154 研修からの帰還 7

 桜井由貴がココティエ広場の芝生に座って、遅い昼食を食べていると、リュックに入れたままのスマートフォンからアラーム音が鳴り始めた。

 周りに誰もいないことを確認して、スマートフォンの画面を確かめてみる。

「エッ! まさか!」

 由貴は、この『世界の隙間』に入ってから、もしもに備えて『組織』のスマートフォン『今どこサーチ』機能を常時オンにしていた。

 基地局の無い使用となるため、通信はピア・トゥ・ピアとなるが、居場所がキャッチ出来たということは、相手が近くにいることを意味する。

「エッ! ちょっと待ってよ、篠原さんたちが、ここにいるの? 海の中?」

 由貴が顔をあげて港の方を見てみると、一艇のクルーザーが岸壁に近づいている。

「アッ! あれだ!」

 由貴は食べかけのフランスパンのサンドウィッチを紙袋に突っ込んで、港へ走り出した。

 広場から港まで百メートルちょっとの距離で、由貴は港の道路に入ってから港湾内をうろうろしているクルーザーに向かって、大きく手を振りながら叫ぶ。

「こっち、こっち! 迎えに来たよー!」

 その頃、亜香里たちは優衣の精神感応が、クルーザーから見える港湾関係者に効かなくて困っていた。

「自分が動いていると、精神感応は使いにくいです」

「優衣が言いたいことは分かるけど、ここは海の上に浮かんでいる船の中よ。完全に静止するのは無理です」

「そうですよね、それは分かっているのですが揺れると相手の頭の中までの距離が動くので、能力で精神感応を到達させるのが難しいです」

「そうかぁ、じゃあ、港湾関係者の手伝い無しにクルーザーを停泊させてみるよ」

 クルーザーの中で、そんなやり取りをしたあと、詩織はなんとか岸壁に船を係留すべく、覚束ないハンドルとレバーの操作を繰り返すが、上手く岸壁に近づけない。

 そんな時、自分たちに向かってブンブン手を振りながら、大声を上げる日本人の女性が岸壁に立っていた。

「アッ! 桜井先輩です!」

「エッ! 私たちを助けに来てくれたの?」

「そうみたいです。と言う事は『組織』は私たちがここにいることを把握しているはずですから… 詩織さん、費用的な面は大船に乗ったつもりで、クルーザーをガツンと岸に着けましょう。すぐにこの『世界の隙間』から出る事も出来ます」

「そうね、湾内をいつまでもウロウロしていたら、人が寄って来そうだから、船体の少しくらいの破損には目を瞑ってもらって、船を停めまよう」

 詩織は今まで恐る恐るやっていた操船から、船体を一気に岸へ寄せ、クルーザーのガンネルを擦りながら、なんとか船を岸に着けた。

 優衣が船のロープを岸に居る由貴に向かって投げ、由貴はやり方はともかく、近くのボラードになんとかロープを結びつけた。

 3人はそのまま、船から岸壁に飛び移る。

 松葉杖の亜香里は、さり気なく飛翔を使って上陸した。

「3人とも無事で良かった! 昨日は、イルデパン島を一周してみたけど見つからなくて、今日、思い切ってこの『世界の隙間』に入ってみて良かったよ」

「桜井先輩は、昨日からニューカレドニアに来ていたのですか?」

「昨日、金曜日の午後、仕事中に『組織』から急な呼び出しがあって、あなたたち3人がトレーニングからの帰還中、急に行方不明になったと聞いたときにはビックリしました。高橋さんから詳しい内容を聞いた時、『今度は何としても見つけてみせる』って思ったからね。南九州の『世界の隙間』にあなたたちが入ったときには、私たち世話人は何も出来なかったから」

 桜井由貴が迎えに来てくれて、この『世界の隙間』から出られることが分かった3人は安心感と嬉しさで、自分たちが今いる場所のことも忘れて、桜井由貴にココに来るまでのことを説明する

 由貴にとっては3人の話す内容が、意外な事ばかりで思わず聴き入っていたが、少し離れたところから港湾関係者らしき人が近づいて来たことに気が付き、3人にこのクルーザーをどうしたものかを聞いてみた。

「私たちは、この時代のお金やカードを持っていないので、勝手に借りたクルーザーの費用と岸にぶつけた修理代金を支払うことができません」

 優衣が自分たちは何も出来ない状況を説明する。

「それはそうよね、着の身着のままで、この時代に放り込まれたようなものだから… 分かった、なんとかしましょう」

 由貴はそう言うと、近づいて来た港湾関係者に精神感応で話しかけ、由貴が名刺の様なカードを渡すと、その港湾関係者は納得した顔をして戻って行った。

「桜井先輩は、また妖術を使ったのですか?」

「優衣は上海でも同じ事を言っていなかったっけ? 私はマジシャンではありません。上海の時はいろいろと面倒だったので、相手にニセの情報を信じ込ませたりしたけど… 今回はそんな必要がないので、正直に説明しました。今の彼は港湾事務所の人で『ここはクルーザーを係留するところではない』と注意をしに来たので『私たちは日本から来た観光客だけど、急な用事で帰国しなければならなくなり、イルデパン島から急いでレンタルボートを借りてココまで帰って来て、レンタル会社に追加チャージの精算をする時間もないので、会社から問い合わせが来たらカードに書いてある連絡先に連絡する様にお願いして欲しい、とメッセージを送りカードを渡しました」

「そのカードの連絡先は、どこなのですか?」

「日本同友会東京本部の代表電話です」

「それって、今いる一九九〇年のニューカレドニアから電話を掛けて、その時代の『組織』に回線が繋がったとしても、東京で電話を受けた人は、何の事だか分からないのではないでしょうか?」

 詩織が真っ当な事を言う。

「あとでビージェイ担当に連絡して、なんとかしてもらいます。『組織』はそういう処理には長けていますから」

 桜井由貴が自信を持った話し方をするので、亜香里たちは何となく納得してしまう。

「それよりも、早く元の世界に戻りましょう。みんなもこの『世界の隙間』には用事が無いのでしょう? 元の世界のニューカレドニアなら昨日から泊まっているホテルの部屋もありますし」

「シャワーを浴びてお風呂に入りたいです、ギブスが邪魔ですけど」

「そっかー、小林さんの足首は大丈夫?(亜香里『無理して動かさなければ』)骨折だから治るまでしばらく時間がかかるね。じゃあ、直ぐに『世界の隙間』の入口から元の世界に戻りましょう」

 桜井由貴は3人を引き連れて、セント・ジョセフ大聖堂へ歩いて行く。

「私たちが思っていた『世界の隙間』の入口はビンゴでした」

「篠原さんたちは、セント・ジョセフ大聖堂が『世界の隙間』の入口だと思っていたの?」

「ええ、イルデパン島のピックアップトラックの荷台で亜香里さんが、九州で予想外の『世界の隙間』に入った時のことを思い出して、この国でも『世界の隙間』の入口があるとすれば、歴史的建造物がある場所に違いないという推測になって、スマートフォンに入っていたオフライン地図で探してみたら、ココかな? って思ったものですから」

「それはすごい! 良く思いついてイルデパン島からココまで来れたよね。『組織』の移動ツールも無くて、お金もなくて」

「ええ、私は最初、気が乗らなかったのですが、亜香里さんから能力を使う様、説得されたものですから」

「まあ、緊急事態だから仕方ないよね。現地の人を傷つけたり、モノを盗んだりしたわけじゃないから。いや、正確に言うと、レンタルクルーザーの無断借用? まあ、その辺はあとでですね」

 亜香里たち、3人は『組織』のジャンプスーツ姿のままであったが、港から大聖堂まではあまり人も歩いておらず、遠目にはウェットスーツを着たまま海から上がって来た観光客の姿に見えたのかもしれない。4人はセント・ジョセフ大聖堂前まで来て、木陰で止まった。

「じゃあ、ココからはパーソナルシールドを光学迷彩にして『世界の隙間』の入口を抜けます。お互いが見えなくなるので、私が先頭になって手を繋いで入口を抜けます。周りにいる観光客に注意しながら歩いてください」

 桜井由貴を先頭にして、4人の透明人間は大聖堂の入口を入り、右手聖水盤の前から二〇二〇年のニューカレドニアに戻って行った。

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