092 優衣の初ミッション1 上海一九二一年

 横浜からワンボックスカーで寮まで送られてきた詩織と香取早苗はエレベーターホールで別れ、詩織は自室に入った後、眠気に襲われてそのままベッドに突っ伏した。

 突っ伏しながら(これじゃあ、いつも私たちに注意されている亜香里と同じじゃない?)と思いながら、起き上がる間もなく深い眠りについていた。

 翌日、詩織にしては珍しく朝6時に目が覚めず、日曜日の遅い寝起きとなり(私は何時間寝たんだ?)と思いながらシャワーを浴び、多目的室で適当にメニューを選んで遅い朝食を取りながらスマートフォンのメッセージをチェックする。昨日、横浜中華街でお疲れ様会をしている時に叔父から道場の手伝いをお願いされていたのを思い出し、慌てて部屋に戻りヘルメットを持って地下ガレージへ行きバイクで出かけた。

 夜まで道場で子供たちに稽古をつけ、叔父の家で夕食をごちそうになり、寮へ戻りプールでひと泳ぎして、日曜の夜は心地よい疲労感を伴いながら眠りについた詩織である。


 会社に通い始めてから3週目となり、亜香里たちも会社通勤に慣れ久しぶりに同期3人が一緒に出勤をしている。

 3人は寮で朝食が一緒になり、先週の詩織のミッションの内容を聞き、ハワイ観光をうらやましがったり、零戦の機銃掃射に驚いたりしたが、最後に詩織が『今回のミッションでは、一回も能力を使わなかったのよね』と少しガッカリした口調で話すのを、優衣が空かさずフォローする。

「でも、伝説のウインドサーファーにインタビューが出来ましたし、香取先輩にウインドサーフィンをレクチャーして、詩織さんもプロから凄いジャンプだって言われたのでしょう? それに『世界の隙間』を何度も通り抜けてるから、能力者補としての経験値は上がったのではないでしょうか?」

「そっかー、そうだよね、そう受け取りましょう。持つべきものは同期の友人、少し気持ちが上がりました」

「詩織、少し柔らかくなった? 前だったら今みたいに慰められても『大したことないよ』と言いそうだもの」

「亜香里こそ、ちょっと前なら今のようなことを言わなかったのでは?」

「まあまあ、お二人ともミッションを遂行して成長したということにしませんか?」

「そうか、まだミッションをやっていないのは優衣だけですか? 優衣は何が成長するのかなぁ、身長は難しいかな? ドアーフから人間に近づけるのかな?」

「亜香里さん! せっかく良い感じで通勤しているのに、身長のことは言わないでください! 私は人間ですよ」

 亜香里と優衣とのやりとりを聞いて詩織は笑いながら(気を遣わせてゴメン)と密かに思っていた。


 優衣は人事システムの使い方にも慣れ、簡単なルーチン処理を任されるようになり、優衣なりにテキパキと仕事を進めて、午前中の業務を終えようとしているところに、桜井由貴がやって来た。

「篠原さん、ちょっといい?」

 優衣に声をかけ、執務室の角にある打ち合わせテーブルに優衣を呼び、声を潜めて話をする。

「先ほど、『組織』からミッションの連絡がありました。今から『組織』のミーティングルームで説明を受けてミッション開始です。篠原さんの上司には 『日本同友会の急ぎの用事で、篠原さんを同行させる』 と説明して了解を得ています。すぐに机の上を片付けて、ミーティングルームへ行けますか?」

「そこまで手はずを整えて頂いて 『行けません』 と言う方が、おかしいですよね?」

「その通りです。私も今から片付けます。5分後にエレベーターホールに集合して下さい。それを過ぎるとお昼休みに入るので、エレベーターが使いにくくなりますから」

「5分で片付けるのですか?(いきなり?)エレベーターで『組織』のミーティングルームまで行くのですか?」

「エレベーターを使わなければ、このビルの最上階まで階段で登ることになりますが?」

「(エッ! ここから最上階まで何階あるの?)5分で片付けます」

 5分後に2人は、誰も乗っていないエレベーターに乗り込み、二人のIDカードを行き先階ボタンの下にかざすとエレベーターの扉が閉じ、途中どの階にも停まらずにビルの最上階に停止した。

 由貴のあとに優衣も通路へ出て、ランプの点いている部屋へ入っていくと、部屋には十名ほどが座れるオーバルテーブルと壁一面を覆うディスプレイが設置されている。

 二人が椅子に座ると、ディスプレイにビージェイ担当が現れた。

「桜井由貴さん、篠原優衣さん、こんにちは。仕事中お呼び立てしました。これからミッションの説明をします」

「今回のミッションは『世界の隙間』で開催される会議を、歴史通りに終了させる事です」

 優衣は(来ました! 謎の初ミッション。亜香里さん、詩織さんと同じです)と期待しながら、うれしい表情は抑えて真面目にメモを取る(フリをした)。

 桜井由貴が聞いてみる。

「『世界の隙間』は『実世界の断片』だと聞いています。『その世界は事実ではあるが、その時代のカケラであってその中で変化が起こっても、その後の歴史には影響を及ぼさない』と聞いたことがあります。そうすると今回ミッションのターゲットとなる『開催される会議』が、どうなっても問題ないのではありませんか?」

「桜井さんの言われた説が『組織』の中では一般的ですが、最近、歴史と現実に整合性が取れない事案がいくつか散見され、それに関係する『世界の隙間』も歴史と異なっているようです。現在調査段階で、まだ事例は少ないのですが相関関係はいくつか確認されており『世界の隙間』の中であっても歴史通りに物事が進む方が望ましいのではないかとの説が『組織』で出始めています。今回それを確認する事がミッションの目的でもあります」

 優衣は(『世界の隙間』の中を変えれば、現実に反映されるということは、アキ叔父さんも何とかなるのかな?)と考えていた。

「それでは、物理的な行先と、時間的な行先、その状況について説明します。行先は中華人民共和国の上海市です。時間的な行先は一九二一年七月二十三日から七月三十一日です。今回のミッションは、上海市内にある豫園仰山堂から『世界の隙間』に入り、当時のフランス租界で開催されていた中国共産党第一次全国代表大会開催の妨害を防ぐ事です。現在の住所は中国上海黄浦区黄陂南路三七四号で、いわゆる新天地の中です」

「概略了解です。ただ今までのミッションで政治がらみのことはやったことがなく『組織』は政治関係には関わらないと思っていましたので意外です。リスクの程度を教えて下さい、それから行き先への移動方法も説明して下さい。あと、行っている期間が九日間と長いのですが、その間に時間加速して戻ったときに1ヶ月以上経っていると、ワーク・ライフ・バランスならぬ、ワーク(会社)・『組織』・バランスが成り立たないのではないかと心配になります」

「『組織』として、本ミッションは政治には関係はしないと考えています。この会議が開催されない『世界の隙間』が確認されており、それによる影響が現在の世界に少し現れてきていますが、軽微なものです。これから実施して頂くミッションの結果は直ぐに反映されるため、『世界の隙間』と現在の世界の因果関係が確認できます。それが証明できれば現世界の維持に『組織』がさらに貢献でき、活躍の場が増えると考えています。なおリスク対応については万全の装備と現地での協力者を手配しています。上海まではエアクラフトを使って頂きます。それから、ワーク・『組織』バランス、とは桜井さんも上手い言い方をしますね。今度『組織』でも使わせて頂きます。時間加速については、この『世界の隙間』は時間遅延します。ベテランの桜井さんも未だ経験していないと思いますが『世界の隙間』の中には、その世界に1ヶ月居て、現在に戻ってきたら3日しか経っていなかったという隙間もあります。今回のミッションから戻ってくるのは今週の金曜日頃、若干の時間遅延程度と予測しています。説明は以上です、詳細はスマートフォンへ送信済みで、必要なツールはエアクラフトへ準備されています。ではミッションを開始してください」

 ディスプレイからビージェイ担当が消えた。

「篠原さん、とりあえずエアクラフトに乗ってから作戦を考えましょう」

 桜井由貴は席を立って部屋を出て、優衣は後を追う。

 通路に出て向かいの大きな扉を開けると、そこはエアクラフトの駐機場となっており、数台のエアクラフトが停まっていた。

「本社の中にこんな設備があるなんて、知りませんでした」

「このフロアは会社の施設ではありませんよ。『組織』のフロアです。外向きには『日本同友会』の施設ですけどね」

 桜井由貴は、上部のフードが開いているエアクラフトに乗りこみ、優衣もそれに続いた。

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