153 研修からの帰還 6
ピックアップトラックの荷台に乗った亜香里たちは、ビーチが広がる湾の端にある桟橋の入口道路まで入って来た。
「目的地に着いたみたいね」
「ええ、先ほど運転手のおじさんと精神感応でやり取りをして、船のあるところまで送ってくれると言うので、甘えちゃいました」
「それは助かる、松葉杖で長く歩くのは疲れるよ」
ピックアップトラックは海岸線に沿った道路を走り、ベドコ湾にある桟橋の前で停車した。
3人は気の良い運転手のおじさんにお礼を言ってお辞儀をすると、ピックアップトラックは元の道を戻って行った。
「さて引き続きの活躍ですが、優衣さんよろしくお願いします。あそこのキャビン付きクルーザーとかが手頃じゃない?」
「亜香里さん、そんなに簡単に言わないでくださいよ。精神感応を使って相手の心の中に入るだけではなくて、相手をそのような気持ちにさせなければならないから大変です。桜井先輩だったら簡単にやってしまうと思いますが」
「もしも優衣の精神感応が効かなかったら、私が係員を稲妻でビビらせて、その隙に詩織が瞬間移動で船に飛び込めば、なんとかなるでしょう?」
「亜香里さん、そんなことをしたら海上警察が追っかけてきますよ」
「この島にそんなものがあるの?(優衣『知りませんよ、初めて来た島ですから』)そうでしょう? だったら、まず優衣の精神感応、それでダメだったら私の稲妻と詩織の瞬間移動でクルーザーを(無断で)借りましょう」
ニューカレドニアにはフランスの海上憲兵隊(Maritime Gendarmerie)があり、 20メータークラスの高速艇と2つの旅団が配備されている。
そんなことを知らない3人は、亜香里の提案通りに行動することとなり、優衣は目を閉じて桟橋にいる係員に神経を集中する。
係員は、あたりを見回すが、桟橋には誰も居らず不思議な表情をしている。
優衣がもう一度、意識を集中させると係員は停泊しているクルーザーに乗り込み、エンジンを起動させたあと桟橋に戻ってロープをほどき、そのあとは空を見上げてボーッとしていた。
「急ぎましょう! クルーザーが桟橋から離れてしまいます」
優衣が慌てて叫ぶ。
クルーザーは桟橋の突端にあり、亜香里たちの居るところからは50メートル以上離れており、クルーザーは桟橋から徐々に離れ始めていた。
「私が行って何とかするから、待ってて!」
詩織は言い残した次の瞬間、瞬間移動でクルーザーの操縦席に座っていた。
「操縦はハンドルと左にあるレバーで前進と後進、操作は一般的なものね。ジョイスティックがあると接岸しやすいのだけど… 2人をどうやってこの船に乗せようかな?」
一九九〇年には未だ、ジョイスティックで操作できるクルーザーはないのだが。
レバーを前に押し出してクルーザーを前進させる。
詩織は船舶免許を持っていないが、知り合いの船に何度も乗っていて、一通りの操作方法は知っていた。
「詩織さん、行っちゃいましたね」
「たぶん、こっちに戻って来ると思う。優衣はあの係員にどんな精神感応を使ったの?」
「最初は『船を出しなさい』って念じたのですが、周りを見回すだけだったので、次に『お客さんが直ぐに出発するので準備をしなさい』って念じたら、上手く行きました。桜井先輩みたいに相手を眠らせることはできませんから『空に変なものが飛んでいるから注意して』って念じました」
「だから、あの係員はずっと空を見ていたのか… アッ! クルーザーが来たよ」
亜香里と優衣は桟橋の真ん中まで歩いて行き、詩織が操縦するクルーザーが近づいてくるが、桟橋までは数メートルある。
クルーザーを前後させるが桟橋に近づけない。
「ちょっと接岸は難しいよ。泳いできてくれる!」
詩織がクルーザーから2人に叫ぶ。
「詩織さんが『泳いで来て!』と言っていますけど、亜香里さんはギブスをしているから泳げませんよね? どうしますか?」
「ちょっとやってみる」
亜香里は優衣の両腕を掴み、クルーザーを注視する。
亜香里の身体がふわりと桟橋から浮かび上がり、それに引っ張られるように優衣の身体も中に浮いた。
2人はそのまま真っ直ぐにクルーザーへ飛び、デッキヘ舞い降りた。
「飛んで来てくれて助かったよ。船舶免許は持っていないし、遊びでちょっと操船したぐらいだから… 接岸は難しいね」
「トレーニングの時、優衣を引っ張って高いところで飛翔が出来たから、なんとかなるのかなと思ったの。でも能力を使ったら、お腹が空いたよ」
「この大きさのクルーザーなら、下のキャビンに冷蔵庫とキッチンがあると思う。探してみて?」
詩織は本島に向けてレバーを全速力にし、亜香里と優衣はキャビンに食料を探しに行った
* *
ヌーメアのセント・ジョセフ大聖堂(Cathedorale St Joseph)の聖水盤の前にある入口から『世界の隙間』に入った桜井由貴は建物の外に出て、周りの観光客と自分の格好に違和感がないことを確認してから、木陰でパーソナルシールドの光学迷彩を解除した。
周りに高い建物はなく、出て来た大聖堂を振り返ると2つの鐘塔の高さが目立ち、周りの海からもよく見える。
近くにお土産を売っているスタンドがあり、新聞を見るとこの『世界の隙間』が一九九〇年八月であることが分かった。
(『組織』のデータでは、ヌーメアの『世界の隙間』は二十世紀の終わり頃、と書いてあったから、おおよそ合っていますね)
(さてと、東京には勇ましいことを言ってこの時代に来たけれど、どうやって篠原さんたちを探そうかな?)
時刻はお昼を過ぎており、外に出ると日差しが厳しい。
大聖堂の前にじっとしていても仕方がないので、海の方に降りて行くと周りはちょっとしたオフィス街、公園、レストランやお店が拡がっていた。
テイクアウトのできるお店でフランスパンのサンドウィッチとエビアンを買い、ココティエ広場の木陰がある芝生に座って海の方を見ながら、遅い昼食を取ることにした。
* *
詩織が操縦するクルーザーは海上憲兵隊に捕まることもなく、ニューカレドニアの本島(グランテール島)に近づき、午前中にピックアップトラックの荷台で打ち合わせた通り、ヌーメアにある大聖堂近くの港を目指していた。
クルーザーには、この船をレンタルした観光客用に用意されていた食事が冷蔵庫にぎっしりと詰まっている。
『私たちが乗船して、レンタルしたお客さんが乗れなくなったから、料理をそのままにしておくと腐ってしまうので食べてしまいましょう』という亜香里らしい解釈で3人は、お昼過ぎに今日初めての食事を始めた。
何人分用の食事か分からないが、観光客用のフレンチポリネシアン風料理がふんだんに用意されており、亜香里は満足し詩織と優衣は持て余していた。
クルーザーの航行は詩織の横で優衣がスマートフォンのGPSで場所を確認しながら進んでおり、右手にグランテール島が見え始めてからはヌーメアの港を間違えないように注意しながら進んで行く。
ヌーメア港があるところは、グランテール島の中では突き出ており、間違うことなく、突き出した突端をグルッと回り込んで港に近づいた。
「優衣、あの低い丘に立っているのが大聖堂じゃない? 建物から2つ塔が伸びているよ」
GPSを見ながら優衣が答える。
「あれに間違いありません、問題はどうやってこの船を港に接岸させるのかです。港の人に頼んだら、直ぐに捕まりそうですし…」
「そこは、イルデパン島と同じように優衣さんの出番です。精神感応で港の人に『このクルーザーの係留をお願いします』って頼むの。それから『ちょっと市内に用事があるけど、直ぐ戻ってくるから』と追加でお願いしてクルーザーの番を頼みます。私たちが戻ってくるのかどうかは分からないけど」
「なんだか、亜香里さんの言うとおりに能力を使っていると、ドンドン悪い人になっていくような気がします」
「私もこのクルーザーのレンタル料も含めて騙してタダで、とは思っていませんよ。二〇二〇年に戻れたら『組織』に事情を説明して、もう1回この世界に戻って来て迷惑料も含めて料金をお支払いするつもりです。『組織』もこれくらいの経費は認めてくれると思います」
「着いてからのことは、着いてから考えようよ。港の岸壁が見えて来たし港の人も見えるから、優衣、とりあえず亜香里の提案どおりにやってみてくれる? 接岸に失敗してクルーザーを壊したくないから」
「分かりました、岸壁からこちらを見ているおじさんに、精神感応を送ってみます」
詩織が操縦するクルーザーはゆっくりと岸壁に近づいて行った。
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