東雲奈月の章 -承-

-1-

『ピピピッ ピピピッ』


 聞き慣れたスマートフォンのアラーム音で目が覚めた。いつもなら、スヌーズモードに切り替えて、二度寝を楽しむのだが、とても、そんな気分にはなれなかった。暑さのせいだけでは説明が付かない程の汗をかいていた。


「嫌な夢を見た。」


 詳しい内容は、まだ起きたばかりだと言うのに、全く思い出すことができなかった。ただ、何となく、恐ろしい、あるいは、不快な夢を見たんだろうと言う気がした。寝起きだと言うのにやけに早い心臓の鼓動と、背中を湿らせる汗がそう感じさせた。二度寝を楽しむ気分にはなれなかった。諦めていつもより少しだけ早くリビングへと降りた。


「あら、今日は早いのね。」


 お弁当の支度をしながら、母親にからかわれた。


「ちょっと嫌な夢見ちゃって。汗、凄いから流してくる。」


 そう言って直ぐにリビングを出て、お風呂場へ向かった。珍しいわね、と言う母親に返答はしなかった。今は一刻でも早く、この気持ち悪いものを流してしまいたかった。

 シャワーを浴び終え、髪を乾かす。いつもより簡単に寝癖が直るので、新しく習慣にするのも悪くないなと思った。時刻はいつも起きる時間と変わらない程度になっていた。ついでに制服に着替えてから、リビングへ戻る。


「それじゃ、お弁当はいつものところに有るから、忘れないでね。」


 入れ違いになるように母親は仕事へ向かうべく、リビングから出ていった。


「ありがとう、気を付けてね。」


「奈月もね、大変だと思うけど、頑張って。」


 短いながらもきちんと言葉を返してから、母は家を出た。奈月はそれを何となく見送った。リビングの上には自分用であろう朝食と、お弁当箱が置かれていた。先にカバンの中にお弁当をしまう。

 朝食をとり終え、食べ終わった食器を流しまで運ぶ。今日は早起きした分、時間が有ったので、そのままお皿も洗ってしまおうと思った。

 母が付けていったテレビの音が断片的にではあるが、耳に入ってくる。どうやら、巷では行方不明になる人が増えているようだ。気の早い若者達がやれ肝試しだ、やれフライング海開きだと言って、深夜に出かけ、そのまま戻ってこないのだとか。どうせ都市伝説の様なものだろうと思った。証拠に実際に行方不明になった人たちの名前はおろか、家族からのコメント一つ無いのだから。徒に人を不安な気持ちにさせるのは、メディアとしてはどうなのだろうかと考えた。

 リビングに戻りテレビに目を移すと、弁護士だの大学の教授だの、なんだか良くわからない肩書きの有識者方が、所見を述べていた。


『若者達の深夜の外出を制限した方が、良いのではないでしょうか。何かあってからでは遅いのだから、政府や警察も対策を確りと練るべきだと思いますね。』


 黒のスーツを着たやや小太りな中年男性が尤もらしいことを言い、キャスター含め、他の皆もそれに賛同するように頷いてた。


『そんな事をしても、若者達の反感を買うだけでしょう。』


 そんな同調圧力に物怖じすることなく、一人の男性が言った。その人に奈月は見覚えがあった。最近、よくメディアに取り上げられる、自称名探偵の胡散臭い弁護士だ。確か、どこかであった神隠しのような事件を解決したとかで、主にオカルト方面で名を馳せていたはずだ。深緑の珍しい色合いのスーツに流行りの丸メガネ、特徴的なポニーテールと、やや変わった格好で、好みの分かれそうな風体であった。そこまで特徴的な人も珍しいのではないかと、見るたびに思ってしまう。

 テレビでは先程の中年男性が不愉快そうな顔をしながら扇子を扇いでいる姿が映っていた。


『では、芳賀さんはこのまま若者達が誘拐されても良いとお考えなのですか?反感を買おうとも、未来有る若者達を保護していく、それが我々大人達の指名であると、私は思うのですが。』


 スタジオに剣呑な雰囲気が漂っているのは誰が見ても明らかで、何だか針の筵に座る思いがした。他のキャスター達は何も反応をせず、沈黙を良しとして、ただ、話を振られた芳賀の方を見ていた。


『言葉が足りませんでした、申し訳ございません。』


 芳賀はそんな剣呑さなどどこ吹く風、とでも言わんかのように、爽やかな笑顔で自分の至らなさを認め、謝罪した。そして、続けた。


『私が申し上げたかったのは、外出を制限したところで、根本的な解決にはなっていない、と言うことです。ですので、仮に外出を制限したところで、この誘拐が本当に収まるのか、効果を保証することができません。若者達に、効果があるかどうかは別として、取り敢えず外出しないでね、と言っても、素直に聞き入れて貰うのは難しいでしょう?』


 なるほどな、と奈月は感心するのと同時につかみ所の無い面倒くさいタイプの人だとも思った。味方に付ければ頼もしいが、敵に回すとかなり面倒なタイプに違いない。


『誰でもわかっていることを得意気に話されましても、ねぇ。』


 それもそうだなと思ったのも束の間、直ぐに芳賀が切り返す。


『先を言えば、今は偶々、若者達がターゲットになっただけ、とも考えられますよね。』


 勿体ぶった言い回しだった。非常に続きが気になるのだが、そろそろ家を出る時間になっていた。テーブルの上のリモコンでテレビの電源を落としてから家を出た。外に出ると、何とも言えない生ぬるい風が奈月の顔を撫でた。全く、今朝から心地好い思いをしていないなと、独りごちた。

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