大きくなりたいのよ(上)

 

 レスティアのおっぱいを揉みしだいてから一週間。


「はぁ……おっぱい触りたい……」


 思わず呟いた一言を慌てて飲み込み、誰も見ていない事を確認し咳払いをする。誰も居ない廊下とはいえ、節操の無い言動は慎むべきだ。

 知らぬが仏とはこの事ではあるまいか。

 知ってしまったが故の寂しさ、切なさは如何ともしがたい。手に残る乳の記憶がそれを更に深いものにする。


 柔らかかったな……あたたかかったな……良い匂いもしたなと悶々としていた。

 なんてこった。俺はもうエア乳揉みでは満足できないようになってしまったのかと、かつての自分とは次元の違う存在になってしまったことへの恐怖が俺を蝕む。

 現在はハナ達のおっぱいをメチャクチャに揉みしだいて事なきを得ているが、そろそろ人肌――もとい人乳が恋しい。

 なんたる浅ましさ、なんたる節操の無さ。愚昧なる我が性根に涙するしかない。


「……あれから何の音沙汰も無いな」


 やや大袈裟に言ってしまったが、別に顔を合わせないとか会話をしないとかそういう訳ではない。

 レスティアもリリミカも以前と変わらない。

 二人とも初対面時に比べかなり友好的に接してくるので、少しずつだが信頼関係が構築できると言えよう。

 強いて気になる点を言うなら、俺と会話などするときは必ずクノリ姉妹がセットであることくらいだろうか。しかし特に意識することでも無いし、それ以外なんの変化も無い。


 特にレスティアについては、あんな事があったのにだ。不自然なほど自然な様子だ。パッドも搭載されている。

 しかし彼女のおっぱいに対する熱意が一過性のものでないことは知っている。だから俺はあの後も、レスティアの育乳作業に従事するものと思ってハラハラドキドキワクワクしていた。


 しかし、そんな展開も兆候も無い。

 勿論それが普通なのだが、一度おっぱいの感触を知ってしまい『また揉めるかも』なんて期待をしてしまったがゆえ、悶々と過ごしていた。

 二十二年間の無乳生活で養われた筈の自制心は、ミルシェとレスティアの乳房にあっけなく破壊されてしまった。

 むしろ22年間我慢(別に好きで我慢していたわけでは無いけど)してきた分、決壊したおっぱい欲が鉄砲水の如く噴出しているのだ。


 つまりおっぱい触りたいんですよ。


 いっそ俺から声を掛けてみるかなんて、セクハラまっしぐらの事を一瞬考えてしまうくらいに心が急いていた。


「あー……仕事に身が入らない……」


「わっ!!」


「うぉっ!? ――ってなんだ、リリミカか……俺の後ろを取るとは、やるじゃないか」


「にしし、私なら今の隙に三回は殺せてたわよ?」


 そんな実力者同士の会話シチュをしつつ、イタズラ成功という表情を浮かべたリリミカ。


「ねぇ、ムネっち。今ヒマ?」


「アカデミーじゃ先生と呼べって。それにいくら非常勤でも、仕事中の教師に訊くようなことじゃないぞ」


 あだ名で呼ばれた教師としては個性の乏しい返答をしつつ、亜麻色の髪をした少女を嗜める。


「でも、ヒマなんでしょ?」


「……ま、忙しくは無いな」


 この程度の反論しか出来ない俺を笑うがいい。実際忙しいとは言えないし、重要なポジションでもない。

 コネ入社した仕事の出来ない社員みたいな境遇だ……。


「じゃあさ、ちょっと私に付き合わない? 見せたい物があるんだけど」


 見せたい物……ふひひ、おっぱいかな?


「別に良いけど、どこかに移動するのか?」


 あり得ない妄想を脳から排除しつつリリミカに問うと、彼女は肯定をよこした。


「第三魔法科の準備室って、まだ見たことないでしょ? ノーらんの許可が無いと入れないもんね」


 準備室といわれ思い付く場所がある。授業に使う道具や機材を保管している場所で、防犯の理由から担任の許しが無いと入室できない。

 第三魔法科準備室というだけあって、三学年の担任教師が合同で管理しているらしい。

 ノーラ先生の管轄でもあるが、権利も義務も三分の一なので個室というには勝手が悪い。あのEカップ先生が保健室にサボりに来るのは準備室がそれに適していないからに違いない。


「……レスティアを呼んだ方が良いか?」


 理由は不明だが、レスティアにリリミカと二人きりにならないでくれと頻繁に言われている。そしてそれは妹の方にも言っているので、リリミカが知らないはずはない。


「すぐに終わる事なんだし、わざわざお姉ちゃんを呼び出すほどじゃないって。王都での事件、知らない?」


「いや、話だけなら知ってる。あぁそうか、レスティアはそっちに行ってるのか……」


 先日、冒険者達の無惨な遺体が発見された事件は俺も聞いた事だ。冒険者同士のいざこざなどは珍しくもないが、死人も出て損傷具合が尋常ではないことから騎士団が動く事態になったのだ。


 詳しくは知らないが、普通の人間同士での争いでは考えられないほど悲惨な状態だったらしく、王都に魔獣が侵入したか、上級の冒険者の犯行かなど様々な憶測が飛んでいる。

 その調査に第二騎士団が駆り出され、レスティアも今日はアカデミーに来ていない。


「それに、実は準備室の清掃をノーらんに押し付けられてさー。ヒマなら手伝ってよー」


 クラス長しかり学級委員が担任の仕事を手伝うなんてのは、こっちの世界でも同じらしい。

 準備室なるものに興味がないわけでも無いし、手元無沙汰のまま時間を浪費することも避けたい。

 一応は最下級治療薬の作製数ノルマは達成しているのだし、生徒を手伝うのも教師の仕事か。


「まあ、そういうことなら……準備室はこっちだっけ?」


「そうそう、こっちこっち」


 リリミカは頷き俺を先導する。やや早足の彼女は、準備室に着くまで無言だった。何故か話しかけるのを躊躇わせる気配を、彼女の小さな背中に感じた。

 亜麻色の髪から見えるリリミカの耳が真っ赤だったのは、気のせいだろうか。


 ・

 ・

 ・


「あれ? ムネヒトさん居ない……」


 第三保健室に足を運んだ栗毛の少女、ミルシェはそのドアをノックする前に目的の人物がいないことに気付く。手を掛けて施錠されていることも確認した。

 親友のリリミカも今日は用事があるということで、ミルシェは黒髪の青年と帰路を共にしようと思いここまで足を運んだのだが、肩透かしを喰らってしまった。


「……帰ろうかな」


 口には出したものの、何となくその気にはなれなかった。

 これも何となくだが、ムネヒトかリリミカを探そうと決めた。もしかしたら二人一緒かもしれないと根拠も無いことを思う。

 副担任とクラス長の組合せなど、珍しくも何とも無いのだが何故か引っ掛かる。


 最近の友人とその姉の様子が変だった。何がと具体的に説明は出来ない感覚レベルの違和感ではあるが、ミルシェの中で最近まで惰眠を貪っていた女心が囁いてくるのだ。


 それに相手はムネヒトだ。

 ムネヒトはおっぱいが好きだ。

 リリは女だ。おっぱいがある。

 つまりムネヒトはリリに対し全くの無力だ。しまった。


 いや逆だろう、何故ムネヒトの心配をしているのだ。男の方が勢い余ってリリに襲い掛かる確率のほうが高いのでは無いだろうか。

 でも、その可能性も低い。ミルシェのアプローチ――少なくとも彼女の中では――に対し何のアクションも起こさなかった事から、彼は良く言えば初心で女性を尊重するタイプ、悪く言えばヘタレのムッツリ。

 むしろリリの方からアクションを起こす場合がある。いやいや友人をなんだと思っているのだ、サキュバスではあるまいに。


 無いと頭を振るが、不安は油汚れのようにこびりついて落ちない。むず痒さを覚え彼女はうなじ辺りを撫でる。

 ミルシェの知る限りリリミカの異性関係は自分と差はない。大貴族の令嬢である以上、出会いの場自体は比較にならないだろうが浮いた話は皆無だ。


 実経験に差異がないならば、両者の実力を分けるのは知識が大部分だろう。

 ミルシェは最近になってようやくを一冊手に入れたばかりだが、リリミカの蔵書はそれとは比較にもならない。クノリの遺産はジャンルも豊富だ。

 思春期と若さの暴走が、彼女を早まった手段に陥れる事が絶無と何故言えるか。


 そう考えるミルシェこそが思春期と若さの暴走機関車なのだが、彼女の場合は、熱に浮かされた乙女心が石炭にされているため始末に終えない。


「……なるべく一人で帰るなって、おとーさんも言ってたよね……」


 二人を探す口実を独り呟き、栗毛の少女は保健室を後にする。

 リリミカが行きそうな所を脳内でマッピングしつつ、とりあえず第三魔法科の準備室に向かってみようかと思案を巡らせ、来た道を戻り始めた。


 ・

 ・

 ・


 準備室は第三魔法科棟の端に位置し、廊下の奥にあるドアをくぐり短い廊下先にあるドアの向こうにあった。


「じゃあコレはそっち。あー違う違う、その上の棚だって」


 ほどなく準備室に到着した俺とリリミカは、カオスの具象化した空間で悪戦苦闘中だった。つまり凄い散らかっている。


「一向に片付かないな……。準備室というか物置なんじゃないか?」


 夜中に見れば心臓に悪そうな形をした植物を並べながら愚痴る。

 共有の準備室と聞いていたから、もっと理路整然と陳列されていると思っていたが辛うじて足の踏み場がある程度だ。


 しかし魔法の準備室というのは俺の予想と大きく異なることなく、好奇心を納得と新鮮さが一緒になって満たしてくれた。

 瓶に液体と一緒に詰まった謎の生物、薄暗いというのに背表紙の文字が光る分厚い本、使い古された羽ペン、四足歩行生物の骨など、いかにもな物品が所せましと散らばっている。


「三学年分だからね。あ、それはその下。うんうんそうそう……元々スペースが足らないのよ。第二科はここの倍以上のスペースがあるし」


「改築とかリフォームとか、そんなのは検討されないのか? うわ何コレ、怖っ」


「予算の関係上、優先されるのは第一科ばかりよ。それぞれの学年で個室が用意されているだけじゃなくて、担任用に副担任用と、さらにはクラス長の部屋だってあるし。そこの模型とって」


「ほれ。じゃあ第一科には、少なくとも九つの準備室があるってことか……優遇されてんだな」


「無駄遣いも甚だしいわよ。中にはその個室に若い子を連れ込んでヨロシクしちゃう教師も居るんだってさ」


「そりゃ……けしからんな。全く、学び舎を何だと思ってるんだ。個室を逢瀬の場所と勘違いしてるんじゃないのか?」


 先週のレスティアのことを思い出しつつも、謎の標本と一緒に棚に上げながら俺は吐き捨てる。


「……それ、ムネっちが言っちゃう?」


「え?」


「あーもう! こんな詰まらない話は止め止め! 掃除がもっと詰まらなくなるじゃん! 面白い話しようよ!」


 直前の呟きを自らかき消しつつ、リリミカは単純作業に抗議の声をあげた。なんて言ったんだ?


「面白い話か……俺は漫談家でも落語家でも無いから、そんなこと言われても困るぞ」


 とか言いつつ、俺は第三魔法科で言えなかった初恋ギャグを語りだす準備をしていた。あの時不発だった爆笑小噺を披露するチャンスだ。


「……うーん、もっと場を暖めてからって思ってたんだけどなー……」


「ん?」


「ねえムネッち。訊いていい?」


「おお初恋の話か? あれは俺がまだ四つの頃――」


「お姉ちゃんのおっぱい、どうだった?」


「ああ最高だった……ってはぁ!?」


 またおっぱいによって俺の話がキャンセルされてしまった。

 狼狽える俺に、リリミカは手をヒラヒラ振ってくる。


「隠さなくていいよ。お姉ちゃんの胸が三センチも大きくなったのはムネっちのお陰って知ってるし」


「あ、ちゃんと大きくなったのか……良かった――じゃなくて! 怒らないのか!? 姉に、その……エロいことしちゃった訳だし……」


「怒らないよ。お姉ちゃんから言い出したんでしょ? まったく無理しちゃってさ……むしろ謝るのはこっちだよ。ゴメンね? ミルシェに比べれば、大して面白くなかったでしょ?」


 謝るところそこかよ。いや謝ってもらう箇所など一つも無いのだけど。


「いやいやさっきも言ったが最高だった。俺は大きい小さいで優劣を決めるような男じゃない。そもそも優劣なんて存在せず、あるのは個性であってだな……」


 俺なんで生徒とその姉のおっぱいの話をしてるんだろう。


「ほんと? お姉ちゃんや私に気を使ってない?」


「使ってない。俺が(おっぱいに対して)嘘を付くものか」


「ふーん……じゃあさ――……」


 リリミカは手を止め、俺に大きく一歩分近づいた。


「私のも、大きくしてよ」


 頭一つ分は低い位置から冗談めかしたように、しかしハッキリとリリミカは言ってきた。

 やや前に体を傾け、襟を指で引っかけ制服の中身を見せつけるようにして俺を見据える。

 俺の返答は単純だった。


「任せろ。いやいや、喜んで。じゃなくて、待ってました。だから違う、駄目だ。若い娘が何を言ってる?」


「建前がだいぶ後ろに隠れてたわね……」


 単純だと思っていたのは俺だけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る