副団長メリーベル・ファイエルグレイ
「……第二騎士団副団長メリーベル・ファイエルグレイ。団長ガノンパノラの娘であり、私の剣のコーチでもある人よ」
俺の疑問を察してくれたか、リリミカは目の前の女性について説明してくれた。
燃える様な赤い髪と、赤い瞳が印象的な人物だ。ミルシェを上回る背丈であり170に迫るだろう。
しかし鮮烈な外見とは対照的に、彼女は装飾の乏しい露出もほとんど無い無骨な皮鎧を纏っている。副団長という割には随分質素だというのが、正直な感想だ。
しかし俺には、その鎧の下にある間違っても質素とは言えないおっぱいの存在を感じることが出来る。
「でも、ムネっちを連行って!? まるで逮捕するみたいな言い方は止めてよ! べ……コーチ!」
「疑惑が確定的になったというだけだ。遅かれ早かれ、こうなっていたさ」
食って掛かるリリミカを副団長は相手にせず、瞬きもせずに俺を睨んでいる。まるで女の敵を見る様な目だ。
「疑惑……?」
「ふん、知らぬは貴様のみというわけか。自らを省みない能天気な性格をしているようだな」
状況がイマイチ掴めない俺へ、苛立ち混じりに鼻を鳴らすメリーベル。
「貴様がサルテカイツ家に対し行ったことは既に私も知っている。先日のゴーレムの件にも関わっているという事もな」
「――……」
身に覚えがありすぎる。ゴーレムの件はアカデミー側から処分を受けたが、サルテカイツ家を襲撃した事については未だお咎め無しだ。そもそも俺が襲撃の、悪い言い方をすれば首謀者という事を知っている者は限られている。
後悔など無いが一応は彼らも大貴族だったし、パルゴアを壊したのも俺だ。その件を遂に精算するときが来たのか。
俄然勢いよく反発したのは、やはりというかリリミカだった。
「ちょっと待ってよ! あれはサルテカイツ家がミルシェんとこに下らないちょっかいを掛けたからでしょ!? ムネっちが居なきゃ、どうなって――――」
「……それを罪に問うつもりは無い。少なくとも私達にはな」
立ち上がったリリミカを、副団長は静かに制した。
「もとはと言えば、サルテカイツ家の暴走を止められなかった我々の責任だ。本来はすぐにでも謝罪に赴くべきだったのだ。本当に、申し訳ない」
言ってメリーベルは、ポニーテールの結びが見えるほど深く頭を下げた。
一緒ポカンとしたが、直ぐに我に返る。
「頭を上げてくれ! 俺は別に第二騎士団に対して責任を追求したいとか、そういうのじゃなくて……」
確かに最初は腹を立てもしたが、彼女らには彼女らのしがらみがあるのだろうと思う。第二騎士団と第一騎士団の仲が悪いのは知っている。
ミルシェやバンスさんが騎士団同士のいざこざに巻き込まれ、対応に難があったというのなら、確かに責任は第二騎士団にもある。
しかしレスティアの対応が悪かったとは思えないし、ギリギリではあったが屋敷に駆けつけもした。
俺の所見を言わせて貰えるなら、真に謝罪すべきは第二騎士団ではなく第一騎士団の方だ。いくらサルテカイツ家が出資元だったからといって、ミルシェ達になんの謝罪もないのは思うところがある。
「しかしだ」
メリーベルはバネの様に上体を起こした。
「貴様の異常なまでの戦力を放置する事はできない。たとえレスティアさんから『ハイヤ・ムネヒトに危険は無い』という報告があったとしてもだ」
まさか育乳が信頼構築に役に立ったとは思えないが、レスティア副官はどうやら団長にそう報告してくれたらしい。
しかし問題なしという報告が更なる疑念を産んでいたとは、何とも皮肉だ。そういえば最初にレスティアと面接したときも、同じようなやり取りをしたなと懐かしく思う。
「だから私は、極秘で貴様の調査を行うことにしたのだ」
「俺の調査、だって……?」
「副官としての能力を疑うわけではないが、私自身の目で確かめねば信頼など出来ん。部下にも第一騎士団にも秘匿し、貴様の素行を見るべくな」
「……極秘調査とか言ってるけど、俺やリリミカにそれ言って良かったのか?」
「……――あっ」
あっ、て言ったぞこの娘。
「ふ、ふん! 既に結果は出たも同然だ! 今さら隠す意味を感じないまでのこと! 口を滑らしたワケでは断じて無い!」
「……」
「ベルんは頭が悪いワケじゃないんだけど、その……」
「いや……言わなくても良いよ、うん」
自身のコーチへフォローを入れるリリミカを制する。なんというか、この手のタイプのお約束というか……。
「よもや素行調査の初日からこの様な場面に出くわすとは思わなかったぞ! アカデミーの非常勤教員で、しかも謹慎中の身でありながら、まさかこのような場所でリリミカと……ち、ちち、ちちちち乳繰り合っているなどッ! 断じて看過できるものか! 今すぐ詰め所に来い! 地下牢に叩き込んでやる!」
「待ってくれ! 貴女は、人気のない店内でリリミカを脱がせて胸とブラジャー
「理由としては十分だろうが!」
そりゃそうだ!
「言い訳をさせてください! 俺はやましい理由でおっぱいを撫で撫でをワケじゃないんです! これは、そう! 世の中のおっぱいの為にまずはリリミカのおっぱいを検分して、あまねくおっぱいに健やかなおっぱい生を歩んで貰う為に! おっぱいとブラジャーをですね!」
「おっ……!? 何度も何度も恥かしい事を言うなッ!」
おっぱいが恥かしいとは何だ!? 貴女にだって生まれたときから付いてるだろ!? とは思うだけで口には出さない。流石にそんなことを言えるほど俺はデリカシーに欠けちゃいないのだ。
「恥かしいって何よ!? ベルんだって、そんな立派なモンぶら下げてるくせに!」
しかしリリミカは口に出した。これが俺と彼女の差だった。負けたよ、リリミカ……。
「お前も捕まりたいのか!? こ、こんなものっ、剣を振る邪魔になるだけだ!」
鎧の上から胸を隠し、やや赤らめ顔で言うメリーベル。
なんて漫画的なリアクション! 本当にそんな事をいう娘がいるなんて!
「貴様も何をニヤニヤしている!? 私を愚弄する気か!」
「愚弄なんて! とても素晴らしいお胸だと思います!」
「誰が胸を話をしろと言った!?」
強くテーブルを叩き、俺とリリミカを等しく睨む。
「口を開けば胸部のことばかり! 貴様は胸があれば何でも良いのか!?」
それは聞き捨てならない!
「俺は女の身体だけが目当てのゲスとは違う! 例えば道端におっぱいが落ちてあったって……いや、それは放置できないな……。保護や移動が出来ないなら、まずは雨風をしのげる屋根でも作り、徐々に大きな社を建てていずれは『おっぱい神社』なるものを――」
「話が逸れてるわよムネっち!」
しまった脱線したか。しかし、おっぱいの話が逸れてもおっぱいの話だ。誤差としては右胸から左胸の話に移った程度だろう。
「ともかく俺はリリミカが好きだから、リリミカのおっぱいも好きなだけだ!」
「はぁ――――!? いまそんなこと言っちゃう!?」
おっぱいが好きでリリミカも好きだ。リリミカのおっぱいが大好きだ。あれ、つまり何が言いたいんだ俺。
「嘘や誤魔化しを言うな! 私からは無理矢理いう事を聞かせているようにしか見えなかったぞ!?」
「なッ――!?」
それはこの世で最も許されざる行いの一つだ。人ではなく、獣に等しい振る舞い。俺はリリミカに対して行っていたというのか……!?
「待ってベルん! ムネっ……ハイヤ・ムネヒトは悪くないわ!」
「リリミカ……! 辱めを受けた身でありながら、この不埒者を庇おうと言うのか!? レスティアさん諸共、何か弱みでも握られているのではないだろうな!?」
「弱みなんて握られていないわ! 握られているのはおっぱいだけよ!」
「ば、バカか貴様!?」
「バカとは何よ! 握るほどは無いって言いたいの!?」
「カスリもせんわ!」
「おい落ち着けリリミカ! また話が脱線してるぞ!」
脱線してもやはりおっぱいの話だった。
「まどろっこしいわね! これは合意の上だったのよ! それともベルん副団長殿は、男女のコミュニケーションにまで口を出すの!? まったく、立派な職務ですね!」
微妙に論点が違うような気もする反論だが、メリーベルは言葉を閉ざした。彼女も口喧嘩はあまり強くないのだろうと、勝手なシンパシーを覚える。
「し、しかし! このような場所で……そのような行いをするべきじゃないのは間違いないだろう!?」
「それは確かに……でもっ! 私は嫌だったってワケじゃないのよ!」
俺を責める事もできたのに、興奮に顔を赤らめてリリミカは言い切った。
お前、そこまでブラジャー製作に熱意を持っていたなんて……! リリミカという同志に出会えた事は、まさに無上の誉れだ。
メリーベルも負けないくらいの赤い顔と大声で反論する。
「貴様……! 学業をおろそかにして、よりよって色遊びになどに精を出しおって!」
「遊びじゃないし勉強だってちゃんとやってるわよ! 私達は本気なの!」
「いったい何の勉強をしているんだ! ならば色本気か!? 語呂が悪いぞ!」
語呂の問題でもないだろうけど。
「ともかく彼は無罪よ! 私が……このリリミカ・フォン・クノリが証言しても良い!」
「……ッ、お前がそこまで言うか……」
強く言い切ったリリミカに気圧されたか、メリーベルは俺を見る目に、敵意とは別の感情を浮かべる。困惑だ。彼女にとっては疑わしく許しがたい、この悪しき
「ふん……」
やがて根負けしたのかメリーベルは俺の向かい、最初俺が座っていた場所に腰を下ろす。
そしていつの間にか三つ並べられてあったコップを取り、中の水を呷った。喉を大きく鳴らし半分以上を飲み干すと、メリーベルは口を開く。
「……先ず言っておくが、もともとは貴様を捕らえに来たわけでは無い」
「……えっ?」
「レスティアさんの耳にも入っている頃だろう。ハイヤ・ムネヒトを第二騎士団に入団させようというのが我々の結論だ」
「…………なんだって?」
それはつまり騎士団に招き入れるということか? むしろ、セクハラで連行の方が納得できる。
「まだ決定ではない。あくまで可能性としてだ」
水のお代わりを貰い、今度はそれを飲まず手に持ったままメリーベルは語る。
「……何故そんな話が上がったんだ?」
「監視でしょ?」
俺の疑問に解答をくれたのはリリミカだった。
「下手に拘束しようとして反発を喰らったら大変だもの。相手は単騎で『夜霞の徒』を壊滅においやる存在だもんね」
「反発って……人聞きの悪いことを言うなよ。俺にそんな気は無い」
「それはあくまで主観的な話でしょ? アンタを知らない人物からは、当然の警戒だと思うけど」
反論できなかった。現代社会でも許可無く拳銃を持っていれば罪に問われるし、プロ格闘家だって一般人に暴力を振るえば犯罪だ。
力ある者はそれだけで危険だ、なんて中二病くさいことを思う日がこようとは……。
「……それだけが理由ではないが、リリミカの言っている事は正しい。私が知っているのは、最初に言ったこと以外には無い。その男がサルテカイツ家をほぼ壊滅状態にしたこと、『夜霞の徒』のリーダーを討った事、そしてゴーレムの打倒に手を貸した事だ」
先に自分の持っている情報を打ち明けてくれたわけだ。なるほど、事件の結末だけしか副団長の耳には入っていないのだろう。恐らく、メリーベルが知っている事はレスティア以上では無い。
「そして今知ったのは異常なまでの、おっ……女性の胸部愛好家という事だ」
睨まれ、視線を下にずらした。更にメリーベルは身体を捻り胸を俺から遠ざけた。
それについては反論の余地も無い。まこと正鵠である。
「どのような人物か、少なくとも二週間は監視する必要があると思っていたのだが……まさか、この様な場面に遭遇しようとはな……!」
今度はリリミカも彼女の視線から目を逸らした。
メリーベルの握り締めたコップがカタカタ震え、中の水が沸騰している。面白ければヘソで茶が沸くというが、憤怒では手の平で水が沸くのだろうか。
「ともかく、二人にはこれから詰め所へ来てもらう。お前達の言い分を完全に信じたわけじゃない。リリミカがハイヤ・ムネヒトに脅迫されているという可能性もあるのだからな」
「ベルん、それは――――!?」
「待ってくれ、リリミカ」
俺は、立ち上がろうとしたリリミカを手で制した。メリーベルの言い方はアレだが、リリミカの事を案じているのだろう。
「下手に逆らうよりは言うとおりにした方がいい。それに、店の中で言い争うのは良くないだろ」
メリーベルは俺を信頼していないと、すぐに腹の内を見せてくれた。初対面のうちから『騎士団はお前の味方だ』といって近づくより、ずっと正直だと思う。
しかしレスティアの報告を軽視してはいない。例えば大勢の団員を引き連れ問答無用で俺を連行するという選択肢を取らなかった点に、メリーベルの理性を感じる。嘘偽り無く、彼女なりの公正さを以って俺を測ろうとしているのだ。
これはつまり、レスティアと面接した時の再現だと思えばいい。
あのクノリ姉が胸に抱えていた(パッドではない)感情とは微妙に異なるだろうが、俺という人物を見極めてしている点に違いは無い。
あの時、レスティアは一次情報を持つバンズさんから直接話を聴いてやって来たが、メリーベルは部下の話や報告書などで俺の輪郭のみを捉えてやって来た。そこに違いがあるといえば違いがある。
「……ヤケに素直に応じるのだな。些か拍子抜けしたぞ」
腰に提げている剣の一振りを意味深に撫でながら彼女は言った。怖っ、もしかしてやる気だったのか?
「俺が反発すればリリミカやレスティアにまで迷惑がかかる。やましい所が無いなら、尚更だ」
「やましくは無い? ヤラしくはあっただろう」
「…………」
こんな男が相手なら心配にもなりますわ。
「オホン……疑われている俺が言うべきことじゃないがな、人間、大事なのは中身だろう? 前情報とか報告書とかだけじゃなくて、アンタ自身の目で俺を判断してくれ」
なんという綺麗事だと、やや自嘲気味な笑みを内心で浮かべる。第一印象の悪さを帳消し出来るほどの感銘は与えられないだろうが、少しでも心象が良くなれば幸いだ。
「……そうだな、確かにその通りだ。噂はおろか、先入観などで人を判断するべきでは無い……」
「…………」
「……?」
何か思うところがあるのか、メリーベルもリリミカも揃って沈黙する。
「謝罪させてくれ、ハイヤ・ムネヒト。副団長という立場でありながら、私は凝り固まった価値観のみで人物を判断してしまうところだった」
そう言って彼女はまた頭を下げる。会ってまだ十数分だが、愚直で生真面目な人物なのだろうと思える。
「謝罪なんて! なんか知らない間に迷惑を掛けていたのは事実だし……実際、現行犯だし……」
そう何度も謝られてしまっては、逆に居た堪れない。どれだけ言葉を尽そうと喫茶店内でリリミカと乳繰り合っていたのは動かしようの無い事実だ。その点を咎められてしまえば俺は即日ブタ箱だろう。
「ほらほら! この話は終わり! ね、ベルんもお昼まだじゃない? せっかくだから一緒に食べていきましょうよ! ムネっち、そこのメニュー取って!」
そんな微妙な空気を切り裂いたのはリリミカだ。俺も軽く救われた心地で、こちら側にあったメニューを手に取った。
「いや、だから私は勤務中で……」
「まったく、何でお姉ちゃんもベルんもそんなクソ真面目なのよ、良いじゃないタマには。第一騎士団の連中なんて、きっと仕事より遊びのほうを一生懸命にやってるわよ?」
「……第一の方針について、私がどうこう言うつもりは無い」
二人の言葉の端々から、第一と第二の仲は悪いんだなと分かる。確執が深そうだ。
「ほらメニューだ。はじめて来た店だからどれがオススメかは知らないけど、あのマスターの料理ならきっとどれも――わっ!?」
誤ってメニュー表でコップを倒してしまう。幸い割れはしなかったが、中身の水がテーブルを広く濡らしていく。
「もう! 何やってんのよ、ドジ!」
「すまん、すぐに拭くから!」
笑うリリミカに急かされながら、俺はポケットからハンカチを取り出し水を拭おうとする。
「うん、ムネっちが信じられないならさ、これからベルんが自分の目で判断してよ。今回は、その、たまたまタイミングが悪かったていうだけ。うん、何も悪いことしてないから。お仕事よお仕事、逮捕も連行も一旦置いて」
さり気なく強制露出のお咎め無しをねだるリリミカ。まったく大したヤツだよお前は。
「……ああ、結論を急ぐ必要は無い。私がこれから自分の目で彼を判断して……ッ!?」
その紅眼で何かを見たらしく、ゼンマイの切れたカラクリ人形みたく急に止まるメリーベル。その視線は俺に、正確には俺が手に持っているハンカチに向いてる。
「どうした? 俺になんか……」
釣られて自らの手に眼を向けて俺も氷結する。ハンカチじゃなくてブラジャーだった。リリミカも「あっ」って顔をしている。
……なるほど、吸水性は抜群だ。テーブルの水も手汗もぐんぐん吸い取っていく。
「……」
「……」
「……」
出来ればこの空気も吸い取ってもらいたい。
外の喧騒とマスターのコップを磨く音が別世界のように感じた。いや、別世界はむしろこのテーブル席の方らしい。
「おい、さっきの言葉……もう一回言ってみろ……」
副団長の声が、怒りで震えている。
「に、にんげん、大事なのは、中身、だと思う、です……」
一方俺の声は、恐怖で震えている。
ブラジャーを握り締め大事なのは
「中身ってそういう意味か貴様ー!?」
「すみませーーん!」
注文した料理は弁当箱に詰められ手渡された。マスターの作った料理は、留置所の中で食べてもとても美味しかったです。
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