金の稼ぎ方、使い方(下)
雑貨屋、焼き鳥屋、吟遊詩人など見て回っているとやがて夕暮れだ。オレンジ色の太陽が足下から山並みに溶けていく。
「あー、遊んだ遊んだ。じゃあそろそろ戻るか」
思えば、こんなに遊んだのは久しぶりだ。
牧場の仕事が嫌なワケは無いが、午前中だけバイトして、日の暮れるまで遊興に耽るなど、学生の時以来ではないだろうか。それこそ、長期休暇中のようだ。
「…………」
「ん? どうした?」
「……どういうつもりなの?」
リアの瞳には困惑の色が強く現れていた。この手の質問は予想していたので、スムーズに返答できる。
「別に、タダの気晴らしだ。ここ数日は俺も金、金、って焦ってたからな」
溜め息を一つつかれる。
「…………つまり私は、貴方のストレス発散に付き合わされたと言う事ね。時間の無駄だったわ」
「厳しいなぁ……でも、お金の稼ぎ方や、使い方を知る良い機会になったんじゃないか?」
「一応言っておくけれど、私はお金の稼ぎ方も使い方も習熟しているの。改めて、貴方に教えてもらう必要なんて無いわ」
「かもな。じゃあ、お金を使っての遊び方はどうだ?」
「……――」
「まあ、俺だって遊びの達人ってワケじゃないけど……」
リアがお金について、一定水準以上の教養を有している事は何となく分かっていた。
今日にしたってイヤイヤながら直ぐに仕事を覚えたし、原価や掛かる手間から料理の値段の再設定や、従業員の時間別配置などについても店長に意見していた。
最初は露骨に顔をしかめていた店長も、10分後には熱心にメモを取っていた。
仕事が終わって食堂を後にするとき、店長はリアの給料を倍にしただけでなく正規の従業員として働いてほしいとまで言ってきた。
リアが……特に商売ついて一角の人物であるのは間違いない。
「俺は今日、楽しかったよ。リアはどうだった?」
「……」
リアの張り詰めていた心を、少しでも緩めてあげたかった。
復讐に猛る彼女の気配は、かつて俺が体験した物に似ていた。あの前例をリアに踏襲させるわけにいかない。
「本当に無駄な時間を過ごしたと思ってるなら謝る。でも、遊んでみてどうだったくらいは、正直に話してくれても良いだろう?」
「……――」
それにまだ、リアがどのような境遇に置かれ、誰に復讐をしたいのかを何も聞いていない。彼女が話したがらないのだ。
教えてもらったのは、信頼していた人物に裏切られ、恩人を殺されたと言う事だけ。
詳しい事情を話してくれないのは、俺を深く巻き込みたく無いからか、あるいはまだ信頼を得ていないからだとは思うが、それは俺も同じだった。
冷たい言い方になってしまうが、リアの為だからと言って犯罪者になるのはゴメンだ。
もしリアが犯罪者なら、俺は彼女を拘束しなくてはならない。正義が彼女にあるのなら、何故昨日の段階で騎士団へと訴えなかったのかと云う話になる。
誰かに脅されているのか、それが出来ないほど追い詰められているのか、其処までは分からない。薄情であると自覚しつつ、リアが話してくれるのを待っていた。
身体を差し出してまで復讐という手段を彼女が選んだ以上、尋常な手段で怨敵に報いるつもりは無いのだろう。
「全部じゃなくて良い。少しだけでも話してくれないか?」
俺はリアがどういう人間なのかを知りたかった。
1日だけではあったが、一緒に働いて、遊んで、飯を食べた分だけ俺は彼女を知れたし、向こうもそうだろう。
まずはコッチを信頼しろなんて言うワケにもいかない。
昨日逢ったばかりの男を信頼するなど無用心にもほどがある。だったら、俺がまずリアを信頼すれば良い。
例えば『索乳』でリアの記憶を探れば、抱えている事情も分かるだろう。
それじゃ駄目なんだ。
回りくどくても、傲慢でも、卑怯でも、残酷でも。リアの口から聞きたかった。
「……悪くは、なかったわ……」
やがて夕日に延びる影が背丈を更に伸ばした頃、リアは口を開いた。
「……ハンバーガーを食べたのは、生まれて初めてだったわ。栄養のバランスに問題があるというけれど、たまになら食べたい味ね」
「……」
「……子羊・サルベージャーで、あんなに小銭を使ったなんて自分でも信じられないわ。ぬいぐるみ以外に得るものなんて無いのに」
「……」
「や、焼き鳥っていうのも、初めてだった。ここを通る度に、た、べてみたいって思ってたの。想像していたより、ずっと美味しかったっ、わ……」
「……」
「劇場に足を運んだのも、ぎんゆう詩人の、歌、に合わせて踊ったのも、初めてだった……っ、あ、貴方のヘタクソなステップは、なかなか、愉快、だったわ……」
「……」
リアの唇は一瞬だけ綻び、そして歪んだ。
「楽しかったわ、ぜんぶ、全部やりたかった事よっ……お母様や、あ、あの人と、わ、たしを支えてくれた人たちと、一緒に、ッ、わらって…………みた、かった……!」
・
どれだけ伝わったか、アメリアには分からない。何度も噛みながら、同じ事を繰り返しながら、ムネヒトへ語った。彼は黙ったまま彼女の話に耳を傾けていた。
感情ばかりが前に出て、要点が伝わらないのは自分でも分かった。ベルバリオや商会の事を思い出して胸が詰まり、涙で震える声を抑える事もできない。
養父が何をしてくれたか、自分にとってどれだけかけがえの無い存在だったかをアメリアは必死に話した。
語れば語るほど、ベルバリオとはもう逢えないのだと強く自覚しアメリアは瞳を濡らす。
居なくなってしまった母の事も思い出し、自分は二度も親を道半ばで失わせてしまったのだと悔いた。
二人とも自分と関わらければ、きっと今も――。
何が恩返しだ。お前なんて、疫病神じゃないか。
罪深き、アメリア・■■■■■■。愚かなリ、アメリア・ジェラフテイル。
されど、懺悔は後で良い。今、自分が為すべきはルーカスへの断罪以外に無い。断罪以外に赦されない。身も心も魂も投資して、最大の成果を得てみせる。
あの男に報いを。報いを、報いを報いを報いを――!
「……そうか」
アメリアの断罪の剣、ムネヒトは呟いた。
「一応訊いておくけど……その復讐、辞める気はないか?」
一瞬なにを言われたのか分からなかったが、次の一瞬後には燃える血が頭へ昇ってきた。
「なにを言っているの!! 私は、私が、どんな気持ちで……ッ! まさか、父はそんなこと望んでないとか、復讐はなにも生まないとか、そんな綺麗事を言うつもりじゃないでしょうね!?」
そんな事くらいアメリアだって分かっていた。
ベルバリオが救ってくれた命をわざわざ危険に晒す事も無いだろう。暗鬱な感情に支配されるより、もっと生産的な事に時間を使うべきだ。
幸い今の自分の顔を知る者はジェシナ以外にない。このまま別人として生きることも不可能では無いだろう。
母も父も、きっと望んでいない。復讐ほど非生産的な事業も無いのだから。
だが、薄っぺらい道徳心が振りかざす正論など何になるというのだ。お利口に口を閉じてコソコソ隠れて、安寧を得る努力をしろというのか。
ルーカスが穏やかで満ち足りた人生を送るのを、許容しろというのか。
無理だ。
ベルバリオが得る筈だった余生を奪ったクセに、ルーカスだけがのうのうと生を楽しむなど、アメリアには堪えられない。堪えられる訳がない。
「いや、復讐は完遂させる。そのルーカスってヤツは俺が間違いなく叩き潰してやる」
「…………は、ぁ?」
だが返ってきたのは、アッサリとした否定だ。アメリアは怒りの行き先を失い、呆けたような声を漏らした。
「俺が言いたいのは、えっとだな……許すために復讐してみないか?」
「許す……? 彼を――ルーカスを、許せと、言うの?」
「まさか。自分や大事な人に危害を加えたヤツを許せる者なんて、きっとそうは居ない。少なくとも俺は違った」
ムネヒトは自分の手に視線を下ろす。昨日男達を殴り倒した彼の拳は、以前も何処かで振るわれたのだろう。
「上手く表現できないけど……相手を
言ってる意味が分からなかった。やはり彼は、ただイタズラに話をややこしくしてアメリアの行動を掣肘しようというのだろうか。
「うーん……パラダイムシフトって言うんだっけか……簡単に言えば、気に喰わないヤツをボコボコにしてスッキリしようって事だよ。罪の重さを自覚させるとか、悔いを改めさせるとかの理由もあるだろうけど、まずは自分の為に復讐を為そう。善悪は置いといて、楽しく愉快にリベンジ! ……は、ちょっと違うか……?」
「…………」
「復讐を全てにするとだ。例えば憎い相手が楽しそうにしていると、自分は腹が立つ。逆に憎い相手に不運が振りかかると自分は面白い。『他人の不幸は蜜の味』とは言うが……それが100%になってしまったら、自分の楽しみが憎い相手に支配されてるってことじゃないか?」
「……!」
「ざまぁは俺も好きだし、相手が最終的に破滅するって分かってるなら多少の良い目もざまぁスパイスだけど、結末の見えないソイツの終わりまでずっとヤキモキするのは、正直もったいない」
ま、だから
「だから、自分の為に区切りを用意するんだ。それも、一切後ろめたくないヤツを。殴って蹴って罵倒してまた殴って殴って殴りまくって……そして『スッキリしたから、これで勘弁してやる』ってな」
子供のような理論に、アメリアは今度こそ呆けてしまった。
「……スッキリ出来なかったら?」
「また殴る」
「それでもスッキリしなかったら?」
「更に殴る」
「ッ、どうしたって、憎悪や怒りから解放されなかったら?」
「じゃあ、もっともっと殴ってやる。疲れないように、俺とリアとで交代しながら三日三晩殴り続けてやろう。相手が泣きながら『もう勘弁して下さい』って懇願してくるのを、大笑いしながら見物してやるのさ。酒やお菓子を持参しても良いな」
「……バカじゃないの」
「バカとは何だ」
結局、復讐は復讐じゃないか。小難しい……というより、ガキ大将の理屈だ。気に食わないから相手を叩き潰す。シンプル過ぎる。
「バカよ、そんな下らない理由で――」
「真面目な理由を探して苦しむより良いだろ。報いを受けるのは相手であって、リアじゃない。自分の心まで傷付けてどうする」
反論しようとして出来なかった。アメリアは殴られたような衝撃を受けていた。
彼女は自分の全てを担保にして報復を行うつもりでいた。それが自然だと思っていた。自分の責任でベルバリオや【ジェラフテイル商会】の面々が危害を被ったのだから、自分も苦しむべきだと、無意識のうちに思っていた。
ムネヒトは、それを違うと言う。もう傷つかなくて良いと、彼は言っているのだ。
「あとはそうだな……次だな」
「……次?」
「復讐の次。あ、予習じゃないぞ?」
詰まらない冗談は無視したので、微妙な沈黙が流れた。
「……おほん。憎きアンチクショウをぶちのめした後、何かしたい事はないのか?」
「……――したいこと?」
「復讐は目標であって目的じゃない。仇を取った後でも人生は続く。いやまあ……終えた後は死にたいって言うのなら、俺も困るけど……」
「……――」
「なんだって良い。スッキリサッパリしたあと……食べたいもの、見たいもの、行きたいところ、何か無いのか?」
その後のことなんて、何も考えていなかった。
ベルバリオを害し【ジェラフテイル商会】を乗っ取ろうとしているルーカスに、然るべき報いを与えればそれで良いと思っていた。
しかしその後でも、アメリアの人生は続く。
アメリアだけではない。商会に勤める従業員も、その家族も。ベルバリオ、ルーカスが共に居なくなった後にアメリアまで居なくなってしまえば、【ジェラフテイル商会】の先行きに暗雲が立ち込めるだろう。仕返しをした後に知らん顔では、無責任というものだ。
やらなければならない事は山ほど有る。そして、やりたい事も。
かつては健康な肉体になることばかり考えていたが、それが叶ったから直ぐに死んでも良いとなっては、とんだ本末転倒だ。
肉体は財産であり資産だ。有効に運用して初めて人生の成果を得ることが出来る。健康も美貌も大きな成果には違いないが、それをただ遊ばせておくのは勿体無い。
もしかしたらムネヒトは、自分に復讐のその後を描かせるために今日一日を遊びに費やしたのかもしれない。
お節介な上にとんだお人好しね、と綻びかける唇を引き締めて、アメリアは口を開いた。
「……そうね……」
そのお人好しに免じて、ムネヒトの子供のような理論に耳を傾けてみよう。
ハンバーガーだって今日食べた種類だけでは無いだろうし、コーラ・ポーションだって飲んでいない。
サプライズの為に我慢していたお洒落だってしてみたかった。
長く住んでいるこの王都も、むしろ行ってない場所の方が多い。何処に何があるか、歩きながら探しても良い。
最近の女性が何を着て何を見て愉しむのか、アメリアは何も知らなかった。
そして、ああ……そうだった。
「――どうしても、逢いたい人が居るの」
まだ逢ってない人がいる。彼へ伝えたい感謝の言葉は、もう両手から零れそうな程に一杯だ。
「へぇ、大事な人か?」
「ええ、とても。私を救ってくれた、私の……運命の人よ」
「そりゃあいい。ロマンチックだ」
流れ星のように現れて消えた、アメリアの運命の相手。
男女の仲的な運命では無いとジェシナに繰り返し語ってはいたが、婚約者が居ながら見たことも無い相手に……と少しだけ後ろめたい感情があったのも事実。
ただ逢いたかった。逢って話がしてみたかった。胸に灯った星の名前を、アメリアはまだ知らない。
「いつか、逢えるかしら?」
「それは……知らん。俺も人探しは専門外だし」
「そこは嘘でも逢えるって言いなさい」
アメリアは美貌以外の全てを失ったと思っていた。
二度と還らぬものを数えれば胸が締め付けられるし、ムネヒトは色々言ってくれたが、また憎悪と悲哀に支配される夜も来るだろう。
それでもまだ、この命が残っている。アメリアにはまだ未来が残っていた。
「――アメリアよ」
「ん?」
此処に新たな契約を結ぼう。
「アメリアが私の本当の名前。姓は……全部終わってから改めて打ち明けるわ」
「それでリアが偽名か……ちょっと安直じゃね?」
「余計なお世話よ。……ムネヒト」
「……おう」
「復讐を、手伝って」
我が身に降りかかった全ての不幸に、渾身の復讐をくれてやろう。
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