三日月の女神達(裏)上

 

 ムネヒトがクレセント・アルテミスへ来て、やがて一時間が経過した頃――。


「ねえ~マスター? そろそろさぁ、あーしを指名してくんなーい? いっぱい、サービスしたげるしー?」


「えー? シンシアじゃなくて、私を指名して下さいよー!」


「私だって! ねぇねぇ、御依頼主さま~!」


「う~ん、どうしよっかなー? 皆可愛いから、迷っちゃうなぁ」


 蜂蜜のようにしな垂れかかる冒険嬢達にドキマギしながら、ムネヒトはどっちつかずの生返事を寄越した。

 ゴロシュとドラワットに勧められ入店はしたが、小さくない罪悪感に苛まれている。

 ムネヒトは個人指名依頼する気など最初からない。うら若き乙女達と必要以上に親密になるようなことはしないと彼は決めていた。


 とはいえ、結局は自分も若い男。こういう魅力様々な女性達に囲まれ、酒を飲むことが愉しくないわけじゃない。ムネヒトは自分を知っている。理性に自信など無かった。

 故に個屋で、しかも二人きりで過ごすなど以ての外。間違いがあっては遅いのだ。

 ミルシェを始め、B地区に住まう彼女達を裏切らないように、しかし騎士団の先輩の顔を潰さないように酒宴を楽しむ。

 まるで中間管理職の接待のようだなと自己を客観視しながら、ムネヒトはとっとと酔いつぶれてしまおうと思った。


 初めての色遊びで舞い上がり寝てしまう初心な童貞――実際そうなのだが――を演じてみようと、自分の酒量を遥かに越えるペースで杯を傾ける。

 肩や腕に感じる乳房の柔らかさ(無論、彼女たちから押し付けてくる)を意識しないためにも、ムネヒトは酒を胃へ流し込み続けた。


 ・


(ははーん? どーも空振りみたいだし。せっかく、とっておきの服着てきたのになぁ)


 シンシア達にしたって、ムネヒトが指名依頼をする気が無い事はとうに察していた。

 意地になって個別指名を狙う嬢も入れば、早々に見切りをつけて会話に徹する嬢もいる。しかしチャンスさえあれば個別依頼を狙う者がほとんどだ。


 個別、指名依頼となると、通常の給金以外に特別手当が付く。更にその間に客が注文した酒や果物などの売上金――正確には原価を差し引いた粗利益高――の七割が懐に入るのだ。

 最後まで行わない個別依頼失敗にしても、それは変わらない。


 新規客の開拓と固定客ファンの獲得は、彼女らにとって重要なクエストだった。

 顧客が付けば給金が増える、給金が増えると一層自分の魅力を磨ける、より魅力的になると更に顧客が増える、こういった具合に良い循環が生まれる。


 特に、上手く行けば人脈を築けるというのが大きい。

 大半の男達は上手くベッドに連れ込むことばかりを考えているが、自分達が目指すクエスト成功は、もっと深い処にある。

 、という男が居れば是が非でも縁を結びたい。『クレセント・アルテミス』の歴代冒険嬢の中には、貴族に見初められ伯爵夫人となったものも居る。国家冒険者の妻になったものも居る。大富豪の養女として迎えられた者も居る。

 故に彼女らはそれぞれが仲間であり家族であり、食い扶持を奪い合うライバルでもあった。


 今回の客ムネヒトは、総合的に見れば良客になるだろう。

 まず彼の視線や態度から、この店の強み……おっぱい好きである事は間違いない。ここでガッチリキープしておけば、他の裏ギルドに流れる可能性は少ないはずだ。

 身なりも清潔にしているし、聞けば最近王都で勢い盛んな第二騎士団の衛生兵という。顔見知りになって損は無いだろう。

 金払いの良い太客とは言えないが、マナーの良い客は大歓迎だ。

 逆に富豪であってもマナーの悪い客はお断りだ。金さえ積めば女は簡単に股を開くと、勘違いしている男などは特に。

 そういった意味では、娼婦という職業を同情しているし尊敬もしている。自分達には出来ないことをやっているのだから。


 自分達は良い男を値踏みする権利があるし、相手だってこちらを選ぶ権利がある。ここはそういう場所だ。

 判断基準は冒険嬢によってそれぞれだが、自身の目と肌と心で男を見極めるのだという自負は誰もが持っている。

 男も女も自分の魅力と欲望を以って相手を決め、戦いを挑む。一晩にも満たない短い時間の中で行われる駆け引き冒険の連続。


 ――我ら三日月の女神を落してみなさい。さすれば今宵は、貴方をこの胸に抱きましょう――


 それがこの非公式ギルド『クレセント・アルテミス』だった。


 ・


 変化が起きたのは、それから三十分も経たない内だ。ムネヒトが酷い酩酊により、ハナという牛の事を三度ほど繰り返した頃だった。

 二階のみが地震でも起きたのかというほどに振動し、女の悲鳴と男の怒号が一階まで伝わってきた。

 たまたま居合わせた客同士の喧嘩はたまにあるが、今度のはただ事とは思えない。

 女達は一斉に立ち上がり、上の階へ意識を向けた。今夜、ムネヒト以外の客は一人しかいない。


 その客というのは、第一騎士団に所属している貴族の長男だ。

 腕自慢らしく、得物の大剣で大型の魔獣を屠った事があると、機嫌よく話しているのを聞いたことがある。

 実力は確かにあるのだろうが、彼女達が一向に興味を向けないのは彼の人品にある。

 まず男は『クレセント・アルテミス』で何回も料金を踏み倒している。むしろ、ちゃんと料金を支払ったことの方が少ないのではないか。

 強引に肉体関係を迫られた冒険嬢も何人もいて、誰も彼の相手をしたがらなかった。早々に酔わせて、体よく追い返すのが関の山だ。

 だが出入りを禁止すると、権力を笠に着ているその男は何をしでかすか分かった物ではない。


 一言、面倒な常連客だ。

 今回も貸切だというのに、第一騎士団と実家の名前を出して強引に店に上がったのだ。

 厄介ではあるが放ってもおけず、彼は今『クレセント・アルテミス』でも古参の冒険嬢が個別依頼の応対していたはずだ。

 皆はざわざわと不安げに顔を見合わせたり、しきりに上の階を気にしたりしている。


「おい、責任者出て来い! オンナにどういう教育をしてんだ、ァア!?」


 やがてそんな怒鳴り声を上げながら、一人の大柄な男が降りて来た。顔を酒だけのせいでは無い赤さに染めている。

 彼女たちが息を呑んだのは彼の顔が怖かったからではなく、その右手に髪を乱暴に掴まれた女性が居たからだ。四肢はダランと垂れ下がり、布のようにズリズリと階段を擦っている。


「コレット!?」


 その姿にシンシアは悲壮な声を上げた。見覚えのあるどころではなく、同じギルドに所属する仲間に他ならない。

 男は鼻を鳴らしブンとコレットという少女を、走り寄って来たシンシアの足元へ投げて寄越した。ブチブチと、何本か髪が千切れるのを気にもしない。


「……く――! ひ、酷い!」


 辛うじて受け止めたが、彼女は既に大怪我というには残酷な壊され方をしていた。

 顔中が内出血で膨れ上がり、鼻柱は叩き潰され、瞼はふさがり、前歯も何本か折れていた。手足も無傷ではない。

 だが最も悲惨と形容すべきは、彼女の右乳房が潰されていたことだろう。渾身の力で拳を振り下ろしたのだろう、指の痕がハッキリと残っている。恐らくは肋骨なども折れている。

 左の乳房にも、ドレスを剥ぎ取ろうとしたのか、あるいは力尽くで掴まれたのか、豊かな膨らみには無惨な爪痕が何本も出来ている。


 コレットは二十台半ばの年齢ではあるが、豊満な肉体と愛嬌もありコロコロと少女ように笑う姿が人気の女性だった。

 また在籍人数81人のうちトップ5に入る96のHというバストサイズを誇り、彼女の裸体を拝む為に金を稼ぐと豪語する者もいるほど。

 若い客からも年配の客からも親しまれ、個別依頼を申し込むにはそれなりの苦労と忍耐が課せられる。


 皆は普段の彼女をよく知っているだけに、その惨状は悪夢としか言いようがない。

 彼女の――クレセント・アルテミスに在籍するメンバーは例外なく全員だが――自慢だった乳房は、見る影もない。


「アンタ!! 自分が何をしたか分かってんの!?」


 シンシアに怒気を向けられても、男の方はむしろ非難を向けられた事に対し我慢ならない様子で舌打ちをしていた。


「あア!? コイツが悪いんだよ! 男と寝ることしか能のねえ肉穴のクセして、俺を拒みやがったんだ! 俺は子爵家の長男で、未来の王宮騎士団の団長様だぞ!? むしろ抱かれるこことを感謝しろってんだ!」


 酒に濁った目と声とでがなり立て、床に唾を吐く。だが、詰め寄ったシンシアの顔と身体を舐めるように見回すと、涎に濡れた唇を愉快そうに歪めた。

 ナメクジが這うような視線にシンシアは怖気を覚え、身体を斜にして隠す。


「慰謝料として今までのツケはチャラにして、今日の売上金を全部献上しろ。あとお前を含めて、三人ほど俺の部屋まで連れて来い。そんなゴミみたいな女じゃなくて、キャンキャン良い声で鳴きそうな――」


「――おい」


 カツンと、テーブルに空のグラスが置かれた。その妙に響いた音と無機質な声に男は振り向く。

 酒場スペースに座っていた黒髪の青年が立ち上がり、こちらへ近づいてくる。やや俯いて表情は見えないが、何か言いたい事があるらしい。


 周囲に座っていた冒険嬢の面々が彼を制止しているが、その歩みは止まらない。

 男は盛大に舌打し、剣の変わりに酒瓶を左手に持ってムネヒトへ詰め寄った。

 相手の方はというと、彼の顔ではなく右手にこびり付いた血を見ていた。コレットという女性を殴ったと思われる手だ。

 自分を無視するかのような態度に、男は青筋を立てる。


「あ? 誰だテメェ!? 部外者は引っ込んでろ! それとも何か文句でもあんのか!? ァア!?」


「いや――」


 正確には文句を言う時間すら惜しかった。

 ムネヒトの攻撃を視認出来た者はこの中で皆無。ただ、パンッ、と風船でもはじけるような乾いた音が一度聞こえたのみ。

 騒ぎを聞き付けてやってきたギルドマスターのディミトラーシャですら、見えたのは撃ち終わり一瞬。消えたように見えたムネヒトの左腕が、腰の辺りに戻ってきたのを確認できただけだった。

 かつて上級冒険者まで至った彼女が、だ。


「……は、んァぇ?」


 男は自分の変化にすら気付いていない。ムネヒトの胸倉を掴もうとして出来なかったことで、ようやく認識できた。

 右腕が完全に破壊されていた。今はもはや蛇の抜け殻のような形状になっている。

 ムネヒトのは、男の指を潰し、手首を砕き、肘を割り、肩を壊し、鎖骨を叩き折ったのだ。千切れなかったのはただ運が良かっただけ。

 容赦はしなかったが手加減はした。

 もしムネヒトが本気で殴っていたのなら、彼の右半身はくり貫かれていただろう。

 男は、振り子のようにかしいで戻ってきた腕をポカンと見ていたが……。


「ひぃっ、ヒギャぁぁっぁあああああァァァアア!? お、俺の、おれの腕がぁぁあああああああああああああ! 痛ぇぇ、いでえええええよおおおおおお! ぁぁあぁぁあああああ!!」


 直ぐに床に崩れ落ちて狂ったように泣き喚いた。出血はほとんどない。ただズリズリと、不自然に長くなった右腕が金魚の糞のように追従している。

 普通の治療ではもう二度と剣もスプーンも握れなくなってしまったことだろう。


「ハあぐぅぅぅう……ごふぁ!?」


 ムネヒトは目に入った彼の財布をついでに抜き取り、更に男の身体を玄関先まで蹴り飛ばした。

 強かに蹴り飛ばされた子爵家の跡取り、兼自称将来の王宮騎士団団長は顔面から床にダイブし、涙と鼻血のレールを短く描いた。

 鼻柱と前歯まで折った彼が見たのは、憤怒と戦意を両眼に煮えたぎらせた悪鬼の姿だった。


になりたくなかったら、今すぐ失せろ」


「ひ、ぃぃ――!?」


 抑揚と温度に欠いた言葉は、男にとって死神のラブコールに等しかった。

 先程までも威勢は完全に消え失せ、男はバランスを失いながらも脱兎の如く玄関から逃げ去ってしまった。


「コレット! しっかりするし! 誰か早くポーション持ってきて! 早く!!」


 シンシアは目から大粒の涙をながらコレットを抱き上げた。軽く見た限りでは命に別状は無いが、彼女らが磨き上げてきた女性としての魅力は、残酷に殴り潰された。

 彼女達にとって自分達の美は武器であり、明日の食い扶持を得る為の財産であり、そして誇りだ。

 それが失われたと言う事は、コレットは『クレセント・アルテミス』の冒険者として死んだ事になる。

 所属している冒険嬢は全て、この『クレセント・アルテミス』の屋敷を住まいとしている。裏ギルドは行く当ての無い彼女達の家であり、ギルドメンバーは家族のようなものだ。

 コレットも皆にとっての姉妹、母、娘、戦友、そしてライバルだった。それが理不尽な暴力によって奪われた悲哀と怒りは筆舌にしがたい。


 ディミトラーシャも自分の左胸に手を当て、悲痛な表情を浮かべた。

 彼女にしても、かつて時の喪失感は、今でもまざまざと思い出される。

 数名が治癒薬を取りに行こうしたとき、コレットの傍らに膝を突く男が居た。ムネヒトだ。


「ちょっとアンタ何してんの!? 治療の邪魔だから直ぐにそこから……」


「静かに、彼女の傷に障る」


 言うと、奪った財布の中身も見ずに近くの冒険嬢に渡す。両手を自由にしたのだ。

 ムネヒトは両手をハンカチで拭ってから、浅く弱く呼吸するコレットのドレスの下、裸の乳房へ添えた。

 誰も制止できなかったのは、あまりに自然な動きだった為だ。

 はっとしたシンシアがムネヒトへ問い詰めようとしたとき、それは起きた。


「嘘――……!?」


 自分かもしれない誰かが呟く。

 青白い光がコレットを優しく包むと、彼女の傷が瞬く間に消えていくのだ。折れて腫れていた頬も、ひしゃげていた鼻も、抜け落ちた歯も、潰されていた右胸までもがみるみる再生していく。

 時間にして十秒足らずの出来事。血に塗れた肌とドレスが無ければ、コレットが怪我したことすら気付かれなかっただろう。

 暖かな青白い光が収まる頃、コレットは薄く眼を開ける。


「あれ……私……?」


「コレットぉぉ!!」


「きゃっ!? え、なに!?」


 ボンヤリ状況を理解していない彼女に、輪のようになって取り囲んでいた皆が抱きついた。ある者はわんわん泣き出し、ある者はむしろ呆然とコレットの身体を確認している。

 蜂の巣を突付いた様に騒いでいたが、やがてムネヒトへ視線が集中する。だがどうしたことか。彼は顔を横に背け、気まずそうに頬をかいている。


「……胸が見えそうだ。隠してくれないか?」


 口から出たのはなんとも間抜けな指摘だった。ムネヒトは、ほとんど乳房が零れているコレットの艶な姿に中てられ、頬を染めていた。

 それでもやはり興味はあるらしく、彼女の姿をチラチラ伺っているのが皆にはバレバレだった。

 とても奇跡の様な魔術を行使した人物と同一とは思えない。


「あ……う、うん」


 コレットも釣られたのか、誰かが持ってきたタオルで恥かしそうに身体を隠した。とうに清い身体ではないというのに、初めて異性と朝を迎えた時のように彼女は顔を赤くする。


「あ、あの……貴方が、私の身体を……?」


 おぼろげながらも、自身に降りかかった災難と幸運を覚えているらしい。まだ夢の中に居るような心地のコレットに対し、ムネヒトは首を横に振った。


「ヒック、何のことだ? 君の身体は、最初からずっと、綺麗なままだ。何処の誰にも、傷つけられちゃ、いなひっく」


 ムネヒトはついでに気障っぽい台詞を吐いた。酒のなせる業に他ならず、普段の彼なら決して口にはしないだろう。

 それが既に飲みすぎである証左なのだが、彼自身は気付いていない。


「! あ、ありがとう、ありがとう……!」


 コレットは更に顔を赤くし、顔を伏せて嗚咽を漏らした。

 ムネヒトは彼女に近づき、とめどなく流れる涙と乾き始めた血をハンカチ(ムネヒトはいつおっぱいを触っても良いように、清潔なハンカチを常に三枚は持ち歩いている)でそっと拭った。


「君に、ヒック、涙と、血の赤は似合わなひぜ?」


「ぁ――……」


 気障な上に呂律も回っていないのだが、いわゆる吊橋効果というヤツを発揮しコレットには最大限の効果をもたらした。彼女の潤む瞳はもはや黒髪の青年しか映していない。


「待ってるから、シャワー浴びてきょいよ、ひっく」


「はい…………」


 その血を顔一杯に巡らせ、コレットはそそくさと浴場へ走っていった。

 完全に個別依頼の最終クエストだった。しかも成功を収めてしまった。

 しかし当然、ムネヒトにその気は無い。ただ『嫌な客のことなんて忘れて、皆でお酒でも飲まない?』的なお誘いだっただけだ。


「ひっく、まだ、お酒は残ってたかな……残すと勿体無いし、どうせ、サンダーブラザーズの奢りだし、この際、もうちょっと良いお酒でも……と、おっとっと……」


「待ちなんし」


 ふらふら千鳥足で立ち上がったムネヒトを、ディミトラーシャはやや厳しい声で呼び止めた。


「んー?」


「まずはコレットを治療してくれた事に感謝を――」


 彼女は深く深く頭を下げた。周りの冒険嬢達も慌ててギルドマスターに倣う。


「――けど、これはどういうことでありんすか? ぬし様は、何をしたんでありんすか?」


「……」


 頭を上げたディミトラーシャの瞳に、ムネヒトを測ろうとする意志が見えた。

 ムネヒトが第二騎士団で衛生兵を務めている事は、彼女らの持つ情報網により既に聞き及んでいた。治癒魔術に特化した凄腕の魔術士ソーサラーであると云う事も。

 だがこれは、とてもその域に収まるものではない。想像を遥かに超えている。

 折れた歯、潰れた目、千切れた腕など、欠損したダメージは通常の魔術では癒せない。

 宮廷魔術士が十人単位で行使する『最上級魔術』か、現存する最高峰のポーションである『最上級治癒薬』でなければ完治させる事はできないだろう。


 しかしムネヒトはそれを個人で行った。

 また回復魔術のみではなく、あの乱暴者を一方的に叩きのめした実力も決して無視できない。少なく見積もって上級冒険者と同等以上は間違いないだろう。

 これほどの存在が今まで噂に成らず埋もれていたとは思えない。だったら、彼は何者だ? 宮廷魔術士か? または国家冒険者か? または『最上級治癒薬』を湯水のように使用できる大富豪か?


 いや、いまソレはどうでも良い。彼が本当に得がたい人物であるのならば、私達が、この『クレセント・アルテミス』が行うべきは――。


「悪いが秘密だ。あまり公に出来る能力じゃあ無いんでね。この事は内緒にしていてくれ」


 ディミトラーシャの追求をムネヒトは顔を振ってかわす。ギルドの女主人は、やはりかという失望の表情を眉のみに浮かべた。

 常識を遥かに超える力の持ち主だ。簡単に披露できるものじゃないことは容易に想像できる。

 仮に宮廷魔術士だった場合、法外な治療代を請求される可能性もある。宮廷魔術士や王宮騎士団は王族直轄の組織だ。市井の者に対し、その力を許しなく振るう事はできない。

 内緒にしていてくれといった理由はそれだろうか。ならば彼はこの件を公にせず、内密に処理しようとしている。奇跡の対価は求めないと、言ってくれているのだ。


 そうでないにしても、きっと彼だけの事情があるに違いない。

 自分たちも人の事を言えた事では無いが、優れた人物との縁は何としても手に入れたいものだ。それこそ、人に言えないような手段を用いてでも。

 ムネヒトを手に入れようとして、権力、栄華、陰謀、あるいはそのいずれもが彼を苦しめてきたのだろう。

 旅人だったという噂も、その推察を補強する。彼はそういう連中に嫌気が差し、故郷も栄華の道も何もかもを捨てて、この王国にやって来たのだ。

 ならば、無理に聞き出して自分達の印象を悪くしてしまうような真似は避けたい。

 ディミトラーシャはそこまで考え引き下がった。今までの依頼主達と同様、徐々に関係を深めていけば良い。


「でも良いよー教えちゃう! 皆の素敵なおっぱいに免じてねっ!」


「「キャー! ムネヒトさん、素敵ー!」」


「なんでやねん」


 ムネヒトは酔っていた。

 冒険嬢達は無意識のうちに合いの手を入れ、ディミトラーシャは肩透かしに思わず故郷訛りを吐いてしまう。


「実は俺、相手の乳首触ると、どんな怪我も、ひっく、治しちゃうスキルが使えりゅんだ!」


 どっ! と笑いが起きた。

 冗談は明白。ここがいわゆるおっぱいギルドだから、そういう冗談でお茶を濁そうとしたのだろう。

 しかし百戦錬磨の彼女達は、ムネヒトの言葉が全て偽りでもないことを直感で察していた。そのスキルの発動条件に、相手の肉体へ触れるというのが有るのは間違いないのだろう。

 ならば、もう少し詳しく知りたい。彼女達は短いアイコンタクトをかわす。


「えぇ~? そんなん言って、あーしらのおっぱいに触りたいだけなんじゃないのー?」


 代表して、シンシアがムネヒトに甘くしな垂れかかった。媚びるような笑みを浮かべているが、その瞳の奥は真剣な光を帯びている。男女の仲に限らず、強固な信頼関係を築くには秘密の共有が有効な手段になる。

 シンシア達は勿論それを熟知しているし、男の秘密を聞きだすプロでもあった。


「あー? うーん、そうかな? ははは、そうかも。ひっく、ま、じゃあ、試してみるか?」


「え? 試す?」


 ムネヒトは深い酩酊のせいで常よりも歯止めが効かず、更にデリケートな問題にも踏み込んでしまった。自身で戒めていたはずの、彼女の体について。


「その胸、ちょっと診せてみろ」


 彼はディミトラーシャの、豊満に乳房を指差した。

 ギルドマスターはぎくりと、身体を固くする。無意識のうちに、細い腕で乳房を庇っていた。


「アンタ、左胸が無いんだろ?」


 空気が凍った。


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