第二十六話  騎士の誇り

 騎士団と冒険者は魔の森の東と西に分かれて狩り勝負を始めた。

 魔の森の東側には、騎士団が築いた簡易陣地があった。

 騎士団は千人近い狩り勝負の参加者を三つの中隊に分け、狩り、休憩、警戒の役割を交代させる方法を取っていた。騎士団の魔物狩りは、潤沢な装備と集団の連携を活かした殲滅戦だ。冒険者たちと違い、小刻みな休憩よりもまとまった休息の方が都合がいい。

 騎士団の陣地で、王都騎士団長のオーランド・ヴィル・グリーダは、自慢の大剣に両手を置いて魔の森を睨んでいた。巌の如き風格はヴィラルド王国の鋼の盾と評される武人に相応しいものだ。


「父上、お休みになられないのですか?」


 語りかけてきた息子のオルドランドを、オーランドはぎろりと睨んだ。


「……騎士の長たるものが、戦場から目を離すわけにはいかぬ」

「戦場、ですか?」


 オルドランドは首を傾げた。

 千人もの騎士団が集結しての魔物狩りだ。これは単なる駆逐作業、雑草の処理の如き簡単な作業のはずだった。

 心配性な父に、オルドランドは笑い声をあげる。


「恐れながら、戦場などとは大げさではありませんか? 騎士団が本気になれば、魔物も冒険者もどうということもありません。父上ももっと気を楽にされてはいかがで――」

「黙れ、痴れ者がッ!!」


 びりびりと空気が震える。怒号を浴びたオルドランドの心臓は、ひきつけを起こしたようにバクバクと波打っていた。


「元はといえば、貴様が大げさに喚き立てた結果であろう。なのに当事者である貴様が、この騒ぎに対してこうも能天気とはな」

「お、恐れながら父上! 冒険者たちの奢りは目に余ります! あまつさえ、あの名ばかり公爵令嬢は我々騎士団を腰抜けと呼ぶ始末。汚名を払拭せねば、騎士の誇りが――」

「その公爵令嬢に挑んで無様に負けた貴様が騎士の誇りを口にするか? 呆れ果てて物が言えんわ」

「父上は俺が負けたままで良かったと仰るのですか!?」

「我が呆れているのは、決闘に負けたことではない。決闘に負けたお前の往生際の悪さよ。騎士ならば、神聖なる決闘の結果を粛々と受け入れるべきだろうに」

「ち、父上……お、俺は騎士団長である父上の立場を考えればこそ……」

「そして自分の負けを父の立場を理由に覆そうとするか。何という甘ったれだ。己が挑んだ決闘の結末を受け入れられず、騎士団長の息子という立場を利用して騎士団全体の問題にすり替える……卑怯千万だ。情けなくて涙が出てくるわ……」

「ち、父上……」

「貴様に煽られた若い騎士たちを宥めるために止む無くこの馬鹿げた勝負を許可したが、終わったら勝とうと負けようと貴様は我が自ら鍛え直す。覚悟しておけ」


 呆然とする息子を見て、オーランドは苦虫を噛み潰した。

 厳しく育て、強くなった息子はオーランドの誇りだった。このままなら騎士団長の座を継ぐことも出来るだろうと期待していた。

 なのにちょっと見ない間に、息子は性根の腐りきったクズになっていた。

 騎士の誇りとは、勝つことではない。勝負に対する高潔さこそが騎士の誇りなのだ。勝利のみに拘れば、人間はどこまでも卑しく汚くなる。それを食い止め正義を示すのが『騎士』の存在理由だ。

 騎士の在り方を忘れたオルドランドは、性根を一から鍛え直さねばなるまい。でなければ不本意ではあるが、息子は廃嫡しなくてはならなくなる……。

 オーランドが息子の将来に頭を悩ませていると、彼のもとに伝令が駆け付けてきた。かなり急いでいる。良くない知らせのようだ。


「ほ、報告いたします! 魔の森の魔物たちがスタンピードを起こして我が方へ押し寄せてきます!!」

「なんだと!?」


 良くない知らせ、ではない。最悪の知らせだ。

 魔の森に魔物が蔓延ると、何かの拍子で外へと大挙して暴走する場合がある。それがスタンピードだ。

 自然界における共食いのような生息数の調整機能の一種ともされているが、理由はともあれ、スタンピードの熱狂に侵された魔物は死ぬまで暴走を止めることがない。スタンピードを起こした魔物は危険度が二段階も跳ね上がるほどだ。

 報告を聞いた騎士たちの顔が青褪める。狩りではなく死闘が始まるのだ。青褪めるのも無理はない。


「ち、父上! 早く逃げましょう! 暴走した魔物の相手なんて冗談じゃありません!!」

「…………」


 オーランドは、愕然として息子を見た。

 いま、こいつは何と言った? 逃げようと言ったのか? 王を守護し、民を庇護するべき騎士が、逃げよう、と……?

 愕然としたまま動きを止めた父に、オルドランドは縋り付いて言葉を繰り返した。


「父上!? 聞いておられるのですか!? 早く、早く逃げがッ――」


 気がつけば、オーランドは全力の拳を振るっていた。

 歯が折れて痛みに呻く息子を見て、彼に去来するのは哀れみではなく情けなさだった。


「……オルドランド! 貴様は勘当だ! ここまで騒ぎを大きくした張本人が真っ先に逃げ出そうとするなど、もはや騎士にあらず! 貴様の性根が腐りきってどうにもならないことを、今悟ったわ!!」

「ち、父上っ!?」

「何処へなりとも逃げるがいい! もはや貴様は騎士ではない!」

「父上ぇっ!??」


 もう見ているのも苦痛で、オーランドは部下に「連れて行け」と命じた。

 愚かな元息子が視界から消えると、騎士団長は部下たちを見回して声を張り上げた。


「我らの背後には、王都が控えている! 暴走した魔物の群れを王都へ近付けるわけにはいかん! 我々王都守護騎士団はこの場で魔物のスタンピートを迎え撃つ! 王都へ伝令を走らせろ! 王都の守備隊に防衛の準備をさせるのだ。我々は王都が態勢を整えるための時間稼ぎをする! ……悪いが、お前たちの命をもらうぞ」

『…………』


 騎士たちが無言で団長へ敬礼を返す。

 ここで命を惜しむような輩は騎士ではない。王都を守る……それが彼らの仕事で、彼らの誇りなのだ。


「……陣形を組め! 森から撤退してくる中隊を速やかに回収し、全隊で防御態勢に移る!!」

『応っ!!』


 騎士たちが速やかに動きはじめる。

 おそらく助からぬであろう、絶望的な戦いの為に。

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