ミルシェとリリミカ

 

 王立統合アカデミーは建国初期に設立された教育機関だ。

 次代の才能を育て上げ、いずれは国を世界を支え、そしてまた次の世代を育てる。国家や時代は変われど、教育機関の本質はそう大きくは変わらない。

 しかし今では創立時の理念は看板以上の物ではなく、それを常に胸に灯しているのは教員生徒を併せてどれくらいいるだろうか。

 本質という幹は変わらないのに、連なる枝や果実が変質してしまうのは仕方の無い事かもしれない。


 ミルシェ・サンリッシュもこのアカデミーに通う少女だ。

 今日も小等部の頃より通いなれた坂道を登る。

 アカデミーは大きく分け小等部、中等部、高等部に分かれており、それぞれ五年、四年、三年の在学期間が設けられている。

 ミルシェは大多数と同様に、小等部より入学し高等部まで進学した。

 高等部になると専門科の選択が可能になり、彼女は第三魔法科に在籍している。


「おお……」


「……スゲ」


「わあ……」


「ありがたや……」


 彼女の姿を見て、うわ言のように感嘆の声を上げるのは専ら男子だが、同性の視線も少なくない。

 それはミルシェが可憐な容姿をしている、というのは第二の理由で、最も大きな理由は彼女のスタイルにある。


 その豊かすぎるバストは、間違いなくアカデミー最高峰だ。


 制服にあしらわれたリボンが、他の女生徒に比べ遥かに上に前に突き出している。

 歩く度にゆさゆさ揺れる様は、人によっては祈りの対象となっている。拝めば胸が大きくなると、誰が言い出したことか。


(はぁ……)


 ミルシェは心の中で溜め息をつく。ダース単位で降り注ぐ視線がチクチクと胸に刺さる。

 チラチラ盗み見るもの、ジロジロ不躾なもの、同性からの憧れが混ざったもの、毎回の事ながらウンザリしてしまう。

 一時期は嫌で嫌で仕方がなく、始業ギリギリまで人の波を避けたりしていたし、最近でもカバンを胸にあてがい、逃げるように教室へ向かったりしていた。


 でも、それももう止めた。


 あの時以来、ミルシェは必要以上に体を隠すのを止めたのだ。

 大好きな父と母に貰った体だし、これは自分の魅力なのだと改めて思うようになった。

 キッカケはちょっとしたこと、と言うには大事件だったのだが、ともかくミルシェの変化の原因である。


 まだまだこういう視線に無関心にはなれないが、以前より前向きになれたのは間違いない。

 いっそ胸を張るように、ミルシェはなだらかな坂を登る。

 その姿に拝む者が何人か増えたが、それはある意味当然かもしれない。

 ミルシェすら自覚していないが、彼女の乳房は神の祝福を受けたのだから。


「ミールシェーッ!」


「きゃっ、リリ!」


 突如自分の胸に飛び込んでくる物体に、ミルシェは甲高い声を上げる。飛び込むと言っても寸前で十分に勢いを殺し、ミルシェに配慮した抱擁ではあった。

 リリと呼ばれた少女は亜麻色の髪をくしゃくしゃ胸の谷間でかきみだしてくる。

 しばらくして顔をミルシェの方へ上げる。青い瞳の人懐っこい印象を受ける活発な表情を浮かべていた。

 ミルシェがやや長身ということもあるが、胸に顔を埋めたこの少女が小柄というのもある。


「ん~……今日も良い日だったなぁ……」


「もう、まだ始業前だよ」


 既におやすみなさい五秒前といった表情で、ミルシェに甘える少女。

 彼女の名前はリリミカ・フォン・クノリ。ミルシェの同級生だ。

 ミルシェとの一番の仲良しで、小等部の頃よりの幼なじみでもある。

 こうしてミルシェの胸に一日に何回も飛び込んできて、猫の甘えるのが彼女の癖だ。

 その様子を微笑ましさ半分、羨ましさ半分で眺める衆目。

 その取り巻きに威嚇するような目を向けると、さっと目を逸らす。このリリミカこそが、ミルシェのバストの番人でもある。


「いつもいつもミルシェにスケベな視線を寄越しやがって……いい加減切り刻んでやろうか……?」


 制服の腰に下げられた細剣レイピアを確かめながら言う物騒な言葉が、自分の谷間から聞こえてくる。ミルシェはくしゃくしゃになった髪を、持ち主の代わりに撫で付けながら優しく戒めた。撫でられ、ふにゃあと喉をならすリリミカ。


「怖いこと言わないの。私なら平気だから」


「甘い! 甘いよミルふにゃあ……。どこにパルゴアあのクソ野郎みたいのがふにゃあ……潜んでるか分からにゃあ……いんだから! それに私はまだを探しているの!」


「だから! それはリリの勘違いだって!」


 犯人とはつまりリリミカの不倶戴天の敵とイコールだ。

 ことの起こりはパルゴアの屋敷での一件が片付き、初めて登校した時である。


 ・

 ・

 ・


「ミルシェェェェェえええーッ!」


 その時は平時より勢いのある突撃だった。抱きつかれたミルシェもあわや尻餅を付くところだった。

 いきなりの事にどうしたのかと尋ねようとすると、リリミカは肩を震わせ泣いていた。


「ぜんぜん大丈夫じゃ無かったじゃん! 牧場が、ミルシェが……あの野郎にっ……ひ、酷いことされたんじゃないかって……うあぁぁぁぁぁあん!!」


 ミルシェは、泣きじゃくるリリミカが何を言いたいかを悟った。

 彼女はずっとミルシェの事を案じていた。アカデミーでも付きまとうパルゴアを牽制し、登下校を共にしていた。


「うん、そうだね……心配かけてごめん」


「大丈夫じゃないのにっ……、大丈夫っていうのはダメだよぅ……うぇぇぇ……」


 泣き止むまでミルシェはリリミカを慰め続けた。

 やがてスンスン鼻を鳴らす程度には落ち着いた頃、ミルシェから話し始めた。


「おとーさんから聞いたよ。あの時、第二騎士団をパルゴアさんの屋敷に派遣してくれたのはリリなんだって」


 あの時とは言うまでも無く、ムネヒトがサルテカイツの屋敷に侵入した時だ。

 あの日、個人的なツテによりミルシェの牧場が焼かれたことを知ってリリミカは大激怒。直感的にパルゴアの仕業と断定し、第二騎士団を屋敷へ向かわせたのだ。

 団長とバンズに面会の予定があったことだけが、あの時第二騎士団が現れた理由では無かったのだ。


 公ではサルテカイツの企んだ陰謀を打破したのは第二騎士団ということになっているし、リリミカもその認識だ。

 だがリリミカはそれについて不安が残っているらしい。


「まったく、何度も何度も『パルゴアは怪しいから調査すべき!』って言ったのにさ! 動いたのは結局ギリギリになってからじゃん! 騎士団のカタブツどもめ……!」


「仕方ないよ。パルゴアさんの所は第一騎士団の出資元でもあったんだし、事情があるんだよ」


 ブツブツ愚痴るリリミカを胸に抱きしめ、ヨシヨシと宥める。

 第一騎士団と第二騎士団の仲が良くないのは有名だ。事情に詳しくないミルシェでもそれくらいは知っている。


「ぁぁあ~……幸せぇ~……ふにゃあぁ……」


 燻る怒りが消え失せてしまったのか、弛緩しきった顔で余りに柔らかい恵みを甘受するリリミカ。

 慣れたもので、それを聖母のような笑顔でリリミカの頭を抱くミルシェ。それを羨ましそうに眺める取り巻き。これまでは何時も通りだった。

 違ったのはそれからだ。


「………………ねぇ――」


「え、何?」


 底冷えするリリミカの声に、思わず身を固くするミルシェ。

 ぐるりと谷間からミルシェを見上げる青い瞳は、生物の棲んでいない深い湖を思わせる。

 その無言の迫力に更に身を固くするミルシェ。胸はまったく固くならないが。

 リリミカの話はその胸に関することだった。


「どこの男に、おっぱい触らせたの――?」


「――!?」


 それはいつもミルシェのバストに突撃するリリミカだからこそ感じ取れた違和感。それこそコップ一杯の牛乳に塩が一粒混入した程度のもの。

 いきなりすぎるリリミカの言葉は、ミルシェを凍りつかせた。


「ねぇ誰!? 誰におっぱい触られたの!?」


「ちょ、声が大きいよリリー!!」


 激昂するリリミカの声はばっちり衆目に聞こえたらしく、どよめきが起こる。常とは違う注目を浴び、羞恥に顔を染めるミルシェ。


「や、やっぱり……パルゴアに……!? あの野郎がぁぁァァッ! 今すぐ切り刻みに行ってやるぅぅぅーッ!!」


「わー!? 違う違う! パルゴアさんになんて触られて無いから!」


 アカデミーそっちのけで走り出そうとするリリミカを本気で制止する。否定はしたが彼女の怒りは一向に減衰されない。


「だったら誰だーッ! どこのスレイプニルの骨だーッ!? お前か!? それともお前か!? 出てこいやゴルァァァ!」


 鬼の形相で眼光を飛ばす狂戦士に、わぁっとクモの子を散らすように逃げ出す観衆たち。無差別に飛び掛かろうとするリリミカを必死に宥め、勘違いと連呼してその場は収めた。


 ・

 ・

 ・


 あれから暫くたったというのに、まだ探していたのか。

 ミルシェは幼なじみの執念深さに感心すらしてしまう。


「だからー……リリの勘違いだって~……」


「いいや、信じられない! こればかりは私は私の直感を信じるよ!」


 教室に向かう中庭を歩きながら二人の口論は続いていた。

 違うと否定はしているが、リリミカの疑惑は正しい。ミルシェの胸に触れたのはとある青年一人のみ。今ごろは牛舎の掃除でもしているだろう。

 嘘を付いているという良心の呵責により強く否定できないミルシェは、この話題を早く切り上げたかった。


「ミルシェに相応しくない男は私が切り刻んでやるんだから、ミルシェの旦那様は私が検分しないと……」


 どこかで聞いたような話だ。パルゴアの一件以来、リリミカのミルシェガードはより強固になった。

 そんなリリミカの様子に困っていると、


「あ、お姉ちゃんだ。後ろのは……誰だろ?」


 リリミカは姉のレスティアを見つけたらしい。

 非常勤教員の彼女がここを通るのは珍しくないが、見慣れない人物を連れ立っていた。

 ミルシェもそちらに視線を向け、


「ムネヒトさん!」


 無意識の内に声を上げていた。

 呼ばれた青年も声のした方を向き、ミルシェに気付いた。軽く手を上げてくる。

 人違いじゃないと分かって、ミルシェは自然に笑みを浮かべる。

 まるで花の咲いたような可憐な笑顔は、周りの男子達の目をそばだたせるには十分だった。この眩しい表情だけで恋に落ちるものも居たかもしれない。

 魅力の直撃を受けたムネヒトも、弾む胸に視線を奪われていなければ危なかった。

 一瞬ののち周りから沸いてきたのは、その笑顔の先に居るのが何故自分じゃないのかという嫉妬だ。

 自然、とびきりのスマイルを向けられた存在に注目が集まる。

 若い男ということも彼らの炎に燃料を与える要因だった。


「えっえっ?  ムネヒトさん、どうしてここに!? お仕事は!? 今日はアカデミーに配達でしたっけ!?」


 ミルシェはパタパタ駆け寄り驚きを混ぜた声色で、親しげに語りかける。


「ああ、実は――……!?」


 彼女の疑問に答えようとした口が不意に硬直する。

 ムネヒトの説明を止めたものは何だったか。ミルシェの笑顔でも揺れるバストでも、周りの嫉妬でもない。


 ミルシェの後ろ隣から吹き出る恐ろしい圧力、それ以外にあるものか。


 小柄な少女の眼から吹き出る殺気の光彩は、レーザーのような正確さでムネヒトを射抜く。青年の息は肺ともども凍り付くようだ。

 あっ、とミルシェが気付いた時には手遅れだったと悟る。

 表情の一切が失せたリリミカは、ムネヒトに無言で語りかける。

 何故かミルシェもムネヒトも、その声を聞いた気がした。


 見つけた――――、と。


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