第69話 キャランフィールド・ウイスキー初号
八月の終わりになりアンジェロ領は徐々に涼しくなって来た。
リバフォ村では大麦の収穫が終わり千歯こきと水車が大活躍した。
領都キャランフィールドでは、リバフォ村で収穫した大麦を使ってウイスキー造りを行った。
耕地面積が小さいので原料になる大麦が少ない。蒸留出来たウイスキーはわずか十樽だった。
それでも俺は感無量だよ。
俺の領地で収穫した大麦を、俺の領地で蒸留し、俺の領地で伐採した木材で作った樽に仕込んだのだ。
領都キャランフィールド東側の森に作った貯蔵庫には、キャランフィールド・ウイスキー初号十樽が寝かされた。
三年後にどんな味になっているのか楽しみだ。
俺と生産管理担当のエルハムさんは、貯蔵庫に運び込まれる樽を見守り感無量だ。
「エルハムさん。ここまで本当にありがとうございました! ミスル人の皆さんにも感謝の気持ちで一杯です!」
「恐れ入ります! 私たちも新しい酒の誕生に関われて、大変やりがいがありました!」
エルハムさんも仕事に手応えを感じてくれている。
数字が分かって、計画性のある人だから本当に助かった。
「それではアンジェロ様。今後の生産計画ですが、クイックを生産しながら一部はブランデーとして貯蔵庫で寝かせると言う事で?」
赤ワインを蒸留するクイックを樽に入れて熟成させればブランデーになる。これも上手く行けば高値で売れるし、料理にも使えるのでルーナ先生が喜ぶ。
貯蔵庫の空きスペースがもったいないから、埋めてしまおうと言う訳だ。
「それでお願いします。もしも秋口までワインの仕入れがきつくなるなら、クイック優先で蒸留をしましょう。寝かせる方は他所の領地から大麦を買ってウイスキーを生産しても良いです。『キャランフィールド』とブランド名は付けなくても、売る商品があった方が良いですからね」
「かしこまりました。ところで、今日はこれから試食会ですね」
「ああ。ルーナ先生の新作料理だよ」
「非常に楽しみです!」
今日はランチにルーナ先生の新作料理の試食会がある。
メニューは、『ワイバーンの赤ワイン煮デミグラスソース・サンドイッチ』だ。
実はじいがメロビクス王大国から持ち帰った野菜を、商業都市ザムザの一角で密かに栽培している。アンジェロ領はかなり北の方にあるので、トマトとか暖かい気候が好きそうな野菜の栽培には不安があった。
そこで商業都市ザムザの郊外に土地を買い実験栽培用の畑を造成した。畑の周りは土魔法で壁を作り外からは見えなくしてある。
税金は現金で支払う事にしたので、王宮にもばれない。
ルーナ先生と商業都市ザムザで雇った農民で、トマト、ピーマン、サツマイモ、唐辛子、トウモロコシのテスト栽培をしている。
俺のアドバイスはうろ覚えの農業知識なので、現場の試行錯誤は多いそうだ。
ルーナ先生がエルフ特有の魔法『木魔法』を使って作物の成長を促進させているので、早くもトマトの栽培に成功した。
トマトが出来れば、メニューの幅がグンと広がる。
俺とルーナ先生で夜な夜なケチャップとソースを研究し、その研究成果がデミグラスソースだ。
ワイバーンの骨と香草をオーブンで焼き、鍋で煮込みだし汁を取る。
このだし汁にトマト、ニンジン、タマネギ、ワイバーンのスジ肉を一緒にコトコト一晩煮込みながら丁寧にアクを取る。
小麦粉を少し入れてトロミを付けて、塩、胡椒、砂糖で味を調えれば、デミグラスソースの完成だ!
ワイバーンの肉や骨は、異世界飛行機グースの開発に使わない部分が沢山あるから、みんなで美味しくいただかないと。
食堂に着くと主だったメンバーがスタンバっていた。
黒丸師匠とホレックのおっちゃんは、昼間から飲んでいるよ。
キッチンの中ではルーナ先生と厨房係の農民妻と木こり妻が忙しく働いている。
「アンジェロ! 手伝え!」
「はーい」
ルーナ先生に呼ばれてキッチンの中に入る。
パンの焼ける臭いと肉をワインで煮込む匂いが充満している。
すきっ腹にキツイな。
ルーナ先生が煮たニンジンを切り分け、農民妻がレタスを水で洗ってちぎっている。
「アンジェロ! 肉を見てくれ!」
寸胴鍋の蓋を開けると、良い感じにワイバーンの肉が煮えている。お玉ですくい上げてみると、肉のホロホロ感が凄い!
「目茶苦茶うまそうですよ! 肉も切り分けますね!」
「頼んだ! パンは焼けたら真ん中に切れ目を!」
「はい!」
キッチンの中が連動する。
俺がまな板で肉を大き目に切り分けると、ルーナ先生が次々に皿に載せデミグラスソースをかけて行く。
トーストした丸いパンの真ん中に切れ目を入れて、シャキシャキのレタスを敷く。
その上にソースの掛かったワイバーンの肉とちょい甘に煮たニンジンと玉ねぎを載せ完成だ!
食堂に戻り、いざ実食!
「おおふ!」
「おお! 旨いのである!」
「ほおう! 肉が柔らけえな!」
「このソースが肉とも野菜とも合いますね!」
いや、本当に美味い!
ワイバーンのワイン煮が高級牛肉みたいで、デミグラスソースと本当に良く合っている。
肉を噛むと柔らかく肉の繊維が一本一本ほぐれていく。赤ワイン煮とデミグラスソースのしっかりした味なのだけれど、肉が赤身なので油っぽいくどさは無い。
サンドしたシャキシャキレタス、ニンジン、玉ねぎが付け合わせの役目になって、ワイン煮を飽きさせない。
空を飛んでいる時はワイバーンも凶悪な感じだけど、こうしてワイン煮にすると楽しめるね。
「ルーナ先生! 美味しいです!」
「成功した。デミグラスソースが美味しい」
「ハンバーグにかけても美味しいですよ。えーと、ハンバーグに目玉焼きを載せて、その上にデミグラスソースとかお勧めです!」
「それは素晴らしい! 晩のメニューは、それにしよう!」
デミグラスソースが出来るとバリエーションが広がるな。
オムレツとデミ、ビフシチューとか、ガッツリこってり系のメニューを増やそう。
エルフの里にレシピを送る約束もあるからな。
時間を作って新メニューは開発して行こう。
*
「合言葉は? ミーと?」
「コウモン」
「よし、入れ!」
ここはフリージア王国の西隣、ニアランド王国の王都である。
じいことコーゼン男爵が雇い入れた情報収集のプロたちは、メロビクス王大国の東隣りにあるニアランド王国に密かに本部を設営していた。
流浪の民エルキュール族。
大陸北西部から中央部に住む一族で特定の領土を持たない。表の顔は、吟遊詩人や踊り子等の芸事を生業とする放浪の部族である。
しかし、この部族は裏の顔がある。
情報収集、地球世界で言う所のスパイ、諜報が一族先祖伝来の特殊技術だ。
コーゼン男爵は、このエルキュール族にメロビクス王大国内の情報収集を依頼した。
特にエルフ奴隷の居場所特定が最重要任務として指定されている。
港近くの酒場の奥の部屋が、この情報収集工作の本部だ。奥の部屋の机の上に一人の若い男が腰かけている。この作戦のリーダーのボレルだ。
室内でもツバの広い帽子を被り、白い飾りの付いたシャツに黒のタイトなズボン。町を歩けば女性が振りかえる容姿は、スパイとしては減点だ。
部屋に入って来た男はボレルに手紙を渡すと部屋から出て行った。ボレルは仲間からの手紙を開く。
『ハジメ・マツバヤシ伯爵の屋敷にエルフの奴隷が多数存在。外出しては、数週間後に戻る行動を繰り返す。屋敷の詳細を探る』
ボレルはしばらく考える。
ハジメ・マツバヤシ伯爵は、おそらく異世界人であると依頼人コーゼン男爵から説明があった。にわかに信じ難い話ではあるが、依頼人は確信を持っていた。
何でも我々の常識外の力を持っているとか。
この事を軽視してはいけない。
依頼人の目的はエルフ奴隷の奪還だ。現時点で力任せにエルフの監禁場所を襲撃する事は出来るが、得体の知れない力がある異世界人がいるとなると話は別だ。
詳細情報を待った方が良い。
ボレルはコーゼン男爵に手紙を記した。
『ハジメ・マツバヤシ伯爵邸にてエルフの奴隷を確認す。なれど詳細は不明。奪還作戦は時期尚早と判断す。詳細情報を待て』
手紙はニアランド王国王都の冒険者ギルドから、アンジェロ領領都キャランフィールドの冒険者ギルドに転送され、コーゼン男爵の手に渡った。
奪還作戦は、少しずつ近づいていた。
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