いつもの朝

 

 朝の仕事が終わると、代わりに腹の虫が仕事を開始する。

 それらを宥めつつサンリッシュ牧場のA地区、本居のまだ新しいドアを開けると、何かが焼ける匂いと音が耳と鼻を刺激する。


「お早う御座います。ちょうど朝食が出来がりますよ」


 今日の朝食当番、レスティアは熱したフライパンの上で卵と薄く切ったベーコンを躍らせながら言った。

 彼女も妹のリリミカと一緒に居候として転がり込んできた身だ。妹と同じ亜麻色の髪と青い瞳を、妹とは異なるイメージで構成された年上の女性で、第二騎士団の副官を勤めるエリートでもある。

 熱気で曇るのだろう、眼鏡は外してエプロンの縁にかかっている。少し前に聞いたが、伊達だったらしい。


「おはよう。良かった、すっかり腹ペコでな」


 腹の虫にこれ以上の残業は必要ない。超過勤務手当を叩き込んで黙っていて貰おう。

 盛り付けられた料理をレスティアから受け取り、椅子の前に並べていく。

 ベーコン付きの目玉焼きにサラダ、コンソメスープ、長いコッペパンに空のコップとスプーン、フォークで一セット。それを五つだ。ちなみに俺の分にだけ箸が付いてる。

 先日の新牛舎建築の際に余った良質な木材と、漆(によく似た塗料)で作られたマイ箸だ。

 テーブルの真ん中には、2リットルはありそうな牛乳入りのガラスピッチャーが置かれている。搾りたてで、製品にする前の必要最低限の処理しかしていない贅沢な牛乳だ。


「おっはよー! お腹すいたー!」


「待ってよリリ、ちゃんと乾かさないと!」


 朝食が並べ終わった所で、リリミカが飛び込んで来た。その後ろからミルシェが追いすがり、半乾きの亜麻色髪をタオルで拭いていた。

 同年代だが身長に差があるので姉妹にも見える。もちろん、ミルシェが姉だ。


「リリミカ、ちゃんと手は洗ってきたんでしょうね?」


「手どころか全身を洗ってきたからいいもーん」


 本物の姉であるレスティアが軽く見咎めるが、リリミカは既に風のように椅子に座っていた。俺の正面だ。

 チラリと視線を俺に寄越し、すぐ下に逸らす。その頬の赤さは湯上がりのものだろうと思いたい。

 ちなみにミルシェは俺の隣だ。やけに勢いよく座っていた。


「ん? なんだ、俺が一番最後かよ……待たせて悪かったな! とっとと食おうぜ!」


 最後に現れたのがサンリッシュ牧場の主、バンズ・サンリッシュだ。バンズさんが入り口から一番奥の席、いわゆる上座に腰を下ろすと、レスティアもその近くに座る。


「「いただきます」」


 示し合わせた訳じゃないが唱和が重なる。この奇妙な共同生活にも、慣れてきたと思わせる一時だった。


 ・


「それでさーダルカンのヤツがまたムネっちと決闘する気まんまんみたいで、いつ突っかかってくるか分かんないよ?」


「なんかアカデミーに行くのが億劫になってきたなぁ……」


「カンくんは強いけど、ムネヒトさんと戦うのは危険ですよねー……」


「ミルシェ、それダルカンに言っちゃダメだかんね?」


 例のゴーレムの件からはや十日。第三魔法科の担任ノーラ・エーニュが処分を受け、俺も何のお咎め無しという訳にはいかずアカデミーから三週間の謹慎処分を受けた。

 非常勤務の教員なのに謹慎とはまた妙な話だが、クビにならなかったのはレスティアが便宜を図ってくれたからだろう。

 俺がアカデミーに居座る理由はパルゴアやライジルのような輩からミルシェを護るためだ。だというのに謹慎になり何とも情けない話だが、ミルシェ、リリミカ、カンくんに罰が行かなくて良かったと思う。


 ともかくここ十日間は牧場の仕事に専念していた。今日はB地区に薬草でも植えてみようと予定を立てていた。ん、予定といえば……。


「ミルシェ、今日は早く帰るんだったっけ?」


「はい。今日は午前中で授業が終わりますから、お昼頃には戻ります」


 そうかと俺は頷いた。アカデミーにはリリミカ、ダルカン、ノーラが居るのでミルシェにちょっかい出すような奴はそうそう出てくるまい。

 それでも目を離すのが心配になってしまうのは、俺が小心者だからだろうか。それとも、まだお姫様を護る騎士を気取っているのだろうか。


「早く帰ってくるなら王都に買い物に行くから付き合ってくれないか? 薬草の苗とか種とかが欲しくてな」


 ミルシェに笑顔の花が咲くが、数秒で萎れてしまう。


「ご、ごめんなさい……今日はおとーさんとエッダさん達とで王都の外に用事がありまして、アカデミーから戻ったら直ぐに行かないと……」


 ああ、とバンズさんも頷いていた。確か少し遠くまで配達して、エッダさんやモルブさん達と道具の買い付けに行くんだったか。


「ハイヤさんは謹慎中でしょう? あまり気軽に外出しては面倒なことになるかもしれません」


 レスティアの言葉に、それもそうだと低く呻いてしまう。

 俺がバンズさんとミルシェの用事に付き添えないのは、そんな理由があった為だ。罰則を受けた身としては、出歩くのは宜しくないだろう。

 レスティアの言葉こそ正鵠だが、出かけようと思った矢先に駄目だと言われたときの閉塞感はどうしようもない。


「ご馳走さまでした」


「ん? 今日は随分早いじゃねーか。もう出るのか?」


 バンズさんは、一足早く朝食を平らげ三杯目の牛乳を飲み干したレスティアに声を掛ける。手早く食器を片付けながら彼女は肯定した。


「はい、話したいことがあると団長に呼び出されまして……」


 口ぶりから察するにレスティアも呼び出された理由は知らないらしい。

 彼女も俺やノーラと同じように謹慎を言い渡されたのだが、業務内容からレスティアの能力は不可欠であるらしく、予定より早く謹慎を解かれたのだ。


「ま、アイツの事だ。どーせ面倒な仕事なんだろ。俺から『あんまりレスティアをこき使うな』って言ってやろうか?」


「…………いえ、お気持ちだけで結構です。以前より、皆を頼るようになりましたにょで。では私はこれで」


 外していた眼鏡をかけ、上下逆だったことに気付きかけ直し、レスティアは早足で出て行った。


「でしゃばり過ぎたか? 怒ってたか?」


 俺とリリミカはそれにため息で返答する。バンズさんとミルシェは首を傾げていた。レスティアの想いに気付いていないのは、この色々大きな父娘だけらしい。


「ほら、ミルシェもリリミカもそろそろ行かないと遅刻するぞ」


「待って待って! あと二杯だけ飲ませて!」


「途中で腹が痛くなるから止めとけ」


 残りのパンとスープを牛乳で流し込み、更にお代わりしようとするリリミカからミルクピッチャーを取上げる。非難の声が上がるが無視だ。

 美巨乳への道も1ミリからだが、無理はいかんよ。


「ごちそうさまでした。いってきまーす! ほら、いつまでスネてんの!」


「むぬぅ……いってきます……」


 ぶすくれるリリミカを引っ張り、ミルシェは声と胸を大きく弾ませながら飛び出していった。おっぱいを日常的に見れば寿命が延びるという研究結果があるらしいが、そういう意味なら俺はあと千年は生きられそうだ。いや全く、今日もいい朝だ。

 いつも通りの朝だった。昨日もそうだったし、そして明日もそうなるだろう。

 だがその日常は小さな変化を迎えることになる。リリミカやレスティアをB地区に迎えたことが既に変化だったわけだが、例のゴーレム事件の余波はまだ収まっていなかったらしい。


 その渦中にいたのがまさに俺だったのだ。ベタな述懐だが、この時の俺はまだ知る由もなく瞼に残ったミルパイの残像を愉しんでいた。

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