灼熱の最前線
「ディミトラーシャ、なんで此処に!?」
「くふふっ! なんでって、勿論ぬしに逢いに来たに決まっていんしょう? コレットも一緒だったみたいでありんすし」
ディミトラーシャは意味ありげな目でコレットを見ると、見られた方は気まず目を逸らす。正直、俺も気まずかった。ちょうど一週間前、皆のおっぱいも揉みくちゃ(比喩でなく)にしてしまった負い目がある。
「ぬしらを責めるつもりは有りんせん。むしろ、わっちこそが責めを負うべきでありんしょう。語らいたいこと、訊きたい事は山ほどありんすが……それは後でありんす」
例によって、艶で妖し気な笑みを浮かべるおっぱいギルドのマスター。どう見たって戦闘用じゃない衣服に、いつ見たって零れんばかりのおっぱいを装備している。
ちょっと動いただけでポロリしそうなのに、全くそんな気配が無い。どうなってんだ……?
「ぬ、ぬし……! あんまりジっと見んでくんし……まだ後遺症が残っていんすから……!」
「え!? あ、す、スマン……後遺症?」
視線にモジモジと身を捩るディミトラーシャ。いつも余裕綽々だった彼女が顔を赤くさせ、豊満な肢体を俺から庇う仕草は何ともドギマギする。
「………………オリくん? マスターにナニしたの?」
モーゥ……?
「べ、弁明は後でするから! 今はそんな事してる場合じゃないだろ!」
そんな場合じゃないのに、ディミトラーシャのおっぱいをガン見したのは俺でした。
「そーそー! こんな血生臭い祭とかマジ勘弁だし! ちゃっちゃと終わらせちまおー、ゼ!」
バシンと、誰かに背中を強く叩かれる。
「っ、シンシア!」
「ヨッスちゃんオリ! 今日も童貞か!? そろそろ暑くなってきたし、ちゃんと冷蔵庫に入れなイタむぜぃ!」
「童貞は生ものじゃねぇんだよ!」
「早目にあーしらで召し上がったげるから、ちゃんと切り分けてな?」
「ケーキでも無いんだよ!」
こんな状況だというのに、シンシアは全く変わらない。
彼女はいつも通りの盛り盛りアゲアゲ(本人弁)な髪型をしていたが、ディミトラーシャと違う所は、動きやすそうな衣服を纏っていた点だ。
腕も腹も太ももも剥き出しで防御力は低そうだが、動きの阻害が一切無いような軽快な装備。踊り子とスポーツウェアの中間のような姿だ。
「全く、伝統ある『ポミケ』を何だと思ってるんでしょうカ……私から、新しいポーションとイケメン薬師漁りを奪った罪は大きいデスよ」
「アタシ、ただ働きなんてイヤよ。報酬は新鮮な童貞3ダースで良いわぁ」
「…………司令官、会いたかった」
「『
ディミトラーシャの後ろから新たに三人の女が現れ、シンシアに並ぶ。
白衣を纏った寝不足風の女、『
爆乳を突き出し、熱っぽい視線を男に……あと俺に向けてくる『
しゃもじみたいな杖? を背負った小柄なハーフエルフ『
更に後ろには見覚えのある顔触れが勢揃いしていた。『クレセント・アルテミス』の冒険嬢達だ。戦闘力を持つ者のみが来ているため、流石に全ギルドメンバーでは無いが、こんなに女の子が並ぶと圧巻だ。
「ぬしが『ミスリル・タワー』の処女を奪ってくれたお陰で、ようやく入る事が出来たでありんす。太くて逞しい極太棒を振り回す勇姿……わっち、昂りんした……」
「何故みんな誤解を招くように一手間加えるんだ……?」
場違いオブ場違いな美女がぞろぞろと現れ、微妙な雰囲気になる。
特に色を為したのはルーカス側の傭兵達で、優先すべき戦利品を見つけたように下卑た視線を彼女達に注いでいた。
「ディミトラーシャ、コレットとハナを連れて逃げてくれ! 何しに来たかは知らないけど、此処は危険――って、オイ!?」
暴力と獣欲に染まった嘲笑から彼女達を遮るように立ったのだが、三日月の女神達はソレを無視し、むしろ男達に向かって進んでいく。
「危険? 逃げる? わっちらが男に背を向けるのは、せいぜいそういう体位の時くらいでありんす」
皆の歩く姿には、恐れなど微塵もない。有るのは余裕と気品。そして、あるいは男達よりも凶悪な加虐心だ。
特にディミトラーシャはヤバい。細い三日月型になった唇の端から、赤い舌がヌラヌラと覗いている。
「ここは任せなんし。少なくとも、男共は全てわっちらが喰い散らかしてやりんしょう」
怖っ! ディミトラーシャさん怖い!
「ふん! 多少女が増えたくらいで、戦況が覆るものか!」
「既に計画は最終段階に移っている!」
「古い時代と新しい時代との軋轢の中で潰れ死ぬが良い!」
わざと悪役ムーヴしてるんじゃ無いかというくらい、ルーカス達の反応は堂に入っている。とはいえ奴らの言葉は強がりでは無く、実際に俺達の不利は変わらない。
しかし俺は、何となくまた誰かが来てくれる予感がしていた。
ピンチ、圧倒的な数の差、調子に乗る敵。援軍フラグは既に役満だ。このタイミングで来てくれる援軍の心辺りもある。
「待たせたなァ! ムネヒト!」
「だ、誰だ!」
(来たー!)
まさにその瞬間、後ろから太い男の声が俺を呼ぶ。いち早く反応したのはルーカスで、また律儀なリアクションを見せてくれる。
俺も期待に満ちた心持ちで勢いよく振り返った。其処には、俺の頼もしいシンデレラの姿が――。
「『孤狼』のダストール、推参!」
と思ったら誰だ!? いや本当に誰だ!? 堂々と二つ名まで名乗ってる推参ってしてるトコ悪いけど、あんな野郎知らないぞ!?
振り返ってみるが、コレットもディミトラーシャも(ついでにハナも)首を横に振る。誰の知り合いでも無いらしい。
てっきり、メリーベルの率いる第二騎士団が来てくれたのかと思ったんだけど……え、誰? 見覚えないけど、おっぱいギルドの客? 俺をムネヒトって呼んでるし……オリオン=ムネヒトって気付かれてた?
首を傾げる俺を他所に、ダストールと名乗った男の後ろから、これもまた全く見覚えの無い男達が次々と名乗りを上げていく。
「『一人旅ヴォルフ』ドーソン!」
「『ロンリィ・ウルフ』ベニート!」
「『ルプス・オブ・ソリトゥス』オルランド!」
「『リュコス・ザ・ストレンジャー』ガッビーノ!」
一匹狼系の二つ名ばかりだな!?
「我らミルシェ様の御意によりにハイヤ・ムネヒトの救援に参った! ところで、ムネヒトって野郎はどいつだ!?」
やっぱり初対面じゃねえか! あとミルシェ様って何!?
「バッキャロおめぇら、ミルシェ様がお教え下さった情報を思い出してみやがれ! ムネヒトってヤツは、おっぱいが好きそうな顔してるってミルシェ様は仰っていただろが!」
何故にその情報をチョイスしたんだミルシェー!
「あ! アイツだ! アイツが男共の中で一番おっぱいが好きそうなツラしてるぜ!」
「一目瞭然だな! おっぱいをオカズにパン食いそうな顔だぞ!」
「黒い髪に黒い目の男ってのもアイツだけだし、野郎がムネヒトで間違いねぇ!」
しっかり当ててくるんじゃねえよ!? そしてどんな顔だよ!? つーか
(ち、ちくしょう……! ピンチの時に援軍が駆けつけるっつう王道シチュなのに、イマイチちゃんと喜べねぇ……!)
俺が欲しかったのはもっとこう……何と言うか、こう……!
釈然としない俺の近くに、リーダー格と思われる男……弧狼のダストールさんが走りよってくる。
「状況から察するに、俺達はモンスターを討ちながら参加者達の避難を誘導すれば良いんだな! 任せとけ!」
「マジで察しが良いな! でも、ホントに任せても良いのか!?」
「ったりめーよ! 俺達ぁ、集団行動が得意なタイプの一匹狼なんだヨ! このくらいワケねえっての!」
矛盾では!?
「オリくん、危ない!」
「――くッ!?」
一匹狼の皆さんに気を取られた俺は、飛び掛った来たオークに反応できなかった。慌てて迎撃の態勢をとる俺の横を、緋色の疾風が通り過ぎる。
「『
裂帛と共に袈裟懸けに打ち出された炎の太刀は、剣の何倍も丈のあるオークを両断する。断面図は一瞬で炭化し、血はおろか肉の焼ける匂いすら僅かだ。
「――まったく、最前線で気を抜くヤツがあるか。本当に世話の焼ける」
肉塊となったモンスターを残心で見送り、長い赤髪の少女は肩越しに歯を見せて笑った。
腰には大小の鞘を帯び、今の一撃は例のスピキュールから放たれた物だった。あれだけの威力でありながら、刃零れもしていないし血脂にも汚れていない。凄まじい業物、また凄まじい剣腕だ。
「メリーベル! 来てくれたのか!」
「当たり前だ。団員が戦っているというのに、副団長である私が来ない筈が無いだろう?」
一切の油断無く、メリーベルは笑みを濃くする。ただ立っているだけと勘違いした者は、一颯の下に斬り伏せられるに違いない。
「副団長……第二騎士団の……!? 馬鹿な!」
「別動隊が居たのか!? し、しかし……!」
「騎士団の目はあの私が引き付けていた筈だ……! 何故こうも動きが早い!?」
メリーベルは複数人いるルーカスにちょっと驚いたような顔になったが、直ぐに鼻を鳴らして彼らを睥睨する。
「――なるほど。大方、王都を離れる自分を囮に使ったのだろうが、アテが外れたな。ジョエルとアザンを甘く見るな。だが、お陰で貴様の完璧なアリバイのタネも分かった」
「――っ!」
「どんなスキルか詳しくは分からんが、そんな便利な能力が有るのなら王都にも
ルーカス達は、見事なシンクロ率で悔しげに歯を軋ませる。剣と弁で容赦なく相手を追い詰めるメリーベルは、ただただ頼もしい我らが『炎鉄のシンデレラ』だ。
これだよ……! 俺が欲しかった援軍は、こういうのなんだよ!
「? 何を震えているんだムネヒト? まあ良い。私も、お前の顔を見れて安心した。露払いは任せて、早く行け。元凶を叩くのだろう?」
何の打ち合わせもしていないというのに、メリーベルは状況を察し召喚獣達の前へ立ち塞がる。
「……良いのか? 俺はまだ何も――」
灼熱の副団長はもう一度振り返り、同性も異性も纏めて乙女にしてしまいそうな凛々しい微笑みを俺に向けた。
「ムネヒトが為したいと思っていること、為すべきと思っている事を為せ。お前の背は、私が護る」
か、かかかかかかっこいいいいいいい! イケメンしゅぎるうううううう!
「ありがとうメリーベル! 好き! 愛してる! 抱いて!」
メリーベルはこけた。
「――っておおおい!? なに転んでんだ! 敵は目の前だぞ! しっかりいたせー!」
「うるさぁい! 誰のせいだと思ってるんだぁ!」
誰のせいかだって!? よく分からないけど、俺のせいじゃ無いことだけは確かだ!
「おいおいおい、見せ付けてくれやがって! イチャイチャすんのは終わってからにしやがれよな!」
「つーかマジで特別任務だったのかよお前! これってもしかしてよ、俺らの功績でもあるんじゃねぇか!?」
「その声……!」
全く同じ声質が二つ、紫電の奔る音を伴って届く。
俺の上を魔術の雷が走り抜け、モンスターも傭兵達も、ついでにルーカスの一人も感電させてしまった。
「第二騎士団所属、サンダーブラザーズ見参!」
「頼もしい大先輩が来てやったぜ! 感謝感激の花束は、本部に送りつけてくれよな!」
その電光のような速さで二人の騎士が地に降り立つ。
短く髪を切り揃え、鏡移しのヘアスタイルをしている精悍な双子の騎士、ゴロシュとドラワットだ。
両腕と両足に雷電を纏い、練習でもしてきたのかバッチリ決めポーズしている。やがて二週間ぶりに見る、先輩の騎士達だ。
「おっや、お二方来たんスか。別に呼んでませんけど? とりあえず、メリーベルの邪魔だけはしないで下さいね?」
「「こんちくしょう」」
助けに来てくれたとはいえ、俺を見捨てた馬鹿双子の扱いなんてこの程度で充分だぜ。
「よし、今なら! ハナ!」
モーゥ!
俺はハナの背に飛び乗り、しかと跨った。本当は置いていくべきなのだろうけど、何となくハナが有象無象の召喚獣に傷つけられる筈ないと確信できたのだ。
事実、どういうワケか魔物達のハナを見る目には怯みが行き渡っているように感した。
「待っててね、アメリアちゃん!」
「!?」
真後ろにトフンと、俺以外の質量がハナに跨った。
「コレット!? だからお前は此処に居ろって!」
「イヤよ! 私も行く!」
「んポォん!?」
言うや否やコレットは腕を回し、俺と身体を密着させてきた。自然、背とおっぱいが仲良しこよしである。ゾゾゾ、と柔らかすぎる物体が強烈な自己主張をしてくる。
メリーベルより大きく、ミルシェよりは小さい。しかし、柔らかさは二人より上。ディミトラーシャのおっぱいに匹敵する柔乳質だ。
「は、ひ、ふ……だ、駄目だ駄目だ駄目だ! コレットは行かません!」
「行くったら行く! オリくんと一緒に行くから!」
「ワガママ言うな! 行くのは俺とハナだけで良い!」
モーゥ!
「行かせてったら! 今まで一緒だったのに、私だけ置いてけぼりは酷いよ!」
「行かせん!」
「行きたい!」
「ムネヒト貴様ぁ! うら若き乙女と、イ、イ……く……きたいの、かせんだの、何をモタモタとヤっておるかー!」
ひぇっメリーベル!? ごめんなさい!
「えぇい、まったく! 急いでるからハナにも手加減はさせないぞ!? 振り落とされんなよ!」
「もちろん! 駄目って言われても、しっかり捕まっておくんだから!」
コレットは腕のみで無く、上半身全ての力を使って抱き付いてきた。
「ぁひゃあん!? コレットは手加減してぇ!」
モーゥ!? も、モーッ♡
「オワー!? ち、違うんだハナ! 別にお前に擦り付けてるワケじゃ……! ていうか、何でちょっと嬉しそうなんだよ!?」
何とも締まらない出撃だった。
・
「何なんだこの茶番は……!」
最前線に居るルーカス達は、目まぐるしく変化する事態に歯噛みをしていた。
何もかもが計画通りに進んでいた。僅かずつ異変を感じないでも無かったが、全て微調整できていた筈だった。しかし――。
「私の、私の計画が……! いったい、何処で間違えた……!?」
思えば最初の小さなミスは、ベルバリオ殺害の現場をアメリアに目撃されたことだ。
それが無ければ犯行を悪漢のせいにすることも出来たし、失意に堕ちた彼女を意のままに操ることも可能だっただろう。
次の想定外は、第二騎士団の動きが迅速だったこと。
自分に疑惑の目が注がれるまでには、まだ時間が掛かると思っていた。しかしあろうことか、彼らは自分を追って来て魔術による尋問にまで掛けた。
既に確信に近い疑惑を持っていないと出来ない暴挙だ。
更に言うのなら、ルーカスは本来、『ポミケ』に足を運ぶつもりも無かった。
アメリアに此処の運営を仕切らせた上で、自分の分身達に大量のモンスターを召喚させ、薬師達を虐殺するつもりだった。
モンスター襲撃の責任は全て元婚約者にのし掛かるだろうし、自分は商談に向かっていたというアリバイも完璧。
アメリアは代表の座を追われ、自分が次の代表に収まったに違いない。
自分は一つ一つの小さなミスに、完璧と言えないまでも充分に対応出来ていた。精査を繰り返し、微調整を重ねて最良への道しるべを描いていたのに。
此処へきて、音を立てて瓦解していく。
丹精込め描き続けてきた一枚の未来絵図が、完成間近になって泥をぶつけられる心地だった。絢爛なる絵画を女神へと贈りたかったルーカスにとって、それは耐え難い屈辱であった。
「ケッ、今までのツケが回って来たのさ。アンタも商売人なら、納めるモノはしっかり納めるんだな」
「! お前達は……!」
いつの間にか見覚えのある顔が向こうに並んでいた。
十数名からなる彼らは、いずれも【ジェラフテイル商会】の従業員達だ。ただし、商会会館待機を指示した王都の居残り組だ。
その彼らが此処にいると言う事は、自分の指示が軽んじられたという意味に他ならない。
どいつもこいつもと、ルーカスは辛うじて取り繕った営業スマイルの端から憎悪を滲ませた。
「俺達が
先頭の年長者……確かアメリアの食事を作っていた料理長は、目線の高さで持っていた羊皮紙を広げる。
「ルーカス、アンタの代表解任及び【ジェラフテイル商会】からの除籍を求める決議書だ。既に全従業員の70%以上がサインしている」
「――何のつもりだ……?」
「この状況でそれを訊くのか? 存外バカなんだな」
コチラを見下すような彼の態度に、ルーカスの青筋が音を立てて太くなる。
男の口ぶりからして、自分が『ポミケ』で行った事をコイツらも聞き及んでいるのだろう。会場から逃げ出した生存者が、商会にも報告したとみるべきだ。
――面倒な事を。少なくともコイツらは、この場で皆殺しにするしか無い。
だがルーカスには、むしろ好都合とすら思えた。自分に反感を持つ連中も炙り出せたし、わざわざ雁首を揃えてやって来るなど手間が省けて悪くない。
本当に愚か者揃いだ。王都で大人しくしていれば、もう少しだけは生きていられただろうに。
「もはや隠す意味も無いか……君達は即刻クビだ」
多大な努力を要したが、酷薄な笑みで従業員達を睨み付ける事が出来た。視線に誘導されるように、ルーカスの召喚したモンスター達が唸り声を上げる。
「わざわざそんな紙切れを渡しに死地へと赴くとはな……君達までも此処まで無能だったなんて、ベルバリオ会長もさぞお嘆きになるだろう。せめて、死後の世界で彼に詫びるがいい」
まだ挽回は可能だ。無能共を殺し、目撃者を殺し、暴れ回っている脳筋共を殺す。商会にも手の者が待機しているし、自分は有力な貴族とも通じているのだ。
何の事はない。自分にはまだ多くのチャンスが残されている。此処さえ乗り切れれば、あとはどうにでも――。
「――いいや、詫びるのは君の方だよ。ルーカス」
ルーカスの微笑に、遂に致命的な亀裂が入るのを誰もが目撃した。
・
・
「――な、な、なぁ!?」
最前線に居るルーカス達の引きつった声は、アメリアの近くに居た本物のルーカスのそれと完全にシンクロする。
しかし狼狽に染まりきった元婚約者の呻きなど、アメリアの耳に届く筈もない。彼女もまた、半分ほど腐ってしまった視野で驚愕の光景を目撃していたからだ。
自分に良くしてくれた従業員達の後ろから、若い者にも負けないような精強さを持つ壮年の男性が、ゆっくりと歩み出たのだ。
「お、おとう、さま……?」
いつものように白髪の混じった髪を綺麗に撫で付けている養父は、広い肩幅で風を切ってルーカスの前に立った。ルーカスが見せている現在の光景を映す窓の中、彼の分身は確かによろめいた。
『ベル、バリオ・ジェラフテイル……ッ!? バカ、馬鹿な……、貴様は……確かに――!』
狼狽しきったルーカスへ、ベルバリオは意地の悪い笑みを向けた。
『うむ、毒のたっぷり付いたナイフで何度も刺してくれたな。いやはや、あんなに痛い思いはもうしたく無いものだ』
アメリアは自分の目を疑った。
大恩ある養父は、目の前で血と炎の織り成す紅蓮に消えたはず。母と同様に、逢いたいとどんなに願っても二度と逢えない場所へ旅立ってしまった筈だ。
呪いとやらが脳にまで行ってしまったのか? それとも、恩を返しきれていない自分へ幻想という猶予が与えられたというのか。
だとすれば、気の効いた神様も居たものだ。きっと、ルーカスのいう女神とは別
『ジェシナ』
『ハっ』
幻にしてはやけにハッキリした声が、アメリアの秘書の名を呼んだ。
何処とも無く現れた長身の麗人は、音も無くベルバリオの右側に跪く。ひぃと、息を呑む声がルーカス達の喉から漏れた。
刃のように磨きぬかれた彼女の立ち振る舞いや瞳は、今日は一段と鋭い。低温を極め、触れる者を逆に火傷させてしまうような冷気を纏っている。
『分かっていような……?』
『無論で御座います』
アメリアは懐かしい声達に涙を一筋溢す。冷えきってい心の端に、暖かい陽光が差した。
(ああ…………)
ジェシナと、そして再び父と逢う事が出来たのだ。自分の愚かさのせいで消えたモノが還ってきた。
夢でも良い。いいや、きっと夢に違いない。けれど、最高の贈り物だ。
(それにしても――……)
それにしてもと、アメリアは小さく微笑んだ。私の記憶から作られている癖に随分と質の低い幻想じゃないか。
サービスの良い神様だと思ったが、前言撤回だ。せっかくなら、ベルバリオがいつも浮かべている朗らかな笑みが見たかったのに。
本当に、質の低い幻想だと笑ってしまう。
『あの馬鹿を――私の娘を傷つけた大馬鹿者野郎を、今すぐ此処まで連れて来いッッ!!』
なぜなら自分は――アレ程までに怒っている父の姿を見た事が無いないのだから。
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