第四章 金と恩とおっぱいと

プロローグ① (第四章第一話)

 

 貴方に恩を返すと心に誓ってから、その思いは日に日に……いや一秒ごとに増すばかりだった。

 なんとしてでも、この感謝を伝えたい。

 もしかしたら、私の恩返しなど自己満足なのかもしれない。要らない物を貰っても、きっと優しい貴方は嬉しそうな顔をするだろう。

 もし不要だと言われてしまえば、きっと自分は駄目になってしまう。

 ならば貴方の望む物を、心より欲する物を献上したい。

 いや、それも自己満足なのだろう。誰より、この自分が貴方に求められたいのだ。

 貴方の為なら何を捧げてもいい。貴方に救われた命、貴方の為に浪費する事になんの躊躇いがあるだろうか?


 今日も私は粛々と、あるいは虎視眈々と、貴方へ恩を返す機会を狙うのです。


 ・


 王都【クラジウ・ポワトリア】の北西は通称貴族街と言い、名のある貴族達の屋敷、あるいは別邸が連なる区画となっている。

 王都、いや王国においても最上の一等地とされ、此処に居を構えること自体が一種のステータスとなっていた。

 また、ここに邸宅を持つのは大貴族のみではない。

 何代も続く歴史ある大商人や、一代で財を為したいわゆる成り上がりの大商人なども館を構えていた。


 アメリア・ジェラフテイルもその内の一人であり、【ジェラフテイル商会】の代表を務めている。

 本社の一室にて、彼女は成人男性にも大きな椅子に座り、部下の若い男から取引の報告を受けていた。

 アメリアは頭からすっぽりとフードを被り、御伽噺に登場する魔女のような外見をしていた。表情も顔立ちも見えず、ただ影の中から声を出しているような印象を受ける。


「代表、先日の取引についての報告ですが――」


「口頭での報告は不要よ。書面だけそこへ置いて、もう下がりなさい」


 しかしアメリアは、若い男の話を中断させると早々に退室を求めた。彼が入室してから秒針はまだ一周もしていない。


「……はっ、失礼します」


 青年は何か言いた気な表情を一瞬浮かべるが、持っていた書面をドア近くのテーブルに置く。そして、小さな会釈を残して部屋を出ていった。


「――ただ今戻りました、アメリア様」


 その彼と入れ替わるように、別の存在が入室してくる。

 若い女性であり、起伏の目立たないスレンダーな体躯は、ただでさえ上背のある彼女をより一層高く見せる。

 スーツと呼ばれる自由貿易国などで好まれる服を纏い、青みがかった黒……紺色の瞳と髪を持ち、刃物めいた鋭さを纏わせる女性だった。

 中性めいた美貌の所有者で、男性用の衣服を着ている事もありその印象をより深くする。


「お疲れのところ恐れ入ります」


「労いは要らないわジェシナ。それより、ちゃんと手に入れたのでしょうね?」


「こちらに」


 ジェシナと呼ばれた彼女は机の前まで近づき、革張りカバンから豪華な装飾箱を取り出す。

 その箱を音も無く開けると、中には緑色の液体に満たされた細い瓶が一本のみ入っていた。上質な布に包まれた品で、高級品である事は疑いようも無い。

 ジェシナは中身をアメリアに見せるように箱の向きを変え、机の上に差し出した。アメリアもジェシナも一定の空間を設けたまま動かない。まるで、机の上に見えない壁があるかのようだった。


「確かに間違いなさそうね」


 蓋の内側に取り付けられていた鑑定書を一読し、ポーション瓶を手にとってアメリアは小さく頷く。その指は絹の手袋で包まれていた。


「宮廷薬師から直接の販売で手に入れました。相場の五割り増しは要求されましたが……」


「想定内よ。貴女以外の者ならばその倍は吹っ掛けられたでしょうから、良くやった方だわ」


 言い終わると、アメリアはそれを一息に飲み干し自身の様子をつぶさに確認する。やがて全身を確認し終えると、小さな溜め息を漏らした。


「効果があるのは少しだけね、期待通りとは……というのが正直なところかしら」


 期待外れと言わなかったのは、働いてきた部下への配慮だ。


「次はこの倍の濃度でポーションを作るように依頼しなさい」


 主人の言葉にジェシナは僅かに眉を寄せた。


「ですが、これ以上の濃度で『上級治癒薬ハイ・ポーション』と『上級解毒薬ハイ・キュアー』の混合薬ハイブリッドを作成すると、人体の健康を損なう可能性があると薬師は申しております」


「なら好都合ね。私自身がポーションの臨床試験を行うから、納期を可能な限り早めるようにも伝えておいて」


「……しかし、それでは」


「私に損なってしまう健康な肉体があると思っているの?」


 アメリアの自嘲を含む言葉に、ジェシナは紺色の瞳を小さく歪ませた。

 ローブの裾と純白の手袋の間、僅かに見える彼女の腕は病的に細い。そして、カビの様に青黒い靄がその肌をより痛ましい物に見せていた。


「危険な臨床試験も、個人的には悪くない賭けだと思っているわ。もとより失う物の無い身体だもの、ノーリスクで投資が出来るのだから合理的だわ」


「ご自身を担保にした投機は感心出来ません。今しばらくの御自重をお願いしたく存じます」


「別に誰も困らないでしょう? 不利益にならないのだから、利用する以外の選択肢はないでしょう?」


「…………その言葉は、会長やあの方にはお伝えしなほうが宜しいですね」


「ええ、そうね。きっととても怒るでし……ッう――!?」


「! アメリア様!」


 アメリアは突然、口に手を当て机に突っ伏した。いつものアレだ。内臓を巨人に搾られているような、気色の悪い吐き気。平衡感覚も怪しくなり、視界も揺らいでいく。


「近寄らないでといつも言っているでしょう!?」


 しかし、駆け寄ろうとしたジェシナを凄まじい剣幕で叱り飛ばした。

 喉の奥から灼熱感を伴う嘔吐感を何とか押さえ込み、滲んだ脂汗に張り付いた前髪を額から払う。

 その時、空になってそこに転がっていた瓶にアメリアの顔が映った。


 フードの奥に隠れた、醜い醜い自分の顔。

 腐った墨のような色の面は、どこに鼻や目や口があるかも区別がつかない。子供が目隠しして作った泥人形にも、もう少し秩序があろう。

 金髪のみが純金のように美しく、その顔色と残酷な対比となっていた。


「……!」


 アメリアは無言で空瓶を叩き割る。しかし手に出来た傷は、まだ体内に残っていたポーションの影響ですぐに完治する。白い手袋を染めた血潮は一瞬で過去のものになる。


 これほどの効能を持つポーションでも、また駄目だった。


 彼女が代表を務める【ジェラフテイル商会】は幅広い商品を取り扱っているが、特にポーション類の品揃えや情報に関しては王国一と言われている。

 この【ジェラフテイル商会】で手に入らないのなら、何処へ行っても駄目だという評判だ。

 それでもと、アメリアは何百回目かの失望を味わった。


「アメリア様、これをお使い下さい」


 俯く彼女に差し出されたのはハンカチだ。

 近づくなという言いつけを守らない部下に、アメリアは非難めいた視線を飛ばすがジェシナは今も机の向こうにいた。

 見ると、ハンカチは蛇腹のような多関節がついた手に握られていた。しかも手というには単純に過ぎて、開閉二種類の動作しか出来ず、閉じると輪の様になる形状をしていた。

 その珍妙なアイテムの根元を握るのがジェシナだ。彼女が手を握る事によって開閉し、射程も伸びる仕組みらしい。

 アメリアがハンカチを受け取ると、その伸びる腕はびよんとジェシナの手元に戻る。


「近くの雑貨屋で買い求めました。魔導伸縮の手ソーサラー・ハンドと呼ばれ、最大八メートル先まで届く品です。これならば、アメリア様の言いつけを守った上でお世話することが出来るかと。ただし、魔力ではなくて握力で動くアイテムなので名前負けも甚だしいところです」


「……貴女の気遣いは、いつも何処か不思議ね……」


 故意にやっているのか天然なのか、ジェシナのズレた配慮にアメリアは毒気を抜かれる。


「先天性の毒は、やはり『最上級治癒薬グレート・ポーション』類でないと駄目みたいね……」


 そう言いはしたがジェシナの反応は無い。彼女の無言も無理からぬものだと、アメリアは思う。手に入れる困難さを互いに良く知っているからだ。

最上級治癒薬グレート・ポーション』とは、薬師達が目指す最上の目標であり、また現存する技術の粋を集めた最高峰のポーションだ。

 欠損した手足や潰れた目、壊死した神経までも完治させるという治癒薬であり、取引価格は上級以下のソレと比較にもならないくらい高価だ。一人分で、最低でも庭付きの豪邸が建てられるほどの価値がある。

 特に彼女が求めるのは『最上級解毒薬グレート・キュアー』であり、致死性の毒に冒されていても完治させることが出来るという逸品だ。


 取引価格が法外であることもだが、一般の市場に出回らない事も容易に入手できない要因だ。

 製作できる薬師は、宮廷薬師として召抱えられるか大貴族専属として囲われてしまう為、コンタクトを取ることが非常に困難だ。

 得難い人材というものが不要だった時代は、歴史においても一秒も存在しないらしい。


 また、必要な材料を用意するものも困難を極める。特に最上級薬に不可欠な『ルミナス草』という植物は、その超一流の薬師達をして頭を悩ませる種となっていた。

 その栽培方法は不明で、偶然上手くいった方法を試してみても再現性は無い。

 最上の土、最上の水、最上の肥料で試みても失敗。かと思えば、誤まってドブに捨てた種から完全体が栽培された例もある。

 まさに神の気まぐれを形にしたかのような植物だ。


 王宮が管理する広大な『ルミナス草』専門農場においても、数年に一株出来れば結果は上々と言えるレベルだ。

 いかに『ルミナス草』の種が安価であろうとも、何十万何百万粒という種を用意し、更に優秀な薬師達を動員する労力は軽視できる筈もない。

 土地と予算と人材ばかり浪費する『ルミナス草』の研究部署が、王宮で肩身の狭い思いをしているのは容易に想像がつく。


 以上の理由から、いかに大商会と言えどもグレート・ポーションなど見かける事すら出来ないのだ。


「どこかに居ないものかしらね……『ルミナス草』を栽培できて、更にグレート・ポーションを精製できる人材……もしくは、それに匹敵する魔術を行使できる魔術士ソーサラーは」


「星を落して見せろというくらい困難な話ですね」


 流石にアメリアの冗談だと気付いたらしく、ジェシナは小さく笑った。そして俄かに真剣な表情を作る。


「……このジェシナ、身命を賭してグレート・ポーションを手に入れて参ります。だから、どうか無理な服用はお止め下さい」


「――そうね。私としたことが、ヤケになるなんて非合理極まりないわ」


 部下の言葉に、アメリアは自分の理性を取り戻す。

 王国に存在するあらゆる最下級、下級、中級、上級薬のいずれも、この忌まわしい身体を治す事はできなかった。

 だがまだ万策尽きたわけでは無い。

 今まで手の届かなかった最上級薬類が、ついに現実味を帯びてきたのだ。

 金銭面での準備は整った。あとは機会だけ。

 アメリアが血反吐を吐く思いで【ジェラフテイル商会】を大きくしてきたのは、その為だ。

 やがてアメリアは結婚を控えた身でもある。せめてと人並みの身体にと思う事は、決して変では無いはずだ。

 美しくなりたいだなんて、そんな贅沢は言わない。

 届かぬ星に手を伸ばす非合理さを、アメリアは知り尽くしていた。

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