ディミトラーシャvs.ムネヒト(上)

 

 しょんぼり肩を落として牧場へ帰った俺は、ハナを牛舎に戻して彼女の頭を撫でた。


 モーゥ?


「……裏ギルドの仕事に戻る。この期に及んでしまっては、一分一秒も惜しいんだ」


 モ、モーゥ!?


「これを俺の代わりだと思って、大事にしてくれ」


 俺は懐から三枚あるハンカチの内、一枚を取り出してハナの角に結んだ。王都で買った無地のハンカチで、俺が考案したオリジナルマークが刺繍してある。

 ギリシャ文字のωにΦを組み合わせた印……おっぱいマークだ。

 俺はこのオメガの小文字を見るたびに『これ、おっぱいみたいじゃね?』と常々思っていた。

 サンリッシュ牛乳の新商品かムネヒト印のポーションを開発した時、商品ロゴとして採用しようと考えていた物だ。

 俺から見てωの右側の中央に、乳首としてΦを書き込んだ乳首の神のマーク。左胸(らしい場所)にのみ書いたのは、これは心臓ですと誤魔化せるからだ。


 有名人のサインを真似する少年みたく、ウキウキとサインをしたためていたのだが、結局はこれも儚い皮算用だった。


「……すまん、マッサージも搾乳も今度だ。不甲斐ない主人だと嗤ってくれ……! 達者で暮らせよ、ハナ……!」


 モーッ! モ、モォー!!


 待って下さいと追いすがる彼女を振り払い、俺は『クレセント・アルテミス』へ走った。

 振り返る事はできなかった。

 必ず綺麗な身体(借金完済的な意味で)になって、ここに帰ってこようと決意する。守銭奴とはこんな気持ちなのかもしれない。今の俺は、銅貨一枚の為に悪魔に魂を売る覚悟だった。神様なのに。


 ・


「おや、お早いお帰りでありんすねぇ。てっきり夜になると思っておりんしたに、もう用事はいいかぇ?」


「ああ……もう良い……」


 三日月の館に戻ってきた俺を迎えたのは、その館の主ディミトラーシャだった。こんな昼間から一階に下りているのは彼女としては珍しい。

 例によって露出の多いセクシーなドレスを着ており、冒険者風の男達に囲まれ何やら談話に耽っていた。恐らくだが、彼らは皆ディミトラーシャを口説いているのだろう。

 チャラチャラしたのも居れば、風格のある冒険者や端正な顔をした男も居る。皆一様に彼女の美貌とおっぱいに視線を奪われ、鼻の下を伸ばしていた。

 見覚えのある表情だ。ミルシェのおっぱいを(無意識に)見ていたとき、リリミカにいきなり鏡を見せられた時の俺の表情にそっくりだ。まあ、それはどうでも良いけど。


「丁度良いい。ぬしに任せたい仕事がありんすが、よろしいかぇ?」


「もちろんだ、何でも言ってくれ」


 どんな仕事でもこなしてみせる。そう、金の為に。金の為に!


「くふふっ! 良い返事でありんすねぇ。じゃ、行きんしょう」


「お、おい!?」


 言うと彼女は、たおやかな動きで腕を絡めてきた。スルリとまるで魔法のように俺の懐へ入り、トプンと豊かなバストが俺とディミトラーシャの間で潰れた。彼女のおっぱいは俺の腕も言葉も呑み込んで、更に深く潜っていく。

 ただでさえ露出過多な彼女がそんな激しい動きをすれば、ポロリしてしまいそうだ。事実、彼女の真珠に様な乳房は布の殆どを置き去りにしている。

 俺に『あててんのよ』ってしてなければ、零れていたかもしれない。つまり俺はおっぱいダムでしかも決壊寸前だ。


「ディミトラーシャ、皆が見てるって……!」


 キョドってたにしたって、この返しは無い。常日頃から人目のつかない所で逢瀬を重ねてましたみたいなセリフじゃないか。


「……チッ」


「クソが……」


 ほら、今までディミトラーシャに粉かけてた皆さんが睨んでるじゃん。何名かは得物のチェックまでしてるし。何に使うつもりですか、月の無い夜道は気を付けろって事ですか。

 殺気とおっぱいでシドロモドロの俺など知ってか知らずか、身体を大胆に預けたままディミトラーシャは歩み続ける。

 途中で立ち止まり、睨め付けてくる男達の方へ振り向き、イタズラっぽく片目を瞑ってみせた。その子供っぽいとも色っぽいともとれる仕草は、悔しいがとても魅力的だった。


「そういえば、ぬしは何で金髪のカツラなんて被ってるのかぇ?」


「――と、そういえばそうだった。これも無駄な出費になっちまったなぁ……で、何処へ行くんだ?」


「わっちの部屋でありんす」


「……は?」


 ・


 この『クレセント・アルテミス』の館は、ギルド本部兼メンバーの住居となっている。ディミトラーシャを含めて冒険嬢のおおよそ九割が住んでいるので、此処は正におっぱいの殿堂といえよう。

 一階は受付兼酒場コーナー。二階は指名依頼専用の個室が大中小と各種用意されている。三階以降に彼女らの生活拠点があり、それぞれに私室が与えられているらしい。

 ディミトラーシャの私室は館の最上階にある……というより、最上階のフロア全てが彼女のテリトリーだ。

 ギルドマスターとしての執務室に、衣装部屋、下着部屋、化粧室、リビング、バスルーム、そして寝室。一流ホテル顔負けの調度品と高級感を備え、おっぱいギルドの主を迎える。


「………………」


 俺はというと、その寝室のゴッデスサイズベッド(クイーンサイズやキングサイズよりも大きな特注品らしい)の縁に腰掛けていた。扉を何枚か隔てた向こうで、水の流れる音がする。ディミトラーシャがシャワーを浴びているのだ。


「………………」


 ディミトラーシャが「報酬は金貨十枚でありんす」と言う物だから、ついついホイホイ最上階までやってきてしまった。

 この場合、待たされる側の心理と云うモノは平静とは程遠いらしい。童貞というパッシブスキルが、平静になろうとする俺の心理を嘲笑う。


『どうかぇ? せっかくの機会でありんすし、一緒に入りんせん? ――くふふ、ざんねん……』


 到着するなりストリップしながら彼女はそう言うもんだから、スタートダッシュからして良くない。これが競技ならフライングで反則だぞ。


「………………」


 落ち着かない。なんだこの居た堪れなさ。向こうで女の人がシャワーを浴びているだけというのに、なんか、こう……形容しがたい気分になってしまっている。

 近くの部屋で女性がシャワーを浴びているというシチュは、メリーベルの住まいに居た時で既に経験済みだ。

 だというのに、この緊張感はどういうことだ。ディミトラーシャという女の色香の為せる業なのだろうか? もちろん、メリーベルに色気が無いというワケでは決して無い。

 しかしやはり経験の差というのだろう、艶美さという尺度において、ディミトラーシャは俺が今まで会って来た女性の中でピカイチだ。


(いかん、やっぱり何か怖くなってきた……! 金貨は惜しいがここは辞退して、もっと健全な……)


「お待たせしんした」


 悶々しているうちに、彼女はシャワールームから姿を現した。

 湿った水色の髪を後ろで束ね、上気した頬を流れる水滴を大きなタオルで拭いている。その仕草までが、ハリウッド女優のように決まっていた。

 纏っているのは白いバスローブ。半ばから露わになっている太腿や、滑り落ちた袖から見える細い腕が眩しくて仕方無い。


 そして、ふわふわのバスローブを押し上げるふわふわのおっぱいです。


 帯を軽くしか絞めていないのか、着崩した浴衣のように裾がはだけていた。巨大な真珠が双つ並んだかのような豊かな乳房は湯上りで桃のように染まり、深い谷間に水滴を孕んでいた。


「――……」


「失礼するでありんす」


 彼女は見蕩れる俺に歩み寄り、そのままストンと隣に座った。体温と漂ってくる薔薇の様な香りにクラクラしてきた。

 え、なんで隣に座ったんですか? めっちゃ近いじゃないですか、せっかくのゴッデスサイズなんだからもっと有効に活用しません?

 そもそもベッドに並んで座る意味が分からない。俺が此処に居たからか? だったら、俺ソファーに移動しましょうか?


「ふぅ……喉が渇きんしたねぇ……ぬしも、なにか飲むでありんすか?」


「え!? あ、じゃ、じゃあ……コーラ……」


「お酒でも構いせんのに……あ、冷蔵庫はそっちでありんすから」


 振り向くと、丁度俺の真後ろあたりの壁に小さな冷蔵庫が設置されていた。取り易い位置を意識したのか、枕の位置と同じ程度の高さにある。

 俺は自分の分のコーラと、彼女の分を取り出そうと立ち上がりかけたが、それより早く彼女が動いた。


「どれ……前を失礼……」


 ディミトラーシャは中腰で立ち上がり俺へ……正確には、俺の後ろにある冷蔵庫へ手を伸ばす。


(う、を、ぉお!)


 壁ドンのようになり、彼女の細い腕と腕の間にある狭い空間に挟まれてしまった。ディミトラーシャの顔は、俺の顔の直ぐ斜め左上辺りで止まる。


「おや、コーラが見当たりんせんねぇ……」


 彼女の上気した頬から俺の額あたりに体温が伝わる程の近距離。艶のある唇が動くたびに艶かしい風が前髪を揺らした。


 しかしそれよりも激しく揺れるのは、ディミトラーシャのおっぱいだった。


 中腰のまま壁ドン(彼女にその気はないだろうけど)したため、自然に彼女の乳房が目の前にユサリと威容を示した。

 擬似的にディミトラーシャの肉体を上から見下ろす形になってしまった。

 重力に従いながら重力を嗤うかのように軽やかに揺れている。ディミトラーシャが腕を動かすたびに乳肉はゆさ、ゆさ、と震え、バスローブが更にはだけていく。

 肩も鎖骨も剥き出しになり、脇からおっぱいへ繋がるラインも丸見えだ。

 ブラジャーなど着けない方が当然と云わんばかりに、彼女の乳房は悠々と空間を遊んでいる。

 衣服に包まれた時はIの字になる谷間も、締め付けから解放されωの形になっていた。


「――……っ」


 思わず生唾を呑んでしまう。90を越えるJカップの迫力は洒落にならない。

 浴衣を着た寝相の悪い人の起床直後みたいに、ほとんど衣服の意味を為していない。彼女の肉体を包むバスローブの内側が妙に艶かしい物に見えた。

 先端付近を含め、乳房の20%程度が隠されているだけであり、その先へ向かって乳肌に浮いていた水滴がツウと流れて消えた。


 いくらおっぱいギルドのマスターであり、おっぱいに絶対の自信が有るらしいとはいえ、この振る舞いはいかんですよ。エッチ過ぎます。

 熱中症にでもなってしまったか、クラクラする。

 こういう時はあれだ、なんだ、そうだ、『奪司分乳』で経験値スケベ心を剥奪するしかない。自動強制賢者へとなって、事なきを得ねば。


「ほら、ぬしの分でありんす」


「え!? あ、ああ……どもっス……頂きます」


 だがそれより早く、俺の手にコーラが渡された。透明のグラスに氷とコーラがなみなみ注がれ、スライスしたレモンやストローまで刺さっていた。


「じゃ、乾杯」


「かんぱい……」


 喉も渇いていたし、ついでにこのコーラで色々と冷やしたい。

 この部屋ではストローまで高級品らしく、美しいガラスで出来ている。どれほどの技術を持つ職人が作ったのか、細く丸い表面に女性の姿が彫られていた。

 ただコーラを飲むだけなのに緊張してしまう。冷たいストローを咥え、しばしコーラの味に集中することにする。


(どんな物にも、一流の品ってものは存在するんだな。咥えやすいし飲みやす……ん?)


 卓越した人の技に感心していると、ふとそのストローに気になる点を見付けた。側面に何か書いてある。


「んブッ!?」


 王国語で『ディミトラーシャ』と書かれていた。脳裏に甦るのは、おっぱいギルドに来た最初の夜の記憶。太さがバラバラのストローの由来と、彫り込まれた名前の意味。

 つまりこれは、ディミトラーシャの――。


「ごほ、ごほ……!」


「あらあら、そんなに喉が渇いていたんでありんすか? 慌てないで、ゆっくりと


「大丈夫……大丈夫だ……」


 有史以来、この大丈夫という言葉が正しく使われたのは全体の何割くらいなんだろうか? 俺はまた嘘の割合へ一票を投じてしまっている。

 どうしよう、このストローを使うのが凄く恥かしい。隣に座るディミトラーシャは、ニヤニヤとした笑みを浮かべているだけだ。

 しかし今更使わないでおくのも不自然だろう。これはタダのストロー、ただのガラス細工だ。意識しなければ、どうと言う事は無いのです。

 どうしても視界に侵するJの乳肉をなるべく意識外に追い出し、平静を装ってストローをそっと咥えた。


「ぁん♡」


「んブッ!?」


「くふふっ! 冗談でありんす。あんまり優しく咥えてくれるから、ついからかいたくなってでありんす」


 ちくしょう、絶対わざとだろ! 巨乳美女の隣でそののストローを咥えてコーラを飲むとかマニアック過ぎやしませんか!?


(このままディトラーシャの隣でこのストロー使うのは無理だ! 話題を変えねば……!)


「ところで仕事ってのは何だ? 大金が掛かってるんだから、簡単な仕事じゃないんだろ?」


 強いて真面目に問いかけると、彼女はやや唇を尖らせてしまう。


「せっかちでありんすねぇ……いい男ってのは、遊びもスマートにこなすものでありんすのに……」


 なに言ってんだこの人。仕事ってのは嘘で、俺をからかって遊んでいるだけか?


「心配しなくとも、ちゃぁんと仕事はありんすよ。ほれ、ソコにある水差しを取りなんし」


 彼女が指差した先に、陶器で出来たピッチャーがあった。言われるまま手に取ってみると、ほんのり温かい。見ると水差しの置いてあった場所に保温用の魔道具がある。どうやらこれで暖めていたらしい。

 中身は見えないが、液体であるのは間違いないだろう。軽く振ってみると、妙に粘度がある事に気付いた。


「それで、これがなん――」


 振り返ると、彼女はバスローブを脱いでいた。

 俺に背を向けて座っており、するりと衣をベッドへ落とす。シミ一つない背中が、天井の魔力灯に照らされて恐ろしく眩しい。

 髪を解く際に上げた腕の向こうに、豊穣の曲線が見えた。こちらからは当然その全容は見る事など叶わないが、乳房の描く魅惑のカーブは誤魔化しようも無い。

 一瞬、ディミトラーシャが何をしているのか全く分からなかった。阿呆みたいに口を開け、その自然で艶美な動きを見つめていた。

 ディミトラーシャは肩越しに振り返った。その顔には、いつも以上に妖艶な笑みを浮かべている。


「ぬしには、わっちにマッサージをして欲しいんでありんす。得意なんでありんしょう? なんせ、おみ足にも出張するくらいでありんすから」


 「……」


 どうやら試練の時らしい。

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