。
やはり俺にはそういう生き
落ち込んだどころの騒ぎじゃなかった。
またしても絶望した。世の中に、人に、なにより自分に。
ファンデルジュはもう終わりにしよう。そう思った。
でも、離れられなかった。
海堂 真也ではなく、シンヤで居たかったのか…俺を救ってくれた世界に居たかったのか…分からない。
俺はそこから完全なソロプレイを貫き、誰とも接点を持たなかった。
俺を虐めていた三人もファンデルジュを続けていたみたいだが、それから会った事は一度も無い。
そして、あのメッセージが来た。
元の世界で唯一、俺を拾ってくれた会社の社長には申し訳ない事をしたと思っている。
ただ、会社も少し大きくなり、人手も増えつつあったから、致命的な事にはならなかったはずだ。
この世界に来てからは本当に色々な事があったし、休む暇も無かった。だから、両親の事や、暗い感情は、なりを
あの日と同じ白い雪を見たから、心から信頼出来るセナが死にかけたから、理由はいくつかあるけれど、とにかく、それで俺は夢を見て、眠れなくなってしまったのだ。
ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー
「……と、まあこんな感じだ。」
「……ご主人様……」
俺の話を黙って聞いてくれていたニルは、目の端に涙を浮かべ、眉を寄せている。
「聞いて面白い話じゃないけど…話したくなってな。暗い話ですまないな。」
女性の涙は苦手だし、気恥しさもあって、苦笑いしながらそう言った。
ニルやラトには車と言っても伝わらないし、所々言葉を選んだり端折ったりしたが、内容は全て伝わったと思う。
「ご主人様!」
『シンヤ!』
「シンヤさん!」
「シンヤ!」
ニルが俺を抱き締め、ラトは頭を擦り付け、寝ていたと思っていたセナとリッカがダイブしてくる。
「ちょっ…」
全員に押し寄せられると、対処に困る!
というかリッカの手冷たいな?!
苦しいと言葉を出そうとしたが…
美女三人とモフモフに詰め寄られるのだから、役得だと思っておこう。
俺の事を思って涙を流す彼女達を押し退けるのは…出来そうに無い。
一通り押し潰された後、離れてくれると、セナが涙を拭いながら口を開く。
「うちにも色々とあったけど…シンヤさんの話を聞いたら大した事ないわ。どれだけ苦労してるの?
そんな所まで常識外れである必要なんて無いのに。」
「そうなりたくてなったわけじゃないのだが…」
苦労人を目指す人なんてドMくらいのものじゃないか?
「ご主人様。私はご主人様が居なければダメです!全然ダメですからね!」
「分かってるよ。ありがとう。」
両手を拳にしてそんな事を言ってくるニルの頭を撫でてやる。
ニルが俺を必要としている事は分かっている。
奴隷という
『シンヤ大好きだから死んじゃ嫌だ!』
「もう死ぬつもりは無いって。」
ラトはベロンベロンと顔を舐めてくる。ヨダレ
「シンヤ…雪…降らせて本当にごめん…思い出させた…」
「いや、リッカが降らせなくても元々ここは雪だらけだったろ。」
リッカはしゅんとしている。会ったばかりだが、俺の感情が伝わるせいで、話以上の気持ちが分かったのだろう。
「………リッカも、話す。」
「リッカも?」
「うん。どうしてここに居るのか。話す。聞いて欲しい。」
「…分かった。聞くよ。」
リッカはカタコトながら、ゆっくり話を始めた。
ラトの通訳を挟んで聞いた内容は、こうだった。
リッカはそもそもこの島の別の山に居たらしい。
はるか昔、まだリッカがただのSSランクモンスター、雪女だった時の話だ。
今とは島の地形も違い、鬼人族達の街もそれ程大きくなかった頃。
リッカは氷と雪の世界に居た。
今居る針氷峰よりも高く、万年雪に覆われた山々が連なる場所。
生き物の数は少なく、鬼人族も立ち入らない場所。
そんな場所で一人、生きていたらしい。
別にそれ自体に不満や不安は無く、それが当たり前であり、自分はそういう生き物であると、彼女は理解していた。
そんな時の事。
リッカはいつも通り、獲物を探して雪の中を
そんなリッカの前に、一人の女性鬼人族が現れる。
人の踏み入らない場所であり、リッカの生活圏はそんな地域の奥深く。その時リッカは始めて鬼人族を見たらしい。
「そんな所に女性が一人で?」
「うん。その人は、ユキナって言ってた。」
彼女の名前だ、
長く、くせっ毛の青い髪をした女性だったらしい。瞳も青く、とても綺麗な人だったと、リッカは言った。
リッカにとっては初めて見る鬼人族。そして、モンスターから見ればただの獲物…のはずだったのだが、何故か彼女を殺して食おうとは思わなかったらしい。
その頃から彼女には知能があり、自分と似た姿形の者を食そうとは思えなかったとの事だ。
その女性は、何故そんな所に居たのか…それはリッカにとっては非常に不思議な理由だった。
まず、彼女はリッカの住む山の麓に住む村娘であり、その村の村長の一人娘らしい。
そして、彼女は街の、それなりの鬼士に
結婚したその男性は酒に女に賭け事に……というよくある話だ。とにかくクズの中のクズみたいな奴で、挙句の果てには
これはもう許す事が出来ない…と、彼女は
「ユキナは、私を見て…死神と言った。その時は何を言っているか分からなかったけど。」
気持ちは分からなくはない。人にとってSSランクのモンスターは正直、似たようなものだし…というのは少し失礼か。
「あとから何を言ってたのか意味を知って、確かにそうだなと思った。」
まあその時のユキナの気持ちとしては、死にに来たら凄い相手に出会ってしまった…という所だろう。
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