番外編2_You Make Me (2)

 その例えは、可能性がゼロとは言い切れないものだ。確かにグリフォンさんが一人の生き残りも無かったと言っていたし、あれらは室内に籠っても地下室に籠ってもお構いなしに侵入してきて人々を殺したから、生き残りが他に居る可能性はもの凄く低い。だけど、万が一そんなことがあったとしたら。私にとっては、最初の例え話なんかよりずっと怖い。

 なのにきょうちゃんは私の考えを否定するみたいに、軽く首を振る。

「きっとすごく嬉しいし、泣くかもしれない。でも、宗助をもう一度選ぶことは無いし、由枝ゆえちゃんと別れる気は無いよ」

「え」

 響ちゃんが清々しく言い切るのは私にとって喜ばしいかもしれないけれど、驚きの方が大きい。簡単に信じられなくて、忙しなく視線を動かして彼女の表情を凝視する。真意は勿論そんなことをしたって見付けられないし、私が言葉を選んでいる間に、彼女が答えを教えてくれることも無かった。

「ど、どうして? 相手だってきっとまだ響ちゃんのことが好きだろうし、折角また……」

「うん、でも由枝ちゃんが居るから」

 笑ってそう言った直後に、響ちゃんはちょっとバツが悪そうに眉を寄せて俯く。

「ごめん、違うな……そんな理由だったら喜んでくれるかなと思ったけど、正直に言うよ」

 懺悔するみたいに少し項垂れた響ちゃんは、私の方に向けていた身体をまた正面に向け、座り直した。

「例え宗助が許してくれても、私が自分を許せないよ。罪悪感とかでぐっちゃぐちゃになって、前と同じ気持ちで宗助の隣に居られない。私が見殺しにしたのは宗助だけじゃない。あいつの家族も友達も仕事仲間も含めて、故郷、丸ごと全部なんだから」

「響ちゃん」

 見殺しだなんて言葉、使わないでほしかった。だけど響ちゃんの中ではもうその言葉が結論になっていて、私が触れても、引きはがそうとしたって、無駄なんだってことは分かる。きっと、響ちゃんの一番深い傷を抉ってしまうだけだ。名前を呼ぶ以上のことは何も出来なくて、私は黙り込んだ。

「捨てられないだけ。大事にしていたいだけ」

 囁くような声は、丁寧に紡がれた気がした。響ちゃんは指輪の輪っかを覗くようにして、目の前でそれを天井に向ける。

「今の私を支えてくれてるのは由枝ちゃんで、指輪じゃないよ。多分この先も」

「うえ、あ、はい」

 言葉が嬉しくて何と答えたらいいか分からなくて、変な返答になった。響ちゃんが笑う。それから指輪をジーンズのポケットに押し込んだ彼女が、ごろんと私の膝に転がり込んできた。頭だけじゃなくて上半身が半分以上乗っていて、あの、柔らかいです……。

 そんな接触で瞬時に思考が違う方向へと走ってしまう自分は現金すぎて、どちらの方向に懺悔すればいいのか分からない。

「ちょっとくらい疑問は晴れましたか?」

「う、うん、すごく」

「良かった」

 懺悔中だったこともあって返す声が引っくり返りそうになったが、響ちゃんは私が戸惑った原因に気付いた様子は無い。ごろりと私の膝の上で寝返りを打って、見上げてくる。

「由枝ちゃんに愛想を尽かされない限り、ずっと一緒に居るよ」

「愛想なんか尽かすわけないでしょ、何その前提」

「それは嬉しい」

 拗ねる気持ちで私は口を尖らせたはずなのに、響ちゃんは軽くスルーしちゃって前半だけを拾って答えてしまう。確かに悲しい顔をされるより、笑ってくれる方がずっと良いけどさ。

「由枝ちゃん」

「ん?」

「……うーん」

「え、何」

 呼んだのは響ちゃんなのに、何故か言葉の続きを飲み込んでしまった。聞き返しても言い渋って口を引き締めて中々話し出そうとしない。こんな態度を取るのも、ちょっと珍しい。髪を撫でながら反応を待つことたっぷり二分。たっぷりと言ったが、たった二分しか私は待てなくて「響ちゃん」と促すように名を呼ぶ。響ちゃんが軽く眉を下げ、横になったままで肩を竦めた。

「私がねだって、ここで抱き締めてもらった時」

 いつだったっけ。確か、出動から帰ってきた響ちゃんが「ご褒美」として私にソファでの抱っこを求めてきた日だ。まだ私が、好きだって伝えられずにいた時のこと。

「女同士で付き合うとか、そういう発想が私には少しも無くって」

 そうだろうなと思う。じゃなきゃ、あんなに無防備に私の腕の中で眠るはずがないし、胸も、そういえば当たってたんだっけ。あの時の私は、必死に煩悩と戦っていた。

「由枝ちゃんの腕の中、ずーっと独り占めするには、どうしたらいいのかなって考えてた」

「へ」

 だからこの言葉はあまりにも、予想外だった。

 私の間抜けな反応を見上げた響ちゃんが、軽く目尻を下げて笑う。

「好きって言ってくれた時、『そういうことか』って思ってね」

「え、ええええ」

 心臓がばくばくと音を立て始めて、響ちゃんの体温を感じている足が微かに震えた。何、これ夢?

「……ちゃんと好きだよ、由枝ちゃん」

 息も出来ない。喉が戦慄いた。口を開閉させて何か言おうと思うのに、動きばかりで音が出てこなかった。顔も首も全部熱くって、今の私は多分、とんでもなく赤くなっているのだろう。響ちゃんが、私の反応を可笑しそうに眺めている。だけど見守った後、背を向けるみたいに寝返りをしてしまった。私から響ちゃんの顔が見えなくなって、同時に私の顔を見られることもなくなって安堵する。しかし、追い打ちが掛かった。

「照れ臭い、こういうの苦手だなぁ」

 笑いを堪えるみたいな、くすぐったがってるみたいな声は、初めて聞く。いつも照れ臭くなると眉を寄せて怒ってるのかと見紛う表情を見せる響ちゃんなのに、今回は表情が見えない。代わりに、耳の先だけがちょっと赤くなっていた。私はもう見ていられなくて両手で自分の顔を覆う。ちょっと、受け止め切れない。

「……嬉しすぎて、頭がパンクしそう」

「ふふ」

 私の声は弱り果てて微かに震えてすらいた。もう音が情けなくて恥ずかしい。呑気な笑い声を聞かせてくれる響ちゃんは、その原因が自分だってちゃんと分かっているのかなぁ。

「パンクしたら、どうなるの?」

「どうって……」

 全然、分かってなさそう。私が両手を解いて見下ろせば、いつの間にかまた響ちゃんが寝返りして私を見上げていた。照れてる顔、少しもしてないよ。もう見間違いだった気さえする。なのに、瞳が何だか艶っぽくて、扇情的に思えた。

「しばらくベッドから出してあげられない、かも……」

「あはは」

 結局そうして軽く笑い飛ばしちゃうんだよね。しかもとっとと身体も起こして私の膝枕が唐突に終了してしまった。膝の上から消えた体温が名残惜しくて、自分の手でちょっとそこを擦る。

「由枝ちゃん、上乗ってもいい?」

「えっ、た、体位の話?」

の話だね」

 脳内が既に桃色になっていたことをぽろっと白状してしまった。苦笑している響ちゃんが私の太腿をぽんぽんと叩いて首を傾けるので、どうぞ、と腕を広げる。

 宣言通り、響ちゃんが脚の上に乗ってきたけれど。いつも抱っこする時みたいに横向きに座るかと思ったら此方に身体を向けて跨ってきたので、めちゃくちゃびっくりした。これ以上無いくらい大きく目を見開く。私の顔を見て、響ちゃんは微かに目を細めた。

「何、その顔。だめだった?」

「い、いえ大歓迎です」

 心の底からそう答えたら、納得してくれたのかそれ以上は何も言わず、両腕を首に回して身を寄せてきた。横向きに座られるよりもしっかり胸が押し付けられて、ちょっと息が止まる。この人、本当に分かってくれてないんだなと、諸々の湧き上がる欲を堪える為に唇を噛んだ。

 そもそも、響ちゃん自らハグしてくるなんて初めてじゃないかな。しかも正面からなんて。興奮で震えてしまう腕がバレないように、そっと柔らかく背中に回す。

 こうして私は欲を必死に押し隠したはずなのに、しばらくしたら急に響ちゃんが私の首筋に噛み付いた。全ての我慢がすごい音を立てて軋んで、心臓が跳ねる。

「なっ、なに!?」

「んー別に、何にも」

 欲情してるのがバレて怒られたんだと予想したが、私の問い掛けに、響ちゃんは答えてくれない。挙句、私の膝の上から立ち上がろうとしたので慌てて腰を捕まえて引き止めた。

「ん?」

「い、いや、もうちょっとこのままくっ付いててほしいなーって……」

 珍しく、私を求めてくれているような体勢だったし、凄く柔らかくて気持ち良かったし! とは流石に言えないけど。やっぱり嬉しかったのでもう少し、もう少しだけ。懇願するつもりで見つめると、私の視線を受け止めて響ちゃんはまた少し目を細めた。

「ふーん」

「……えっ、あれ? 何か怒って、る?」

「ううん、怒ってないけど」

 そう言う割に何だかさっきと比べて声のトーンが明らかに違う。そして口元に浮かんでいた笑みも消えていた。大体さっき私、どうして噛まれたんだろう。色んな疑問が浮かんできて一気に混乱してしまったが、ぐるぐる考えている間に再び腰を落ち着けてくれた響ちゃんは、私の頬へと鼻先を擦り付けてきた。さっきから心臓に悪い。やっぱり、今日はいつになく甘えん坊だ。力一杯に抱き締めたくて、両腕がそわそわした。

「由枝ちゃん」

「は、はい」

「ベッド行こ」

「え!? そ、それはお誘い以外には聞こえないんだけど、違ったら泣くよ!?」

 自分でも軽くびっくりするくらい大きな声が出た。ずっとぎりぎりのラインで興奮を抑え込んでいたところに、見事に強めの衝撃が投げ込まれたせいだと思う。出会ってから今日までの間で、一、二を争う強烈さだった。

 一方、響ちゃんは大きな声に驚いた顔はせず、どうしてか私の顔を見ていなかった。廊下の方とか、何でもないところに視線を向けている。

「……それはそれで見てみたいけど、まあ、お誘いで」

「え、えぇ」

 彼女の腰を捕まえていた腕から思わず力が抜けてしまったら、響ちゃんはその隙を付いてするりと腕から逃れてしまう。離れて歩いて行く方向は明らかに寝室で、私も慌てて立ち上がって後を追った。身体に上手く力が入らなくて数歩よろつく。

「宗助の方が、扱い易かったかも」

 寝室に入ると同時に聞こえてきた小さな呟きは微かに溜息が混じっていて、ぎょっとした。

「待って待って、それは流石に聞き捨てならないっていうか、わ、悪い意味?」

「あはは」

 ちっとも笑い事じゃないんだけど!?

 更に問い詰めようと口を開いた瞬間、私を振り返った響ちゃんは優しく微笑んでいて、一気に溜飲が下がって言葉が止まった。これが惚れた弱みだ。

「女の子って難しいなって意味だよ」

「……わ、分かんない」

「もういいから、おいで」

 先にベッドに腰掛けた響ちゃんが手招きしてくる。何だか新鮮な光景だ。しばらく見ていたいような。もう、我慢できないような。

 私にはやっぱり後者の想いが強くて、覆い被さるようにして座る彼女の脇に左膝を乗せる。すると楽しそうに笑った響ちゃんは、私の首に腕を回すと同時にそのまま後ろへと倒れた。

「うわ、わ」

 咄嗟のことに彼女の身体を支えられず、私も一緒にベッドへと倒れ込む。危うく小さな彼女の身体を潰してしまうところだ。両肘をベッドに付くことで何とか留まり、ご機嫌な様子で私を見上げている響ちゃんを見つめ返した。

「……で?」

「え、な、何?」

「どうしてくれるんだっけ?」

 すぐに何を言われているかが分からなくて、数秒黙ってから、私の顔がまたじわじわと熱くなっていく。腰から背中に何かが這い上がってくるみたいに、ぞくぞくした。

「ベッドから、出してあげられなく……えっ」

 信じられない気持ちを抱きながら考えを恐る恐る口にする。響ちゃんは黙ったままで、目尻を下げて笑みを深めた。これは否定とか、呆れの顔じゃなくて、多分、肯定で。つまり彼女が今『お誘い』なのは『パンクする私』なんだってことで。

 高鳴っていく鼓動に合わせて、ベッドが小刻みに揺れていた。

「あの、い、頂きます」

「はは」

 沸騰寸前の脳みそから出せる言葉はこんなものしかなくて、笑われたことを恥ずかしいと思える神経も何も残っていなかった。耳鳴りと小さな眩暈がするくらい、熱に浮かされていた。多分、私だけが。

「由枝ちゃんのそういうところが、好きなんだよね」

 彼女の冷静な声が鼓膜を揺らして、私の熱い首筋の温度を確かめるみたいに響ちゃんの手の平が滑っていく。

 そういうところって、どういうところ?

 意識の片隅にふわりと浮かび上がった疑問を口にする余裕も当然持ち合わせていなかった私は、彼女の身体を強く抱き締め、柔らかな唇に深く口付けた。

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