ディミトラーシャとジョエル
「アーッハハハハハハハハ! ヒーヒヒヒヒヒ! ゲラゲラゲラゲラ!」
ゴロシュとドラワットが報告をすると、第二騎士団最年長にして最古参の一人であるジョエルは腹を抱え大笑いしだした。
その笑い声は二階の執務室に居ながら下まで響き、一階にいた団員達は何事だとしきりに訝しんでいる。
本部は旅籠を改装改築したものであり、老朽化が著しいが建物の大きさ自体はかなりの物だ。それでもジョエルの笑い声が響くのだから、声のボリュームは推して知るべきである。
「笑い事じゃ無いっスよジョエルさん! 俺らだって反省してるんですから、何か知恵を貸して下さいよ!」
「個別依頼もしてないってのに、金貨81枚なんて間違いなく変でさあ! 姐さんが何かたくらんでるのか、ムネヒトが弱みを握られたかもしんないんすよ!?」
対して双子騎士の顔は真剣だった。彼らが心配しているというのは、裏ギルド『クレセント・アルテミス』に捕まってしまったムネヒトの事に他ならない。
早朝に足を運んだ時は、請求額のあまりの大きさに思わず彼を見捨てるような形になってしまったが、あのままにしておくワケにもいかない。
ましてや副団長にも知られてしまった。
あの場はちょうどやって来たジョエルの機転により何とかなったが、結局は時間稼ぎにしかならないだろう。
そう考え、彼らは今回の遠因であるジョエルに全て打ち明けたのだ。ただし、返ってきたのは知恵ではなく爆笑だった。
「ハハハハハハハ……ハーァ……ふぅ。いやだって、弱みと握られたって言うか、握った……いや、つまんだのはムネヒトくんの方じゃねーか、風のような早さで乳首をって……ブフーッ!」
「だから笑いすぎっスよジョエルさん!」
「ワリィワリィ。まあ元はと言えば、俺がムネヒトくんを『クレセント・アルテミス』に連れて行けってお前らに言ったのが発端だな……。でもお前ら、後輩を置いて違う店に行くかね普通? そんなに『しすぱらだいすき!』に行きたかったの? ん?」
にやけ顔でからかってくるジョエルに、ぐうの音も無くゴロシュもドラワットも揃って頭を垂れる。
確かにムネヒトをおっぱいギルドへ連れていけと、二人へ図ったのはジョエルだ。それも、前もって貸切予約をするという熱の入れようだった。
彼らにしてもムネヒトには何か礼をしたかった折でもあったし、しかもジョエルの奢りというので一も二もなく快諾して、意気揚々と彼を夜の王都へと連れ出したのだ。
そこで魔が差してしまった。おっぱいじゃなくて、妹と戯れたくなってしまったのだ。
だが、先輩と一緒だとムネヒトが思い切り楽しめないかもと危惧したのは本当だ。
だったらせっかくだし、ハーレム気分を味わわせてやろうとも思ったのだ。
また『クレセント・アルテミス』と『しすぱらだいすき!』では料金もさほど変わらないし、もしもの時は自分達で出せば良い。
特別手当てや賭けの配当金で、懐が暖かかった二人がそう考えたのも自然ではあった。
もちろん、カナリアちゃんに『優勝おめでとうお兄ちゃん達! えらい、えらい』とヨシヨシされたかったのが一番の理由だったのは間違いない。実に良い夜だったフヒヒ。
しかしまさかこんな事になるとは正直思ってもみなかったのだ。
ムネヒトがおっぱい好きだとは気付いていたが、ちょっと信じられないレベルの変態だったらしい。
「分かった分かった、この件は俺が預かる。向こうのディミトラーシャとは知らない仲じゃ無いからな。お前ら、もう仕事に戻っていいぞ。あと、分かってるとは思うが誰にも言うなよ」
「ジョエルさん! さっきも言いましたが、俺らだって責任を感じてるんでさあ! 何か他に出来るこたぁありませんか!?」
「ねーな、今のところ。強いて言うなら、話が拗れるから余計なコトをするな、かな? いいからホラ、とっとと行け。サボってたら今度こそメリーベルちゃんに叱られるぞ」
ジョエルはシッシッと猫でも追い出すように手を振る。仕方なく、二人は執務室から退室した。
言いたい事はまだあったが、一度閉められたドアにはどうにも手を伸ばせない。
ゴロシュとドラワットは深い溜め息をつき、全く同じタイミングで顔を見合わせた。
「……俺が預かるってジョエルさんは言ってたけど、どうするよ?」
「決まってんだろ、俺らにも出来る事を探すんだよ!」
だが、このままで引き下がれる訳もない。
ムネヒトの暴走は自分らの監督不行き届きが原因だし、女肌を知らない童貞青年が、どんな突拍子もない行動に出るかは想像してしかるべきだった。
やはり何かしらの手を打たなければならないと、双子騎士は決意する。
二人はアイコンタクトし、思案に耽ながら階段を下りていった。
・
ジョエルはふぅと息を吐くと、机の中から手の平サイズの通信機を取り出す。
それは通常の物よりも通信可能距離が長く、音も明瞭に伝わる。また、魔力分布による通信妨害も、ある程度は無効化出来る高級品だ。
ジョエルは慣れた手つきで起動し耳に当てる。目当ての相手はワンコールで出た。
『――これはこれは、ジョエルの坊やじゃありんせんか。コッチを使うなんて珍しいでありんすねぇ』
通信機の相手、ディミトラーシャの男の情欲を掻き立てるような声は魔道具越しでも健在だった。
「『おう、先日ぶりだな。つーか坊やは止してくれよ、俺の方がアンタよりずっと年上なんだぜ?』」
『わっちらの前では、男はみぃんな赤ん坊同様なんでありんす。そこに年齢も職業も関係ありんせん。英雄も勇者も可愛いモノでありんす。ぬしも、三日月の夜には赤ちゃん返りしてみんせんかえ?』
鈴が転がるような笑い声に、ジョエルは片眉だけ上げた。
「『随分機嫌がいいじゃねーの。なんか良い事でもあったのか?』
『くふふふふ! 分かるでありんすかえ? ええ、そりゃあもう、これほど愉快な気分はそうそうありんせん』
「『そいつぁ何より。その元気を俺にも分けて貰いたいぜ。で、だ。俺が連絡した理由は分かったんだろ? 貸切までしたのにウチの団員が迷惑かけたみたいでスマンな』」
『なに、気にしないでくんなまし。あんな殿方を見るのは、クレセント・アルテミス史上でも初めてでありんした。ええ、長生きはしてみるもんでありんすねぇ』
「『まだ30年も生きてないくせに何言ってんだよ。でもまあ、怒ってないようで安心した。ところで金貨81枚は高すぎだろ。おつまみ代って、そんなアホな請求理由ある? も少し手心ってモンが欲しいんだ』」
『それはまかり通らりんせん。コチラとしても心苦しいでありんすが、規則は規則。わっちらは決して安くはないんでありんす』
「『そりゃそーか……じゃー仕方無い! 部下の過失は上司の責任だ。金貨81枚……いや、迷惑料込みで金貨100枚用意するよ。今日中には届けるから、彼の帰り支度を頼むわ』」
『それには及びんせん。彼の罪は彼自身が償うべきでありんす。彼には金銭より、その労働を以って誠意の証明として貰いんす』
ピシャリと断られ、ジョエルは苦笑いを浮かべた。
「『厳しいねぇ……つまりは、ムネヒトくん自身の働きで金を稼げって事だろ?』」
相手には見えないと承知しつつ、頭を盛大にかきむしる。ゴロシュとドラワットの話から予想はしていたが、すんなり返す気はないらしい。
「『勘弁してくれ。彼はうちの期待の新人なんだからさ? あまり長いこと出張させとくのも無理なんだ。俺が叱られちまうよ』」
『あら、大変でありんすねぇ……分かりんした。では、ムネヒトには此処から騎士団に出勤して貰いんしょう? クレセント・アルテミスを、彼の新しい拠点にすれば良いんでありんす』
「『おいおい。確かに第二騎士団は副業が認められては居るが、冒険者との掛け持ちは駄目だって知ってるだろ?』」
第二騎士団員達は一部を除いて皆兼業していた。ゴロシュやドラワットは鍛冶屋で雑用として働いているし、アザンは商会の代表も勤めている。
過去には副団長職――当時は副隊長――と、酪農を兼業していたバンズも居る。
しかし、冒険者との兼業だけは原則として禁止とされていた。
それは、国家を守る騎士と国家に属さない冒険者とで、その在り方に矛盾が生じてしまうからだ。
故に、自由業に近い冒険者と公務に近い騎士とは兼業できない。
『でしたら、騎士業を辞めて貰うしかありんせんねぇ……もしくは休業扱いとかどうかぇ?』
簡単に言ってくれる。事実ディミトラーシャにとっては難しい事では無いのだろう。
「『うーむ……何とかならない? 団長と副団長もムネヒトくんを気に入ってるんだ。それに、まだ一ヶ月程度の入団でハイサヨナラじゃ笑い話さ。なー、頼むよ』
ディミトラーシャの要求を引き出すため、ジョエルはわざと
ムネヒトの存在が第二騎士団にとって大きいと知った場合、彼女はどうするか?
彼女は卑怯者では無いが、かといって機会を手放す程の無欲でもない。
金銭を要求してくるのか、あるいは――。
「『――金貨300枚でどうでありんしょう?』」
「『……随分と吹っ掛けてくれるなぁ……せめて、150にはならないか? 駄目なら200で……』」
『勘違いしないでくんなまし。ぬしら騎士団へ
――あるいは、ムネヒトの身柄か。
「『――それじゃ話がアベコベだろ、なんでそっちが金を支払うなんて言うのさ?』」
罰金を支払うべきはムネヒト自身だと主張しておきながら、何故ディミトラーシャは逆に金銭を支払うと言うのか。
その理由を把握しながら、ジョエルはあえて訊ねた。
『もちろん、彼をわっちのギルドに置きたいんでありんす。構いんせんかぇ?』
「『構うよ、超構う。俺が貸切予約するときに言った事を忘れちまったのかい?』」
『いんや、ぬしが彼を
「『いけしゃあしゃあと……そんなに気に入ったのかよ』」
もはや疑いようも無い。ディミトラーシャは……いや、もしかしたら『クレセント・アルテミス』は彼を欲している。
ジョエルにとって、的中して欲しくなかった予想が現実になった。
狩猟祭で獅子奮迅の働きをしたムネヒトを労う為におっぱいギルドへ……というのは、表向きの理由だ。ジョエルの本来の意図はは別のところにある。
ムネヒトの気持ちを第二騎士団に引き止めておく為と、彼という人間を見るために『クレセント・アルテミス』へ足を運ばせたのだ。
ジョエルは、ムネヒトを第二騎士団の新しい旗印に出来ればと考えていた。
ムネヒトの名は『炎鉄のシンデレラ』の影に隠れてまだまだ知られていないが、いずれ頭角を現してくるだろうと読んでいる。
彼という人材を欲しがる者は間違いなく現れる。ムネヒトが国籍を有していないという事も、事態をややこしくする一因だ。
ならばその前に『第二騎士団のハイヤ・ムネヒト』というイメージを植えつけておきたかった。
有り体に言えば、ツバを付けておきたかったのだ。
だから『第二騎士団に居れば、こんな楽しい事も有るんだぞ?』と彼を色で囲おうという考えがあった。
ガノンパノラと話し、彼をメリーベル副団長直轄にしようと推したのもそれが原因だ。
贅沢を言うなら、彼がこのままメリーベルと
この事をすべて打ち明ければ、ガノンパノラもメリーベルも良い顔はしないだろう。今のところ、ジョエルだけの考えだ。
だがジョエルは、彼がスケベな男を装っている可能性も捨て切れないでいた。
だからいっそ、バカらしい方法で確かめてみようと思ったのだ。彼が執心している――あるいはそう見える――おっぱいで計測しようとしたのだ。
戦士としての強度はある程度は知れた。ならばその他の要素で彼はどういう人間か?
ある意味では同性より厳しい異性から見て、彼を判断して貰うつもりだったのだ。
その結果がコレだ。ジョエルは自分の悪手を認めざるを得ない。しかし、もう手がないワケではなかった。
「『じゃあ、肝心のムネヒトくんは何て言っているんだ? 外野の俺達がいくらあーだこーだと言っても仕方無いだろ』
『――……』
沈黙での返答にジョエルは口の端を片方だけ上げる。
彼女達が男を本気で手に入れたいのなら幾らでも手はある。三日月の女神達の肉体の前では、男というのはあまりに脆弱だ。
既にムネヒトが彼女達に敗北しているのなら、彼が借金を抱える必要も第二騎士団に金銭を支払う必要も無い。
ただ『騎士団を辞めて、このギルドに来い』とだけ言えば済む。
そうなっていないという事は、まだ彼を手中に収めていないという事。
ならば彼女が提案した金の意味は、騎士団とムネヒトの手切れ金というところだろう。第二騎士団側から退団勧告をしろと、ディミトラーシャは暗に言っているのだ。
それを此方が了承するなら良し。
「『無理に置いておくのは感心しないね。ムネヒトくんからも事情を訊きたいから、一度はこっちに返してはくれない?』」
しかし、すんなり了承しない事はアチラだって予想していたハズだ。だから、妙な借金を背負わせて彼を手元に置こうとしている。
要は時間稼ぎがしたいのだ。時間が有れば、自分達はムネヒトをモノに出来ると考えている可能性が高い。
『……ぬしにしては随分と執心でありんすねぇ……やっぱり、彼には何かがありんすかぇ?』
「『――いいや? ただ期待の新星を余所へやりたくないだけだよ』」
とはいえ、此方も強く出ると彼の正体を感づかれる怖れがある。
ディミトラーシャが自分と同じ結論に至っているとは考えにくいが、此方がムネヒトを重要視しているのはとうに察しているだろう。
コトを大きくすれば、第三者へバラすぞと言外に脅しているのだ。
不躾に大金をチラつかせたのは、身請けしたかったのと同時に此方にとってのムネヒトの価値を金で測ろうとしたのだろう。
ジョエルが色で測ろうとしたように。まったく、喰えない女だ。
「『とにかく、彼を一度こちらに返してくれよ。いくらおっぱい好きでも、騎士をいつまでも色遊びの場所に置いとくのは良くないぜ?』」
『なりんせん。彼に仕事を教えている最中でありんすから、せめて一ヶ月は待ってくんなまし』
「『長い。一日だ』」
『三週間で』
「『三日』」
『二週間』
「『四日だ』」
『……一週間』
「『……分かった。一週間後にムネヒトくんを一度解放してくれ。その後はまたクレセント・アルテミスへ向かわせるから』」
『良いでありんしょう。まあ、それまでに彼に心変わりがあれば……その時は構いんせんかぇ?』
「『……おーけー、そん時は仕方無い。ムネヒトくんはそっちの好きにすれば良いさ』」
『くふふふ! では張り切って手取り足取り指導しんしょう』
一週間でも充分だというのが顔を見なくても伝わってくる。
「『……また連絡する。じゃあな』」
それを潮に彼は通話を終えた。
通信機を元の場所に戻すと、ジョエルは深い溜め息をついた。
「ムネヒトくん……迂闊すぎるだろ……まさか色の方が牙を剥くなんて……いやぁ、参った参った」
昨晩『クレセント・アルテミス』で何があったかは知らないが、彼が何かしらの力を振るったのは間違いない。あのディミトラーシャが、騎士団と矛を交えても欲するだけの力を。
(しかしだ。ムネヒトくんが、ただのスケベを装っているとまでは気付いていないらしい)
ディミトラーシャらが知らない事をジョエルは知っている。
彼の露骨なまでの乳好きアピールは、少し目聡い者からすれば嘘なのは一目瞭然だ。それをあの『クレセント・アルテミス』にすら隠すのだから、大した役者だと少しばかり感心する。
一週間もくれてやったのは些か不本意だが、時間をかければ此方の準備も充分に整う。仮にムネヒトが負けてしまった場合でも、手はいくらでも用意出来る。
(……いや、まさかこれもムネヒトくんの仕業か?)
考えすぎとは思うが、有り得ないとは言い切れない。
女肌を見るムネヒトの目に熱が篭っていない事は、それを生業にしている彼女らにとっては直ぐに気付くだろう。まして、あのディミトラーシャが察せ無いワケがない。
だとしたら彼は『クレセント・アルテミス』を自分の隠れ蓑兼手足として、ディミトラーシャと結託……あるいは彼女を操っている?
借金を背負わされた情けない色男を演じている? 何故だ?
それは【神威代任者】として、王国で秘密裏に活動する為か?
「おいおい――」
ジョエルはもう一度通信機を取ろうとしたが、その手は直前で止まる。
本当にディミトラーシャが結託していたとして、正直に話すワケが無い。
もし洗脳されていた場合などは最悪だ。彼女がどうなるか知れないし、もしかしたら自分達の身ですら危うい。
ムネヒトと渡り合える戦力が無い以上、下手に手出しは出来なかった。
まさか、自分もディミトラーシャもハイヤ・ムネヒトの手の平の上ということなのか。
「頭が痛くなってきた……考えすぎだという事にならんかなー……」
ぼやきながらも、ジョエルはムネヒトを一週間で『クレセント・アルテミス』から取り戻す準備を開始した。
どうかこれ以上は頭痛の種が増えませんようにと、王国にはいない神様に祈りながら。
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