大きくなりたいのよ(下)
咳払いをし舌に柔軟さを与えてから、俺は口を開いた。
「いいか? 冗談でもそんなこと言っちゃ駄目だ。ましてや今は密室で二人きりなんだし、男は何の拍子にオオカミになるか知れたもんじゃない。それにだな――」
「ムネっちお父様みたいなことを言うのね」
「……ミルシェにも言われたよソレ」
そろそろ俺に年齢詐称疑惑が浮上するのではと心配になってくる。
しかし年長者として年寄り扱いされようと若者を導かねばと、それこそ年寄り臭い義憤心が沸いてくる。
「お父様でもお爺様でもどっちでも良いがな、その手の冗談はせめて時と場所を」
「こんな冗談を言うほど、私は恥知らずじゃないわ。実際、凄い恥ずかしいし……」
目を伏せながら、亜麻色の髪先を指で遊ばせるリリミカ。普段は快活な美少年のようにも見える彼女の、不意な色気にどきりとする。
「じゃ、じゃあ言わなきゃ良いだろ。聞かなかったことにするから、とっとと掃除を終わらせよう」
内心の動揺をひた隠し俺は話題の終結を求める。リリミカは赤い顔に、ありありと不平を浮かべていた。
「おかしいな……こう言えば、あとは自動的にコトが進むって書いてあったのに……」
「聞かなくても何となく分かるが……何に書いてあったんだ?」
「ご先祖様の宝庫物にニホン語で書かれた書物が山ほどあってさ。その中の一部に」
育乳本やエロ本を異世界に持ってくるんじゃねーよ!
「俺がとやかく言えた話じゃないが、そういう本と現実は違うんだからあまり乱読するな。あと出来ればミルシェの居ないところで読んでくれ」
あのエルフ先生と少年の物語本の行方を思い出し、帰ったらミルシェを問い詰めねばと一人決める。
俺が読みたい訳じゃないぞ。
「――お姉ちゃんは良くて、私は駄目なの?」
俺の過去の罪状を出汁にされ、ぐっ、と口をつぐむ。
「それは――俺だって反省してるんだよ……。レスティアから言い出したことだが、結局は俺の意思だったし……」
理由はレスティアの力になりたいことだったが、深層にあったのはおっぱいを触りたいという願望だ。
「それにお前はまだ16だろ。レスティアは26歳だったし、多少の分別はあった筈だ」
リリミカの顔に非難の色が走った。
「なによ、私が子供だって言いたいの!?」
「少なくとも大人じゃないだろ。未成熟で多感な時期にあまりこういった行為をするべきじゃないって言ってるんだよ」
「ミルシェには手を出したのに?」
うぐ……。
「ムネっちには今までずっと同じだった存在が先に行ってしまい、置いていかれた者の惨めさが分かる?」
「それは……」
「それに私は子供の頃からミルシェと一緒だったのよ? 隣ですくすく成長する彼女に比べ私ときたら……」
「…………」
「お姉ちゃんもお母様もお婆様そうだったから、特に気にしていなかった。でも、お姉ちゃんがクノリの貧乳伝統を破壊してしまったのよ」
伝統て。
「そのとき気付いたの。何も思わなかったんじゃなくて、思わないようにしてただけって。お姉ちゃんにみたいに大した研鑽は積んでいないし、虫のいいことを言ってるのは分かってる! でも、私だって大きくなりたいの!」
瞳に青い炎の如き光彩が閃く。
「お姉ちゃんみたいに非現実的な贅沢は言わないから! 剣を振るのに邪魔にならないくらい……Cカップくらいが望ましいわ!」
確かにレスティアに比べれば現実的ではある。だが……。
「だがな、いくら日本人にそんな力があるって言い伝えられていても、好きでも無い男にそういう事をされるのは良くないって」
リリミカのおっぱいは、リリミカを愛する者にこそ触らせるべきだ。その点において、俺はレスティアに対し負い目を抱えている。
レスティアが成熟した女性で彼女から言い出した事だからと言い訳し、俺は彼女の乳房を楽しんでしまった。しかも内心はおかわりを期待している。
「いいわよ、そんなの……」
俺の自己欺瞞に満ちた
アッサリ言った割には彼女の顔には、俺に負けず劣らずの苦悩が見えた。しかしその種類は俺のとは大きく異なっているらしい。
「大事の前の小事……はちょっと違うかな? 犠牲なくして得られる物なしというか……別に犠牲にするなんて思ってなくて、ともかくさ、その……ムネっちの事は、嫌いじゃないし……えっと……触られても平気……じゃないけど……その……」
言葉を選ぶというより探しているリリミカの弁には、妙な熱があった。彼女の頬に釣られたか。俺も同様の配色に染まりつつあることを自覚する。
リリミカは「あー!」と亜麻色の髪をかき回し小さく叫んだ。
「決闘前後でも同じような話したし、どうせお姉ちゃんとも似たようなやり取りをして結局は押し切られたんでしょ!? ぐだぐだ悩んで時間の無駄だよ! ムネっちって童貞なの!?」
「どっ、どどどどどど童貞だわっ!」
噛みすぎて自白しちゃった!
「私のおっぱいの純潔を上げるって言ってんのよ! ありがたく受け取る代わりに、私にも利益をもたらして! こーいうの、ウィンウィンって言うんでしょ!?」
既にりんごの友人かというくらい真っ赤なリリミカは、恐らく自分が何を言っているのか自覚していないのではなかろうか。
自分の不可侵の乳房を、俺にくれてやると言っているのだ。
それは人乳に飢えていた俺にとって、世界を半分くれてやると言われる以上の誘惑だった。
「このッ……
ぐらぐら揺れる自制心を、無理矢理引き出した怒りで蓋をする。だがこれも長くは保たなかった。
リリミカの視線の強さは俺のそれを凌駕していた。一方的な膠着状態など続くわけもなく。
「……言っておくが、俺の育乳は厳しいぞ」
注意喚起は事実上の敗北宣言だ。
「覚悟の上よ。お姉ちゃんから聞いてる」
「効果の絶対は保証できない」
「ムネっちが駄目ならたぶん誰がやっても駄目。一センチ一ミリでも可能性があるなら、賭ける価値はある」
「…………決意は固いんだな?」
「アダマンタイト級よ」
短く息を吐き俺は参ったと呟く。理性の下にあるやったやった! という感情の波打ちを自覚しつつ、自制の意味も込め出来る限り固く答えた。
「わかった。リリミカ、お前のおっぱい……俺が預かる」
リリミカは小さく、本当に小さく頷いた。
・
・
・
「ほれ、『準備室の立ち入りを許可する』っと……これで良し」
ポンと、ハンコ型の魔道具をミルシェの手の甲に軽く押し当てる。ノーラ・エーニュと枠内に書かれた文字は、一瞬の後にサラサラ消えていく。
「いやー助かるよ。もともと一日で終わらせる仕事じゃないけど、それでも早いのが良いのは間違いないないしなー」
第三魔法科担任のノーラは、火のないパイプ煙草を遊ばせながら言った。
「準備室の掃除を頼んだのはリリ……クラス長にだけですか?」
「ああそうだけど?」
「そうですか……ところでムネヒトさ、先生がどちらに行かれたかご存知ではありませんか?」
「んー、保健室に行っても居なかったしな……おかげで私はマジメに残業をするハメになってしまったのさ」
何がおかげなのかミルシェは追求しなかった。ノーラ女史の性格は良く知っているし今更だ。
「ありがとうございました。失礼します」
少女は軽く会釈し第三職員室を後にした。自覚は無いが更に早足になっている。
二人でいると決まったわけでも無いし、仮にそうだとしても邪推もいいところだ。
しかし若い男女が二人きりの密室で、何も起きないわけがなく……という参考書の一節を思い出し頭を振った。無い無い無いと、足音のリズムに乗せ反復する。
でももし……という不安の萌芽を踏みつけるように、大股でミルシェは準備室に向かう。
うなじに感じる痒さを、手のひらの下に感じながら。
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